双眸の精霊獣《アストラル》

果実夢想

#4 悪意に満ちた人造【7th】

「……本〈ノッカー〉」

 すぐさまシャウラは分厚い本の姿へと変わり、中篠の掌の上に乗った。

 そして「――〈不可視の結界アレキサンドライト〉」と呟き、屋上にのみ結界を展開して準備は万端。これで、一般人の生徒たちに見られはしないだろう。

 あとは鳥山先生とレグルスなわけだが、一体どんな武器を用いるのか。そういやレグルスの種族も気になるよ。

 俺は少し離れたところで現況を確認する。

 情けないな。かっこつけて宣言したのはいいものの、ミラがいないと本当に何もできない。一人じゃ、何もできないんだ。中篠たちに任せて戻ったほうが良かったのかもしれないけど、それはダメだ。

 たとえできることはなくても、絶対に見捨てないと決めたんだから。昔の俺みたいな思いをする人が、少しでもいなくなるために。

「――鏡〈スプリガン〉」

 鳥山先生が言った直後、レグルスはみるみる形も大きさも変わっていき――俺の身長と同じくらい大きくて、透き通るガラスのようなものに変貌を遂げた。

 何だ、あれ。

 俺たちの姿を反射しているところを見ると、巨大な鏡だろうか。どうやって戦うというんだろう。

 思案しているうちに、中篠が攻撃を開始する。

「……第一章第一節、〈紅蓮の鞠アデュレリア〉」

 本からソフトボール級の大きさの火球が出現し、大して速くもない速度で鳥山先生に向かっていく。

 それに対し、鳥山先生は鏡の後ろに回り込み――〈紅蓮の鞠アデュレリア〉は鏡の中に吸収されてしまった。

 が、なんと、再び鏡の中からさっきと同じ〈紅蓮の鞠アデュレリア〉が飛び出し、中篠のもとへ返っていく。

 どういう、ことだ。

「……第一章第二節、〈紅蓮の阻隔ファイアゲート〉」

 脳内に疑問符を浮かべる俺をよそに、中篠は冷静に炎の壁を噴出させ、火の玉を防御する。

「……あの鏡はおそらく、こちらの攻撃を跳ね返す」
「ああ、その通りだ」

 中篠が解説するかのように呟き、鳥山先生は頷く。

 そんなの、どうすりゃいいってんだよ。跳ね返されてしまえば、こちらの攻撃が相手に届かない。

 一人でいくら懸念していても、中篠はまったく慌てたりしない。勝機でもあるのだろうか。

 人差し指を伸ばし、照準を鳥山先生に定める。

「……第二章第一節、〈碧瑠璃の銃弾ブルーレース〉」

 そして、人差し指の先端から、高速で水の光線が発射される。

 あの鏡は俺の身長とほとんど同じ大きさなので、鳥山先生のほうがおよそ十センチも大きい。

 つまり、鏡に隠れきらなかった鳥山先生の頭を目掛けて、中篠は〈碧瑠璃の銃弾ブルーレース〉を撃ったのだ。

 身長が高いのも結構困りものだね。

 あれなら跳ね返されるおそれはないはず。

「――甘い」

 だが、そんな余裕綽々な声色とともに、右手で何かを投げ飛ばす。

 あれは……小さな鏡かな。

 掌サイズな極小の鏡は絶妙なタイミングで弧を描き、中篠が射た水のビームを綺麗に吸い込んでしまう。

 そして先程と同然に、攻撃が跳ね返っていく。

「……ッ!」

 そこで初めて、中篠が動揺した表情を見せた。

 この〈碧瑠璃の銃弾ブルーレース〉は〈紅蓮の鞠アデュレリア〉と違って、かなり迅速に飛ぶ。

 さすがに反応しきれなかったのか、守る方途である〈紅蓮の阻隔ファイアゲート〉を発動できず――強力な水が、左肩辺りに突き刺さる。

「中篠ッ!」

 俺は無意識に名前を叫び、駆け寄っていた。

 まさか、これほどまでとは。予想以上に、鳥山先生は強かった。中篠が、手も足も出ないなんて。

「……きさ、ま……ッ」

 普段の淡々とした言葉遣いとは似ても似つかない声音で、小さな穴の開いた左肩を押さえつつ荒っぽく忌々しげに呻く。

