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FILE-57 忍の里の天才少女
話は数ヶ月前まで遡る。
室町時代から続く甲賀忍の隠れ里は、近江国――現在の滋賀県の山奥にひっそりと存在していた。甲賀の一族のみで集まった村であるため、忍者という職業が廃れてしまった現代では人口三十人にも満たない。
過疎化の勢いは止まることはなく、このまま甲賀流が滅びてしまうのも定めであると里の老人たちは受け入れていた。
そんな事情とは関係なく、里で暮らす唯一の十代の子供だった甲賀静流は日々修行に明け暮れていた。
甲賀流本家の血筋である彼女は生まれながら武才に優れていた。六歳の頃には素手で大猪を狩り、十歳になる頃には甲賀忍術の秘奥の一つである〈八方分身の術〉をもマスターしてしまったのだ。
生まれる時代を間違えたのではないかという才能は、瞬く間に里で彼女に敵う者をいなくさせた。
ただ一人を除いて。
「父上! 拙者はいつになったら父上と勝負できるでござるか?」
静流の父親にして甲賀流の現頭首――甲賀静刃郎である。無駄のない引き締まった体に鋭い眼光。古い剣道場の奥に正座しているだけなのに、その圧倒的な威厳は威圧となって面と向かう者を問答無用で平服させるだろう。
娘でなければ、いや、甲賀静流でなければ思考が働くよりも先に膝をついていたかもしれない。
「まだまだ。お主と儂じゃ年季が違う。儂を超えるつもりなのは結構だが――はっきり言おう。修業が足らぬ」
重い口調で断言され、静流は不満そうに顔を顰めて反論する。
「しかし父上、もう里の大人も拙者には敵わぬと仰っていたでござるよ?」
「この里に残っておる者のほとんどは戦いから身を引いた連中だ。毎日鬼のように修行しておるお主と比べてはならん」
「父上も?」
そう訊ねると、静刃郎は鼻で笑った。
「ふん、馬鹿を言うな。儂は甲賀流の頭目――秘術の伝承者ぞ。〝最強〟に決まっておろう」
「最……強……ッ!」
心に響く素敵過ぎる言葉に静流は思わず瞳を輝かした。
「拙者も〝最強〟になりたいでござる! 父上を倒せば拙者が〝最強〟! 勝負でござる!」
「待て待て! まだ早いと言ったぞ!」
静刃郎は静流が抜刀した日本刀を正座したまま寸でのところで身を引いてかわした。流石父上でござる、と静流は胸中で畏敬の念を深めた。冷や汗を掻いているように見えるのはきっと厳しい鍛錬の後だからだろう。
静流は日本刀を鞘に納める。
「では、どうすれば父上は勝負してくれるでござるか? 拙者、ヨボヨボになった父上とは戦いたくないでござる」
「儂は老いても〝最強〟じゃい!」
骨と皮だけみたいになってプルプル震えている老人を想像した静流に、静刃郎は威厳など何処へ吹っ飛ばして怒鳴った。だがすぐに冷静になると、僅かに顔を赤くして咳払いする。
「うぉほん! よいか静流よ、よく聞け。お主に足りぬ物は年季や修行量だけではない。里から出たことのないお主には忍としての経験が圧倒的に不足しておる。まずは里を出て見聞を広げて来るがよい」
「里を出る……でござるか?」
静流は不安そうに聞き返す。静刃郎は鷹揚に首肯した。
「世界は広い。お主と同じ年代の強者も数多くいる。儂と勝負したくば、少なくともその中で〝最強〟になってみせよ」
「拙者と同じ年頃の強者……」
里には静流と同年代の少年少女などいない。故に静流は自分が同年代の中で強いのか弱いのかわからなかった。
自信はある。けれど、自分よりももっと強い者がいると思うと……嬉しくて楽しくて戦ってみたくて堪らず武者震いした。
「そうだ。とはいえ、その証明は難しいな。〝最強〟の証……うむ、静流よ」
