亡国の剣姫

きー子

拾捌、偽聖剣・エンジェルハイロゥ(上)

「なんだい、ありゃあ……」
 馬上のファリアスが後方を確認しながらぼやく。
 そしてトリガーを引き絞る。
 狙い澄まして放たれた弾丸が、追跡者の足首から先を吹き飛ばした。
「アアアア!!!!」
 狂を発したような呻きをあげ、男のひとりが倒れこむ。
 その眼はなにも見ていない。
 完全なる空虚。
 脚を潰されたにも関わらず、男は痛みに喘ぐこともない。
 ただひたすらに前を向き、なおも立ち上がろうとする。
 自分が撃たれたことにも気づいていないかのように。
「新手?」
「いいや」
 シオンは前を見たままつぶやく。
 ファリアスは静かに首を振った。
 新手ではない。あれは確かに、先ほどまで彼女らを追っていた男のひとりに過ぎない。
 しかし、だとすれば、あの男はなんだ。
 頭を潰しても、心臓を貫いても、首を飛ばしてもだめだった。
 脚を潰して、狂ったように奔走する男はようやく止まった。
 これで三人目だ。
 しかも三人目の男に至っては──ファリアスが一度射殺したはずの男であったのだ。
 まるで亡者アンデッド
 死んだはずの男が蘇り、妄執のままにこちらを追ってくる。
 そのようなことが、果たしてありえるのだろうか。
「……ねぇ、シオン」
「うん」
 ファリアスは次弾を装填しながら問う。
「死人が立ち上がることって、あると思うかい」
「────なにを見た?」
 シオンの蒼い瞳が鋭く細められる。
 ファリアスは一瞬息を呑み、そしてありのままを語った。
 彼女自身が見たものを、そっくりそのまま。
 シオンが瞑目する間にもファリアスは引き金を絞る──さらなる追跡者を狙い撃つ。
 決して追跡者の全てが亡者というわけではない。
 ほとんどは当たり前の人間である。
 胸を撃てば倒れる。頭を撃てば即死する。あるいは弾が掠めただけでも足がすくむ。
 そんな、当たり前の人間だ。
「クソッ。また来やァがったよ」
 意味をなさない声をあげ、後方からひとりの男が突出してくる。その胸には弾痕と奇妙な刺し傷がある。
 正気をがりがりと削られるような亡者の叫び。
 断じてこれ以上耳に入れたくはない。再装填に三秒とかからず発砲。
 狙い違わず足を撃つ。膝が奇妙な方向に折れ曲がる。
 それでも無理に進もうとしたせいで、彼は坂道を滑落していった。
「今のは?」
「確かに、さっき撃ったはずの奴さね。間違いない」
 そうはいったものの、少女の目で確認するのは無理だろう。
 シオンとて人間だ。夜目は利く方だが、それはあくまで人の範疇をこえない。
 しかしシオンは、確認しようともせずこくりと頷いてみせる。
「わかった。止めるのが難しくなりそうだったら、いって」
 亡者の脚は相当速い。それこそ、生きていた時よりもずっと速い。
 そのことは確認できたのだろう。シオンはそういうと片手で鯉口を切り、片手で手綱を引く。
 ファルがそれに応じて激しく嘶く──気勢をあげた黒馬が悪路を踏み潰すように踏破する。
「信じるのかい。蘇りなんて与太話」
「わからない。けど、そういう"魔剣"があっておかしくないもの」
 ファリアス自身、自分の正気を疑ってすらいるというのに。
 シオンはあっけらかんとそう言うのだ。
 ファリアスの見たものを、そのまま信じる、と。
「それに、見つけたんでしょう。魔術師」
「……恐らくは、ね」
 それはファリアスが見たもののひとつ。
 紫紺の外套と赤いドレスを身にまとう、白髪を湛えた奇妙な女。
 明らかに尋常のものではなかった。敵と判断して攻撃したが、銃弾はあえなく逸れてしまった。
 二回撃って、二回とも。弾が自ら避けていくかのようだった──すでに偶然ではありえない。
 何らかの魔術を行使していると考えるべきだろう。
 起き上がる死体と比べれば衝撃度は低いが──それもあの女の所業と考えれば腑に落ちる。
