クリフエッジシリーズ第二部:「重巡航艦サフォーク5:孤独の戦闘指揮所(CIC)」
第二話
宇宙暦四五一三年一月二十三日。
クリフォードの友、サミュエル・ラングフォード候補生が少尉任官試験に見事合格した。
「おめでとう。サムなら絶対に受かると思っていたよ。サムって呼んじゃいけないね。ラングフォード少尉殿?」
真面目なクリフォードが珍しく軽口を叩くと、サミュエルは苦笑いし、
「すぐに君も少尉だよ、クリフ。それにしても、初めての艦を立ち去るのは寂しいものだな」
サミュエルは士官次室の中を愛おしそうに眺めながらそう呟く。
クリフォードは湿っぽくなる雰囲気を変えるべく、「どの艦に配属になるんだい?」と話題を変えた。
「第五艦隊の五等級艦タウン級のファルマス13だ。宇宙のサラブレッドだぜ、彼女は」
「そうか……当分、別々の道をいくことになるね……」
クリフォードの言葉にサミュエルも少し寂しそうな顔をするが、すぐに新しい艦の話で盛り上がっていく。
そして、サミュエルはブルーベル34を去っていった。
■■■
一月三十日。
ブルーベルは大規模な修理を終え、再び哨戒任務に就くことになった。
クリフォードは宇宙に逃げ出せ、安堵していた。
(これでマスコミの取材攻勢に悩ませられることがなくなる。一、二ヶ月すれば僕のことはみんな忘れているだろう……)
だが、現実は彼の思惑とは異なっていた。
四ヵ月後の六月、彼の下に少尉任官試験実施の通知が届く。
彼は数万人いる同期の中で最も早く少尉任官試験を受けることになったのだ。
彼はその通知に驚いていた。少尉任官試験の受験資格を得られるのは、士官学校卒業後一年以上の期間を経た後とされていたからだ。
通常、士官学校卒業後、成績優秀者、すなわち卒業時の席次が百位以内の者が一年、一般的には二年から三年、士官候補生として過ごすことが多い。
今回は王太子の意向を汲んだキャメロット星系方面艦隊の高級士官が働きかけたという噂があったが、公式には何の説明もなかった。
六月三日。
キャメロット星系第三惑星の軌道上で少尉任官試験が行われることになった。
第三惑星軌道上で入港手続きを待っていたブルーベル34に、大型艇が接舷する。彼は大型艇に押し込まれ、そのままキャメロット第一艦隊旗艦ロイヤル・ソヴリン2に連れて行かれた。
全長千五十m、高さが二百mもある一等級艦は、それ自体が巨大な要塞のようだった。彼は十五層ある甲板を貫くエレベータを見つけ、控室に指定された士官次室に向かった。士官次室にはクリフォードの他に十名ほどの士官候補生が座っていた。一人ずつ面接を受けるのだが、彼の順番は最後だった。
二時間ほど士官次室で待っていると、人事部の女性大尉が彼の名を呼んだ。
「クリフォード・カスバート・コリングウッド候補生。私に付いてきなさい」
「了解しました、大尉!」
彼はその大尉の後を歩き、艦中央にある司令官室の前に通される。
「クリフォード・カスバート・コリングウッド候補生です。入ります!」
重厚な司令官室の扉に向かい、彼は緊張で声が掠れるながらも何とか名前を叫ぶと、司令官室に入っていった。
中には三人の提督――大将が一人と中将が二人――と旗艦艦長らしい大佐、更に人事部の士官が二人いた。
大将の階級章をつけた提督――銀色の髪に整えられた口ひげの眼光の鋭い五十代の男――が、
「コリングウッド候補生だな。私はエマニュエル・コパーウィートだ。今回の試験責任者だが、まあ、楽にしたまえ」
直立不動で立つクリフォードに重々しい声でそう言うと、すぐに面接が始まった。
「君の経歴は素晴らしいものだ。だが、士官と候補生とでは決定的に違うことがある。それは何かね、コリングウッド候補生?」
クリフォードは更に背筋を伸ばして、生真面目に答えていく。
「士官の行動にはすべて責任が伴います。一方、准士官相当の士官候補生には限定的な責任しか伴いません。すなわち、責任の大きさが士官と候補生を分けるものであります。以上であります、提督」
コパーウィート提督は、値踏みをするかのような目付きでクリフォードを見つめると、
「もう少し具体的に話してくれんか。君の答えは抽象的過ぎる」
「了解しました、提督。士官には政府の代表たる資格があります。例え最下級の少尉といえども、宙域内に上級士官が存在していなければ、その少尉が政府の代表たる資格を持つことになります。一方、士官候補生は仮にその場に士官が不在であっても政府の代表たる資格は持ちえません。以上であります、提督」
面接官の四人は全く表情を変えず、次の質問を始める。
艦の取り扱いに関する専門性の高い質問から、人事に関する質問まで多岐にわたる質問が続けられる。
クリフォードは何とか淀みなく答えていくものの、司令官室の快適な空調にも関わらず、彼の背中には大量の汗が流れていた。
(早く終わらないかな……提督たちの視線を見る限り、僕は駄目だな……そもそもまだ卒業してから一年も経っていないんだから……)
彼が諦めかけていると、コパーウィート大将が最後の質問をしてきた。
「ミスター・コリングウッド、これが最後の質問だ。君は今、少尉だ。そして、分艦隊の旗艦である三等級艦の戦闘指揮所要員となっている……」
大将の言葉に彼は自分の立場を思い描いていく。
「……艦隊戦の最終盤、我が軍は敵に押し込まれ、全艦隊で急速撤退中だ。君の艦は不幸にも敵の集中砲火を受け、CICの上官たちは皆行動不能に陥った。幸い、通信機能など旗艦としての機能は維持されている。この状況で君はどのような行動を取るかね?」
彼はこれだけの情報で取るべき道は探れないと考えたが、
(これは戦術の問題というより、心構えを聞く設問なんだろう。さて、どう答えるべきか……)
「自分は……戦闘指揮所の指揮を引き継ぎ、分艦隊の指揮を執ります!」
コパーウィート大将が目を細め、
「一介の少尉が数百隻の分艦隊の指揮を執るのかね? それでは指揮命令系統が無茶苦茶ではないか」
クリフォードはその眼光に僅かにたじろぐが、すぐに姿勢を正して答えていく。
「いいえ、提督。艦隊の指揮は特別な理由がない限り、旗艦が行うことと定められております。また、戦闘中の艦隊の指揮は旗艦戦闘指揮所の最高位の士官が執るものと規定されております」
「では、君はこの状況が“特別”な理由には当たらないと考えるわけだ。そのひよっこの少尉が分艦隊の指揮を執り、損害が大きくなったらどうするのだね? 次席指揮官、例えば分艦隊副司令官に指揮を引き継ぐべきではないのかね?」