 中篠はギリギリと歯軋りをして、瞳を険しくさせて鳥山先生を睨む。

 当の鳥山先生は、どこか悲しそうな面持ちをしていた。

 何だ、あの表情は。あんたは今何を考えて、中篠と戦ってるんだよ。

「……まだだ。――第四章第一節、〈澄徹の精根ミーアシャム〉」

 そう呟いたと思ったら、いきなり中篠の全身が発光し出す。

 更に、鳥山先生を睥睨しながら俺に向かって言う。

「……〈澄徹の精根ミーアシャム〉で、自分の体力を向上させた。傷は治らないし血も止まらないが、体力さえあれば戦える。五十嵐、お前はもっと離れていろ」

 こいつ、何でそんなに必死なんだ。

 体に穴が開いてるんだぞ。全然血が止まってないんだぞ。いくら体力を向上させたって無茶だ。

「お願い、五十嵐。あたしたちとしても、あいつとは決着をつけないといけないみたいだわ。きっと……あいつが、許してくれないもの」
「え?」

 本から発せられたシャウラのセリフに、俺は訝しむ。

 許すって、何をだよ。

 訊ねようとしたら、不意に携帯電話の着信音のようなものが鳴り響く。俺の携帯電話じゃない。

 この可聴音は、もう少し離れたところから――。

「……ふっ」

 何やら微笑が聞こえた気がして前方に目を向けると、鳥山先生が携帯電話の液晶画面を見て顔を綻ばせていた。

 一体誰からだろう。

 まぁ俺には関係ないか。

「では、次はこちらから行かせてもらおうか――〈有象無象の反逆グラニースミス〉」

 すると、鳥山先生の掛け声と同時に……って、あれ? 見た感じ、何も変わっていないような気が……。

 だがそこで、俺はある異変に気づく。異変というほどのことでもないのかもしれないけど。

「お前……脚のそれ、どうしたんだ?」

 不思議に思い脚を指差して告げると、中篠も自分の脚を見て愕然となる。

 制服のスカートから覗く太ももの柔肌に、過小な鏡の絵が描かれているのだ。

 そんなに細かく見ていたわけじゃないものの、さっきまではこんなもの無かったはずだろう。

「中篠。今、お前をマークした」
「……マーク?」

 突として発された言葉に、中篠は怪訝そうに眉をひそめる。

「ああ。その鏡の絵が、マークされた者の証だ」

 そう言った直後、鳥山先生は何故か瞑目した。

 刹那、中篠の様子がおかしくなった。瞳孔が開き、まるで有り得ないものを目にしたかのような。

 途端に、中篠はしかめっ面で唸る。

「……何だ、これは」

 今となっては、普段の無表情ぶりなど面影がない。

 それくらい、中篠にとってとんでもない光景が広がっているということなのか? 傍観者である俺には、まったく分からない。

「五十嵐にも分かるようにしてやろう――〈有象無象の反逆グラニースミス〉」

 今度は間髪入れず、俺の掌に中篠の太ももと同じ小さな鏡の絵が描かれ出す。

 そして、さっきと同様鳥山先生が目を閉じた拍子に、目の前の情景が一気に変化を訪れた。

 本当に驚いたときって声は出ないんだね。

 鳥山先生が――いや、周囲にある物体全ての上下が、逆さになっているのだ。地面が上にあり、空が下にある。

 俺から見たら中篠も頭が下になっているわけだが、中篠の視界には俺も逆さに見えているのだろう。

 ただ一つ変わっていないものと言えば、自分自身のみ。

 自分以外の全ての上下が逆転した世界なので、空に立っているみたいだ。

 落ちたりしないのかな。別に高所恐怖症じゃないけども、これは普通に怖いぞ。

 てか、どういう仕組みなんだ。皆目見当もつかないよ。

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