「……根っこから刈らなきゃだめか」
 物騒な呟きをこぼすシオンのかたわら。
 次弾を走り来る亡者に叩きこみながらファリアスは瞳をすがめる。
 残りの弾薬はすでに心もとない。
 ならば。
「……シオン。隊長の────"あたしの"魔剣を抜いてくれるかい」
 今こそはその時。
 今なら、使えると思った。
 今なら、それを御せると思った。
 ファリアスは今、魔剣を背に負っている。
 人狼であるファリアスさえも取り扱いに難儀する、通常の装備よりも一回り以上大きい"魔剣"。
「わかった」
 シオンは振り返り、それを手ずから抜いてやる。
 ファリアスは腰の後ろに銃剣を差し直し、改めてそれを受け取った。
 魔剣────"撃剣・カノン"。
 人狼部隊遊撃隊長ディエトリィ・ヴォルフの屈強な巨躯をしてようやく制御できた難物中の難物。
 女人狼の中ではかなり逞しい体躯を誇るファリアスだが、それでも彼には及ばなかった。
 その手に"魔剣"を収めるには──"撃剣・カノン"の適格者足るには至らなかった。
 しかし。
 迫りくる亡者をことごとく打ちのめすためには、今こそ"魔剣"の力が必要なのだ。
「吹っ飛べッ!!」
 引き金を絞る。
 放たれた金属徹甲弾が亡者の胴体をぶち抜き、全身を後方に弾き飛ばした。
 わざわざ脚を狙うまでもない。理想的な破壊力にファリアスは頷く。
 反動は銃剣のそれよりはるかに大きい。
 馬上では不安定なことこの上なかった。
 だが、問題はない。
 自分が堪えればそれでいい。
「アアアアアア────!!!!」
 後方から耳障りな亡者の嘆きがいくつも聞こえてくる。
 埒が明かなかった。一人や二人ぶちのめそうと、亡者は後から後から湧いてくる。 
 ファリアスは金眼を冴え冴えと輝かせ、"撃剣・カノン"の外装を展開する。
 通常の銃剣と変わらない形に収束していた魔剣が、あるべき本来の姿へと変貌する。
 長大な銀色のロングブレード。鈍色の銃身。弾薬を無限に生成する回転式の六連装弾倉。
 それら全てが一体化した異形の"魔剣"────"撃剣・カノン"。
「ちょいと、派手にやるよッ」
「任せる」
 耳をつんざくように連続する銃声にファルが嘶く。
 構わずファリアスは引き金を絞った。
 ディエトリィのような絶え間ない連射や、跳弾といった芸当ができるはずもない。
 ────それでも銃弾は極々自然に投射される。
「アガッ、ガガガッ────」
 一発、二発、三発。
 狙いをつけた弾丸の一発一発が、亡者たちを真正面から機能停止に追いこんでいく。
 強烈な反動に腕が軋みをあげる。
 火傷を負っている右手が異様に熱い。
 ファリアスは構わなかった。
 撃つ。
 ひたすらに撃つ。
「数は、どう」
「減ってる気がしないねぇッ!」
 へ、とファリアスは牙を剥き、口端を釣り上げて笑う。
 もはや笑うしかなかった。
 撃っても撃っても、亡者は変わらず凄まじい勢いで押し寄せてくる。
 数を減らすどころではない。むしろ増えているような気がしてならない。
 これでは魔剣を抜いた甲斐もなし。
 とはいえ、通常の装備でやるよりははるかにマシだろう。すでに突破されていた危険さえあるのだから。
 足場から土煙をあげ、馬顔負けの速度で駆けてくる亡者の男たち。
 それは悪夢か、さもなくば悪趣味な喜劇じみた光景だった。
「魔術師の姿は、確認できる?」
「ちょいと待ちな────」
 ファリアスはシオンの意図を解さないままに応答する。
 亡者のひとりに無造作に弾丸を叩きこみ、そしてフロントサイトの向こう側にきゃしゃな影を見る。
 死霊顔負けの青白い肌。死人めいた長い白髪。
 とても山賊の一員とは思えない奇怪な女が、細剣を片手に山道を行く。
「見えたよ。あの壁の向こうさね────人の壁ってわけだ」
 亡者の群れはもはやそのような規模と化していた。
 壁か、あるいは波か。