「いいえ、提督。戦闘中に指揮を引き継ぐことは艦隊全体に混乱を生じさせます。この状況下で指揮を引き継ぐよりも、旗艦が健在であることを味方に知らしめ、混乱を最小限に抑えるべきだと考えます」
「なるほど。よく分かった。これで終了だ。ご苦労だった、候補生。下がってよろしい」
クリフォードは敬礼をしてから司令官室を出て行くが、どうやって外に出たのか、覚えていなかった。
外には誰もおらず、個人用情報端末で艦内案内図を呼び出し、士官次室に戻っていった。
士官次室に入ると、年嵩の上級兵曹長が彼を待っていた。
「長かったですな、ミスター・コリングウッド。他の候補生の方々は既に大型艇に搭乗済みです。お急ぎ下さい」
上級兵曹長に促され、最下層の格納デッキに向かう。帰りもロイヤル・サヴリンの搭載大型艇で各艦に送ってもらえるようで、試験を終えた士官候補生たちが既に乗り込んでいた。
彼は大型艇に乗り込みながら、自分の試験が失敗だと落胆していた。
(最後の質問が一番難しかった。言ったことが間違っているとは思わないけど、現実的にはその判断ができるのか。タイミングを見て、艦隊内序列に従った指揮命令系の委譲の話をした方が良かったかもしれない……)
大型艇でブルーベル34に戻ると、エルマー・マイヤーズ艦長らに報告に行った。
彼は自分が受けた質問とその答えを艦長と副長の前で報告していく。
「ご苦労だった。副長、新しい候補生が来る前にブルーベルから候補生がいなくなるな」
マイヤーズ艦長の言葉に副長であるアナベラ・グレシャム大尉が頷いている。
クリフォードはその言葉に首を傾げる。
「不合格ではないかと思うのですが? どういうことでしょうか、艦長」
マイヤーズ艦長は珍しくファーストネームで彼を呼び、
「君の答えで不合格はありえないよ。クリフォード。特に最後の質問を恐れず真正面から答えられたのが大きい。そう思うだろ、アナベラ?」
「そうですね。普通の候補生なら余計な一言、副司令官に連絡するとか、そのまま、指揮を委譲するとか言いそうですが、彼の答えはほぼ満点でしょう。しかし、提督も意地悪な質問をぶつけてきますね。普通の少尉任官試験でこのような設問があったという話は聞いたことがありませんよ」
「そうだね。提督には何かお考えがあるのだろう。いずれにせよ、明日か明後日には親任状が送られてくるだろう」
クリフォードが艦長室から出て行くと、航法長のブランドン・デンゼル大尉や戦術士のオルガ・ロートン大尉らが祝福の声を掛けてくる。
彼はまだ自分が合格しているとは思っていないので、曖昧な表情でそれに答えていった。
マイヤーズ艦長の予言通り、二日後の六月五日にクリフォードの親任状が届けられた。
「アルビオン王国軍士官候補生、クリフォード・カスバート・コリングウッド殿。貴官は去る宇宙暦四五一三年六月三日に行われた少尉任官試験に見事合格し……本日付を持ち、貴官をアルビオン王国軍宙軍少尉に任ずるものとする。キャメロット方面艦隊司令長官宙軍大将ジェラルド・キングスレー」
クリフォードはその親任状が信じられず、艦長らの祝福も他人事のように感じていた。
(僕が合格? これで士官か……僕のような未熟なものが、士官となってもいいのだろうか……)
そして、その通知の後には、「六月七日一二〇〇までに、キャメロット方面艦隊第一艦隊旗艦HMS-A0201002ロイヤル・ソヴリン2に出頭のこと」と付け加えられていた。
彼の想いとは別にブルーベルの仲間たちが祝福の言葉を掛けていく。
「凄いぞ。いきなり旗艦に配属とはな。一等級艦、それも旗艦に配属だから一年後には中尉だな」
デンゼル大尉が興奮気味に話している。
少尉任官後、極端に勤務評定が悪くない限り、一年から二年で自動的に中尉に昇進する。明確な基準は無いが、一等級艦から三等級艦、いわゆる戦艦、巡航戦艦クラスに配属されると一年で中尉になることが多い。
滅多にないことだが、少尉任官後に旗艦に配属される士官は将官級の上級士官に期待されていることが多く、昇進が約束されていると言われている。
「コパーウィート提督座乗のロイヤル・ソヴリン2か。提督が政界入りを狙っているという噂が流れているから、案外、司令部付きの幕僚に抜擢されるかもしれないわよ」
情報士のフィラーナ・クイン中尉が茶化すようにそう言っていたが、彼はその二日後、それが事実であることに驚愕する。
バタバタと転属準備をし、ブルーベルの乗組員からの祝福を受け、彼はスループ艦を後にした。
■■■
ロイヤル・ソヴリン2は一ヶ月に及ぶ演習航宙を終えて戻ってきたところだそうで、要塞アロンダイトの大型艦用港湾施設に係留されていた。
乗り合いの大型艇でアロンダイトに向かい、再び一等級艦ロイヤル・ソヴリン2に乗り込んでいく。
エアロックを抜けた瞬間、「ようこそ本艦へ、少尉殿」という舷門当番兵による出迎えを受けて、彼は戸惑い、思わず答礼を忘れそうになる。
まだ、士官候補生の軍服であり、自分がそのような出迎えを受けると思っていなかったため、面食らったのだ。
実際には彼の登録証番号は既に少尉になっており、エアロック通過時に彼の階級が表示されたことで当番兵がそのような対応をしたのだが、未だ自分の昇進が信じられないクリフォードにとっては衝撃的な出来事だった。
別の兵が現れ、彼の荷物を受取ると、彼はその足で艦長室に向かった。
艦長室の前には屈強な宙兵が二名歩哨として立っていたが、彼が親任状を見せるまでもなく、中に通される。
中には旗艦艦長のプリムローズ・アイファンズ大佐が彼を待っていた。
彼女は四十歳くらいで、思慮深い灰色の目に口元には深いしわが刻まれている。
クリフォードは自分ができる最高の敬礼をすると、アイファンズ大佐も見事な答礼を返してきた。
「クリフォード・カスバート・コリングウッド、しょ、少尉、出頭いたしました」
まだ、自分のことを少尉と呼ぶのに躊躇いを感じ、少し噛み気味で報告する。艦長はその様子を表情を変えずに見つめ、
「ご苦労、少尉。君は司令部付きになる。よって、私の指揮下には入らない。コパーウィート提督の副官、バントック少佐の下に行きなさい」
彼はその言葉に驚き、了解が遅れる。
「りょ了解しました、艦長」
彼が艦長室を出ようとすると、初めて笑みを浮かべ、
「ようこそ、本艦へ。私の指揮下にはありませんが、同じ艦の仲間です。それでは頑張りなさい」
彼はもう一度、敬礼をしてから、艦長室を出て司令官室横の副官室に向かう。
(僕が司令部付き……クイン中尉が言っていた通りになった……僕は何をしたらいいんだ?)
