シャッフルワールド!!
三章 競い合う紅白(2)
男女混合障害物競争のスタート地点には既に大勢の参加選手が集まっていた。
紅組と白組、男子と女子が半々ってところだ。
一レースは男子三人女子三人で行われ、その順位によって得点が割り振られる。ただし、こういう男女混合の競技は得点の方式が少し特殊なんだ。女子にハンデをつけない代わりに、男子を抜いてトップでゴールすれば得点が二倍になる。単純な徒競走じゃないからな。その可能性は充分にあり得る大チャンスってわけだ。
当然、男子は敵チームの女子には負けるわけにはいかない。寧ろ味方の女子を先行させるようサポートに回るべきだろう。
どんな障害があるのか、誰と競うことになるのかは知らされていない。事前の練習は一切なしのぶっつけ本番ってのはちょっと心配かな。まあ、だからこそ「練習時間を省略できるぜイエーイ」って考える俺みたいなやつらが集まってんだけどな。
「レージ遅い!」
「来たわね。全力で叩き潰してあげるわ」
中にはそうじゃないやつもいるんだけどね。
赤毛ポニーテールに赤いハチマキのよく似合う紅楼悠里が既に勝利を確信しているような笑みを浮かべていた。その隣には同じく赤いハチマキを巻いた金髪少女――リーゼお嬢様も憮然とした様子で控え目な胸を張っているな。なんか似てきたぞ、この二人。
リーゼも悠里も、あとセレスも俺が障害物走に出るって言ったら食いつくようにエントリーしやがったんだよ。その時からリーゼも悠里も俺を倒す気満々だったが――
「一緒のレースだとは限らないだろ」
バラバラに走ることになったら個人的な勝ち負けなんて判定できないからな。うん、できればバラバラになってくださいお願いします。
「もう発表されているわ。アタシたち四人は同じレースよ。それも第一レース」
「……さいですか」
ダメだった。
この悪意ある采配はどこかの天女もどきの意思に違いない。俺は本部テントの中で悠々と麦茶を啜っているド派手な十二単を睨みつつ、レースの面子を確認する。俺たち四人以外にあと二人男子がいるからな。
紅組は一年の佐藤利雄……どっかで聞いた名前だな。
白組は三年の芦葉谷宗也先輩……陸上部のエースじゃないか! よっしゃ、ついてるぜ。身体能力を制限されている俺より全然頼りになるぞ。
「第一レースの選手は位置についてください!」
係員の生徒がメガホンで指示を出し、それに従って俺たちはスタート地点の先頭に並ぶ。コースの内側からリーゼ、セレス、悠里、俺という順番だ。
「いい? 勝つのはわたしなんだから」
「ふん、貴様にだけは負けるものか」
「正々堂々打ち負かしてあげるから覚悟しなさい」
「……卑怯な手を使わないってとこだけはお前を信頼できるよ」
女子たちの異常な意気込みに若干気圧されつつある俺だが、同じ男子の味方に心強い先輩がいるから負ける気がしないね。確か芦葉谷先輩はインターハイの常連だったはずだ。そのことを知らない悠里とリーゼは俺やセレスだけをマークしている。フフフ、もらったな。
「なお、芦葉谷選手は開会式の時に熱中症で倒れたため棄権となります!」
せんぱぁああああああああああああああいっ!?
あの無駄な長話か! 無駄な長話のせいで白組の貴重な戦力が削がれたのか!
