亡国の剣姫

きー子

肆、闇に潜む蛇の影

 明朝。シオンは夜明けを待つことなく部屋を出た。
 着替えはすでに済ませている。持っていく荷物はほとんどない。
 最低限の非常食。水を入れておくための竹筒。せいぜい二日分の質素な着替え。そこそこの路銀。
 そして得物──刃渡り1フィートの短剣を三本。
 いずれも刃は鉄と鋼を鍛えた数打ちだが、ものはいい。なにせ先の王──ルクス・ファーライトのお墨付きである。彼が懇意にしていた王都の鍛冶師の手になるものというから、およそ間違いはないだろう。
「おい」
 一階に降りたとき、潜めた声をかけられた。まだ薄暗い中、いかめしい顔付きの男が目に入る。
 シオンは猫のように瞳を細めて彼を見た。
 幸いにして襲撃者などではない。覚えのある顔。宿の主人だった。
 シオンは無言で頭を垂れる。どうしてこんな時間に、と思いながらも声には出さない。万が一にも他の客を起こしてしまっては困るから。
 おはようございます、お世話になりました。そういうように口を動かして目を伏せると、宿の主人がなにかを突き出してくる。
「持っていけ」
 シオンはぱちぱちと瞬きして、目を丸くする。
 それはなかなか立派なバケットだった。中心を走る切れ目にチーズと干し肉が挟んである。
 シオンはなかば反射的にそれを受け取る。小柄なシオンが持つと余計に大きく見える。というより、主人が大柄なせいでちいさく見えていたのだ。
 節約して食べれば三日くらいは保たせられるかもしれない。
 シオンが払った金に比べると、だいぶ過分な気もする。
「こんなに」
「遠慮なんかしてんじゃねえ。もう渡したからな。返したって受け取らねえよ。持ってけや」
 困惑するシオンに構わず、宿の主人はまるで突き放すようにいう。
 シオンの境遇に同情したのだろうか──ちいさな手を血に染めた年端もいかない小娘。
 改めて省みるとなかなかの悲惨さだが、さほど珍しい話でもない。もっと酷い境遇に置かれている人間には事欠かないのだから。
 そういう世の中だった。
 宿の主人はもはや我関せずと背を向ける。シオンもまた、ありがたく受け取ることにした。
「……俺の娘も、生きてりゃお前くらいの歳だったはずなんだ」
 ぽつりと、男は一言こぼした。
 シオンは一瞬、振り返った。宿の主人は背を向けたままだった。
 それっきりだった。
 シオンは一礼して、宿場を後にした。男が少女を見送ることはなかった。

 道すがら食事を摂りつつ、シオンは歩き続けた。
 パンは控えめにいっても固かったが贅沢はいうまい。軽く水にひたし、ふやけたパンのかけらを口にする。
 このまま真っ直ぐ行くと、王都の民をまとめて養うことができるほどの生産高を誇る穀倉地帯にたどり着く。一帯には村がいくつも点在しており、それぞれの村は森を切り開いた道で繋がっていた。
 いうまでもなく、村には貴族の領主がいる。複数の村を束ねている場合はいないこともあるが、その場合は領主の意を汲んだ家臣がいる。各領地には王都から派遣された代官も赴任している。つまり、シオンがうかつに近づくとろくなことにならない。
 必然、シオンは森を掻い潜るように移動することになる。それでも白昼堂々と村を通り抜けるよりはよほどいい──王都周辺の村には、すでに国の手が回っているはずと考えたのだ。
 かといって森の中も安全では全くない。特に、夜の森は鳥獣の独壇場である。足元が底なし沼になっていることもしばしばあり、端的にいって危険極まりない。
 そこでシオンは数日かけて、いいとこ取りの折衷的な行程を試行錯誤した。
 昼間は森の中で、火を絶やさないようにしながら休息を取る。代わりに夜、警備が手薄な時間に森を出て開拓された土地を駆け抜ける。
