シャッフルワールド!!

夙多史

二章 不穏の予兆(5)

「ねえ、一つ訊いてもいいかしら?」
『次元の門』が開くであろう歪みの現場に急ぐ途中、悠里が足を止めないまま俺に質問を投げてきた。
「さっきのスライムの子なんだけど」
「ああ、あいつなら大丈夫だ。ちょっと遠くまでぶっ飛ばした程度でくたばるようなやつじゃないし、懲りるようなやつでもない」
 寧ろ『懲りる』って言葉があの脳みそスライムの辞書に載っているのか疑問である。一度魔帝化したリーゼの黒炎をくらってミニマムサイズにまで縮んだこともあるが、さっきの様子を見る限りなにも学んでなさそうだ。疲れる……。
「違うわよ。そうじゃなくて、あの子、異界監査官の見習いだったんでしょ? アタシはいきなり正規の監査官になってるみたいなんだけど、それはいいの?」
「あー……そっちか」
 悠里はやり過ぎたと思ってマルファを心配していたわけじゃなかったようだ。いや少しは心配しているようではあるっぽいけれど、実際に戦ってあのくらいじゃ問題ないことは理解しているらしいな。
「そういえば、私も見習いの期間はなかったように思える」
 言ったのはセレスだ。
「別に見習い期間がないわけじゃないぞ。こうして先輩と一緒に仕事している内は見習いだと思っていい」
 まあ、セレスやレランジェは一人で門の対処をすることも増えてきたからもう立派に一人前だ。リーゼも力さえ失わなければそろそろ一人でやらせてもいい頃合だと思う。
 そのリーゼはレランジェと一緒にオストリッチに置いてきた。素の戦闘力はあると言っても、流石に魔力がないまま得体の知れない相手と戦う可能性のある場所には連れて行けないだろ。すげー駄々こねられたけど。
「なぜかしら、あなたを先輩だと認めるのは非常に嫌なんだけど」
「同感だな、悠里殿」
「あれ? 俺ってそんなに先輩の風格ないの?」
「うむ、全くない」
「ほんの少しでもあったらちょっとくらい尊敬してたわね」
 マジか……衝撃の事実だ。くっ、よく考えたら俺を先輩と呼んでくれるのは稲葉だけじゃねえか。稲葉マジ後輩の鑑。
「それで、あのスライムの子とアタシはなにか違うの?」
 悠里さんてば人が軽くショックを受けているのに淡々と話を進めてきましたよ。
「あっちはちょっと性格とかに問題があって現場に出せないようなやつだ。いくら異世界人でもこの世界にはこの世界の『ルール』ってもんがある。それを守れるようになるまではお勉強させるしかないってことだよ」
 マルファもそうだが、問題児ほど能力は優秀だったりするんだよなぁ。リーゼも俺に世話係が押しつけられなかったらたぶん見習い送りだったと思う。
「悠里は一度正規監査官だったわけだし、記憶を失ったって言っても常識人の部類だしな。上が問題ないと判断したんだろ」
「ふーん、なるほどね」
「納得したなら、そろそろ気を引き締めろよ。圏内・・に入った」
 俺は周囲を見回す。さっきまで人通りも車通りも多かったのに、今はまるで異世界にでも迷い込んだかのように人の気配が途絶えていた。
 しんと静まり返った無人の世界。
 俺たち三人の靴音だけが街中に反響する。
 異界監査局の人払いが効果を発揮している証拠だ。原理を聞かれてもわからんが、魔術的な技術で一般人の侵入を完全にシャットアウトしている。入れるのは異世界人と、地球人でも監査局に属する者だけだ。
「誘波の指示だと、たぶんこの辺のはずだ」
 オストリッチから北東に六百メートルほどにある交差点。大通りなだけあって、人も車もなければかなり広く寂しく感じる。道路を跨ぐ四つの歩道橋にそれぞれ取り付けられた信号機だけが虚しく点灯していた。
 時が止まったかのような静寂に包まれた交差点は――
 確かに、門が開くレベルで歪んでいるな。一般の地球人なら気づきもしない違和感を、半分異世界人の俺は感じることができる。全部異世界人なセレスはもっと強く感じているかもしれない。『次元の門』を監査する時はこの歪みの感覚を常に研ぎ澄ませておかなければならない。
 だが、今日は――
「……なんか、嫌な感じがするわ」
 悠里が低く、警戒するような声で呟く。ここ数日で『次元の門』の監査を数回こなした悠里にも違いがわかるようだ。
 言葉で表現するのは難しいが、いつもは『歪み』という言葉通りぐにゃっとした感覚だ。だが今回はそれに加えて突然湿地帯に放り込まれたようなぬめっとした非常に気持ちの悪い感覚が強い。
 この感じ……まさか……。
「太陽が……」
 見上げれば、いつの間にか空が分厚い灰色の雲で覆われている。間違いない。
「零児、これは」
「ああ、完全に管轄違い・・・・だ。誘波のやつ、あっち・・・が開くなんて聞いてねえぞ」
 違和感の正体に気づいたセレスに俺が頷いた次の瞬間、目の前――交差点の中央の空間に黒い線が引かれた。