「残念でしたね、白峰先輩。第一レースはぼくたち紅組が貰います」
横からの声に振り向くと、隣のレーンに紅組の男子――背が低くて中性的な顔立ちの女子みたいな男子が既にクラウチングスタートの構えを取っていた。
確か一年の佐藤利雄だ。
「今日は瑠美奈先輩にぼくのかっこいいところを見てもらうんです。だから負けませんよ」
そういえば夏休み前の四条と偽デートした時にこういうやついたなぁ。名前は面白いけどあれから接点なかったし覚えてねえよ。
ちなみに四条も迫間も紅組だ。でもあいつらは影魔導師だから体育祭なんて参加できない。どっか日の当たらないところで見学しているはずだ。
ちょっと捜してみたが、ここから見える範囲にはいなかった。
そうこうしている間に競技説明のアナウンスが終わり、第一レースの開始が迫る。
佐藤に倣うわけじゃないが、俺もクラウチングスタートに構える。悠里もなんとなく覚えがあるのだろう、同じく構えた。リーゼとセレスは見よう見真似と言った様子だな。
「位置について~」
係員がピストルの銃口を天に翳す。
「よ~い」
俺は腰を僅かに浮かす。
勿体ぶるような間が流れ、グラウンドがしんと静まり返る。
汗が頬を伝い、地面に落ちて丸い跡を残す。
そして――
パァアンッ!!
銃声と同時に俺は地面を蹴っていた。流石に戦闘時の超反応とまではいかないが、俺の反射神経は身体能力を下げられてなお、余程のやつじゃない限り他の追随を許さない。
【さあ始まりました男女混合障害物競争! いきなりトップに躍り出たのはなんと!】
「チッ」
実況放送に舌打ちする。レース開始直後にトップに立ったと思ったが、そうは問屋が下ろさねえようだな。
俺の横に並ぶ影が一つ。
悠里だ。余裕の笑みを見せて俺と並走してやがる。
「その程度?」
「まさか」
俺の走りを鼻で笑うような態度に――くそっ、負けたくなくなってきたじゃねえか。いいぜ、燃えてきた。悠里にだけはなんとしてでも勝ってやる!
【ここからが本番! 最初の障害は『恐怖のハードル』だ! 選手たちはどうやって切り抜ける?】
実況通り最初の障害が近づいてきた。高さの違うハードルがそれぞれのレーンに三つずつ並んでいるな。なにが『恐怖』なのかはわからんが。
どこだ? どこが一番早く駆け抜けられそうだ?
インコースはダメだ。ハードルが高い。逆にアウトコースは低いが、その後のカーブにそのまま突っ込んじまう。となれば、このまま真ん中を突き進む!
「ぼくを忘れないでくださいよ、白峰先輩」
「なっ!?」
びっくりした。突き放したと思ってもう意識していなかった佐藤が横に並びやがったんだ。
「お前、けっこう足速いんだな」
「瑠美奈先輩に追いつけるようにトレーニングしてますから」
見た目はひょろっちいのに意外だ。あとどうでもいいけど、異能者を追いかけるのはやめた方がいいぞ。
「お先に!」
驚いた一瞬の隙を突かれてまさかの佐藤がトップに躍り出た。ハードルを一つ、二つ、難なく飛び越える。
そして三つ目のハードルを越えようとした瞬間――
ぐわん、といきなりハードルの背が高くなった。こ、このハードル自動で伸縮するぞ!
「えっ?」
丁度飛び越えようとしていた佐藤は、唐突に伸びてきたハードルに男性特有の人体急所を思いっ切り強打された。
「△@♨☆◆Π□〒+*③ッ!?」
鐘の音が鳴るような幻聴を目撃者全員が聞いただろう。俺も聞こえた。佐藤は言葉にならない悲鳴を上げて倒れ、お股を両手で押さえて悶えている。あれは痛い。超痛い。見てしまった俺も仮想的に痛い。
【猛然と追い上げた佐藤選手ダァーウン! これはもう復帰できないかぁ!?】
それでもレースを止めるわけにはいかない。俺は襲いかかってきた自動伸縮ハードルをどうにかかわし、倒れた佐藤を振り向かず先へ進む。
【先頭走者は次の関門! 名づけて『ダンジョンによくありそうな謎の仕掛け』!】
なんじゃそりゃ? と思いかけてすぐ納得した。
コーナーには横向きに並べられた平均台が三台あった。平均台と平均台の間を白いパネルのような浮遊する足場が行ったり来たりしているな。足を踏み外せば緑色のスライムが敷き詰められたプールにダイブすることになる。なるほどゲームのダンジョンでよくあるやつっぽい。
――ってこれ、どう考えても監査局の技術が使われてるだろ! さっきのハードルも!