 森の中なら幸い、水には事欠かない。季節は夏。小川のほとりに差し掛かれば水浴びすらできる。食料も獣を狩れば良い。まさか剣術のほかにも色々と仕込まれていたのが役に立つとは思わなかった──全く父ことルクスはどうかしていた。
 どうかしているのは、この状況のほうか。
 シオンはひとりごちもせず苦笑い。黄昏時の訪れを悟るやいなや、焚き火を消して身支度を整える。
 数日間の試行錯誤もあって、昼夜が反転した旅行きにも慣れたもの。身体には確実によろしくないが文句はいえない。生きのびるためならやるしかない。まだまだ道のりは長いのだ。
 黒い外套をきっちりと羽織る。か細い腰に短剣を差す。それをいつでも抜けるように、外套の下、短剣の柄にちいさな手を添えた。
「……は」
 そしてふと、彼方を見やって吐息を漏らす。ぐるり、と周囲を見渡す。
 視線──否、それにも満たないかすかな気配を感じ取ったのだ。
 純然たる直感の賜物。理に合うものでは断じてない。
 実際、このような虫の知らせは初めてのことではなかった。何度も直感してはそのたびに撒き、どこか遠くに退けてきた。
 遠眼鏡かなにかでこちらを観察しているのかもしれない。それはそれで気味が悪いが、こちらから出向くのは自殺行為もいいところである。
 だからつとめて気にするまいと、シオンは早足で歩み始める。最善は、いつものように撒くことだ。始末できればなおいいが、それは相手が出過ぎたときだけ。
 おそらく無茶はしないだろう。相手もこちらを警戒しているということ。打って出るなら、これまでにいくらでも隙はあったはず。シオンはそう考えた。
 ──その矢先のことだった。
 草の根を踏みしめる音が聞こえる。枝葉を掻き分ける音を耳に聞く。
 直感によるそれでは決してない。極限まで敏感になったシオンの聴覚が、森の中にひしめくざわめきを確かに聴きとっている。
 一瞬、獣かと考える。だが重量からして人であることは間違いない。おまけに金属が擦れる音まで聞こえる始末。
 囮のつもりか。シオンは音のするほうに集中せず、全方位に神経を張り巡らせながら抜剣する。
 夕暮れの赤光を照り返して輝く銀のまたたき。間もなくして、シオンは視線の彼方にそれを見た。
 軽装の鎧を身につけた兵が三人。シオンは彼らがかぶる鋭角的なフォルムの兜を見た。ファーライト王国制式装備たる兜。周囲は少し薄暗いが、よもや見紛えようはずもない。
 彼らは逃げも隠れもせず、てらいもなくシオンのほうに突っ込んでくる。必死の形相を浮かべた彼らの行動は散漫だ。連携もへったくれもなく、兵たちはそれぞれに腰の剣を抜き放った。
「そこのもの、シオン・ファーライトとお見受けする!」
「大人しく縄につけば命までは取らん!!」
「聞こえたならば剣を捨てろ!!」
 シオンの前方を塞ぎ、口々に警告が発せられる。その顔にはなぜか焦燥が満ちている。
 まるでなにかに追われているかのような。
「……断る」
 素っ気なく言い捨てながら、シオンは構えた。
 解せない、という気持ちは拭えない。彼らはなんのためにこんなことをしているのか。決死の囮としてはお粗末と言わざるをえない。
 彼らを率いる指揮官も見当たらないようだった。となれば奇襲を警戒するのが当然だが、その気配もない。
「……ッ、なら、無理にでもッ!!」
 男のひとりが、暴発するかのように先走った。
 踏み込むとともに、上段斬りを繰り出す。シオンの肩を狙った一撃だ。生け捕りにしさえすれば、不具にしても構わない。そう命じられているのだろう。
 遅い。父王ルクスの剛剣とは比べるべくもない。シオンの眼は彼の剣速に慣らされてしまっている。