 視界を埋め尽くさんばかりの数に辟易しながら、ファリアスは立て続けにトリガーを引き絞る。
 もはや狙いをつけずとも当たるような有り様だった。
 何の問題もなく数人を後方に吹き飛ばすが、状況を打開するには至らない。
「わかった。行く」
 シオンの端的な答え。
 ファリアスの脳裏に疑問符が浮かぶ。どこに。どうやって。
 そう問いかける暇もない。シオンの決断と行動は迅速だった。
「ファリアス。とにかくできるだけ蹴散らして。手綱は任せるから」
「え、ちょ、シオン────待ッ」
 ファリアスは咄嗟に制止しかける。
 シオンが何をするつもりなのか。言葉にこそされずとも、ファリアスはどうしようもなく悟ってしまった。
 それを止めるにはすでに遅い。
 シオンのちいさな手が、ファルの首裏をそっと撫でた。
 瞬間、黒馬が坂道の途中でぐるりと馬首を返す。
 元来た道を眼下に収める。ファルのつぶらな瞳が亡者の群れを射抜く。
 まさか、とファリアスは思う。
 まさに、そのまさかである。
 ファルはそのまま力強い嘶きを迸らせ、気勢を上げ、坂下に向かって吶喊した。
 亡者が跋扈するほうへ────あの女がいるとファリアスが示したほうへ。
「周りを抑えて。私が、魔術師を斬る」
「無茶言うねえ……!?」
 咄嗟に手綱を取る。
 つまり、"撃剣・カノン"は片手で制御しろということ。
 それだけでも無茶だというのに──亡者の数はすでに数十体にも及んでいる。とてもではないが殲滅が追っつかないだろう。
 しかし、シオンの選択は正しかった。
 救いがたいほどに正しかった。
 倒れることを知らない死兵。彼らの物量に押されれば、いずれはじりじりと追いつめられる。
 そうなる前に、この状況を打開しなければならなかった。
 なんとしてでも埒を明けなければならなかった。
「いいさ、やるよッ!」
「無理はしないで」
 そういいながら、シオンは自ら無理を通した。
 ファルの馬力に寄る下り道の踏破。急な坂道を全力で駆けさせたのだ。並大抵の馬では足を傷めていたかもしれない。
 だが、巨体の黒馬にとってはなんの問題にもならなかった。
 黒馬は突撃するがままにぶち当たり、亡者のひとりを跳ね飛ばす。倒れた骸を蹄で踏みにじる。うめき声をあげながら迫ってきた亡者の頭を食い千切る。
 ことごとく敵を蹂躙する。
 ファリアスも必死にシオンを援護する。引き金を絞り、あるいは銃身と一体化した剣身を振るい、亡者の群れを薙ぎ払う。
 強引に突破した亡者の壁の向こう側に、シオンはひとりの女を垣間見た。
 呆気にとられたように、彼女は瞳を見開いていた。
 虚のように暗い眼差し。そこに感情の色はない。
 シオンはすっくと馬上に立ち、振り落とされるより早く、ファルの雄大な背を蹴った。
 疾駆。放たれた矢のようにシオンは飛ぶ。
 抜剣。
 銀の円弧が空にまたたき、女に吸いこまれるような軌跡を描く。
 女──メア・リィ・シェルリィはクスクスと笑った。
 剣閃に応じ、その手に剣を抜き放つ。
 華陵帝国を思わせるつくりの細剣。円環状の鍔と、しなやかに伸びる刃。
 闇夜の中でもうかがえる。柄尻に刻印された紋章────"尾を喰む蛇"。
 永遠性の象徴。
ィッ!」
「ク、フフッ」
 シオンの強襲。メア・リィの迎撃。
 刹那、刃が交錯する。
 鋼音を散らし、火花が爆ぜる。
 激しい激突と同時に相分かたれる。双方、後ろに退くことを強いられる。
 シオンは坂道に接地し、メア・リィもまた残心する。
 真っ向からの相対。
 その最中にもファルは坂道を駆け──今度は坂の上に馬首を返した。
 シオンは敵地に降り立った。戦況を根っこからひっくり返すために。
 となれば、ファリアスのすべきことはひとつ。
 全力をあげての援護である。
 シオンに最も近い亡者を狙い、撃つ。
 頭、胴、そして脚。合計三発。動かなくなるまで打ちのめす。
