シャッフルワールド!!

夙多史

一章 次元の接合(6)

 白峰しらみね明乃あけの・エレノーラ。
 それが俺という愚命をこの世に誕生させたもうた偉大なる母の名だ。旧姓は知らない。『明乃』とは結婚した時に父さんから貰った名前らしく、本人は異常なまでに気に入っている。どのくらい異常か? そこについて訊ねる側は丸三日間ほど徹夜で惚気話を聞かされる覚悟をしないといけないくらい異常だ。
「あの、母さん、アメリカの監査局にいたんじゃなかったっけ?」
 俺は現在、自宅のリビングの床に正座させられていた。家は見事に半壊して実に風通しよくなってしまっているが、そんなよくあることにいちいち突っ込んでいられる心の余裕などなかった。
「誘波さんに呼び戻されましたの。日本こちらの監査官たちを鍛えてほしい、と」
 母さんは棍を握ったまま俺がベッド代わりに使っているソファーに腰掛ける。足を揃えて上品に。故郷の世界では貴族的な地位の令嬢だったと聞いている。物腰や言葉遣いは誰が見ても上流階級だと認めてしまうくらい丁寧なので、たぶん嘘じゃないと思う。
「まさかその鍛えられる監査官の筆頭が自分の息子だとは、感動のあまり涙が出ますわね」
「ごめんなさい」
「わたくしが言いつけておいた訓練は、ちゃんと毎日行っていましたの?」
「本当に申し訳ありませんです!」
 俺は額を摩擦で溶けそうな勢いで床に擦りつけた。訓練、途中から放り出しました。飽きたからとか、面倒だったからとかじゃなく、当時の俺が真面目に続けていたらおよそ一週間でオダブツ可能な厳しさだったからだ。誰だって命は惜しい。
 内容は聞かないでくれ。思い返すだけで目眩がする。
「我が子ながら仕方ありませんわね」
「返す言葉もございません」
 母さんは諦めたように小さく溜息をついた。俺はこの、武具を持った・・・・・・母さんには一切頭が上がらない。
「監視役を頼んでいた悠里さんがいなくなったせい、と考えていいのかしら?」
「あ、あいつは関係ない。俺がサボったんだ」
 俺が弱いのを悠里のせいにされちゃ堪らない。悪いのは俺だ。悠里が異世界に消えて以降、二度と同じ失敗をしないために鍛えるのではなく、何ヶ月も無気力に生きてしまった俺が全部悪い。
 母さんがアメリカの異界監査局に移動することとなったのは四年前だ。つまり俺は監査官になる以前からしごかれていた。それは監査官になるためなんかじゃなく、単純に異能の力を持つ者としての義務だと教えられた。力に溺れたり、有事の際に能力を暴走させたりしないためだ。
 訓練の監督役が母さんから悠里に引き継がれた後は、少し楽だった。流石の幼馴染も地獄の特訓メニューを見て戦慄に顔を青くしていたからな。
「まあ、その件についてはもういいですわ。これから行う訓練の内容レベルを数倍に引き上げればいいだけですし、わたくしも帰国一番にお説教だなんてしたくありませんから」
 どうしよう、俺の死亡フラグが立った。
「あの、いきなり襲いかかって来たことについてはノーコメントなのでしょうか?」
 俺は別のソファーに座ってムスっと不機嫌そうに母さんを睨んでいるリーゼを横目に捉えつつ、恐る恐る訊ねた。ちなみにレランジェは紅茶を淹れるためかろうじて無事だったキッチンにいる。
「それは誤解ですわ。いきなり襲いかかって来たのはその子です」
「へ? どういうことだ、リーゼ?」
 今度は横目ではなく首を捻って正面からリーゼを見る。リーゼは母さんを睥睨したまま、やはり苛立たしそうに口を開いた。
「そいつが、わたしの城に勝手に入ってたからよ」
「違う。俺の城だ」
「いいえ、わたくしの城ですわ」
 脊髄反射的に家の所有権を奪い合う白峰家の血筋だった。
「コホン、失礼」母さんは恥じらうように咳払いし、「数年振りの我が家で寛いでいましたら、その子とあのメイドさんが不法侵入して来ましたの。その上に襲われたら迎撃するのは当然。正当防衛ですわ」
「にしては隔離結界なんて張って随分と用意がよかったように思えますが……?」