 シオンは刃の下をくぐり抜け、それを難なく交わした。
「……ッ!!」
 そのまま一歩間合いを詰めるシオン。それを遮ろうとするように、兵は振り切った一閃を横薙ぎに転じさせる。
 だが、あまりに甘い。短剣の間合いに近づかせまいとする意図が見え見えだ。視認するまでもなく軌道を読み切り、シオンは彼に接敵する。
「ひ────ぎゃァァァァアッ!!」
 そのまま鎧の隙間を縫うように一突き。脇腹に突き立て、刃をひねって肉を抉る。
 兵の戦闘経験はさして多くないようだ。男はその一撃の痛みに絶叫したあと、地面に転げ回りながら悶絶した。
 兜の隙間から覗く首筋を蹴っ飛ばして沈黙させる。残りはふたり。
 逃げ出すだろうか、と考える。実力差は歴然だ。彼らはそれほど士気が高いようにも見えない。
 シオンは血にまみれた短剣を構え、兵たちに向ける。
 もっとも、逃がすつもりはなかった。ここまで近づかれたからには逃がさない。できれば戦闘不能に追い込みたい。そしてかなうならばとどめを刺す。
 ────だが。
「こ、このッ!!」
「お……おぉぉぉぉッ!」
 兵たちは焦ったように駆け出し、あるいは雄叫びをあげ、まっすぐシオンに斬りかかってくる。
 なんら恐れるに値するものはなかった。一歩飛び退ることで難なく回避し、深く土を踏みしめる。
 連携がなっていない。どころか、ふたりが近すぎるせいでろくに剣を振ることができなくなってしまっている。完全に脚を引っ張り合っていた。
 ますますわけがわからない。しかしいまだに奇襲の気配はない。
ッ────」
 シオンは鋭く息を吐き、一瞬にして左側の兵に接敵した。
 腰の力を余さず脚に伝達することによって駆け抜ける。結果、か細い脚とは裏腹な爆発的脚力が彼我の間合いを零にする。
 そのまま下方から突き上げるように首筋を一撃──ば、と赤い華が咲く。噴水のように濁った血流を吹き散らす。人の血が森の土を止めどなく汚していく。男は声もなく絶命した。即死だ。
「こ……この、よくもッ!!」
 背を向けたシオンに向けて斬りかかってくる最後のひとり。
 シオンは首に突き立てた刃を基点にして回し、死骸と化した男を盾にした。剣閃が物言わぬ骸を引き裂いていく。残された男が絶句する。
 少女は死体を足蹴にして、彼に思いっきりぶつけた。血を流したとはいえ人一人分の重量。よもや耐えられるはずもない。
「ぐッ……アァァァァァァッ!!」
 死骸と正面衝突してよろめく瞬間、シオンは男の胸に剣身をすべらせた。
 刃は呆気なく肉身を貫き、心の臓腑にまでも到達する。
 噴出する返り血を浴びかける──すぐに横に避けた。まともに受けたら血の臭いが身体にこびりついてしまう。それはいかにもうまくなかった。
「……はっ……」
 三人。否、三つのモノと化した死体がシオンの周囲に崩れ落ちる。
 死と血のにおいに満たされる中、少女はちいさく息を吐いた。
 無謀な突撃。囮であることを想定したが、予想された奇襲はなかった。
 それどころか彼らはあまりに足並みが乱れすぎていた──まるで何者かに追い立てられているかのような。
「……解せない」
 思わずそう呟いたその時。
 シオンは信じがたいものを眼前にする。目を疑った。
 わけがわからない。そう考えながら手早く血糊を払い、短剣を構え直す。
 ──シオンが蒼眼を向けた先。そこからまっすぐに新手、四人の兵が迫ってきていた。
 奇襲などでは断じてない。愚直極まる突撃。しかも散発的な攻撃など愚の骨頂である──おまけに戦力の分散までやらかしている。兵の運用としては間違いなく最低最悪だろう。兵法に疎いシオンでもそれくらいはわかる。
 ────いったい、なにを考えている?
