シャッフルワールド!!

夙多史

間章(2)

 目に見える速度で森が暗黒色に塗り潰されていく。
 夜が来たからではない。『混沌の闇ケイオス・ダーク』の侵蝕を受けているのだ。
 森の随所に穿たれた異空間の〝穴〟から漏れ出る闇が、留まることなくその支配圏を広げている。木が、草が、土が、有機物とも無機物とも判断できない純黒の物質へと変えられていく。
 森の中は地面から三十センチほどの高さまで薄い黒霧が立ち込め、ドライアイスをお湯に投入した舞台の特殊効果を彷彿とさせる。白煙ではないが。
 そんなとてもこの世の光景とは思えない森の中を進みながら、迫間漣はくまれんがルンルンと上機嫌に前を歩く望月絵理香もちづきえりかに問いかけた。
「望月先輩、これ本当に大丈夫なのか?」
 漣や瑠美奈は彼女のことを『先輩』と呼んでいるが、特に敬語を使ったりはしない。というのも、小学校の頃から四人で通っていた望月道場――望月家が経営している剣道場――は目上の門下生を苗字でしかも『先輩』をつけて呼ぶ習わしがあったのだ。それ以外はどう言葉が砕けようともお咎めなし。漣も瑠美奈もその規則の意味をついに理解できないまま道場を去ったが、未だに『望月先輩』『広瀬先輩』と呼んでいるのは当時の名残のせいである。
 望月は流れるようなサラサラの長髪を揺らして首だけで振り返る。
「ふふっ。大丈夫大丈夫。漣くんも立派な影魔導師なんだから、心配しなくても侵蝕なんて受けないわよ」
「あーいや、そうじゃなくて。なんつうかその――」
「この状況、広瀬先輩を助けた後に元に戻せるのかってことよ」
 説明下手な漣の後を、隣を歩く四条瑠美奈しじょうるみなが引き継いだ。黒真珠のような彼女の大きな瞳が眼前にいる先輩を睥睨している。
 流石に二人も黙ってはいられないのだ。これほどの規模の侵蝕を放っておいたら次第に被害が拡大し、いずれ誰も止められなくなって世界が終わってしまう。たとえ広瀬智治ひろせともはるを救えなかったとしても、それだけは絶対に防がなければならない。
「こうなる前に言ったよね?」望月は余裕の笑みを貼りつけ、「私は世界で唯一『混沌の闇』に喰われて生還し、影魔導師となった人間よ。言わば世界最高の影魔導師。この程度の侵蝕ならパパパッて修復できるわ」
 望月があまりにも軽く言うので、果たしてそれが真実なのかどうか判然としない。漣も瑠美奈も望月に手を貸したことに今さら後悔などするつもりはないが、もしも侵蝕の修復に失敗した場合を想像すると背筋が寒くなった。
「それと一般人の心配もしなくっていいわ。人を巻き込まないために歪震源を森の奥にしたんだし、侵蝕が森を越える前にあのおじさんならなんとか食い止められるでしょ? ついでにそろそろ異界監査局も動いて一般人を避難させてる頃でしょうね。ふふっ、どうだろうと彼らに私たちの邪魔はできないわ」
 不敵に笑う望月。彼女は悪戯的ななにかを企んでる時によくこうした笑いをしていた。だが、これは悪戯というレベルを遥かに超えている。漣たちの知る昔の望月は正義感が強く人情味のある人だった。だからこそ、ここでそう笑う彼女に違和感を覚える。
「俺たちもだけど、三年会わない間に変わっちまったな、望月先輩」
「そうね」
 漣も昔から面倒臭がり屋だったわけではないし、瑠美奈も今ほど好戦的ではなかった。どちらも師匠――鷹羽畔彰たかばくろあきの思い出したくもないスパルタ教育が影響していたりする。
「望月先輩」と瑠美奈。「一般人のことを考えてるのなら、なんでもっと人のいない場所を選ばなかったのよ?」
「わかってないわね、瑠美奈ちゃん。ここじゃないといけない理由があったってことよ」
「理由ってなによ?」
「ふふっ、内緒♪」
 人差し指を桃色の唇の前で立ててウィンクを飛ばす望月。どの角度から見ても美人なだけに、その仕草だけで世の男どもが魅了されるくらいの破壊力がある。現にポケーっとしていた漣は脛を瑠美奈に蹴られて蹲っていた。
「まあ、そのうち話してあげるわね。私は二人にとーっても感謝してるのよ。歪みが規定値に達するまでもう数日ほどかかると思ってたけど、二人のおかげでこんなにも早く強大な歪震を引き起こすことができたんだから。これなら絶対に〝彼〟も惹き寄せられてるわ」
「手伝ったって言っても、変な機械を言われた場所に設置しただけだけどな。面倒だったけど」
「あれが次空を歪ませる装置なんでしょ? そんな物どこで手に入れたのよ」
「ふふふっ、それも今は内緒よ」
 詮索はするな、ということだろう。そのうち話すと言っているのだから、今無理に訊き出すこともない。漣と瑠美奈は口を噤み、これ以上余計な会話は慎むことにした。
「そろそろ到着ね」
 と望月が嬉しそうに口元を弛ませる。三人が目指している場所は歪みの中心――つまり歪震源だ。望月曰く、そこに広瀬を捕まえている影霊レイスが現れるのだという。
「今さらだけど、転移した方が早くなかったか?」
「いいじゃない。闇の森をお散歩がてら、久し振りに漣くんたちとお話したかったし」
 こんな場所を歩くことを『お散歩』だなんて暢気に言える感覚は漣にはなかった。
「待って」
 その時、瑠美奈が警戒心を高めた声で二人の歩行を制した。
「影霊がいるわ。それもたくさん」
 一面闇色の世界の中に、ポツポツと赤い光点が現れる。それらはみるみる数を増して漣、瑠美奈、望月の三人を包囲した。
 これら爛々と輝く赤い点は、全て影霊の眼である。
「おいおい面倒臭えぞ! 何体いるんだよこれ!」
「漣、喋ってないで戦闘態勢を取りなさい!」
 バサッ、と背中から巨大な黒翼を生やす瑠美奈。反重力効果のある〝影〟の翼が、瑠美奈の小さな体をふわりと宙に持ち上げる。
「……戦るしかねえか」
 漣も足下の影から漆黒の大剣――〈黒き滅剣ニゲルカーシス〉を引き抜き、構えた。
 と――
「ふふっ」
 軽く嘲笑する望月が、両手に影刀を構築する。
「私の道を阻むって言うのかな、雑魚さんたち? ペットにしちゃってもいいんだけど、雑魚さんは雑魚だからいらないわ」
 望月は先発で飛びかかってきた狼似の影霊をいとも簡単に斬り捨て、

「私の邪魔をするのなら――みんな消えてもらうわね」

 ゾワッ、と底冷えするような口調でそう宣告した。

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