「ああ、アレは敵を装って零くんの偽りない実力を測るための奇襲作戦における下準備」
「結局俺は襲われたってことかよ!?」
 その審査結果はご覧の通り。説教されるくらい残念だったと。自分でも情けない話だと思う。
「お待たせ安定です」
 と、レランジェが人数分の紅茶を淹れて戻ってきた。基本的に俺以外の他人に親切丁寧なこの機械人形は、母さんには一歩引いた微妙な態度を取っている。理由は訊かなくても想像つく。俺の母さんだからだろう。
 いつも以上に無機質なレランジェの態度など露ほども気にかけず、母さんはなんの疑いもなく配られた紅茶を一口啜り、
「それで、この子たちは一体なんですの?」
 掌で棍を弄びながら金色の瞳で鋭くリーゼとレランジェを射た。
「ふん、〝魔帝〟で最強よ」
 鼻息を鳴らしてやたら偉そうにいつものフレーズで返すリーゼ。
「マスターの素性を探ろうとは、刺殺安定ですか?」
 レランジェはなぜか握っていた包丁を見せつけるように構える。
「ややこしくなるからちょっと黙っててくれないかな君たち!」
「どういうわけですの、零くん?」
 回答を急かされる。様子から判断して、母さんは誘波からはなにも聞かされてないのだろう。あのエセ天女、絶対わざと教えなかったに違いない。今頃は俺が困っているのを高み見物しつつニヤケ面を晒していることだろう。殴れるなら一発殴りてぇ。
 だが今はやつに怨念をぶつけている場合じゃない。俺が連絡してなかったのがそもそも悪いし、母さんの探るような視線が痛い。嘘をついても速攻で看破されるなコレ。
「えっと、なんて言うか、リーゼは……」
「年端もいかない女の子とメイドさんを異世界から連れてきて同棲させている、と不純極まる発言をなさったら蜂の巣ですわ」
「……異世界中学校からのホームステイ先が偶然我が家にぎゃあああああああああっ!?」
 母さんは左手にサブマシンガンが生成して本当にトリガーを引いた。ダダダダダダダン! と秒間十発以上もの弾丸が俺の脇スレスレを通り抜け、背後の壁を人型に繰り抜いていく。危うく失禁しかけた。
「零くんはいつからピノキオになったのです?」
「嘘つきだけじゃなく勉強や努力が嫌いな怠惰性まで突いてくるとは上手い例えだね、母さ――ごめんなさいすみませんもう撃たないで!!」
 再び銃口を向けられて俺は強制的にスーパー土下座タイムに入る。この通り、母さんの〈魔武具生成〉は俺の完全形なんだ。遠距離可能、複数同時生成可能、さらには手に触れず操ることさえ可能。俺がどれだけ劣化しているのか見る度に泣けてくる。
「さて零くん、詳しい説明はいただけるのかしら?」
「是非、懇切丁寧に誤解なく説明させていただきます」
 母さんが浮かべる邪気しかない微笑みの空恐ろしさに震えながら、俺はたっぷり三十分かけてあの日のことを一切合切包み隠さず語った。
「……事情はとりあえず呑み込めましたわ。要するに、成り行き、と」
 呆れたようなジト目の母さんは理解はしても納得はしてないらしい。そりゃそうだ。俺だってよく考えたらどうして〝魔帝〟様ご一行を居候させているのか疑問に思えてきた。
 だが、今となってはそれが俺の日常なんだ。リーゼたち自ら出て行かない限り、俺の方から追い出す真似はしない。どんだけ家を破壊されてもね。
「誘波さんも容認しているようですし、零くんの磨きのかかったお人好しに免じてお咎めはなしにしましょう」
「じゃあ、リーゼたちはここに住んでても?」
「ええ、構いませんわ。間違いを起こせるほど甲斐性のない零くんなら心配いりませんし」
 なんかさっきからストレートに馬鹿にされてる気がする。反論できないけど。
「それになにより――」
 母さんの握っていた棍が、サブマシンガンが、纏っていた銀色の甲冑が、魔力の粒子となって霧散する。
 母さんが、武具を手放した。
 その瞬間、俺が無意識的に張り詰めていた緊張感が一気に弛緩する。
 海外の貴婦人服姿となった母さんは――にへら。今までの雰囲気からは考えられない緩み切った笑顔を咲かせた。それから間髪入れず、カエルのような跳躍でリーゼに飛びつく。

