シャッフルワールド!!

夙多史

四章 壊滅的な死闘(1)

 異界監査局の屋上には別世界のような日本庭園が広がっている。
 恐らく魔術的に作られた疑似空間なのだろう。明らかに屋上の総面積よりも広い。
 その広大な敷地内に建つ和風な屋敷が法界院誘波の住処なのだが、俺はなぜか屋外で正座させられていた。初夏の直射日光のなんと眩しいことか。
 目の前では十二単を纏った異国の少女が茶を点てている。俺は茶道には詳しくないが、こういう外で行われる茶会を野点というらしい。
「どうぞ」
 誘波はおしとやかな動作で茶筅を置き、茶碗を回して俺に渡す。中の緑色の液体に妙な薬でも入ってんじゃねえだろうな? 俺は化学の実験でするみたいに手で仰ぐように臭いを嗅いでみた。これといった刺激臭はない。
 仕方なく、俺は一気に飲み干した。
 普通に抹茶だ。特有の渋みはきつすぎず、微妙な甘さもあって抵抗なく食道を流れていく。なぜか変にクリーミーだったが、不味くはなかった。寧ろ美味。
「……けっこうなお手前で」
 言わなきゃいかんのかな、と思いながら茶碗を返す。
「しっかし、日本かぶれだとは知ってたがついに茶道まで始めやがったか。しかもなかなかにうまいじゃないか」
「あはっ♪ レイちゃんに誉められちゃいました。頑張って市販の抹茶オレを掻き混ぜた甲斐があったというものです」
「よし、俺の感想を返せこのエセ茶人」
 どうりでミルクっぽかったわけだ。
「ところで」
 誘波はネタが終了したように茶道具を雑にどける。
「レイちゃんの方から私を訪ねてくるなんて珍しいですね。リーゼちゃんの容体はどうですか?」
「ああ、そのことについて話しに来たんだ」
 リーゼの体調がおかしくなってから既に丸一日が経過している。今も俺の家でレランジェが看病しているが、彼女が回復する兆しは一向に見えなかった。それどころか熱はどんどん上がり、六十度を越えている。普通の地球人ならとっくに死んでいる体温だ。

「マスターの魔力が許容量を超えたことが原因安定のようです」
 今朝になって、レランジェはそう診断した。
「マスターは魔力を消費することができません。常に増加安定です」
「は? なんで消費できねえんだよ。術とかバンバン使ってたじゃねえか」
「それは私にはわかりかねますが、今は亡きアルゴス様からそのような体質だと伺っております。魔力疾患とでも呼んでおきましょう」
 アルゴスっていうのはリーゼの親父――前魔帝の名だ。
「このままではいずれ膨れ上がる魔力が破裂し、マスターは死亡確定です」
「俺になんかできることはないか? そうだ、魔力が増えすぎたって言うなら俺が『吸力』で奪ってやろうか?」
「いえ、マスターの魔力は現在暴走寸前です。ゴミ虫様のような人間が受け止めることは不安定です。それに、このような事態に陥った時のために我々魔工機械がいるのです。ゴミ虫様の出る幕ではありません」
「いい加減名前で呼んでくれ」
「了解しました。ゴミ――ゴミ虫様」
「訂正できてないぞ」
「とにかく、マスターはこのレランジェが命に代えても守る安定です。ゴミ虫様は邪魔ですので、ガッコウにでも行く安定です」