 果たして、元は山賊だった亡者の男はぴくりとも動かなくなった。
 完全に沈黙させるのも不可能ではないらしい。
 十中八九、この女が何かをやっていたということだ。
 魔術か、妖術か、呪術か──はたまたその手の魔剣に寄るものか。
 いずれにせよ、今のメア・リィはシオンに集中することを余儀なくされている。
 複雑な行程を踏むことは不可能だろう。少しずつ、亡者を減らしていけるかもしれない。
 ファリアスがそう考えた瞬間だった。
 メア・リィはファリアスが吹き散らした亡者を一顧だにせず、手近な死体の傍に飛び退く。
 それはファリアスが射抜いた男のひとりだった。
 彼は亡者ではなかった。頭を銃弾に射抜かれれば斃れた。その証拠に、額にはちいさな穴が空いている。
 メア・リィは彼の死体に刃を突きつける。
 そして、迷いなく胸の中心を貫いた。
 ただそれだけ。
 その瞬間、まばゆい光の輪が生じ、骸を包みこむように収束する。
 そして霧散。
 暗中を照らしだす現実離れした光景に、ファリアスは思わず息を呑む。
「ファリアスッ!」
 刹那、シオンの鋭い声が飛んだ。
 ファリアスは思わずはっとする──反射的に銃口を肩の上にかかげる。
 "撃剣・カノン"の銃口が、ゆらりと立ち上がった男を的確にポイントする。
 死んだはずの男が生き返る。
 そんな異様な現象を目の当たりにしながら、ファリアスは自分でも驚くほど、迷いなく引き金を絞った。
 立ち上がったばかりの男の胸に徹甲弾が叩きこまれる。死体が吹き飛び、そのまま山道を滑り落ちていく。
「へエ」
 メア・リィは血振るいしながらファリアスを──そして警告を発したシオンを見る。
「イイ腕の護衛がいるようじゃないですカ。しかも人狼。道理でボクの入れ知恵が通じていないわけダ」
 ファリアスは無言で銃口をずらし、女に向けてトリガーを引く。
 瞬間、ファリアスはわかってしまった。この弾は当たらない、と。
 実際、そうなった。弾がひとりでにメア・リィを避け、見当違いの方向に飛んでいく。
 銃弾はかすりもしなかった。
「あんな見え透いた罠に、誰がひっかかるの」
 対するシオンは素っ気なく言い捨てる。
 仮にファリアスがいなくとも、シオンが夜忘れ草ヨワスレグサを口にすることは無かったろう。
「言ってくれるねエ。デモ、この状況こそボクが意図した罠だとは思わなかったカナ────」
 そういってメア・リィは周囲を睥睨する。
 いつしか、シオンらの周囲は亡者の群れに囲まれていた。
 もはや生者の影はない。
 山賊たちはことごとく亡者と化し、変わり果てた姿を晒している。
 先ほどのように遮二無二に突撃してくることはない。統制が取れているようだった。
「どうだイ。もう逃げ道はないヨ、シオン・ファーライト。降伏するナラ、命まで取るつもりはないケド」
 シオンは瞳を眇めて彼女を見る。
 こちらの名を知るもの。"魔剣"と思しき神秘の刃を持つもの。
 間違いない。
「……魔剣遣い」
「そウ。メア・リィ・シェルリィ────魔剣"エンジェルハイロゥ"の担い手サ。その効き目は、身にしみてわかったろウ? ボクとしては、ぜひ、キミに"実験台"になってもらいたいんダヨね」
 メア・リィは右拳を左掌で包み、礼をする。
 帝国式の倣いであった。
「断る」
 シオンはメア・リィの提案を一言で切り捨て、"妖剣・月白"を構える。
 きわめて懸命な判断だった。ファリアスの目から見ても、この女からは狂気しか感じられない。
 死ぬより悲惨な目にあうのが落ちだろう。
「あんたはあいつに集中しなよ、シオン。露払いはあたしらがやる」
「ごめん。付き合わせる」
「今更さね」
 ファリアスはもう、シオンにとことん付き合うと決めていた。
 シオンはメア・リィと相対するがまま。
 ファリアスは黒馬から飛び降り、シオンと背中合わせに立つ。