流石に止まらざると得ないと思っていると、悠里のやつはなんの躊躇いもなく平均台に登った。パネルを踏んでさくさく進むから俺もその後に続くしかない。
「ひっ!?」
後ろでリーゼの悲鳴が聞こえた。たぶん、敷き詰められたスライムを見て足が竦んだのだろうね。お嬢様はぬるネバが大嫌いだから。
「ここで脱落するといい、〝魔帝〟リーゼロッテ!」
リーゼと拮抗していたセレスが躊躇うリーゼを優雅に追い越した。それを見て決心したらしいリーゼも平均台に登り――
【リーゼロッテ選手こけたーっ!? スライムの海にダァーイブ!! おっと目を回しております大丈夫か!?】
お約束な展開になってしまった。まあ、あのスライムがピンク色じゃなかっただけマシだな。
「後ろばかり気にしてちゃ、アタシには勝てないわよ零児!」
「わかってるよ!」
挑発的な悠里に俺はさらに速度を上げて並ぶ。
【白峰選手と紅楼選手が接戦しております! 果たして次の『背徳的な網くぐり』で均衡が崩れるか!】
だからなんなんだその妙な名前は!?
目の前に敷かれた大きな網。今までの流れからして、これもただの網じゃないはずだ。
「これをくぐればいいのね」
相変わらず躊躇わないな、悠里は。
俺と悠里はほぼ同時に網を持ち上げ、四つん這いになって下に入った。遅れてセレスも同じように網をくぐる。
特に変わったところはなさそう……いや。
「きゃ! なに、これ!?」
「網が勝手に絡まってくる!?」
やっぱただくぐるだけってわけにはいかなかった。網がまるで巣に侵入してきた獲物を捕獲するように俺たちの体に絡みついてきたんだ。
だが、全く動けないってほどじゃない。絡みついてくる網を振り払うように動けばなんとか前に進められる。
「いや、ちょっとやめっ」
「む、胸に食い込んで……」
「……」
網に絡まる女子たちがなんかエロいです。
【おおっとやはりこの関門はスタイルのいい女子には難しいか! セレスティナ選手が大変なことになっております! まったく大変けしから羨ましいボディですねチクショー! 私にも少しわけろ!】
実況者の女子が涙目で私的なことを叫んでいる間に――
「こんなもの千切ればいいのよ!」
「零児、私はいいから先に行け!」
悠里が強引に網を引き千切りながら進み始めたので、一番絡まりの酷いセレスが慌てて俺に向かって叫んだ。本当はセレスに勝たせることが白組のためだが、こうなっては仕方ねえな。
悠里よりも一歩早く網を抜けた俺は、もう後ろを振り返らずゴールに向かって走る。
だが、俺はすぐに足を止めなければならなかった。
目の前にある巨大な扉が進路を塞いでいたからだ。扉は開こうとしてもビクともせず、鍵穴らしきものもない。あるものは扉の頭にあるウェブカメラと、取っ手の脇に埋め込まれたタッチパネルだけだ。
なにをすりゃいいんだ、これ。
「破壊すればいいのかしら?」
「そんな馬鹿な」
追いついてしまった悠里も走るのをやめ、顎に手をあてて考えている。
【ついに最後の障害が立ちはだかった! その名も『障害物走なのにまさかの借り物!?』だぁあっ!】
「え? 借り物?」
どこにそんな要素が?
【タッチパネルに掌を押し当てろ! そうすれば借り物の指令が表示される! その借り物を探してきて、頭上のウェブカメラに掲げれば扉が開くという仕掛けだ!】
「なるほどな」
「そういうことね」
俺と悠里は同時に納得してタッチパネルに掌を押しつけた。するとピコーンと間の抜けた音が鳴ると共に、パネルに扉の鍵となる借り物が表示される。
――紅組のハチマキ――
バッ!
