シャッフルワールド!!

夙多史

三章 過去への執着(4)

『確認された「次元の門」の数は十七です』
 俺は左手に持った携帯から誘波の連絡を聞きつつ、右手でリーゼの手を握って走っていた。
『数だけ見れば中規模ですが、歪震の範囲が極端に狭かったことを考慮すると馬鹿にはできません。門の出現時間もリーゼちゃんの時と比べて長いです』
 普通、大発生する『次元の門』の数は歪震の範囲に、出現時間は歪震の大きさに比例する。リーゼがこちらの世界へ来た時の歪震は、地震でいうところの震度1程度だったという。それが過去最大規模に広がったことで、一瞬でも百二十二箇所という異常な数の門を開く結果となった。
 だが今回は大きさはともかく、範囲は祝ノ森リゾートガーデン周辺のみと非常に狭い。この程度なら開いても一桁台のはずだ。十七は多い。
 なぜ歪震で『次元の門』が開くのか? 例によって異界監査局の変態研究者の見解では、歪んだ次空が元に戻る際、引力のようなものが働いて異世界を引っ張ってしまうとのことだ。アレだ。マラソンとかで人の後ろを走ると、気圧や空気抵抗の低下により体が吸引されて楽に走れるってやつに似ている。スリップストリームって言うんだっけ?
「で、俺たちは一体どこへ向かわされてんだ?」
 俺とリーゼが走っている場所、それは温泉街ではなく森の中にある渓流沿いの獣道だった。街よりも優先させるってことは、余程のモノがこの先にあるんだろう。
『歪震源です。そこに最も巨大な門が開いています』
 察しの通り、歪震源とは空間における歪震の起点となる場所のことだ。が――
「待て、それってスパじゃないのか?」
 あの影魔導師の女が活動していたのはジャングルスパ内だったはずだ。起点もそこにならなければおかしい。
『いえ、今クロちゃんに確認を取ったところ、スパは犯人である少女の活動範囲の一部だったようです。一般人のいるスパをレンちゃんとルミちゃんに任せ、クロちゃんは一人で少女を追いかけていたそうです。ヘンタイですね』
 迫間と四条が一つの〝穴〟を閉じるのに二人がかりで集中しなければならなかったところを、鷹羽は一瞬で、それも同時に七つの〝穴〟を閉じてみせたのだ。ヘンタイかどうかはさておき、あの男なら他の活動範囲をカバーすることくらい容易そうだな。
 弟子たちに全てを任せて遊んでいたわけじゃない。寧ろ一番大変な仕事を鷹羽は請け負っていたことになる。いい上司じゃないか。どっかの誰かと違って。
「ああ、誘波、ナビはもういいぞ。門の気配を感知した」
『そうですか。では、気をつけてくださいね、レイちゃん。無事に帰ってこられたら今夜は牛鍋にしましょう』
「妙な死亡フラグ立てんな!」
 ――プツッ。
 通話を切り、携帯をポケットに仕舞う。
 街の方が心配だ。向こうからの来訪者は現時点ではないらしいが、突然だったから何人かの一般人が異世界に飛ばされたかもしれない。だが、俺が心配したところでなにか変わるわけでもないだろう。そこは他のみんなに任せて俺は自分の任務に専念すべきだな。
 昨日の疲れが残ってんのか知らねえが、なんか今日は微妙にくらくらして気分がよろしくないんだ。特に気にするほどのことでもないが、風邪の前兆かもしれん。パパッと終わらせてしまおう。
「ねえレージ、一体なんなの? 意味わかんない。どこに行くの?」
 と、俺に引っ張られながらリーゼが眉を寄せて説明を求めてきた。夜逃げに付き合わされる子供みたいな顔だな。……いや、そこまで不安げではないか。
「この先に面白いものがあるかもしれないんだと」
 それだけ言っておけば、このお嬢様にぐだった説明なんて必要ないだろう。
「む、それは楽しみね。急ぐわよレージ! 早くしないと誰かに取られるかもしれない!」
 ほらな。