「はい、父上」
「お主、『魔導師』になれ」
父親が口にした単語を、静流は理解できなかった。今日初めて聞いた単語なのだ。
「まどうし……とはなんでござるか?」
「世界が認めた〝最強〟の証だと思え。今の世にはそう呼ばれる者が七人――いや、一年前に二人増えて一人寿命で逝ったから八人か――とにかく、お主が分身で出せる数しかおらぬ」
八人。世界の人口がいっぱいなので、それはきっと少ない数なのだろう。
だが、静流は疑問を覚えて首を傾げた。
「〝最強〟は一人ではないのでござるか?」
「各分野での〝最強〟だ。未だかつて忍術で『魔導師』となった者はおらぬ。静流よ、お主がその最初となった時、真の〝最強〟の座をかけて儂と勝負することを許可しよう」
静流は目を見開いた。
真の〝最強〟……なんとも素晴らしい響き。
「承知したでござる! どうすればなれるでござるか?」
「知らん。そこは己で考えよ」
「……むむむ、拙者、考えるのは苦手でござる」
左右のこめかみを両手の指で突いて俯く静流。頭から湯気を出す勢いで悩み唸る娘を見て、静刃郎はやれやれと肩を竦めた。
「強さを示すがよい。もしもその過程で敗北するようなことがあれば、その者を師事して技術を磨け。そうしていくことでお主はより強くなる。……儂が助言できることはこの程度だ」
それだけ言うと、静刃郎は立ち上がった。そのスラリとした巨躯を静流は見上げ――
「父上、世界には拙者と同じ年頃の強者はいっぱいいるのでござるな?」
「うむ」
「……閃いたでござる。難しく考える必要などなかったでござるよ!」
「お、おう? なんだか知らんが、他人様に迷惑だけはかけるなよ?」
「わかっているでござるぅ♪」
飛び跳ねるようにして静流も立ち上がる。これから先の楽しい『修行』を思い描くだけで心が弾む。
そんな娘の背中を静刃郎は腕を組んで眺めていた。
(ふう、本当はとうに儂を超えちゃってるから戦いたくないとか口が裂けても言えん)
「なにか言ったでござるか?」
「なにも言ってないでござるよ!?」
ゴホゴホッ! と慌てて咳払いする静刃郎は、誤魔化すように懐から一枚の紙を取り出した。
「そこでだ、静流。お主によい話を持ってきた」
「伊賀流との縁談なら先日断ったでござるよ?」
「違う。その話は儂からも完膚なきまでに破断させたわい。そうじゃなく、これだ」
「これは?」
静流は手渡された紙を見て眉を顰めた。
「総合魔術学院。お主と同じ年代の魔術師たちが集う学校があってな。これはその入学願書だ」
学校は静流も通っていた。とはいえ、それは里に建てられた小さな学校だ。静流はとっくに卒業しており、今は七歳以上離れている子供たちが三人しかいない。
今さら学校だなんて、とも思ったが、それよりも引っかかる部分があった。
「魔術師……その学校には強者が集まっているということでござるか!」
「強者『も』だな。誰も彼もが強いわけではあるまい。静流、お主にはしばらくここに通ってもらう。これを卒業できぬようでは魔導師なぞ夢のまた夢と思え」
「!」
「入学試験は数学や世界史などの一般教養に加えて魔術の基礎知識も問われるらしい。実技もあるが、こちらは問題あるまい」
卒業できなければ魔導師はありえない。勉学は苦手だが、非常に苦手だが……でも卒業しなければ〝最強〟になれない。
決意が瞳に宿る。
やる気が湧いてくる。
改めて入学願書に目を通す。
そこで、静流は一つの重大な事に気がついた。
「父上、大変でござる!」
「どうした? まさか怖気ついたか?」
一大事な様子の娘に静刃郎は僅かに眉根を寄せて問うと、静流は入学願書を指差した。
「この巻物読めぬでござる!?」