見るや否や、俺は隣の悠里に向かって手を伸ばしていた。だが、悠里もなぜか俺に向かって手を伸ばし、お互いを弾いた形になる。
「なにすんだよ?」
「こっちの台詞よ」
見ると、悠里のパネルには『白組のハチマキ』と表示されていた。
「悠里、そのハチマキを寄越せ」
「お断りよ。あなたこそ、大人しくハチマキを渡してくれないかしら?」
「却下だ」
「そう、じゃあ――」
「お互い奪い取るしかねえな」
【障害物走から借り物競争、そしてまさかのハチマキの奪い合いが開幕だぁあっ! でも別に他の人のでもいいのよ? バトルする意味はあんまりないよ?】
実況者の女子は奪い合いを始めた俺たちを見てちょっと困ったようにそう言うが、できない相談だ。他のやつからハチマキを借りるために背を向けた瞬間、俺のハチマキは奪われる。逆も然り。悠里が諦めたら俺は速攻であいつのハチマキを奪うつもりだ。
パン! パン! パシン!
拳と拳がぶつかり合い、破裂音に似た音がグラウンドに響く。伸ばした右手は弾かれ、カウンターで伸びてきた悠里の手を左手で弾く。蹴りまで出てくれば身を捻ってかわし、お互い距離を取っては衝突を繰り返す。
能力は使えない。制限されているからな。
ほぼ互角の攻防に、最初こそ唖然としていた観客たちが徐々に歓声を湧かせてきた。
もはや障害物競争など忘れ去れているようなムードだが、あまり長くバトルをやってたら後に支障が出る。
そろそろ決着つけるぞ。
悠里が俺のハチマキに手を伸ばしてくる。
ここは弾かない。かわして、カウンターで掠め取る。
だが、悠里は一瞬で手を引っ込め体を捻り、俺の背後へと回り込んできた。しまった、フェイントか!
「終わりよ!」
「そっちがな!」
危機的状況で反射的に超反応するよう母さんに鍛えられた俺に、そんなフェイントは通用しない! 悠里が回り込むとほぼ同時に俺も体を回し、そこにはためいていた赤いハチマキを手に掴んでいたんだ。
もっとも、その隙に悠里も俺のハチマキを取りやがってたけどな。一瞬差で俺が先だった。そこは譲らん。絶対。
獲物を掴んだならこれ以上争う意味はない。俺も悠里もウェブカメラにハチマキを翳し、扉が開いた途端再び駆け出した。
ここから先に障害物はない。
紅組に僅差で負けている白組は、悠里にゴールされれば得点はかなり引き離されてしまう。なんとしても防ぐぞ! 俺は奴隷になんてなりたくないからな!
「はあああああああああああああああああっ!!」
「うらああああああああああああああああっ!!」
走る。走る。走る。
意識が加速する。残り数メートルがかなり遠く感じる。
俺と悠里の差は、ほぼゼロ。
このまま同着ゴールした場合はどうなるんだ? たぶん俺の負け扱いになる気がする。つまり、悠里の得点が二倍。
それは困る。だがこれ以上の加速は無理そうだ。それは悠里も同じ。なら少しでも先にゴールできるように手を、足を、限界まで伸ばす! 男の俺の方が手足は長いんだ!
ゴールまであと三メートル。
ここだ! このタイミングで手を!
