シャッフルワールド!!

夙多史

二章 風と学園と聖剣士(2)

「あ、やっと起きた」
 目を開けると、金髪黒衣の美少女が立っていた。なぜか俺の腹の上に。
「……そこでなにをなされているのですか、お嬢様?」
「レージを起こしてたに決まってるじゃない」
「起こし方がおかしいっていうか痛いから早くそこをどけっ!」
 俺が無理やり上体を起こそうとしたので、金髪少女――リーゼロッテ・ヴァレファールは「わっ」とか言って飛び退いた。
 まったく、と呟きつつ俺は辺りを見回す。
 フローリングの床にベージュのカーペット、その上に置かれた広めのテーブル。テレビにエアコンにデスクトップパソコン。俺が寝てるのはリクライニングソファー。カーテンの隙間からは陽光が差し込んでいる。デジタル時計は朝の八時を示していた。
 毎日にように見ている部屋。そう、ここは俺ん家のリビングだ。
 俺の両親は異世界関係の仕事で五年前から海外に行っている。だからこの庭つき一戸建て住宅は俺だけの城ってことになるわけだ。
 仮にも高校生の独り暮しは大変なこともあるんだが、なによりも自由! 独り暮し最高! 独り暮し万歳! ……だったはずなんだがなぁ。
 俺はすぐ傍でガキ大将のような余裕綽々とした笑みを浮かべる少女を見、溜息をつきたくなった。

 昨夜、異世界イヴリアから元いた学校へと生還した俺は、なにはともあれ家に帰って寝たかった。
 誘波にはメールで適当に報告し(リーゼたちのこともきちんと伝えた)、桜居はすぐ目覚めるだろうから置いて行った。
 一つ驚いたことがあった。どうもイヴリアと地球では時間の流れが異なるようで、向こうで数時間は過ごしたはずなのに、こっちでは三十分しか経ってなかったのだ。
 それはまあラッキーとして、問題も二つあった。
 一つは、リーゼとレランジェの宿だ。
 誘波から返信があればその辺りを手配してもらおうと考えていたのだが、なぜか彼女から電話の一本もなかった。仕方なくこちらからかけても一向に繋がらない。寝落ちたかと思って諦めた。
 そんなわけで俺は自宅に女の子を連れ込むという、学校の誰かには絶対に見つかりたくないことをせにゃならなくなったわけだ。
 ベッドがある二階の両親の部屋をリーゼたちに充て、俺は普段通り一階のリビングで寝た。自分の部屋もあるけどベッドはないし、こっちの方がなにかと便利なんだよ。
 で、二つ目の問題は――

「レージ、さっさと起きてわたしにこの世界を案内しなさい」
 こちらの世界のことをなんにも知らないリーゼたちそのものだ。
 特に自分の世界が退屈だからって異世界に強い興味を抱いていたリーゼは、早速アレはなんだコレはなんだとはしゃぎまくったものだった。
「その前に、俺との約束は覚えてるか?」
 だからこそ、俺は二人に一つだけ約束をさせた。
「覚えてるわよ。えっと、〝この世界のルールを守ること〟だっけ?」
「ああ、具体的には物を壊すな、人を殺すな、俺の言うことを聞け、だ」
「む、最後のだけは気が進まないけど、いいわ。多少〝縛り〟があった方が面白いからね」
 うん、リーゼのいいところは素直なところだな。どこかのゴスロリメイドとは大違いだ。
「くれぐれも、この世界を征服してやろうとか、滅ぼそうとかすんなよ」
「どうしてこのわたしが、自分から世界をつまらなくしなきゃならないのよ?」
「そりゃそうか」
 リーゼはそうなった世界を経験してるんだ。念を押す必要はなかったかもしれない。
「時に、レランジェの姿が見えんが?」
「朝食の準備をしてるわ」
 あいつが朝メシを? 若干心配だな。まあ、寝る前にキッチンを含めた家の基本的なことは教えたし、冷蔵庫にトリカブト的な毒物は入ってなかったから大丈夫か。
「ほら、そんなことはいいから早く起きて起きて!」
 俺の腕を引っ張るリーゼは、もうワックワクが止まらないって感じに紅眼をキラキラさせている。〝魔帝〟なんて大層な異名がついてるとは思えない。