 周囲には亡者の群れ。所詮は雑魚だが、彼らの包囲は全方向に渡っている。
「あんたのご主人様の危機だよ。気張って働きな」
 隣のファルにいたずらっぽく囁くファリアス。
 言われるまでもない、と言わんばかりにファルはけたたましく嘶いた。
「残念。それじゃア────」
 メア・リィは背中に負ぶさっていた黒い棺桶を放り投げ、"偽聖剣ぎしょうけん・エンジェルハイロゥ"を掲げた。
「無理にでも連行させてもらいますヨ」
 クスクスと笑み、剣先を幼い姫に突きつける。
 ────瞬間、亡者の集群が、一斉にシオンたち目掛けて駆け出した。


 亡者の嘆きが地に満ちる。
 されど、シオンにさしたる感慨はなかった。
 前から押し寄せた亡者を一刀のもとに斬り捨てる。
 瞬く剣光。亡者の胴はまっぷたつに分かたれた。
 同時に横から迫る亡者を蹴り倒す。
 そこに追い打ちをかけるまでもなく、ファリアスが銃撃を叩きこんだ。
 腹がまるごと弾け飛ぶ。胴部など初めから無かったように消失する。
亡者アンデッド、なんて上等なもんじゃあないね。さしずめ、動く死体リビングデッドってところかい」
 確かに、とシオンは思う。
 彼らはもはや生きてはいない。不死の兵などでは決してない。
 ただの動く死体だ。
「任せなよ、シオン。この程度のもんなら、全部引き受けられるさね」
「助かる。とても」
 ファリアスとファルの援護は如才無かった。
 シオンがひとりの亡者を斬り捨てる間にも、彼女らはふたりの亡者を屠っている。
 そのまま、少女は何気なく一歩を踏み出した。
 亡者の隙間を縫うように自然な歩み。まるで流れる水のよう。
 見透かした闇の向こう側、狂った女がひとりいる。
 メア・リィ・シェルリィ。
 亡者を従えた魔術師は、もはや彼らに構うことなく、細剣の切っ先を振り落とした。
 先刻、地に投げ捨てた黒木の棺桶へと。
「フフ。さア、さア、参りましょうねエ────」
 魔剣──"偽聖剣・エンジェルハイロゥ"が黒い棺桶を貫通する。その内側に納められたものどもを、魔剣は一人残さず貫いてみせる。
 狂ったとしか思えない所業。
 だが、メア・リィの顔に狂気の色はない。
 当然の選択を選び取ったかのように平然と、メア・リィは魔剣の刃を抜き去った。
 三重の光の輪が生じる。黒い棺桶を中心にして収束する。
 まばゆい光が泡のように弾け、そして夜の暗闇が立ち戻る。
 刹那、シオンは駆けた。
 地を蹴る。足首がしなやかに駆動。
 半ば浮いた足裏を跳ね上げさせ、シオンは滑らかに加速する。
 狙うはメア・リィ・シェルリィただひとり。
 周囲に亡者の姿はない。シオンの疾駆を邪魔するものはいない。
「────ィッ!」
 接敵。
 肉迫とともに、白刃の剣影が駆け抜けた。
 魔剣の刀身が空を裂く。
 交錯。
「ク、フフッ!」
 メア・リィは剣身を滑らせるように受け、激突の衝撃をやり過ごした。
 鋭い刃鳴りを散らし、次の瞬間、刃は互いに離れていく。
 シオンは至近、メア・リィの魔剣を垣間見る。
 その刀身には刃毀れひとつない。細剣のように繊細な剣身とは裏腹、相当な頑丈さを誇るようだった。
 もっとも、それは"妖剣・月白"も似たようなもの。薄く鋭く反り返った刃は、傍目にとても頑丈には見えないだろう。
 さらに、意外というべきはメア・リィの剣腕か。
 魔術師だからといって、剣が使えないというわけでは全くない。
 それは端的にいって、
「……やる」
 と、評せざるをえないほどのものであった。
 一合で敵の力量を察し、シオンは神経を研ぎ澄ます。
 適切な距離をおいて、刀身が胸の前を横切る構えを取った。
「コレでも"魔剣遣い"だからねエ。伊達や酔狂で剣を取っているわけじゃあナイ──もっとも」
 腰溜めに剣身を引き、メア・リィは疾走する。
 今度は彼女が仕掛ける番だった。
 まるで跳ぶような疾駆。大地を狭めたような速さで、メア・リィは彼我の距離を埋めつくす。