副官室に入ると、そこには三十代前半の如何にも才女といった感じの女性士官が座っていた。
彼が着任の報告をすると、
「ようこそ、コリングウッド少尉。今日からここがあなたの職場よ。と言っても、ほとんど、ここにはいないでしょうけど……」
ガートルード・パントック少佐の話では、彼はコパーウィート提督の次席副官として、彼女の補佐をすることになる。
「建前はそういうことだけど、あなたの仕事は提督のお供よ。“崖っぷち”という有名なあだ名を貰ったあなたを政治的に利用したいだけ」
彼が微妙な顔をしていると、人好きのする笑顔で、
「勉強だと思って、一年間だけ我慢しなさい。あなたの力が本物なら、将来必ず役に立つはずよ」
彼は支給された士官用の軍服に着替えると、すぐにコパーウィート提督の下に向かった。
提督は少尉任官試験のときとは打って変わって、人好きのする笑みを浮かべて彼を迎え入れる。
「よく来たクリフォード。クリフと呼んでもいいかな」
彼は「はい、提督」と答えるが、内心では、
(提督にノーとは言えないよ。それにしても試験の時とは全く印象が違う)
彼が着任の挨拶を終えると、提督は彼に椅子を勧め、
「ガーティから、話は聞いているかね。君は常に私の傍らにいてもらう。ガーティは副官としての雑務が山積みだからな。できるだけ君が私の補佐をするように」
「了解しました、提督」
ガートルード・バントック少佐の愛称を突然言われ面食らうが、何とか話に合わせるように返答する。
提督は固さが取れないクリフォードを見て、笑みを大きくした。
「君は固いな。まあ、それが君の個性なのだろう」
その後、提督が一方的に話すという感じで面談が進んでいく。提督に相槌を打ちながら、クリフォードは提督のことで悩み始めていた。
(バントック少佐は提督が政界に進出するために、僕を利用しようとしていると言っていたけど、本当なのだろうか? 話をする限りは部下思いのいい上官のような気がするんだけど……)
提督との面談も終わり、彼は自分の部屋、士官室にある個室に向かった。
士官室は上級士官である佐官用のキャビンと下級士官である尉官用のキャビンに分けられており、彼は艦後部側にある下級士官用個室に向かった。
(さすがは一等級艦だな。個室だけでも数十個ある。しかし、こんなに早くキャビンを持てることになるとは……)
途中で何人かの士官たちと挨拶を交わしていくが、艦の指揮命令系統とは切り離された司令部付きということで、表面的な話だけに終わる。
ブルーベルのような小型艦の雰囲気に慣れた彼は、疎外感を受けていた。
キャビンは幅二・五m,奥行き四mほどの小さな空間だが、数年ぶりにプライバシーが守られる空間を得られたことに感慨深げだった。
(士官学校時代から数えて六年。ずっと誰かと相部屋だったからな。何か新鮮な感じがするな……)
その後、彼と同じ時期にロイヤル・ソヴリンに配属になった士官の歓迎パーティなどが執り行われるが、すぐに提督と共に惑星ランスロットに降りていく。
それからはバントック少佐の言うとおり、提督が出席する様々レセプションに狩り出され、話のネタにされていく。
「上院議員、彼があの“クリフエッジ”こと、クリフォード・コリングウッド少尉なのですよ……彼は若く、有能な士官でしてな……クリフ、トリビューンの潜入の時の話をして差し上げなさい……それでは議員、あちらで少しお話でも……」
このような感じで、コパーウィート提督はクリフォードを出汁に有力な政治家とのコネクションを作ろうとしていた。
二ヶ月もするとクリフォードも提督の政治的野心が見えてきた。
(提督は軍を退役したあと、国防関係の閣僚になるつもりのようだ。もしかしたら、今後訪れるかもしれない戦時において、首相になることを夢見ているのかも。しかし、二十歳そこそこの僕を利用しなくてもいいと思うんだが……)
クリフォードは提督に利用されることに次第に疲れを感じ始めていた。
(バントック少佐が一年間我慢しなさいと言った意味がよく分かった。ゴールが見えているから何とかなるけど、こういう形で政治に利用されるのは嫌だな……確かに政略なんかの勉強にはなるけど……)
キャメロット第一艦隊はキャメロット星系の防衛が主要な任務であり、演習でも星系内を離れることはほとんどない。特に旗艦であるロイヤル・ソヴリン2は、キャメロット方面艦隊の総旗艦であるため、第三惑星軌道上から離れることは稀である。
彼はほとんど地上勤務と言っていい状態だった。
それでも、提督の幕僚である参謀たちとの会話は、彼にとってかなり有益だった。
(参謀の考え方は、艦は駒であって人が乗っているという意識は無い。それを考え出したら、死地に向かわせられないのだろうけど、こういう考え方は嫌だな。これから先、参謀は希望しないようにしよう……)
■■■
次席副官になってから半年ほど経った宇宙暦四五一三年十二月。
ある公爵の主催するパーティに随行したクリフォードは、ほぼ一年振りにヴィヴィアン・ノースブルック伯爵令嬢と再会した。
それまでの一年間もメールなどで交流はあったが、提督の副官という休みのない職務とマスコミによる過剰な取材から彼女を守るという理由で、直接会うことを避けていたのだ。
十七歳になった彼女は一年前より女性らしく、そして、更に美しくなり、多くの若い男性に囲まれていた。
彼はヴィヴィアンを見つけると、「ご無沙汰しております、ミス・ノースブルック」と声を掛けた。
クリフォードの声に驚いた彼女は、「ミスター・コリングウッド! 本当に……」と言葉を失うが、すぐに上流階級の令嬢らしく、
「ごきげんよう、ミスター・コリングウッド。ご活躍はお聞きしておりましてよ」
彼女は僅かに頬を上気させながらクリフォードに優雅に挨拶をする。
彼女の隣には、四十代後半の紳士が立っていた。
「ほう、君があの有名な“崖っぷち”のコリングウッド少尉かね」
立ち居振る舞いからは想像できないほど、フランクに話しかけられ、クリフォードは少し面食らっている。
ヴィヴィアンの非難するような視線を感じたのか、すぐに謝罪の言葉を付け加える。
「これは失礼。私はヴィヴィアンの父、ウーサーだ。もちろん、ペンドラゴンではないよ。ははは、冗談だ。ウーサー・ノースブルックだ」
笑いながら、右手を出してくる。
(アーサーの父だから、ウーサー・ペンドラゴンか……アーサーさんが笑い話にしたくなる気持ちが分かる気がする……)
クリフォードはそのノリについていけず、固まった表情のまま右手を握り返す。
「クリフォード・カスバート・コリングウッド少尉であります。第一艦隊司令官コパーウィート閣下の次席副官を拝命しております」
ノースブルック伯と挨拶をすると、コパーウィート提督が気付かぬうちに彼の後ろに立っていた。そして、笑顔でノースブルック伯に話しかける。
「ノースブルック伯、クリフと面識がおありですかな?」
「娘が少尉のファンなのですよ、提督。いつも少尉の話を聞かされておりましたからな。一度、話をと思いましてな」
初めてヴィヴィアンに会った頃は知らなかったが、ノースブルック伯は連邦下院の大物で、次期財務卿の最有力候補、更には首相にすら手が届くと言われている政治家だ。クリフォードはノースブルック伯の極自然な感じの人当たりの良さに、さすがは人気の高い政治家だと感心していた。
コパーウィート提督としては、政界進出に是非ともコネクションを作っておきたい人物だったようで、しきりに伯爵に話しかけている。
クリフォードはその横で、久しぶりに見るヴィヴィアンの姿に見とれていた。
(以前より落ち着いた感じになった気がする。まさに貴婦人と言った感じだ。前に会った時は少し子供っぽかったような気がするけど、このくらいの歳の女性は一年でこれほど変わるんだな)
彼に見つめられていることにヴィヴィアンは気付いていた。
(クリフォード様が見つめているわ。どこかおかしなところがあるのかしら? 昔のように二人になれる場所はないかしら?)