と、もう一歩だったその時――
「あっ……」
俺は、やらかしてしまった。
なにもないところで躓いて、転んじまったんだ。
倒れ込む寸前に悠里の背中と揺れる赤いポニーテールが見えた。
【これはカッコ悪い! 白峰選手、ゴール前でこけてしまったぁーっ! 男女混合障害物競争第一レース! 勝者は紅楼悠里選手だぁあっ!!】
どっと湧いた盛大な歓声を、俺はうつ伏せに倒れたまま聞くこととなった。
口に入った砂の味が物凄く不快だった。
紅組と白組、男子と女子が半々ってところだ。
一レースは男子三人女子三人で行われ、その順位によって得点が割り振られる。ただし、こういう男女混合の競技は得点の方式が少し特殊なんだ。女子にハンデをつけない代わりに、男子を抜いてトップでゴールすれば得点が二倍になる。単純な徒競走じゃないからな。その可能性は充分にあり得る大チャンスってわけだ。
当然、男子は敵チームの女子には負けるわけにはいかない。寧ろ味方の女子を先行させるようサポートに回るべきだろう。
どんな障害があるのか、誰と競うことになるのかは知らされていない。事前の練習は一切なしのぶっつけ本番ってのはちょっと心配かな。まあ、だからこそ「練習時間を省略できるぜイエーイ」って考える俺みたいなやつらが集まってんだけどな。
「レージ遅い!」
「来たわね。全力で叩き潰してあげるわ」
中にはそうじゃないやつもいるんだけどね。
赤毛ポニーテールに赤いハチマキのよく似合う紅楼悠里が既に勝利を確信しているような笑みを浮かべていた。その隣には同じく赤いハチマキを巻いた金髪少女――リーゼお嬢様も憮然とした様子で控え目な胸を張っているな。なんか似てきたぞ、この二人。
リーゼも悠里も、あとセレスも俺が障害物走に出るって言ったら食いつくようにエントリーしやがったんだよ。その時からリーゼも悠里も俺を倒す気満々だったが――
「一緒のレースだとは限らないだろ」
バラバラに走ることになったら個人的な勝ち負けなんて判定できないからな。うん、できればバラバラになってくださいお願いします。
「もう発表されているわ。アタシたち四人は同じレースよ。それも第一レース」
「……さいですか」
ダメだった。
この悪意ある采配はどこかの天女もどきの意思に違いない。俺は本部テントの中で悠々と麦茶を啜っているド派手な十二単を睨みつつ、レースの面子を確認する。俺たち四人以外にあと二人男子がいるからな。
紅組は一年の佐藤利雄……どっかで聞いた名前だな。
白組は三年の芦葉谷宗也先輩……陸上部のエースじゃないか! よっしゃ、ついてるぜ。身体能力を制限されている俺より全然頼りになるぞ。
「第一レースの選手は位置についてください!」
係員の生徒がメガホンで指示を出し、それに従って俺たちはスタート地点の先頭に並ぶ。コースの内側からリーゼ、セレス、悠里、俺という順番だ。
「いい? 勝つのはわたしなんだから」
「ふん、貴様にだけは負けるものか」
「正々堂々打ち負かしてあげるから覚悟しなさい」
「……卑怯な手を使わないってとこだけはお前を信頼できるよ」
女子たちの異常な意気込みに若干気圧されつつある俺だが、同じ男子の味方に心強い先輩がいるから負ける気がしないね。確か芦葉谷先輩はインターハイの常連だったはずだ。そのことを知らない悠里とリーゼは俺やセレスだけをマークしている。フフフ、もらったな。
「なお、芦葉谷選手は開会式の時に熱中症で倒れたため棄権となります!」
せんぱぁああああああああああああああいっ!?
あの無駄な長話か! 無駄な長話のせいで白組の貴重な戦力が削がれたのか!