「あらあら、その子が例の魔王様ですかぁ?」

 突然、どこからともなく間延びした女性の声がした。続いて、ガチャリ、と窓の鍵が開く音も聞こえる。 
「!?」
 バッと俺は振り返る。次の瞬間、ポルターガイストみたいに勢いよく窓が開き、ブオォ、と一陣の強風が部屋中に吹き荒れた。俺とリーゼが思わず顔を腕で庇ったほどだ。
 風はすぐに緩んだ。俺はゆっくりと腕を下げ、視線をやや上に向ける。
「レイちゃんには勿体ないくらい可愛い女の子じゃないですかぁ」
 そこに、天女がいた。
 正確には、天女だと思った。
 俺たちの前に現れたのは、風に靡く色鮮やかな十二単を纏った女だった。背中まで伸ばした緩いウェーブのかかった髪は清流のごとく宙を流れ、端整な顔を舞台に踊る大きな蒼い瞳がニッコリと俺たちを見下ろしている。
 つまり、そいつは空中に浮いていた。とんでもない美人だが、美人は三日で飽きるっていうのは本当らしい。俺がこいつを見て感じるのは面倒臭さだけだ。
「なにしに来やがった、誘波」
 声のトーンを低くして、俺は威嚇するようにそう言った。
「レイちゃんが異世界から連れてきたガールフレンドを一目見に♪」
 天女もどきはニコニコと微笑むと、ふんわりと床に足をつけた。見た目は十代半ばで、背丈はリーゼより五センチほど高いくらいである。
「レージ、こいつ誰?」
 リーゼが不審げに言った。
「申し遅れました、異世界の女王様。私は法界院誘波ほうかいいんいざなみ。日本異界監査局の局長をしています」
 法界院誘波。察しの通り、こいつも異世界人だ。出身は確か『アストラリア』とかいう世界だっけ。よく知らんけど。ちなみに名前は偽名だ。というのも、常に着物を纏っているほど日本大好きなもんだから、自分も日本名に名乗っているんだと。
「イザナミ? きょくちょう?」
「一番偉い人のことです」
 えっへん、と誘波は十二単の上からでもわかる豊満な胸を張る。
「ピッチピチの十八歳です♪」
「訊いてないし嘘を教えるな。軽く俺の百倍は生きてるくせごはっ!?」
 俺の腹になにか鈍器的なもので殴られたような感覚が襲った。
「なにか言いました?」
「いや、別に……」
 腹を押さえて蹲る俺に向けられる笑顔が怖い。こいつの力は本当に厄介だ。
「風?」
 リーゼが力の正体を看破する。
「大正解です。賞品はハワイ旅行とグアム旅行、好きな方を選んでください♪」
「おい、ふざけるのはそのくらいにして、本当はなにしに来たのかを話せ」
「レイちゃん、敬語って知ってますか?」
「敬うべき相手に使う言葉だがお前にはあてはまらん」
 だいたい、タメ口でいいと言ってきたのは他ならぬ誘波だ。
「わかりました。お話しします」誘波は表情を改め、「今から五時間ほど前――正確には午前二時四十七分に、『次元の門』が開きました」
「それがどうした? いつものことだろ」
「百二十二箇所、同時に、同じ地域で開くことがいつものことですか?」
「なっ!?」
 俺は絶句した。ありえない。『次元の門』は世界中で開いているけれど、その開く地域はだいたい決まっている。次元の壁が薄い、というのが異界監査局の変態研究者共の説だが、そういう地域でも同時に百を超える門が開いたことは過去一度もない。
 間違いなく異常事態だ。だが――
「俺はなにも感知しなかったぞ?」
「ほんの数秒のことでしたし、その頃レイちゃんの傍には既に開いている門がありましたでしょ。気づかなくても仕方ありません」
 そうか、リーゼの世界イヴリアに繋がった門か。近くにあった強烈な違和感に他の門の気配が重なってわからなかったんだ。
「……被害は?」
「夜中だったこともあり、今のところは一件もありません。ですが、向こうからの来訪者はいます。目下、局員が捜索していますが、来訪者が〝人〟だとは限りません。なのでレイちゃんたち異界監査官には、いつでも戦闘ができるようにしておいてほしいのです」
 あの時、誘波と連絡が取れなかったのは、この件の調査にてんてこ舞いだったからだと俺は納得した。
「ねえ、さっきからなんの話してんのよ?」
 リーゼは話に全くついて行けず多少イラついてるようだった。
「お前、わたしのレージをどうする気? 生憎、レージはこれからわたしに街の案内をする用事があるの」
「きゃあ♪ 『わたしの』なんて言われてますよ、レイちゃん」
 なにを勘違いしたのか誘波は楽しそうにキャッキャ喚いた。なんともウザい。その言葉の意味はな、リーゼにとって俺はオモチャかよくて下僕程度ってことだ。
「わたしの邪魔をするって言うんなら、灰になってもらうわよ?」
 リーゼの両掌に黒炎が点火される。やめてくれ! ここでそんな力を使ったら俺の城が燃えちまう!
「あらあら、好戦的ですねぇ」
 誘波は困ったように頬に手をあてているが、その顔は変わらずニコニコしている。
「誘波、用が済んだならもう帰れよ。つーか、それだけ伝えるなら電話でもメールでもよかったんじゃないのか?」
「先程言ったじゃないですかぁ。レイちゃんの彼女を見に来たってね。ああ、でも少し違いますね。正確には――」
 誘波は笑顔のまま、ゆるりとした動作でリーゼを指差した。