コパーウィート提督がその雰囲気を感じ、助け船を出す。
「伯爵がクリフにご興味があるのなら、一度、お屋敷に伺わせましょう。クリフ、君に問題はないな」
クリフォードは「はい、提督」と真面目に答えるが、内心では公務で彼女のもとを訪れる機会ができ、喜んでいた。
伯爵も「それは楽しみだね。ミスター・コリングウッド。近いうちに招待するよ」と笑顔を見せる。
そして、伯爵は「娘のエスコートを頼むよ。少尉」と言って、提督とともにサロンの一画に向かった。
残された形のクリフォードとヴィヴィアンは顔を見合わせ、どうしていいものかと思案に暮れる。
「行ってしまわれましたね」
「そうですわね。本当にお父様ったら……」
二人はそう言うと同時に噴き出していた。
■■■
一週間後、クリフォードのもとにノースブルック伯爵からの招待状が届く。
コパーウィート提督に許可を貰いに行くと、少し神経質そうな様子で、
「くれぐれも伯爵の機嫌を損ねぬようにな。ああ見えても伯爵は海千山千の政治家なのだ。行動には十分注意してくれたまえ。帰ったらすぐに私のところに報告にくるのだ。分かったな」
更にバントック少佐にも伯爵邸に行くことを告げると、
「伯爵と提督に利用されないよう十分に注意なさい。あなたの名声はあなたが思っている以上に大きいわよ。特に王太子殿下に目を掛けられているだけで、政治的には十分以上の価値があると思っておきなさい。そろそろ分かってきているとは思うけど、特にご令嬢との関係には注意しなさい」
ヴィヴィアンに逢えるという高揚した気分が一気に冷めていく。
(政治的に十分に価値がある……僕に? 二十歳になったばかりの若造の僕に利用価値か……確かに今の僕なら、ノースブルック伯にとっていい宣伝材料になるかもしれない。次期国王陛下になられる王太子殿下の覚えが目出度い僕なら、ヴィヴィアンとの結婚なんて話が出ればマスコミは挙って報道するだろう。どうやって利用するかは別として、それをうまく利用できれば、伯爵の内閣入りはかなり有利になる……提督にとっても同じだ。このことで将来の首相候補に恩を売れれば、政界入りはかなり有利になる……まあ、僕にそれだけの価値があるとしての話だけど……)
十二月二十二日。
彼は惑星ランスロットの首都チャリスにあるノースブルック伯爵邸に向かった。
伯爵邸は美しい庭園のある大きな屋敷で、田舎の自分の実家とは比べ物にならないなと思いながら、門番に訪問を告げる。
中に通され、伯爵と息子のアーサー、娘のヴィヴィアンと会食をするが、政治向きの話は一切なく、更にヴィヴィアンとの話も特に出ることはなかった。
緊張していた彼は帰り際に心の中でホッと息を吐くが、最後の伯爵の言葉に冷や水を掛けられる。
「君に含むところは一切ない。だが、我がノースブルック家は代々国政に関わる家なのだ。今の君では、ヴィヴィアンとの交際を認めるわけにはいかない。理由は分かるかね?」
彼は突然の質問にパニックに陥り掛けるが、何とか立て直す。
「はい。今の私は虚構の上に立っているだけの道化に過ぎません。表層だけ見れば利用価値はあるでしょうが、私が何かミスを犯せば、手の平を返したように叩かれるでしょう。高く持ち上げられたものが落ちると衝撃はその分大きいですし、近くにいるものにも被害が及びます」
伯爵は「ほう」と小さくもらして意外そうな顔をしたが、すぐにいつもの人好きのする顔に戻していた。
「そうか……娘のことはともかく、たまには遊びに来なさい。君なら歓迎するよ、クリフォード君」
ファーストネームを呼ばれて驚くが、そのまま敬礼をして屋敷を出て行った。
(一応、落第じゃないって感じかな。いつもの“崖っぷち”状態と同じか。まあ、自分の中のヴィヴィアンに対する気持ちがはっきりしていないし……可愛いと思うし、いい娘だなとも思うけど……恋愛は難しいな……)
司令部に帰り、コパーウィート提督に報告をする。
彼は正直に、現段階ではヴィヴィアンとの交際は拒否されたこと、但し、屋敷に遊びに来るよう言われたこと、伯爵にファーストネームで呼ばれたことを話していく。
「そうか……伯爵から招待があった場合は、よろしく言っておいてくれたまえ。うむ……」
提督はクリフォードを下げさせると、一人で今後のことを考え始める。
(コリングウッドはうまくやっている。だが、伯爵は私の考えを理解しているようだな。あとは自分の力次第ということか……ということは、コリングウッドとヴィヴィアン嬢との話がスキャンダルとして取り上げられると拙いな。少し早いが、宇宙に上げるか……)
クリフォードは少尉任官から僅か九ヶ月後の宇宙暦四五一四年三月一日に中尉に昇進した。そして、第五艦隊第二十一哨戒艦隊旗艦、HMS-D0805005、サフォーク5の舷門の前に立っていた。
クリフォードの友、サミュエル・ラングフォード候補生が少尉任官試験に見事合格した。
「おめでとう。サムなら絶対に受かると思っていたよ。サムって呼んじゃいけないね。ラングフォード少尉殿?」
真面目なクリフォードが珍しく軽口を叩くと、サミュエルは苦笑いし、
「すぐに君も少尉だよ、クリフ。それにしても、初めての艦を立ち去るのは寂しいものだな」
サミュエルは士官次室の中を愛おしそうに眺めながらそう呟く。
クリフォードは湿っぽくなる雰囲気を変えるべく、「どの艦に配属になるんだい?」と話題を変えた。
「第五艦隊の五等級艦タウン級のファルマス13だ。宇宙のサラブレッドだぜ、彼女は」
「そうか……当分、別々の道をいくことになるね……」
クリフォードの言葉にサミュエルも少し寂しそうな顔をするが、すぐに新しい艦の話で盛り上がっていく。
そして、サミュエルはブルーベル34を去っていった。
■■■
一月三十日。
ブルーベルは大規模な修理を終え、再び哨戒任務に就くことになった。
クリフォードは宇宙に逃げ出せ、安堵していた。