 どこかシオンに似た剣筋。長やかなるドレスの裾に足運びを悟らせず、メア・リィは切っ先を突き出した。
 シオンはすんでで横に避ける。
 細剣が腹の横を通り過ぎる。鋭い風が吹き抜ける。
 その時、奇妙な音がした。
 がこん、と木でも蹴り飛ばしたような物音。
 反射的に切り返しかけたシオンは咄嗟に踏み止まる。
 そして物音が聞こえたほうに目を向けた。
「ボクは剣士である以前ニ────魔術師なのサ」
 シオンは蒼い瞳を大きく見開く。
 信じがたいものを目のあたりにする
 目を向けた先。そこには、内側から封を蹴り破られた棺桶が転がっていた。
 そして、内側に納められていたものが立ち上がる。
 立ち上がったものは三人いた。
 彼らはいずれも亡者であった。瞳は虚穴のように暗く、一切の感情を宿さない。
 そして彼らは、まるで三つ子かなにかのように、きわめて似通った外見であった。
 否。
 それはもはや、同一であるといってもいい。
 顔だけではない。背丈、体幅、筋肉の付き方、姿勢、骨格。
 その全てが、誤差に収まる範囲で一致していた。
 彼らは同じ軍服を身にまとい、同じ剣を手に収め、同じ目でシオンのほうを見た。
 引き締まった長身痩躯。灰色の総後ろ髪。蛇のように粘着質な目付き。
 シオンはその男を────その亡者の元となった男を、知っていた。
「……だれだっけ」
「結構ひどいねキミ」
 本当に忘れていたわけではない。
 忘れていたかった、というほうが正しいだろう。
 なにせ良い思い出など全く存在しない男なのだから。
 ────"毒操手"グラーク・メルクリウス。
 かつて殺したはずの男。
 一番初めに打ち破った"魔剣遣い"の顔が今、三つもシオンの目の前に並んでいた。
 異様な光景であった。
 異様を通り越して、不快であった。
「アアアアア────」
 三人共が亡者の呻きをあげ、手に持つ剣を振りかざす。
 そこに感情の色はない。
 シオンを記憶している様子もない。
 ただ衝動のおもむくまま──他の亡者と同じように──シオンを攻撃せんとする。
「……妙な真似を」
 幻覚のほうがまだしも現実的だろう。
 しかし目の前にある脅威は、まぎれもなく現実のものだった。
「グラーク・メルクリウス。その素体を利用した肉人形サ。所詮はつくりもの、とはいえ脳まで完璧に再現してあるヨ。不思議なコトに記憶なんかは全く再現されないんだケド──」
 グラーク・メルクリウスの手は、シオンがめちゃくちゃにしてやった。
 となれば、彼らはグラーク本人ではありえない。メア・リィの言葉は納得がいくものだ。
 なぜか三人もいることにも説明がつく。
 彼らの手にはそれぞれ、全く同じ剣が握られている。
 それらは蛇腹剣のかたちを取っていた。
 "奇剣・毒操手"──その似姿。
 魔剣の模造品レプリカとでもいうべきものが、偽物レプリカの担い手に握られている。
 これほどの悪趣味もそうはあるまい。
「魔剣は問題なく扱えることが実証済み。身体が覚えてるってコトだろうネ。さア、さア────ボクの研究成果、とくと味わいナッ!!」
 メア・リィが声高らかに宣言する。
 瞬間、偽物のグラークたちはそれぞれに一閃を振り放った。
 "奇剣・毒操手"。その剣身はいくつもの部位に分かたれ、それぞれが強靭な鋼線に繋ぎ合わされていた。
 刃は如意に伸縮し、縦横無尽に空を駆け回る。一切の間合いを無視し、剣閃の軌道を転ずるも自由自在。
 蛇のようにしつこく、執拗に獲物を付け狙う多節剣。それが"奇剣・毒操手"の要諦である。
 彼らの剣は端的にいって鋭かった。
 三人が三人。いずれも生前のグラークに勝るとも劣らない剣捌き。
 ひとりは山道の砂を巻き上げ、ジグザグに。
 ひとりは空を裂き、シオン目掛けて一直線に。
 ひとりはシオンを通り過ぎたあと、捻られた刃が背中から少女を襲うように。