 黒い線は次第に広がり、楕円形の〝穴〟へと変わる。その〝穴〟からドライアイスを水の入ったバケツに放り込んだように、もわもわとした黒い霧のようななにかが漏れ出てきた。霧は拡散せず、空気より重いのかヘドロみたいに地面の上に溜まって広がっていく。
 その霧に触れたアスファルトが急速に朽ちていくかのように真っ黒に変色する様を見て、俺は叫んだ。
「悠里、セレス、一旦退くぞ! これは俺たちにはどうにもできない!」
 ――『混沌の闇』。
 一部の異能者の間では『裏世』と呼ばれる、違う空間に存在する世界の影。その実態はこの世界に寄生して情報を吸収していく『世界の種』であり、純粋な異世界人はあの霧に触れるだけで命を落とすらしい。ハーフの俺はそうでもないが、一度死にかけた覚えがある。
 つまり、俺たちは『混沌の闇』に対して逃げる以外の選択肢がないんだ。
 それを知っている俺とセレスはすぐに退避しようとしたが――
「なに言ってんの、零児? これは『混沌』よ! アタシたちが退いたらこの辺り一帯――ううん、下手したら世界が喰われるわ!」
 悠里は〝穴〟から流れ出る闇をまっすぐ見詰めたまま動こうとしなかった。
「お前こそなに言って……いやそれより、これのこと知ってるのか!?」
 俺は教えた覚えなんてないぞ。誘波から聞いていたとか? だとすれば納得できるが、納得できてもどうしようもない事実は変わらない。
 こうしている今も闇は広がっている。それどころか……出てきやがった。〝穴〟を押し広げるようにして、幼稚園児がラクガキしたような姿のゴリラが這い出てきたんだ。
 影霊レイス――混沌から生まれた出来損ないの亜生物だ。
 一頭や二頭じゃない。五……六……十頭は超えてるぞ。
 それでも悠里は逃げようとしない。影霊の出現は予想していたとでもいうように、落ち着いた声で言葉を紡ぐ。
「旅したいろいろな異世界でこれと同じものを見たわ。全てを喰らい尽くされた状態の世界も見たことある。それは魔王の侵略なんて生温い完全な略奪と滅びだったわ」
「だが悠里殿、我々ではそれに触れることも――」
「わかってる。その世界の存在が触れたらゆっくり情報を抜かれて死ぬことも、そうじゃなければ即死することも全部知ってるわ」
「わかってんならなんで立ち向かおうとするんだ! 俺たちじゃどうにもならないぞ!」
「どうにもならないなんて誰が決めたのよ!」
 広がり続ける闇と俺たちに狙いを定めたゴリラを見詰めたままの悠里に怒鳴られ、俺とセレスはその覇気にビクリと背筋を振るわせた。
「……どうにかなるのか?」
 思わず怯んでしまったが、おかげで少し落ち着いた。悠里も今の言葉でそれを理解したようで、怒鳴った時よりずいぶん優しくなった口調で言う。
「無策なわけないでしょ? 『混沌』は強い光に弱い。一つの『世界』として確立するまでは光に対する耐性が皆無らしいの。だから空の雲を払って太陽光を浴びせるか――」
 悠里の体が発光したかと思えば、俺たちがなにかを言う暇もなく一本の光の矢となって広がる闇へと突撃。亜光速で通過した部分の闇が爆風と共に薙ぎ払われ、ゴリラ型の影霊も輝く光速の鉄拳をくらった数体が一瞬で爆散した。
「こうやって、強烈な光をあてればいいのよ」
 闇の中で輝きながら仁王立ちする悠里が――ニィ。「極めてやったわ」とでも言いたげなドヤ顔を向けてきた。
「なるほど、その手があった! 流石は悠里殿!」
「なるほど、俺には使えない手ですね」
 光の聖剣『ラハイアン』を鞘から抜くセレスに対して、俺は結局逃げる以外に選択肢が増えたりすることはなかった。大人しく二人に任せて引き下がります。
 とはいえ……。
 セレスは悠里みたいに自分自身を輝かせることはできない。だから闇の外から援護射撃をするしかなく、直接的な戦闘は悠里一人が行っている。
 その悠里だって常に輝けるわけじゃない。光速移動の前後だけで、下手に止まったりするとすぐに闇に侵食されちまう。それになにより、開いた〝穴〟をどうにかしなければ根本的な解決にならない。
 強烈な光を浴びせれば〝穴〟も消えるだろう。だが、悠里もセレスも漏れ出た闇と影霊を消し飛ばすことはできても、〝穴〟まで消す光量には出力が足りてなさそうだ。
「くっ、ガルがいてくれたら」
 光速移動の消耗が顕著に表れてきた悠里が悔しげに呟く。恐らく異世界の仲間の名前かなんかだ。
「セレス、聖剣術は使えるか?」
 アレをどうにかできるほどの光量を出せるとしたら、それだけだ。
「使えるが、アレを全て消し去るとすれば準備に相当な時間がかかる。それまで悠里殿が持てばいいが……」
 様子を見るに、かなりきつい賭けだ。〝穴〟がある限り影霊は無限に湧いてくるし、漏れ出た闇がこれ以上広がらないように悠里は動き続けなければならない。
 悠里の負担が馬鹿でかい。
 やっぱり、ここは一度退いた方が――