 シオンは考えをめぐらせながら、向かい来る敵兵に対峙する。全方位への警戒も欠かさない。
 否応なく消耗を強いられながら、シオンはなおも剣を振るう。
 人を斬り続ける。


「ほぉう」
 と、蛇のような目をした男が遠眼鏡を覗き込みながら唸った。
 その眼の先に、彼は黒髪の小柄な少女の姿を見ている。
 緑深き森の中、十人ほどの小隊を率いるは"魔剣遣い"────"毒操手"グラーク・メルクリウスその人。
 グラークは王命を授かった直後に王都を出立。その痩身からは考えもつかない移動速度をもって、シオン・ファーライトを追跡する諜報部隊に合流を果たした。
 シオンを生け捕りにするためならば、と。彼はバルザックからしかるべき権利を与えられていた。
 諜報部隊を好きに使っても構わない、という委任状である。これをもって部隊長は強制的に任を解かれ、代わってグラークが指揮を代行する。部隊長は王都に引き返し、現段階での達成報告を行うという手筈である。
 隊長は物言いたげにしていたが、結局は大人しく指揮権を譲り渡した。相手は時に千軍にも比肩される"魔剣遣い"。臨時の階級として佐官級の権限を有している。しかも文官の最高位である宰相バルザックのお墨付き。逆らってもなにもいいことはない。
 かくして諜報部隊を掌握したグラークは、半ば強行的に偵察を続行させた。
 なんとなれば、かの姫の移動速度は予想をはるかに上回っていたのだ。護衛の足手まといになりながらの逃走といった感じでは全くない。
 首脳陣は護衛の存在を示唆していたが、その姿が一向に見受けられないことも気にかかった。
 グラークは思わず危惧したほどである。時折り目視できるあの少女は、拘束対象──シオン・ファーライトとは全くの別人ではあるまいか、と。
 発見したかと思えば獣じみた嗅覚でこちらを察知し、素早く逃れる。隠れる。闇に紛れて遠ざかる。足取りの痕跡を不気味なまでに残さない。まるで影が歩んでいるかのよう。
 それでもグラークは蛇のようなしつこさで追跡を続ける。根気には自信があった。"混ざりもの"とはいえ、高貴な娘をなますにすることができるのである。それを思えば、どのような労苦も惜しむつもりはない。グラークが時折り浮かべる陰湿な笑みに、諜報部隊の面々は大いに肝を冷やしていた。
「いかがなさいますか」
 かほどに求めて止まなかった末姫が、今はグラークの目と鼻の先にいる。
 グラークは頷き、配下の兵を制止する。緑の双眸には歓喜の色が浮かんでいる。
 まさに絶好の機会であった。今を逃す手はない。
 おそらく少女からは視認されていないだろう。つい先ほどまで休息を取っていたのか、反応もやや鈍い。伸びっぱなしの黒髪がつんつんと跳ねてしまっている。
 矢継ぎ早に殺到すれば簡単に捕らえられそうにも見える。だが相手は親衛隊をたやすく斬った女である。どれだけ小さかろうと、幼かろうと、彼女は剣士だ。本物の姫であるかどうかは関係ない。グラークはすでに確信していた。
 あれを舐めてかかるべきではない。幾百もの修羅場を乗り越えてきたグラークの猜疑心がそう囁いている。
 では、どうすべきか。今使うことができる手勢を見回しながらグラークは考える。
 なにより必要なのは、知ることだ。あの小娘──シオン・ファーライトの情報を手に入れること。
 彼女の得物。彼女の剣筋。彼女の癖。彼女の呼吸。それらをひとつでも多く知ることが、彼女を仕留めるための早道になる。
 逆にいえば今はまだ、グラークはシオンのことを全く知らないのである。
 女。それも王の娘──不肖の末姫でありながら剣をまともに振るえる少女。巷間に知れていればさぞ話題になったことだろう。つまり、彼女の師を除けば誰一人として知らなかったということだ。
 ともあれまずは、知ることだ。情報を得るためには、どうするべきか。
 実際に、彼女の剣を観察することが最善であろう。