「残念でしたね、白峰先輩。第一レースはぼくたち紅組が貰います」
横からの声に振り向くと、隣のレーンに紅組の男子――背が低くて中性的な顔立ちの女子みたいな男子が既にクラウチングスタートの構えを取っていた。
確か一年の佐藤利雄だ。
「今日は瑠美奈先輩にぼくのかっこいいところを見てもらうんです。だから負けませんよ」
そういえば夏休み前の四条と偽デートした時にこういうやついたなぁ。名前は面白いけどあれから接点なかったし覚えてねえよ。
ちなみに四条も迫間も紅組だ。でもあいつらは影魔導師だから体育祭なんて参加できない。どっか日の当たらないところで見学しているはずだ。
ちょっと捜してみたが、ここから見える範囲にはいなかった。
そうこうしている間に競技説明のアナウンスが終わり、第一レースの開始が迫る。
佐藤に倣うわけじゃないが、俺もクラウチングスタートに構える。悠里もなんとなく覚えがあるのだろう、同じく構えた。リーゼとセレスは見よう見真似と言った様子だな。
「位置について~」
係員がピストルの銃口を天に翳す。
「よ~い」
俺は腰を僅かに浮かす。
勿体ぶるような間が流れ、グラウンドがしんと静まり返る。
汗が頬を伝い、地面に落ちて丸い跡を残す。
そして――
パァアンッ!!
銃声と同時に俺は地面を蹴っていた。流石に戦闘時の超反応とまではいかないが、俺の反射神経は身体能力を下げられてなお、余程のやつじゃない限り他の追随を許さない。
【さあ始まりました男女混合障害物競争! いきなりトップに躍り出たのはなんと!】
「チッ」
実況放送に舌打ちする。レース開始直後にトップに立ったと思ったが、そうは問屋が下ろさねえようだな。
俺の横に並ぶ影が一つ。
悠里だ。余裕の笑みを見せて俺と並走してやがる。
「その程度?」
「まさか」
俺の走りを鼻で笑うような態度に――くそっ、負けたくなくなってきたじゃねえか。いいぜ、燃えてきた。悠里にだけはなんとしてでも勝ってやる!
【ここからが本番! 最初の障害は『恐怖のハードル』だ! 選手たちはどうやって切り抜ける?】
実況通り最初の障害が近づいてきた。高さの違うハードルがそれぞれのレーンに三つずつ並んでいるな。なにが『恐怖』なのかはわからんが。
どこだ? どこが一番早く駆け抜けられそうだ?
インコースはダメだ。ハードルが高い。逆にアウトコースは低いが、その後のカーブにそのまま突っ込んじまう。となれば、このまま真ん中を突き進む!
「ぼくを忘れないでくださいよ、白峰先輩」
「なっ!?」
びっくりした。突き放したと思ってもう意識していなかった佐藤が横に並びやがったんだ。
「お前、けっこう足速いんだな」
「瑠美奈先輩に追いつけるようにトレーニングしてますから」
見た目はひょろっちいのに意外だ。あとどうでもいいけど、異能者を追いかけるのはやめた方がいいぞ。
「お先に!」
驚いた一瞬の隙を突かれてまさかの佐藤がトップに躍り出た。ハードルを一つ、二つ、難なく飛び越える。
そして三つ目のハードルを越えようとした瞬間――
ぐわん、といきなりハードルの背が高くなった。こ、このハードル自動で伸縮するぞ!
「えっ?」
丁度飛び越えようとしていた佐藤は、唐突に伸びてきたハードルに男性特有の人体急所を思いっ切り強打された。
「△@♨☆◆Π□〒+*③ッ!?」
鐘の音が鳴るような幻聴を目撃者全員が聞いただろう。俺も聞こえた。佐藤は言葉にならない悲鳴を上げて倒れ、お股を両手で押さえて悶えている。あれは痛い。超痛い。見てしまった俺も仮想的に痛い。
【猛然と追い上げた佐藤選手ダァーウン! これはもう復帰できないかぁ!?】
それでもレースを止めるわけにはいかない。俺は襲いかかってきた自動伸縮ハードルをどうにかかわし、倒れた佐藤を振り向かず先へ進む。
【先頭走者は次の関門! 名づけて『ダンジョンによくありそうな謎の仕掛け』!】
なんじゃそりゃ? と思いかけてすぐ納得した。
コーナーには横向きに並べられた平均台が三台あった。平均台と平均台の間を白いパネルのような浮遊する足場が行ったり来たりしているな。足を踏み外せば緑色のスライムが敷き詰められたプールにダイブすることになる。なるほどゲームのダンジョンでよくあるやつっぽい。
――ってこれ、どう考えても監査局の技術が使われてるだろ! さっきのハードルも!