 という一連の流れから話すと、誘波は神妙な顔になって呟いた。
「なるほど、それで自分家を追い出されたわけですか、ゴミ虫ちゃん」
「絞め殺すぞコラ」
「寂しくなって私のところへ来たのですねぇ。可愛いじゃないですか。この寛大の化身たる誘波ちゃんは何日でも宿泊許可を出してあげますよぅ。あらあら、もしかして私と一緒に寝たいんですかぁ?」
「お前の部屋にある怪しげなマンガ本を全部資源ゴミに出す」
「それだけは勘弁してくださいレイちゃん!?」
 涙目で縋りついてくる誘波を見るのは初めてだ。お、面白い。でも、俺はそんなことを言いに来たわけじゃないんだ。
「誘波、お前はリーゼが魔力を消費できない理由を知ってんじゃねえのか?」
「どうしてそう思うのです?」
 話が変わった途端、回路を繋ぎ換えたように態度を改める誘波。
「魔力生成法の話をしてる時、俺とリーゼは少数派だとか言ってただろ。俺はわかるが、なんでリーゼも少数派なんだ?」
「存外、レイちゃんは記憶力がいいのですね」
 誘波は普通に抹茶オレを作りながら「ふふ」と微笑んだ。存外は余計だ。
「一度戦って気づいたことですが、先程の話を聞いてほぼ確信しました。リーゼちゃんは――――魔力を消費していません!」
「だからその理由を聞いてんだよ! マンガの衝撃的告白みたいな顔で言うな! 既に知ってんだから」
「ふふふ、レイちゃんってばなかなかいい感じのツッコミですねぇ。三十点」
「低っ!?」
 だーもう、こいつとの会話は異様に疲れるから嫌いだ。
 誘波は茶碗の抹茶オレを一口啜り、
「リーゼちゃんは自分の魔力を放出し、文字通り燃焼させて攻撃しています。これはレイちゃんも知っていますよね?」
 ああ、と俺は頷く。セレス戦の時、そんな感じのことを自分から言っていた。
「では、リーゼちゃんが術を使う際に現れる魔法陣は、どういう役割をしていると思いますか?」
「魔力を飛ばす、いや、燃やすためか?」
 深く考えずに答えた俺に、誘波はゆっくり首を振る。
「いいえ。あれはどうやら、リーゼちゃんの魔力を還元する術式のようです」
「!?」
 還元って、つまり使っても元に戻るってことでいいんだよな。確かに、それだと消費はない。
「百パーセント還元するのかは詳しく検証しないとわかりませんが、彼女はどれだけ強力な術でもほぼ無限に使用できるというわけです。そして恐らく、リーゼちゃんは魔力還元術式を無意識に発動させています」
「自分の意思で魔力は消費できない、か。力を使う時に起動するのだとしたら、激しく他者の意図を感じるな」
 その他者とは間違いなくリーゼの親父だろう。もしそうだとしても、もういないやつがなにを考えてリーゼに魔力還元術式を施したのかは、現状どうだっていい。
 気にするべきは、今もリーゼを苦しめている魔力疾患の方だ。
「なあ、誘波。魔力がループするとぶっ倒れるもんなのか?」
「普通の人ならそうはならないと思います。魔力疾患とは体内の魔力が容量オーバーすることが原因なのでしょう? 充分に満たされていれば、生命力を削ってまで生成する必要はありませんから。ですが、リーゼちゃんの魔力生成法は少数派、いえ、希少種と呼べるものです」
「希少種? どういうことだ?」
「一昨日に彼女を検査して判明したのですが、彼女の魔力は細胞分裂をするように増えていくのです。それも止まることなく常に、です。水道の蛇口を捻ったままだと湯船が溢れるのは必然でしょう」
 マジか。流石にそういうのは俺も聞いたことがない。少数派ではなく、希少種。なるほど、そう言われた方が得心はいく。
 それだと、今までに何度も魔力疾患を起こしているはずだ。リーゼにとってはただの風邪、もしくはインフルエンザ的な病気なのかもしれない。
 ズズズ、と誘波は残った抹茶オレを飲み下す。それから俺によからぬことを考えていそうなニヤニヤ顔を向けてきた。
「レランジェちゃんがいれば大丈夫なのでしょう? なのにこんなにも心配しているなんて。もしやレイちゃんはリーゼちゃんのことが好きになっちゃったのですかぁ?」
「ばっ、げふっ! そ、そんなわけあるかっ! あの木偶人形の説明が曖昧すぎてちょっと気になってただけだ。知的探究心!」
 俺はロリコンじゃない! 大事だからもう一度言う。俺はロリコンじゃない!
「あらあら、耳まで真っ赤になってますよぅ? キャー♪ 私、妬いちゃってもいいですか?」
「そういや俺、魔力補充しねえといけないんだったな!」
 怒りマークをふんだんに使用した顔で、俺は誘波に左手を伸ばす。〈吸力〉。〝人〟相手にあまりやりたくないんだが、この際だ。気絶するくらいてめえの魔力を奪ってやろうじゃね――――熱湯をぶっかけられた。
「ほあちゃぁあああああああああああっ!? 手がぁ手がぁあああああああああっ!?」
 絶叫して転がりまくる俺。気づいたら池に沈んでいた。錦鯉たちが群がって俺を突いてくる。餌じゃねえぞ。
「あらあらあら、早く乾かさないと風邪引いちゃいますよぅ?」
 いけしゃあしゃあと、誘波。
 あの天女もどきにはいつか十三階段を上らせてやる、という思いを胸に秘め、俺はびょしょ濡れのまま誘波邸を後にした。

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