「そうですねえ。あなたと、あなたと、あなた」
 命令を待っていた兵たちを一瞥し、グラークは適当に三人を指さした。
「いってください」
「……は、は……?」
 咄嗟に敬礼しかけた兵が当惑する。他のふたりも同様である。
 グラークは灰色の髪を億劫そうに掻き上げ、蛇のような目付きをなおも細めた。
「いってください、といったでしょう。あなたたち三人で、彼女を捕らえるのです。やってやれないことはないでしょう。この距離にして小娘ひとり、いやはや実にたやすい仕事ですねえ────さて、三度目は言いませんよ」
「は……はッ!」
 当惑していた兵たちが見事な敬礼をする。その表情は心底から怯えていた。この男はなにをしでかすかわからない。そのような感情が透けて見える。
 彼らは剣を手に手に、シオンのほうへと殺到する。
「よ……よいのですか、グラーク少佐。我々全員で包囲すべきでは」
「くく、ばかを言わないでください。下手を踏んでまた逃げられてはかないません。少人数でかかるべきです。私達は確実を期そうではありませんか?」
「……失礼いたしました」
 グラークはもっともらしいことを言って箴言を抑える。
 もちろん全くのでたらめである。少人数というのならグラークが単身でかかったほうがよっぽどいい。
 当然不審に思った隊員もいた。が、グラークに面と向かって意見できるものはいないようだ。
 彼らを一顧だにせず、グラークは遠眼鏡を覗きこむ。
 また逃げおおせてしまったのではあるまいか。そう危惧していたグラークの目に、期待していた以上の光景が映りこむ。
 ────それはさながら妖精の如し。
 小柄な少女が舞い踊るかのように短剣を繰り、三人の男を次々と斬殺していく。
 刃が閃くたびに悲鳴があがる。血飛沫がほとばしる。シオンはその端正な相貌をぴくりとも動かさず血振るいする。
 その鮮やかな短剣の軌跡を、グラークは蛇のような目に焼き付けていく。
「────ほぉう」
 感嘆の唸り声を漏らさずにはいられなかった。
 素晴らしい、と小躍りしたいくらいだった。
 なんたる手練、なんたる業前。しかもそれが、一〇かそこらの小娘の剣というのだから堪らない。
 そして、そして。なにより、あの人形のように端正な無表情! 人を無慈悲に斬り殺しながらなんの感慨も浮かべない、幼くも美しい末姫のかんばせ
 あれを摘み取ることができたなら、いったいどれほどの快楽をこの身にもたらすことか!
 グラークは絶頂感さえ覚えかけながら、続けざまに命じた。適当に、顔も見ずに五人の兵を指し示して。
「ああ、ああ、やられてしまったようですねえ。実に情けない。あなたたち五人、いってください。あれはなかなかの遣い手のようですねえ。油断してはなりませんよ。王国の兵たるもの、同じ轍を踏むなどあってはなりませんからねえ」
 平然としたグラークの態度に、命じられた五人が絶句する。
 一分も経たないうちに仲間を三人斬り殺された。それをグラークはなんとも思っていない。それどころか、残ったものにも死んでこいという。
 兵のひとりが突然激した。
「ふ、ふざけるなッ!! あんた、いったいなにを考え──」
 その言葉が最後まで言い切られることはなかった。
 無造作に抜かれたグラークの剣が、彼の首を断ち切っていた。
 外から一見すれば何の変哲もない長剣。しかし鞘から解き放たれた剣影はまさに異形というほかない。
 刀身が部分ごとに分かたれ、それぞれが頑強な鋼線で繋がっているのだ。刃は不自然なまでに伸長し、男の首をたやすく跳ね飛ばしている。
 いわゆる蛇腹剣。剣身のあちこちに噴出口らしき穴があり、不気味な空洞を覗かせている。
 通常ならば決してありえない構造。強度が低すぎ、とても実用には耐えないだろう。人の骨身を断つことなどできるはずもない。
 だが、それを可能とするからこその──"魔剣"なのだ。
「ひ──ひィッ」