「アアアアアアア────ッッ!!」
 その時ばかりは殺意という執念を漂わせ、偽グラークたちはシオンに襲いかかった。
「……ふッ」
 シオンはちいさく息を吐き、迫りくる刃を一瞥する。
 正面からの一閃を紙一重で交わし。
 地を這う刃とすれ違うようにして駆け抜ける。
 背後から追いすがる刃にあわせて身をひねる──シオンが一瞬前まで元いた場所を、蛇腹剣の刃が突き抜けていく。
「……エッ?」
 呆けたようなメア・リィの声。
 三重の攻勢をいともたやすく抜き去って──
 シオンは亡者の似姿に差し迫った。 
「弑ィッ!!」
 渺。
 風が鳴き、"妖剣・月白"が一閃する。
 刀身が偽グラークの右脇腹から左胸にかけてを過ぎり、抜けた。
 血霧が爆ぜ、偽グラークのひとりが上半身がずるりと滑る。
 赤い醜悪な切断面を晒し、ぐらりと傾き、地に落ちた。
「ア────」
 死にゆく時ばかりは安らかなもの。
 それを見届けもせず向き直り、右方にいた偽グラークに返す刀で斬りつける。
 彼は咄嗟に飛び退いた。そのおかげで、上半身と下半身が分かたれる無様は晒さずに済んだ。
 代わりに左手首から先が葉っぱのように零れ、落ちた。
 なおもシオンは止まらない。
 地をしかと踏みしめ、脚を軸にして身を捻る──"車輪"の型。
 遠心を乗せて一閃、振り放たれる。
 まるで吸いこまれるように、最後の偽グラークへ。
「……ッ、は」
「ア、グッ────」
 亡者は呻きを漏らしながらも、魔剣でシオンの剣を受けた。
 鳴り響く甲高い金属音。互いに押し切るべくもなく相分かたれ、シオンはとんと一歩退く。
 同時、偽グラークもたまらず一歩退いた。
 それこそは、後戻りができないほどの下策であった。
 一歩退き、一気呵成に踏みこみ、斬り捨てる。
 その技を覚えていたならば、彼にもかすかな望みはあったろう。
 しかし彼らは結局、偽物だ。
 すでに終わった人間の偽物だ。
 あれからも死闘を重ね、あらまほしき得物を手にしたシオンとは比べるべくもない。
 接地の反動に足裏を跳ねさせ、地を蹴りぬく。
 疾駆はさながら矢のごとく。
 胸の前を横切るように構えた刃を軽く引き、振るう。
 剣身が月のような弧を描く。
「────やらせないヨッ!!」
 刹那。
 亡者とシオンの狭間に割って入り、メア・リィは細剣を突き入れた。
 シオンの剣閃を止めるほどのものではない。
 だが、その威力と勢いを殺すには十分な役目を果たしていた。
 偽グラークを斬り捨てるには至らない。
 白刃が薄皮一枚を斬り捨てるのみ。
 メア・リィは残る二体の偽グラークをともない一歩退き、シオンもまた踏みこまず残心するに留める。
「つくりものに情でも」
「まさか。ボクの実験が不甲斐ない結果に終わるのが許せないダケ」
 そういいながら、メア・リィは残る偽グラークを自らの背後に下げた。
 純粋に後方支援として使うつもりか。
 シオンは目を細める。単純な直線軌道でないため、少女にしてみれば蛇腹剣は小銃などよりも厄介だ。
「それに、キミの剣筋を見られたからネ。なるほど尋常じゃあナイ────俄然キミを弄り回したくなってきたヨ」
「願い下げ」
 素っ気なく言い捨て、シオンは手早く血振るいする。
 同時にそれとなく後方をうかがう。
 ファリアスとファルは善戦していたが、いかんせん数が多い。亡者を潰しきれない状況がしばしば発生するようだった。
 勝負を急ぐべきかもしれない。
 シオンがそう考えた、その瞬間だった。
 細剣──"偽聖剣・エンジェルハイロゥ"をシオンに突きつけ、メア・リィはいう。
「全てのしもべをキミに向けるとしよウ。キミにはそれだけの価値がある」
 ぐるり、と。
 なおも全方位に散っていた亡者の群れが、シオンのほうに向き直った。

コメント

コメントを書く

「ファンタジー」の人気作品

書籍化作品