(これでマスコミの取材攻勢に悩ませられることがなくなる。一、二ヶ月すれば僕のことはみんな忘れているだろう……)
だが、現実は彼の思惑とは異なっていた。
四ヵ月後の六月、彼の下に少尉任官試験実施の通知が届く。
彼は数万人いる同期の中で最も早く少尉任官試験を受けることになったのだ。
彼はその通知に驚いていた。少尉任官試験の受験資格を得られるのは、士官学校卒業後一年以上の期間を経た後とされていたからだ。
通常、士官学校卒業後、成績優秀者、すなわち卒業時の席次が百位以内の者が一年、一般的には二年から三年、士官候補生として過ごすことが多い。
今回は王太子の意向を汲んだキャメロット星系方面艦隊の高級士官が働きかけたという噂があったが、公式には何の説明もなかった。
六月三日。
キャメロット星系第三惑星の軌道上で少尉任官試験が行われることになった。
第三惑星軌道上で入港手続きを待っていたブルーベル34に、大型艇が接舷する。彼は大型艇に押し込まれ、そのままキャメロット第一艦隊旗艦ロイヤル・ソヴリン2に連れて行かれた。
全長千五十m、高さが二百mもある一等級艦は、それ自体が巨大な要塞のようだった。彼は十五層ある甲板を貫くエレベータを見つけ、控室に指定された士官次室に向かった。士官次室にはクリフォードの他に十名ほどの士官候補生が座っていた。一人ずつ面接を受けるのだが、彼の順番は最後だった。
二時間ほど士官次室で待っていると、人事部の女性大尉が彼の名を呼んだ。
「クリフォード・カスバート・コリングウッド候補生。私に付いてきなさい」
「了解しました、大尉!」
彼はその大尉の後を歩き、艦中央にある司令官室の前に通される。
「クリフォード・カスバート・コリングウッド候補生です。入ります!」
重厚な司令官室の扉に向かい、彼は緊張で声が掠れるながらも何とか名前を叫ぶと、司令官室に入っていった。
中には三人の提督――大将が一人と中将が二人――と旗艦艦長らしい大佐、更に人事部の士官が二人いた。
大将の階級章をつけた提督――銀色の髪に整えられた口ひげの眼光の鋭い五十代の男――が、
「コリングウッド候補生だな。私はエマニュエル・コパーウィートだ。今回の試験責任者だが、まあ、楽にしたまえ」
直立不動で立つクリフォードに重々しい声でそう言うと、すぐに面接が始まった。
「君の経歴は素晴らしいものだ。だが、士官と候補生とでは決定的に違うことがある。それは何かね、コリングウッド候補生?」
クリフォードは更に背筋を伸ばして、生真面目に答えていく。
「士官の行動にはすべて責任が伴います。一方、准士官相当の士官候補生には限定的な責任しか伴いません。すなわち、責任の大きさが士官と候補生を分けるものであります。以上であります、提督」
コパーウィート提督は、値踏みをするかのような目付きでクリフォードを見つめると、
「もう少し具体的に話してくれんか。君の答えは抽象的過ぎる」
「了解しました、提督。士官には政府の代表たる資格があります。例え最下級の少尉といえども、宙域内に上級士官が存在していなければ、その少尉が政府の代表たる資格を持つことになります。一方、士官候補生は仮にその場に士官が不在であっても政府の代表たる資格は持ちえません。以上であります、提督」
面接官の四人は全く表情を変えず、次の質問を始める。
艦の取り扱いに関する専門性の高い質問から、人事に関する質問まで多岐にわたる質問が続けられる。
クリフォードは何とか淀みなく答えていくものの、司令官室の快適な空調にも関わらず、彼の背中には大量の汗が流れていた。
(早く終わらないかな……提督たちの視線を見る限り、僕は駄目だな……そもそもまだ卒業してから一年も経っていないんだから……)
彼が諦めかけていると、コパーウィート大将が最後の質問をしてきた。
「ミスター・コリングウッド、これが最後の質問だ。君は今、少尉だ。そして、分艦隊の旗艦である三等級艦の戦闘指揮所要員となっている……」
大将の言葉に彼は自分の立場を思い描いていく。
「……艦隊戦の最終盤、我が軍は敵に押し込まれ、全艦隊で急速撤退中だ。君の艦は不幸にも敵の集中砲火を受け、CICの上官たちは皆行動不能に陥った。幸い、通信機能など旗艦としての機能は維持されている。この状況で君はどのような行動を取るかね?」
彼はこれだけの情報で取るべき道は探れないと考えたが、
(これは戦術の問題というより、心構えを聞く設問なんだろう。さて、どう答えるべきか……)
「自分は……戦闘指揮所の指揮を引き継ぎ、分艦隊の指揮を執ります!」
コパーウィート大将が目を細め、
「一介の少尉が数百隻の分艦隊の指揮を執るのかね? それでは指揮命令系統が無茶苦茶ではないか」
クリフォードはその眼光に僅かにたじろぐが、すぐに姿勢を正して答えていく。
「いいえ、提督。艦隊の指揮は特別な理由がない限り、旗艦が行うことと定められております。また、戦闘中の艦隊の指揮は旗艦戦闘指揮所の最高位の士官が執るものと規定されております」
「では、君はこの状況が“特別”な理由には当たらないと考えるわけだ。そのひよっこの少尉が分艦隊の指揮を執り、損害が大きくなったらどうするのだね? 次席指揮官、例えば分艦隊副司令官に指揮を引き継ぐべきではないのかね?」
「いいえ、提督。戦闘中に指揮を引き継ぐことは艦隊全体に混乱を生じさせます。この状況下で指揮を引き継ぐよりも、旗艦が健在であることを味方に知らしめ、混乱を最小限に抑えるべきだと考えます」
「なるほど。よく分かった。これで終了だ。ご苦労だった、候補生。下がってよろしい」
クリフォードは敬礼をしてから司令官室を出て行くが、どうやって外に出たのか、覚えていなかった。
外には誰もおらず、個人用情報端末で艦内案内図を呼び出し、士官次室に戻っていった。
士官次室に入ると、年嵩の上級兵曹長が彼を待っていた。
「長かったですな、ミスター・コリングウッド。他の候補生の方々は既に大型艇に搭乗済みです。お急ぎ下さい」