流石に止まらざると得ないと思っていると、悠里のやつはなんの躊躇いもなく平均台に登った。パネルを踏んでさくさく進むから俺もその後に続くしかない。
「ひっ!?」
後ろでリーゼの悲鳴が聞こえた。たぶん、敷き詰められたスライムを見て足が竦んだのだろうね。お嬢様はぬるネバが大嫌いだから。
「ここで脱落するといい、〝魔帝〟リーゼロッテ!」
リーゼと拮抗していたセレスが躊躇うリーゼを優雅に追い越した。それを見て決心したらしいリーゼも平均台に登り――
【リーゼロッテ選手こけたーっ!? スライムの海にダァーイブ!! おっと目を回しております大丈夫か!?】
お約束な展開になってしまった。まあ、あのスライムがピンク色じゃなかっただけマシだな。
「後ろばかり気にしてちゃ、アタシには勝てないわよ零児!」
「わかってるよ!」
挑発的な悠里に俺はさらに速度を上げて並ぶ。
【白峰選手と紅楼選手が接戦しております! 果たして次の『背徳的な網くぐり』で均衡が崩れるか!】
だからなんなんだその妙な名前は!?
目の前に敷かれた大きな網。今までの流れからして、これもただの網じゃないはずだ。
「これをくぐればいいのね」
相変わらず躊躇わないな、悠里は。
俺と悠里はほぼ同時に網を持ち上げ、四つん這いになって下に入った。遅れてセレスも同じように網をくぐる。
特に変わったところはなさそう……いや。
「きゃ! なに、これ!?」
「網が勝手に絡まってくる!?」
やっぱただくぐるだけってわけにはいかなかった。網がまるで巣に侵入してきた獲物を捕獲するように俺たちの体に絡みついてきたんだ。
だが、全く動けないってほどじゃない。絡みついてくる網を振り払うように動けばなんとか前に進められる。
「いや、ちょっとやめっ」
「む、胸に食い込んで……」
「……」
網に絡まる女子たちがなんかエロいです。
【おおっとやはりこの関門はスタイルのいい女子には難しいか! セレスティナ選手が大変なことになっております! まったく大変けしから羨ましいボディですねチクショー! 私にも少しわけろ!】
実況者の女子が涙目で私的なことを叫んでいる間に――
「こんなもの千切ればいいのよ!」
「零児、私はいいから先に行け!」
悠里が強引に網を引き千切りながら進み始めたので、一番絡まりの酷いセレスが慌てて俺に向かって叫んだ。本当はセレスに勝たせることが白組のためだが、こうなっては仕方ねえな。
悠里よりも一歩早く網を抜けた俺は、もう後ろを振り返らずゴールに向かって走る。
だが、俺はすぐに足を止めなければならなかった。
目の前にある巨大な扉が進路を塞いでいたからだ。扉は開こうとしてもビクともせず、鍵穴らしきものもない。あるものは扉の頭にあるウェブカメラと、取っ手の脇に埋め込まれたタッチパネルだけだ。
なにをすりゃいいんだ、これ。
「破壊すればいいのかしら?」
「そんな馬鹿な」
追いついてしまった悠里も走るのをやめ、顎に手をあてて考えている。
【ついに最後の障害が立ちはだかった! その名も『障害物走なのにまさかの借り物!?』だぁあっ!】
「え? 借り物?」
どこにそんな要素が?
【タッチパネルに掌を押し当てろ! そうすれば借り物の指令が表示される! その借り物を探してきて、頭上のウェブカメラに掲げれば扉が開くという仕掛けだ!】
「なるほどな」
「そういうことね」
俺と悠里は同時に納得してタッチパネルに掌を押しつけた。するとピコーンと間の抜けた音が鳴ると共に、パネルに扉の鍵となる借り物が表示される。
――紅組のハチマキ――
バッ!