「凄いわね。ちょっと遅れたから心配だったけど、闇が全然広がってない」
「面倒臭い役を任せちまったみたいだな」

 そんな声が聞こえた途端。
 ザクッ。ザクッ。ザクッ。ザクッ。ザクッ。ザクッ。ザクッ。ザクッ。ザクッ。ザクッ。ザクッ。ザクッ。ザクッ。ザクッ。ザクッ。ザクッ。ザクッ。ザクッ。ザクッ。ザクッ。ザクッ。ザクッ。ザクッ。ザクッ。ザクッ。ザクッ。ザクッ。ザクッ。
 無数の光を反射しない真っ黒な杭が雨のように空から降ってきた。それは綺麗な円形を描いて交差点を囲い込み、じゃらりと音を立てたこれも真っ黒な鎖がそれぞれの杭に繋がって包囲の陣を完成させる。〝穴〟から漏れ出た闇はその杭と鎖より先へは行けず、ただその内側に溜まり続けて停滞した。
 影魔導術――〈封緘シール〉。
 異界監査官おれたちが管轄外なら、管轄内の専門家が出動するのは道理だな。
 俺は歩道橋の一つを見上げる。そこには漆黒の大剣を気だるそうに担いだ少年と、カラスのような黒翼を背に生やした少女がいた。
 黒いコートに身を包んだこの世界の、地球人の異能者。『混沌の闇』の侵食を克服し、逆にその力を操れるようになった存在――影魔導師。
「来るの遅えよ!?」
「悪いな、白峰。面倒臭いことに連絡が急すぎた上に距離がちょっとなぁ」
「一応間に合ったんだからいいでしょ! てかあんたたちなんで逃げてないのよ!」
 文句を言うと、影魔導師の二人――迫間漣と四条瑠美奈はそれぞれがそれぞれらしい態度で返してくるのだった。

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