上級兵曹長に促され、最下層の格納デッキに向かう。帰りもロイヤル・サヴリンの搭載大型艇で各艦に送ってもらえるようで、試験を終えた士官候補生たちが既に乗り込んでいた。
彼は大型艇に乗り込みながら、自分の試験が失敗だと落胆していた。
(最後の質問が一番難しかった。言ったことが間違っているとは思わないけど、現実的にはその判断ができるのか。タイミングを見て、艦隊内序列に従った指揮命令系の委譲の話をした方が良かったかもしれない……)
大型艇でブルーベル34に戻ると、エルマー・マイヤーズ艦長らに報告に行った。
彼は自分が受けた質問とその答えを艦長と副長の前で報告していく。
「ご苦労だった。副長、新しい候補生が来る前にブルーベルから候補生がいなくなるな」
マイヤーズ艦長の言葉に副長であるアナベラ・グレシャム大尉が頷いている。
クリフォードはその言葉に首を傾げる。
「不合格ではないかと思うのですが? どういうことでしょうか、艦長」
マイヤーズ艦長は珍しくファーストネームで彼を呼び、
「君の答えで不合格はありえないよ。クリフォード。特に最後の質問を恐れず真正面から答えられたのが大きい。そう思うだろ、アナベラ?」
「そうですね。普通の候補生なら余計な一言、副司令官に連絡するとか、そのまま、指揮を委譲するとか言いそうですが、彼の答えはほぼ満点でしょう。しかし、提督も意地悪な質問をぶつけてきますね。普通の少尉任官試験でこのような設問があったという話は聞いたことがありませんよ」
「そうだね。提督には何かお考えがあるのだろう。いずれにせよ、明日か明後日には親任状が送られてくるだろう」
クリフォードが艦長室から出て行くと、航法長のブランドン・デンゼル大尉や戦術士のオルガ・ロートン大尉らが祝福の声を掛けてくる。
彼はまだ自分が合格しているとは思っていないので、曖昧な表情でそれに答えていった。
マイヤーズ艦長の予言通り、二日後の六月五日にクリフォードの親任状が届けられた。
「アルビオン王国軍士官候補生、クリフォード・カスバート・コリングウッド殿。貴官は去る宇宙暦四五一三年六月三日に行われた少尉任官試験に見事合格し……本日付を持ち、貴官をアルビオン王国軍宙軍少尉に任ずるものとする。キャメロット方面艦隊司令長官宙軍大将ジェラルド・キングスレー」
クリフォードはその親任状が信じられず、艦長らの祝福も他人事のように感じていた。
(僕が合格? これで士官か……僕のような未熟なものが、士官となってもいいのだろうか……)
そして、その通知の後には、「六月七日一二〇〇までに、キャメロット方面艦隊第一艦隊旗艦HMS-A0201002ロイヤル・ソヴリン2に出頭のこと」と付け加えられていた。
彼の想いとは別にブルーベルの仲間たちが祝福の言葉を掛けていく。
「凄いぞ。いきなり旗艦に配属とはな。一等級艦、それも旗艦に配属だから一年後には中尉だな」
デンゼル大尉が興奮気味に話している。
少尉任官後、極端に勤務評定が悪くない限り、一年から二年で自動的に中尉に昇進する。明確な基準は無いが、一等級艦から三等級艦、いわゆる戦艦、巡航戦艦クラスに配属されると一年で中尉になることが多い。
滅多にないことだが、少尉任官後に旗艦に配属される士官は将官級の上級士官に期待されていることが多く、昇進が約束されていると言われている。
「コパーウィート提督座乗のロイヤル・ソヴリン2か。提督が政界入りを狙っているという噂が流れているから、案外、司令部付きの幕僚に抜擢されるかもしれないわよ」
情報士のフィラーナ・クイン中尉が茶化すようにそう言っていたが、彼はその二日後、それが事実であることに驚愕する。
バタバタと転属準備をし、ブルーベルの乗組員からの祝福を受け、彼はスループ艦を後にした。
■■■
ロイヤル・ソヴリン2は一ヶ月に及ぶ演習航宙を終えて戻ってきたところだそうで、要塞アロンダイトの大型艦用港湾施設に係留されていた。
乗り合いの大型艇でアロンダイトに向かい、再び一等級艦ロイヤル・ソヴリン2に乗り込んでいく。
エアロックを抜けた瞬間、「ようこそ本艦へ、少尉殿」という舷門当番兵による出迎えを受けて、彼は戸惑い、思わず答礼を忘れそうになる。
まだ、士官候補生の軍服であり、自分がそのような出迎えを受けると思っていなかったため、面食らったのだ。
実際には彼の登録証番号は既に少尉になっており、エアロック通過時に彼の階級が表示されたことで当番兵がそのような対応をしたのだが、未だ自分の昇進が信じられないクリフォードにとっては衝撃的な出来事だった。
別の兵が現れ、彼の荷物を受取ると、彼はその足で艦長室に向かった。
艦長室の前には屈強な宙兵が二名歩哨として立っていたが、彼が親任状を見せるまでもなく、中に通される。
中には旗艦艦長のプリムローズ・アイファンズ大佐が彼を待っていた。
彼女は四十歳くらいで、思慮深い灰色の目に口元には深いしわが刻まれている。
クリフォードは自分ができる最高の敬礼をすると、アイファンズ大佐も見事な答礼を返してきた。
「クリフォード・カスバート・コリングウッド、しょ、少尉、出頭いたしました」
まだ、自分のことを少尉と呼ぶのに躊躇いを感じ、少し噛み気味で報告する。艦長はその様子を表情を変えずに見つめ、
「ご苦労、少尉。君は司令部付きになる。よって、私の指揮下には入らない。コパーウィート提督の副官、バントック少佐の下に行きなさい」
彼はその言葉に驚き、了解が遅れる。
「りょ了解しました、艦長」
彼が艦長室を出ようとすると、初めて笑みを浮かべ、
「ようこそ、本艦へ。私の指揮下にはありませんが、同じ艦の仲間です。それでは頑張りなさい」
彼はもう一度、敬礼をしてから、艦長室を出て司令官室横の副官室に向かう。
(僕が司令部付き……クイン中尉が言っていた通りになった……僕は何をしたらいいんだ?)