「こんな可愛い子に出て行けなんて酷いことは言えませんわぁ♪」
「ひゃあっ!?」

 母さんの急激な変貌になにがなんだかわからず悲鳴を上げるリーゼ。そんな彼女に抱きついた母さんは愛玩動物を愛でるように頬ずりしたりほっぺをむにむにさせたりと、やりたい放題弄び始めた。
 凛然としていた空気も、怒気も、威圧感も、なにもかもがすっかり真逆の性質に反転している。
 これが母さん――白峰・明乃・エレノーラのもう一つの顔だ。
「ふぁへろほふぁへ! ほふぁふはほ!」
「かぁいい! 娘にしたいですわ! お持ち帰りはできませんの?」
「マスターから離れろ安定です! ゴミ虫様、これはどういうことですか?」
 母さんを引き剥がそうと必死のレランジェが状況説明を求めてくる。俺は正座を崩して足をマッサージしながら考える。はて、なんと説明すればよいやら。
「なんつーか、この人、武具に触れると性格変わるタイプらしくて」
 目の当たりにした順序で言えば、武具を手放すと性格が変わるタイプ、か。別に二重人格とかそんなのではない。そういう人なのだとしか言えません。たまにいるだろ、車に乗ると急に性格が乱暴になる人とか。
「武具を持てば鬼教官、持たなければ近所の口やかましいおばさんって感じだな」
「いやですわ。そこはお姉さんと呼んでください」
「武具を持てば訓練魔、持たなければ近所の若奥様」
「いやですわ。そこはお姉様と呼んでください」
「残念ながらそこは息子として越えられない一線が」
「いやですわ。そこは女王様とお呼びなさい」
「格の上げ方が半端ない!? あとさりげなく命令口調になってる!?」
 鬼教官には逆らえないが、近所のおばさんにならぶっちゃけられるチキンな俺だった。
「れ、レージぃ!?」
 なんとか母さんの束縛から這い逃れたリーゼが涙目で俺の背中に隠れる。強気かと思えば、対処不能な事態に陥った途端お子様になるんだ。そこがかわえぇ。俺もほっぺむにむにしてもいいだろうか? あ、無論、動物愛護精神的な意味で。
「あらら、嫌われちゃいましたわね」母さんは無念そうに苦笑し、「でも零くんにはとても懐いているようで……嫉妬に狂ってデイビー・クロケットを生成してもよろしいですか?」
「それ戦術核兵器だから! 武具の範疇超えてますから!」
 けれど母さんなら本当に生成してしまいそうだから怖い。
「ところで話を戻しますけど、家が壊れたままだと生活できませんわよね。困りましたわ」
「うん、その話題は今初めて触れた気がする。そして壊したのは母さんたちだから自業自得ってやつだ」
 そのとばっちりを諸に跳弾した俺はたまったもんじゃない。
「まあ、別にいいですわね」
「いいわけあるか能天気か!」
「どうせこれからしばらく家を空けることになるわけですし」
「へ?」
 修復されるまでアパートでも借りるのだろうか?
 そう考えたが、見当外れだ。母さんがわざわざ帰ってきた理由を思い出せ。
 日本の監査官を鍛え直すため、母さんはそう言っていた。
「伊海学園は夏休みに入っているのでしょう? その時間的余裕を利用して監査官の皆さんで強化合宿を行う企画を誘波さんが進めていますわ」
 いかにも誘波が考えそうな企画だった。今日会った時には微塵もその気配を勘ぐらせなかったところ、サプライズで発表するつもりだったのだろう。相変わらず俺たちの都合なんてお構いなしだ。
「強化合宿って、いつから?」
「明日から」
 早っ!
「ちなみにどこで?」
「伊海学園で」
 そして近っ!
 海も川も山も夢も希望もない。なんて寂しい合宿だ。いや山はあるか。そこを削って建っているのが伊海学園なわけだし。
 するとリーゼが俺の服を摘まんでくいくいっと引っ張った。
「レージ、ガッシュクってなに? 食べられる?」
「食いもんじゃないけど、退屈はしないと思うぞ」
「ならわたしもやる! レランジェもやりなさい」
「了解安定です、マスター。ゴミ虫様を殺ればよろしいのですね」
「言ってねえよ!? どんだけ飾りなんだお前の耳は!? 取り替えてもらえ!」
 思考回路が常に俺殺害に直結してるこのガラクタ人形め。異界技術研究開発部のオモチャにされておっぱいミサイルとか不名誉な兵器でもつけられちまえばいいんだ。俺がより危険になるだけな気もしないでもないが……。
 その時――くすり、と母さんが小さく噴き出した。俺たちの遣り取りが余程面白かったのかね。こっちは必死だってのに。
「そうそう、一つ言い忘れていたことがありますわ」
「なにを?」
 怪訝に眉を顰めた俺に、母さんは母親らしいほんわかした微笑みを向け、

「ただいま、零くん」

 落ち着いた口調で、優しくそう告げた。俺もフッと、唇が軽くなるのを感じる。
「……俺はちゃんと言ったからな、おかえりって」
 なんだかんだで、母さんはやっぱり俺の母さんなんだよな。

「そういえば父さんは?」
「局員の仕事が忙しそうだったので仕方なく置いてきましたわ」

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