入学願書は――英語で書かれていた。
静刃郎は無表情のまま絶句する。
「……」
「あと『すうがく』とはなんでござるか?」
「……」
「今日から忍術の修行は一切禁じる! 勉強するぞ!」
「うえぇえッ!?」
勉強と聞いて変な声を出す静流。
「こんなことならもっと早く普通の学校に通わせるべきだった……」
悲嘆な表情で崩れ落ちる娘に、静刃郎は頭を押さえて深々と溜息をついた。
「……もう一つ、お主に課題を与える」
げんなりしたまま、静刃郎は告げる。
「外の世界で忍として最も大切なモノを見つけよ。言っておくが、〝最強〟になることではないぞ?」
父親から課せられたその答えは、敗北を知った今の静流にもまだ見つけられないでいた。
室町時代から続く甲賀忍の隠れ里は、近江国――現在の滋賀県の山奥にひっそりと存在していた。甲賀の一族のみで集まった村であるため、忍者という職業が廃れてしまった現代では人口三十人にも満たない。
過疎化の勢いは止まることはなく、このまま甲賀流が滅びてしまうのも定めであると里の老人たちは受け入れていた。
そんな事情とは関係なく、里で暮らす唯一の十代の子供だった甲賀静流は日々修行に明け暮れていた。
甲賀流本家の血筋である彼女は生まれながら武才に優れていた。六歳の頃には素手で大猪を狩り、十歳になる頃には甲賀忍術の秘奥の一つである〈八方分身の術〉をもマスターしてしまったのだ。
生まれる時代を間違えたのではないかという才能は、瞬く間に里で彼女に敵う者をいなくさせた。
ただ一人を除いて。
「父上! 拙者はいつになったら父上と勝負できるでござるか?」
静流の父親にして甲賀流の現頭首――甲賀静刃郎である。無駄のない引き締まった体に鋭い眼光。古い剣道場の奥に正座しているだけなのに、その圧倒的な威厳は威圧となって面と向かう者を問答無用で平服させるだろう。
娘でなければ、いや、甲賀静流でなければ思考が働くよりも先に膝をついていたかもしれない。
「まだまだ。お主と儂じゃ年季が違う。儂を超えるつもりなのは結構だが――はっきり言おう。修業が足らぬ」
重い口調で断言され、静流は不満そうに顔を顰めて反論する。
「しかし父上、もう里の大人も拙者には敵わぬと仰っていたでござるよ?」
「この里に残っておる者のほとんどは戦いから身を引いた連中だ。毎日鬼のように修行しておるお主と比べてはならん」
「父上も?」
そう訊ねると、静刃郎は鼻で笑った。
「ふん、馬鹿を言うな。儂は甲賀流の頭目――秘術の伝承者ぞ。〝最強〟に決まっておろう」
「最……強……ッ!」
心に響く素敵過ぎる言葉に静流は思わず瞳を輝かした。
「拙者も〝最強〟になりたいでござる! 父上を倒せば拙者が〝最強〟! 勝負でござる!」
「待て待て! まだ早いと言ったぞ!」
静刃郎は静流が抜刀した日本刀を正座したまま寸でのところで身を引いてかわした。流石父上でござる、と静流は胸中で畏敬の念を深めた。冷や汗を掻いているように見えるのはきっと厳しい鍛錬の後だからだろう。
静流は日本刀を鞘に納める。
「では、どうすれば父上は勝負してくれるでござるか? 拙者、ヨボヨボになった父上とは戦いたくないでござる」
「儂は老いても〝最強〟じゃい!」
骨と皮だけみたいになってプルプル震えている老人を想像した静流に、静刃郎は威厳など何処へ吹っ飛ばして怒鳴った。だがすぐに冷静になると、僅かに顔を赤くして咳払いする。
「うぉほん! よいか静流よ、よく聞け。お主に足りぬ物は年季や修行量だけではない。里から出たことのないお主には忍としての経験が圧倒的に不足しておる。まずは里を出て見聞を広げて来るがよい」
「里を出る……でござるか?」