副官室に入ると、そこには三十代前半の如何にも才女といった感じの女性士官が座っていた。
彼が着任の報告をすると、
「ようこそ、コリングウッド少尉。今日からここがあなたの職場よ。と言っても、ほとんど、ここにはいないでしょうけど……」
ガートルード・パントック少佐の話では、彼はコパーウィート提督の次席副官として、彼女の補佐をすることになる。
「建前はそういうことだけど、あなたの仕事は提督のお供よ。“崖っぷち”という有名なあだ名を貰ったあなたを政治的に利用したいだけ」
彼が微妙な顔をしていると、人好きのする笑顔で、
「勉強だと思って、一年間だけ我慢しなさい。あなたの力が本物なら、将来必ず役に立つはずよ」
彼は支給された士官用の軍服に着替えると、すぐにコパーウィート提督の下に向かった。
提督は少尉任官試験のときとは打って変わって、人好きのする笑みを浮かべて彼を迎え入れる。
「よく来たクリフォード。クリフと呼んでもいいかな」
彼は「はい、提督」と答えるが、内心では、
(提督にノーとは言えないよ。それにしても試験の時とは全く印象が違う)
彼が着任の挨拶を終えると、提督は彼に椅子を勧め、
「ガーティから、話は聞いているかね。君は常に私の傍らにいてもらう。ガーティは副官としての雑務が山積みだからな。できるだけ君が私の補佐をするように」
「了解しました、提督」
ガートルード・バントック少佐の愛称を突然言われ面食らうが、何とか話に合わせるように返答する。
提督は固さが取れないクリフォードを見て、笑みを大きくした。
「君は固いな。まあ、それが君の個性なのだろう」
その後、提督が一方的に話すという感じで面談が進んでいく。提督に相槌を打ちながら、クリフォードは提督のことで悩み始めていた。
(バントック少佐は提督が政界に進出するために、僕を利用しようとしていると言っていたけど、本当なのだろうか? 話をする限りは部下思いのいい上官のような気がするんだけど……)
提督との面談も終わり、彼は自分の部屋、士官室にある個室に向かった。
士官室は上級士官である佐官用のキャビンと下級士官である尉官用のキャビンに分けられており、彼は艦後部側にある下級士官用個室に向かった。
(さすがは一等級艦だな。個室だけでも数十個ある。しかし、こんなに早くキャビンを持てることになるとは……)
途中で何人かの士官たちと挨拶を交わしていくが、艦の指揮命令系統とは切り離された司令部付きということで、表面的な話だけに終わる。
ブルーベルのような小型艦の雰囲気に慣れた彼は、疎外感を受けていた。
キャビンは幅二・五m,奥行き四mほどの小さな空間だが、数年ぶりにプライバシーが守られる空間を得られたことに感慨深げだった。
(士官学校時代から数えて六年。ずっと誰かと相部屋だったからな。何か新鮮な感じがするな……)
その後、彼と同じ時期にロイヤル・ソヴリンに配属になった士官の歓迎パーティなどが執り行われるが、すぐに提督と共に惑星ランスロットに降りていく。
それからはバントック少佐の言うとおり、提督が出席する様々レセプションに狩り出され、話のネタにされていく。
「上院議員、彼があの“クリフエッジ”こと、クリフォード・コリングウッド少尉なのですよ……彼は若く、有能な士官でしてな……クリフ、トリビューンの潜入の時の話をして差し上げなさい……それでは議員、あちらで少しお話でも……」
このような感じで、コパーウィート提督はクリフォードを出汁に有力な政治家とのコネクションを作ろうとしていた。
二ヶ月もするとクリフォードも提督の政治的野心が見えてきた。
(提督は軍を退役したあと、国防関係の閣僚になるつもりのようだ。もしかしたら、今後訪れるかもしれない戦時において、首相になることを夢見ているのかも。しかし、二十歳そこそこの僕を利用しなくてもいいと思うんだが……)
クリフォードは提督に利用されることに次第に疲れを感じ始めていた。
(バントック少佐が一年間我慢しなさいと言った意味がよく分かった。ゴールが見えているから何とかなるけど、こういう形で政治に利用されるのは嫌だな……確かに政略なんかの勉強にはなるけど……)
キャメロット第一艦隊はキャメロット星系の防衛が主要な任務であり、演習でも星系内を離れることはほとんどない。特に旗艦であるロイヤル・ソヴリン2は、キャメロット方面艦隊の総旗艦であるため、第三惑星軌道上から離れることは稀である。
彼はほとんど地上勤務と言っていい状態だった。
それでも、提督の幕僚である参謀たちとの会話は、彼にとってかなり有益だった。
(参謀の考え方は、艦は駒であって人が乗っているという意識は無い。それを考え出したら、死地に向かわせられないのだろうけど、こういう考え方は嫌だな。これから先、参謀は希望しないようにしよう……)
■■■
次席副官になってから半年ほど経った宇宙暦四五一三年十二月。
ある公爵の主催するパーティに随行したクリフォードは、ほぼ一年振りにヴィヴィアン・ノースブルック伯爵令嬢と再会した。
それまでの一年間もメールなどで交流はあったが、提督の副官という休みのない職務とマスコミによる過剰な取材から彼女を守るという理由で、直接会うことを避けていたのだ。
十七歳になった彼女は一年前より女性らしく、そして、更に美しくなり、多くの若い男性に囲まれていた。
彼はヴィヴィアンを見つけると、「ご無沙汰しております、ミス・ノースブルック」と声を掛けた。
クリフォードの声に驚いた彼女は、「ミスター・コリングウッド! 本当に……」と言葉を失うが、すぐに上流階級の令嬢らしく、
「ごきげんよう、ミスター・コリングウッド。ご活躍はお聞きしておりましてよ」
彼女は僅かに頬を上気させながらクリフォードに優雅に挨拶をする。
彼女の隣には、四十代後半の紳士が立っていた。
「ほう、君があの有名な“崖っぷち”のコリングウッド少尉かね」
立ち居振る舞いからは想像できないほど、フランクに話しかけられ、クリフォードは少し面食らっている。
ヴィヴィアンの非難するような視線を感じたのか、すぐに謝罪の言葉を付け加える。
「これは失礼。私はヴィヴィアンの父、ウーサーだ。もちろん、ペンドラゴンではないよ。ははは、冗談だ。ウーサー・ノースブルックだ」
笑いながら、右手を出してくる。
(アーサーの父だから、ウーサー・ペンドラゴンか……アーサーさんが笑い話にしたくなる気持ちが分かる気がする……)
クリフォードはそのノリについていけず、固まった表情のまま右手を握り返す。
「クリフォード・カスバート・コリングウッド少尉であります。第一艦隊司令官コパーウィート閣下の次席副官を拝命しております」
ノースブルック伯と挨拶をすると、コパーウィート提督が気付かぬうちに彼の後ろに立っていた。そして、笑顔でノースブルック伯に話しかける。
「ノースブルック伯、クリフと面識がおありですかな?」
「娘が少尉のファンなのですよ、提督。いつも少尉の話を聞かされておりましたからな。一度、話をと思いましてな」
初めてヴィヴィアンに会った頃は知らなかったが、ノースブルック伯は連邦下院の大物で、次期財務卿の最有力候補、更には首相にすら手が届くと言われている政治家だ。クリフォードはノースブルック伯の極自然な感じの人当たりの良さに、さすがは人気の高い政治家だと感心していた。
コパーウィート提督としては、政界進出に是非ともコネクションを作っておきたい人物だったようで、しきりに伯爵に話しかけている。
クリフォードはその横で、久しぶりに見るヴィヴィアンの姿に見とれていた。
(以前より落ち着いた感じになった気がする。まさに貴婦人と言った感じだ。前に会った時は少し子供っぽかったような気がするけど、このくらいの歳の女性は一年でこれほど変わるんだな)
彼に見つめられていることにヴィヴィアンは気付いていた。
(クリフォード様が見つめているわ。どこかおかしなところがあるのかしら? 昔のように二人になれる場所はないかしら?)