「そこにいる、昨夜の異常の原因を捕縛しに来ました」

 ……はい?
 誘波のやつ、今、なんと言った?
「お下がりくださいマスター!」
 叫びながら凄い勢いで部屋に飛び込んできたのは、ゴスロリ風メイド服を着た女。リーゼの従者である魔工機械人形――レランジェだ。
 彼女はまっすぐ誘波に突進してダイコンも真っ二つになりそうな手刀を振り下ろす。
 が、それは誘波に触れる直前で弾かれた。風の防御壁だ。
「そういえば、もう一人いるのでしたね」
「お話を拝聴させていただきました。結論は排除安定です」
 レランジェの手刀や蹴りが乱舞する。凄まじい猛攻。しかし、どの攻撃も誘波に触れることさえ叶わない。その誘波は、お茶があれば啜っていそうな涼しい顔をしていた。
 やがてレランジェは弾かれたように吹き飛ばされた。テーブルを引っ繰り返して彼女は壁に激突する。
「――って、俺ん家で暴れんなっ!!」
「大丈夫ですよ。すぐに終わらせますので」
 そういう問題じゃない! と俺が言おうとしたところで、二つの黒い魔法陣が誘波を挟み込むように出現した。
「レランジェをぶっ飛ばすなんて、お前けっこうやるわね。でも、〝魔帝〟で最強のわたしは簡単にはいかないわよ」
「やめろリーゼ! 早速約束破ってんじゃねえ!」
 俺はたまらず叫んだ。リーゼさん、あなたが本気で暴れたらこの家なんて一瞬でなくなっちまうんですよ。
 約束のことを思い出したのか、リーゼは少し躊躇う素振りを見せて魔法陣を消した。