 誰というわけでもなく悲鳴をあげる。兵のひとりが腰を抜かす。
 グラークは軽く剣を振り、こびりついた血を振り払った。
「つくづく何度も言わせますねえ。さあ、いってください──このような姿を晒したくなければ」
 剣先で首を失った胴体を指し示す。
 途端、四人の兵は恐慌状態に陥りながら駆け出した。
 あれではまともな打ち合いにならないか。死に物狂いにはなるだろう──少しは善戦してくれるかもしれない。
「……くくッ」
 遠眼鏡の向こう側にシオンの姿を見る。彼女はなおも退かなかった。
 血と脂にまみれた刃を換え、四人を相手に鮮烈に立ちまわる。まるで剣舞を披露でもするかのように。返り血のついた白い肌が艶かしい。
 シオン・ファーライトの剣は端的にいって速かった。振れ幅が狭く、とにもかくにも無駄がない。不必要な動作を徹底的に切り詰め、小柄な身体で可能な限りの最速を弾き出す。そのような方向性を志向すれば、きっと彼女のような剣が成るのだろう。
 だが決して非力というわけでもない。全身の力を無駄にすることなく巧みに遣い、男の剣腕を力で御してみせる。生半可な力づくでは押しきれまい。案の定、残った兵のひとりは横から剣を弾き飛ばされた挙句に首筋を掻っ切られて絶命した。
 半端な剣士でないことは確か。なによりもの強みは、その剣が完膚なきまでにシオンに"適している"ということだろう。彼女自身の実力はいわずもがな、相当よい師に恵まれたことは間違いない。
 王と平民の妾腹の間に生まれた不肖の娘。末姫。そのような立場にあるものが、どうして良き師を得られたのだろうか。
「まあ、いいでしょう」
 遠眼鏡から目を外し、残りの手駒に視線をくれる。
 八人が瞬く間に死んだ。残された諜報隊員はわずかふたり。彼らは逃げることすらおぼつかず、震えながらグラークの命令を待っている。両者とも、すでに生きることを諦めたような顔付きだった。
 それではつまらない。そう考えた瞬間、グラークの嗜虐心が鎌首をもたげた。
「それでは、あなたと、あなた。ひとりは、彼女の恐るべき力を伝えるため、王都に向かってください。ひとりは、そうですね、頑張ってもらいましょうねえ。どちらがどちらかは、お好きなように決めてください。穏便に話し合いでも、立合いでも、なんなりと」
 くつくつと喉を鳴らして笑うグラーク。
 ふたりの兵は呆気にとられたように顔を見合わせる。沈黙の一瞬。
 その緊張が破れたとき、彼らはお互いに剣を抜いた。
「お、俺が! 俺が帰るんだ! こんな、こんなところで!!」
「うるせえ!! 知ったものか、ぶっ殺してやる!!」
 仲間だったとは思われないほどに殺気立っているふたり。彼らはすでに恐怖と焦燥で狂っていた。
 一種の錯乱状態である。まともにものを考えられないまま、諍いはすぐさま刃傷沙汰に発展した。
 怒声と罵声。お互いの身を一切顧みない殺し合いは一分とかからず決着した。見事な戦い振りであった。死地に送りこまれては堪らないと、彼らは必死に戦った。
 結果、彼らはふたりとも死んだ。グラークはそれをくつくつと笑いながら眺めていた。まさに愉悦といわんばかりに。
 報告はどうしたものかと考えたが、グラークは気にしないことにした。腹黒いバルザックのことである。諜報部隊の動向そのものを監視する要員くらいは配置していることだろう。
 それに、自分が敗れるはずもない。グラークはそう確信している。
 彼女は確かに手練だが、まだ幼い。経験が浅い。剣もそこそこに見て"盗んだ"。
 そしてなにより、己には"魔剣"の力がある。
 その場に残された死体は三つ。それらを引っ掴み、ちょうどいい飛び道具を手に入れたグラークは、ひとり駆け出す。
 シオン・ファーライト。
 その蠱惑的なまでに甘美極まる獲物のもとへと。

「亡国の剣姫」を読んでいる人はこの作品も読んでいます

「ファンタジー」の人気作品

コメント

コメントを書く