コパーウィート提督がその雰囲気を感じ、助け船を出す。
「伯爵がクリフにご興味があるのなら、一度、お屋敷に伺わせましょう。クリフ、君に問題はないな」
クリフォードは「はい、提督」と真面目に答えるが、内心では公務で彼女のもとを訪れる機会ができ、喜んでいた。
伯爵も「それは楽しみだね。ミスター・コリングウッド。近いうちに招待するよ」と笑顔を見せる。
そして、伯爵は「娘のエスコートを頼むよ。少尉」と言って、提督とともにサロンの一画に向かった。
残された形のクリフォードとヴィヴィアンは顔を見合わせ、どうしていいものかと思案に暮れる。
「行ってしまわれましたね」
「そうですわね。本当にお父様ったら……」
二人はそう言うと同時に噴き出していた。
■■■
一週間後、クリフォードのもとにノースブルック伯爵からの招待状が届く。
コパーウィート提督に許可を貰いに行くと、少し神経質そうな様子で、
「くれぐれも伯爵の機嫌を損ねぬようにな。ああ見えても伯爵は海千山千の政治家なのだ。行動には十分注意してくれたまえ。帰ったらすぐに私のところに報告にくるのだ。分かったな」
更にバントック少佐にも伯爵邸に行くことを告げると、
「伯爵と提督に利用されないよう十分に注意なさい。あなたの名声はあなたが思っている以上に大きいわよ。特に王太子殿下に目を掛けられているだけで、政治的には十分以上の価値があると思っておきなさい。そろそろ分かってきているとは思うけど、特にご令嬢との関係には注意しなさい」
ヴィヴィアンに逢えるという高揚した気分が一気に冷めていく。
(政治的に十分に価値がある……僕に? 二十歳になったばかりの若造の僕に利用価値か……確かに今の僕なら、ノースブルック伯にとっていい宣伝材料になるかもしれない。次期国王陛下になられる王太子殿下の覚えが目出度い僕なら、ヴィヴィアンとの結婚なんて話が出ればマスコミは挙って報道するだろう。どうやって利用するかは別として、それをうまく利用できれば、伯爵の内閣入りはかなり有利になる……提督にとっても同じだ。このことで将来の首相候補に恩を売れれば、政界入りはかなり有利になる……まあ、僕にそれだけの価値があるとしての話だけど……)
十二月二十二日。
彼は惑星ランスロットの首都チャリスにあるノースブルック伯爵邸に向かった。
伯爵邸は美しい庭園のある大きな屋敷で、田舎の自分の実家とは比べ物にならないなと思いながら、門番に訪問を告げる。
中に通され、伯爵と息子のアーサー、娘のヴィヴィアンと会食をするが、政治向きの話は一切なく、更にヴィヴィアンとの話も特に出ることはなかった。
緊張していた彼は帰り際に心の中でホッと息を吐くが、最後の伯爵の言葉に冷や水を掛けられる。
「君に含むところは一切ない。だが、我がノースブルック家は代々国政に関わる家なのだ。今の君では、ヴィヴィアンとの交際を認めるわけにはいかない。理由は分かるかね?」
彼は突然の質問にパニックに陥り掛けるが、何とか立て直す。
「はい。今の私は虚構の上に立っているだけの道化に過ぎません。表層だけ見れば利用価値はあるでしょうが、私が何かミスを犯せば、手の平を返したように叩かれるでしょう。高く持ち上げられたものが落ちると衝撃はその分大きいですし、近くにいるものにも被害が及びます」
伯爵は「ほう」と小さくもらして意外そうな顔をしたが、すぐにいつもの人好きのする顔に戻していた。
「そうか……娘のことはともかく、たまには遊びに来なさい。君なら歓迎するよ、クリフォード君」
ファーストネームを呼ばれて驚くが、そのまま敬礼をして屋敷を出て行った。
(一応、落第じゃないって感じかな。いつもの“崖っぷち”状態と同じか。まあ、自分の中のヴィヴィアンに対する気持ちがはっきりしていないし……可愛いと思うし、いい娘だなとも思うけど……恋愛は難しいな……)
司令部に帰り、コパーウィート提督に報告をする。
彼は正直に、現段階ではヴィヴィアンとの交際は拒否されたこと、但し、屋敷に遊びに来るよう言われたこと、伯爵にファーストネームで呼ばれたことを話していく。
「そうか……伯爵から招待があった場合は、よろしく言っておいてくれたまえ。うむ……」
提督はクリフォードを下げさせると、一人で今後のことを考え始める。
(コリングウッドはうまくやっている。だが、伯爵は私の考えを理解しているようだな。あとは自分の力次第ということか……ということは、コリングウッドとヴィヴィアン嬢との話がスキャンダルとして取り上げられると拙いな。少し早いが、宇宙に上げるか……)
クリフォードは少尉任官から僅か九ヶ月後の宇宙暦四五一四年三月一日に中尉に昇進した。そして、第五艦隊第二十一哨戒艦隊旗艦、HMS-D0805005、サフォーク5の舷門の前に立っていた。
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