「……魔導電磁放射砲、発射安定です」

 でも、あっちの粗悪人形は俺の言うことなんて聞かないんですよね。初見でいきなり俺にぶっ放してきた電磁レーザーを撃とうとしてやがる。
「あらあら」
「あらあら、じゃねえよ誘波! どういうことか説明しやがれっ!」
「そうしたいところですが、彼女たちが待ってくれませんねぇ。だから少し静かになってもらいましょうか」
 誘波がその場で手を横に振るう。同時にレランジェの魔導電磁放射砲が発射されたが、それは途中で不可視の力と衝突して相殺された。その際に発生した爆風で部屋がもう表現したくないくらいめっちゃくちゃに。俺の家……。
「――〈圧風プレッシャー〉」
 誘波が唱えるように呟くと、バン! とレランジェが床に突っ伏した。〝上方から圧しかかる風〟のせいで動くことができないようだ。悔しげな舌打ちが聞こえる。
「レランジェ!」
 従者がやられて我慢できなくなったリーゼが、再び二つの魔法陣で誘波をサンドウィッチ状態にする。そして、今度は俺が止める間もなく、両陣から噴火した黒炎が誘波をプレスした。
 床に、カーペットに、カーテンに、黒炎が引火していく。俺は即座に上着を脱いで消火活動開始。誘波の心配? そんなもんするだけ無駄だ。それより消化器を! 誰か消化器を持ってきてくれ!
「大した魔力ですねぇ。でもまだまだ扱いが雑のようです」
 おっとりとした声が聞こえた瞬間、黒炎は風船が弾けるように消し飛んだ。引火した炎も消してくれたのはありがたいけど、部屋は半焼、窓ガラスは見事に全部割れていた。
「うそっ!? 効いてない!?」
 着物にすら焦げ目一つついていない状態の誘波を見てリーゼが瞠目する。
「――〈眠風スリープ〉」
 そう誘波が呟くと、リーゼを包むように青色の風が優しく吹いた。
「なにこれ? ……ん……あぅ」
 リーゼはしばし目を瞬かせていたが、やがて瞼が落ち、体が弛緩し、ソファーに覆いかぶさるように倒れた。すーすー、とリズミカルな吐息が聞こえる。催眠効果が付加された風で強制的に眠らされたのだ。
「これで落ち着きましたね」
 レランジェに〈圧風〉をかけつつ、一方でリーゼの相手をする。やはりこいつはバケモンだ。
「なんで昨夜の異常が彼女の仕業なのか、でしたね。仕業と言うと少々違ってきますが、原因は彼女の魔力です。レイちゃんも感じている通り、彼女の魔力は質・量共に尋常ではありません。彼女が次元を渡る折に、その膨大な魔力が影響してこの地域に瞬間的な〝歪み〟を発生させてしまった、というわけです」
 淡々と説明した誘波は、リーゼの寝顔を見て「可愛いですねぇ」と楽しそうな呟きを漏らした。
「リーゼの魔力が原因、というのは置いといてだ」
 俺は周囲の惨状を再確認する。
「俺の家、ちゃんと修理してくれるんだろうな?」
「あら?」
「あら? じゃねえ!」
 とぼけた声を出すこの天女もどきとは、そのうちきちんと話し合うべきだな。
「ともあれ、お二人は少しの間私の方で預からせてもらいます。大丈夫です。悪いようにはしません。よろしいですか?」
「ダメだと言っても連れて行くんだろ? 別に構わんが、まずは俺の家を――」
「そうですかー♪ では、早速連れて行きますねー」
 俺の言葉を嬉しそうに遮って誘波は風を繰る。ふわり、とリーゼとレランジェが宙に浮いた。レランジェはもがいていたけど、丘に上げられた魚のごとく無駄だった。
 部屋の中に風が渦巻く。その中心部で、誘波はニコニコ顔を俺に向ける。
「そうそう、レイちゃんに質問です。今日は何曜日ですか?」
「は? 水曜日だろ?」
「早く準備しないと、学校に遅刻しちゃいますよぅ?」
「あ」
 俺は急いで時刻を確認する。幸い無事だったデジタル時計は八時半を表示していた。てかもう朝のHR始まってるんですけど……。
「ではでは、間に合うように頑張ってくださいねえ♪」
「頑張っても間に合わねえよっ!?」
 俺の叫びは目も開けてられないほど強くなった風にもみ消された。そして、その風が収まった時、誘波たちの姿は忽然と消えていた。

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