見るや否や、俺は隣の悠里に向かって手を伸ばしていた。だが、悠里もなぜか俺に向かって手を伸ばし、お互いを弾いた形になる。
「なにすんだよ?」
「こっちの台詞よ」
見ると、悠里のパネルには『白組のハチマキ』と表示されていた。
「悠里、そのハチマキを寄越せ」
「お断りよ。あなたこそ、大人しくハチマキを渡してくれないかしら?」
「却下だ」
「そう、じゃあ――」
「お互い奪い取るしかねえな」
【障害物走から借り物競争、そしてまさかのハチマキの奪い合いが開幕だぁあっ! でも別に他の人のでもいいのよ? バトルする意味はあんまりないよ?】
実況者の女子は奪い合いを始めた俺たちを見てちょっと困ったようにそう言うが、できない相談だ。他のやつからハチマキを借りるために背を向けた瞬間、俺のハチマキは奪われる。逆も然り。悠里が諦めたら俺は速攻であいつのハチマキを奪うつもりだ。
パン! パン! パシン!
拳と拳がぶつかり合い、破裂音に似た音がグラウンドに響く。伸ばした右手は弾かれ、カウンターで伸びてきた悠里の手を左手で弾く。蹴りまで出てくれば身を捻ってかわし、お互い距離を取っては衝突を繰り返す。
能力は使えない。制限されているからな。
ほぼ互角の攻防に、最初こそ唖然としていた観客たちが徐々に歓声を湧かせてきた。
もはや障害物競争など忘れ去れているようなムードだが、あまり長くバトルをやってたら後に支障が出る。
そろそろ決着つけるぞ。
悠里が俺のハチマキに手を伸ばしてくる。
ここは弾かない。かわして、カウンターで掠め取る。
だが、悠里は一瞬で手を引っ込め体を捻り、俺の背後へと回り込んできた。しまった、フェイントか!
「終わりよ!」
「そっちがな!」
危機的状況で反射的に超反応するよう母さんに鍛えられた俺に、そんなフェイントは通用しない! 悠里が回り込むとほぼ同時に俺も体を回し、そこにはためいていた赤いハチマキを手に掴んでいたんだ。
もっとも、その隙に悠里も俺のハチマキを取りやがってたけどな。一瞬差で俺が先だった。そこは譲らん。絶対。
獲物を掴んだならこれ以上争う意味はない。俺も悠里もウェブカメラにハチマキを翳し、扉が開いた途端再び駆け出した。
ここから先に障害物はない。
紅組に僅差で負けている白組は、悠里にゴールされれば得点はかなり引き離されてしまう。なんとしても防ぐぞ! 俺は奴隷になんてなりたくないからな!
「はあああああああああああああああああっ!!」
「うらああああああああああああああああっ!!」
走る。走る。走る。
意識が加速する。残り数メートルがかなり遠く感じる。
俺と悠里の差は、ほぼゼロ。
このまま同着ゴールした場合はどうなるんだ? たぶん俺の負け扱いになる気がする。つまり、悠里の得点が二倍。
それは困る。だがこれ以上の加速は無理そうだ。それは悠里も同じ。なら少しでも先にゴールできるように手を、足を、限界まで伸ばす! 男の俺の方が手足は長いんだ!
ゴールまであと三メートル。
ここだ! このタイミングで手を!
と、もう一歩だったその時――
「あっ……」
俺は、やらかしてしまった。
なにもないところで躓いて、転んじまったんだ。
倒れ込む寸前に悠里の背中と揺れる赤いポニーテールが見えた。
【これはカッコ悪い! 白峰選手、ゴール前でこけてしまったぁーっ! 男女混合障害物競争第一レース! 勝者は紅楼悠里選手だぁあっ!!】
どっと湧いた盛大な歓声を、俺はうつ伏せに倒れたまま聞くこととなった。
口に入った砂の味が物凄く不快だった。
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