 轟々と流れ落ちる双子滝の前、河原の開けた場所に俺たちは到達した。左は急流、右は剥き出しの山肌。獣道の最奥部だ。
「ここだな」
 俺は首を少し後ろへ傾けて、落差二十メートルはあろうかという双子滝を見上げる。幅はどちらも五メートルほどだが、片方は水流が滝壺まで落下することなく半分辺りで途切れていた。
 これなら一般人にだって視認できる。つまり『次元の門』はそこに開いていて、水が異世界へと流れ込んでいるんだ。なんとも摩訶不思議な光景だな。写メでも撮っておこうか。
「レージレージ! ここにもフロがある!」
 リーゼのはしゃぎまくった声。俺の服の袖をくいくい引っ張って前方を指差している。
 視線を落とすと、確かに湯気が昇っていた。渓流に付随するように大き目の岩で仕切られた箇所がある。そのすぐ傍には掘建て小屋が今にも崩れそうな姿で鎮座しており、ボロボロの立て札には達筆な字で『双竜の湯』と書かれていた。
「ああ、なるほど、ここが例の秘湯ってやつか」
「ヒトウ! わたし入る! すぐに!」
「そうだな――ってだぁーっ!? 待て待て待てリーゼ! 炎のコスチュームチェンジは待ったストーップ!」
 黒衣の端にシュボッと黒炎が灯ったのを見て俺は慌ててリーゼを止めた。このお嬢様は見られることに関してはなんの羞恥心もないから世話が焼ける。
「なんでよ? わたしは早く入りたいの。別にいいじゃない」
「よくない。頼むから俺の目のやり場を困らせるな」
 まさかとは思いたいが、この遣り取りも誘波にバレている可能性がある。たぶん〝風の噂〟とかで。だからまたヘンタイ扱いされないためにも、リーゼには大人しくしておいてもらいたい。
「それに、アレを見ろ」
 俺は顎をしゃくって湯気立ち上る秘湯を示す。そこに、ゆらりと人影が映った。
「先客がいる」
 サルなんかじゃない。アレは、間違いなく人間だ。
 山風が吹く。湯気が流され、秘湯の全容が鮮明になっていく。
 ザバァ! と湯を堪能した人影が立ち上がる。
「あら?」
「あっ、てめえ」
 しっとり濡れた艶やかな長髪を肌に絡ませた、色白で背の高いモデル顔負けの美少女がそこにいた。言うまでもない、俺たちが必死こいて捜していた影魔導師の女だ。こんなところに隠れてやがったのか。
「誰よ、お前。なんで〝魔帝〟で最強のわたしより先にフロに入ってんのよ?」
 先を越されていたためか、リーゼのご機嫌が緩い角度で傾斜しているようだ。凄むと同時に抑えていた魔力を解放する。
「今朝から俺たちが捜していた『敵』ってのがこいつだよ、リーゼ」
 俺は警戒しながら簡単に教えると、睨みを利かせて女に警告する。
「ここで会ったが百年目、だっけ? 大人しく投降した方が利口だと思うぜ。森の中で微妙に暗いとはいえ、昼間なら俺らの方に分があるからな」
 すると女はたじろぐように一歩下がり、パッチリと見開いた大きな双眸に涙を滲ませ――
「……きゃ」
「あ?」

「きゃあああああああああああああああああああああああああああッ!!」

 堰を切ったような悲鳴で、俺の耳を劈いた。
 ばっ、としゃがみ込む女に、俺は彼女が一糸纏わぬ姿だということをようやく認識した。
「どわっ!? すまん!!」
 反射的に回れ右してカカシのように直立する俺。見えてない。見えてないぞ。距離があったし、不自然に濃い湯気が都合よく仕事してくれたから体のしなやかなラインくらいしか見えてない! くどいけどもう一度言う。俺には見えてないっ!
「ふふっ、ダメだなぁ。いくら裸を見たからって敵に背中向けちゃあ」
 だから見えてないって言っ――――ッ!?
 女の声が、異様に近くから聞こえた。テンパっていた精神が急激に冷却され、
 ――やべ、死んだ。
 そう思いながら、振り返る。
「一人だったら、死んでたぞ」
 漫画だったら語尾に『☆』がついていそうな口調で、女は左手の人差し指をチッチッチと振ってウィンクを一つ。俺との距離は一メートルを切っており、右手には〝影〟ではない普通のサバイバルナイフが握られている。
 その右手首を、がしっ、とリーゼが鷲掴みにしていた。
 俺は助けられたんだ。リーゼがいなければ確実に刺されていた。そう思うとゾッとする。
「なにしてんのよ、お前。レージを壊していいのはわたしだけよ」
 でも何故に主人公のライバル的ポジションにいる噛ませ犬みたいな台詞を言うんですか?
「ふふっ、愛されてるわね」
 女の体に音もなく僅かな〝影〟が纏った。
「「――!?」」
 俺とリーゼは同時に飛び退くが、攻撃が飛んできたり転移されたりなどはなかった。ハッタリか!
〝影〟で大事な部分を隠した女は、ふんふん、と鼻歌を刻みながら日向を避けて秘湯の方へと歩いていく。
 一体どこにそんな余裕があるんだ? 攻撃や転移をしなかったってことは、ここではそれができるほどの〝影〟を操れないってことだ。俺を刺そうとしたナイフも金属製だったし。
 女は岩の上に丁寧に畳んであった黒セーラー服を着込むと、屈託のない笑顔を俺たちに向けた。

「ふふふっ、ちょっとお話しない? お茶でも飲みながらね」

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