静流は不安そうに聞き返す。静刃郎は鷹揚に首肯した。
「世界は広い。お主と同じ年代の強者も数多くいる。儂と勝負したくば、少なくともその中で〝最強〟になってみせよ」
「拙者と同じ年頃の強者……」
里には静流と同年代の少年少女などいない。故に静流は自分が同年代の中で強いのか弱いのかわからなかった。
自信はある。けれど、自分よりももっと強い者がいると思うと……嬉しくて楽しくて戦ってみたくて堪らず武者震いした。
「そうだ。とはいえ、その証明は難しいな。〝最強〟の証……うむ、静流よ」
「はい、父上」
「お主、『魔導師』になれ」
父親が口にした単語を、静流は理解できなかった。今日初めて聞いた単語なのだ。
「まどうし……とはなんでござるか?」
「世界が認めた〝最強〟の証だと思え。今の世にはそう呼ばれる者が七人――いや、一年前に二人増えて一人寿命で逝ったから八人か――とにかく、お主が分身で出せる数しかおらぬ」
八人。世界の人口がいっぱいなので、それはきっと少ない数なのだろう。
だが、静流は疑問を覚えて首を傾げた。
「〝最強〟は一人ではないのでござるか?」
「各分野での〝最強〟だ。未だかつて忍術で『魔導師』となった者はおらぬ。静流よ、お主がその最初となった時、真の〝最強〟の座をかけて儂と勝負することを許可しよう」
静流は目を見開いた。
真の〝最強〟……なんとも素晴らしい響き。
「承知したでござる! どうすればなれるでござるか?」
「知らん。そこは己で考えよ」
「……むむむ、拙者、考えるのは苦手でござる」
左右のこめかみを両手の指で突いて俯く静流。頭から湯気を出す勢いで悩み唸る娘を見て、静刃郎はやれやれと肩を竦めた。
「強さを示すがよい。もしもその過程で敗北するようなことがあれば、その者を師事して技術を磨け。そうしていくことでお主はより強くなる。……儂が助言できることはこの程度だ」
それだけ言うと、静刃郎は立ち上がった。そのスラリとした巨躯を静流は見上げ――
「父上、世界には拙者と同じ年頃の強者はいっぱいいるのでござるな?」
「うむ」
「……閃いたでござる。難しく考える必要などなかったでござるよ!」
「お、おう? なんだか知らんが、他人様に迷惑だけはかけるなよ?」
「わかっているでござるぅ♪」
飛び跳ねるようにして静流も立ち上がる。これから先の楽しい『修行』を思い描くだけで心が弾む。
そんな娘の背中を静刃郎は腕を組んで眺めていた。
(ふう、本当はとうに儂を超えちゃってるから戦いたくないとか口が裂けても言えん)
「なにか言ったでござるか?」
「なにも言ってないでござるよ!?」
ゴホゴホッ! と慌てて咳払いする静刃郎は、誤魔化すように懐から一枚の紙を取り出した。
「そこでだ、静流。お主によい話を持ってきた」
「伊賀流との縁談なら先日断ったでござるよ?」
「違う。その話は儂からも完膚なきまでに破断させたわい。そうじゃなく、これだ」
「これは?」
静流は手渡された紙を見て眉を顰めた。
「総合魔術学院。お主と同じ年代の魔術師たちが集う学校があってな。これはその入学願書だ」
学校は静流も通っていた。とはいえ、それは里に建てられた小さな学校だ。静流はとっくに卒業しており、今は七歳以上離れている子供たちが三人しかいない。
今さら学校だなんて、とも思ったが、それよりも引っかかる部分があった。
「魔術師……その学校には強者が集まっているということでござるか!」
「強者『も』だな。誰も彼もが強いわけではあるまい。静流、お主にはしばらくここに通ってもらう。これを卒業できぬようでは魔導師なぞ夢のまた夢と思え」
「!」
「入学試験は数学や世界史などの一般教養に加えて魔術の基礎知識も問われるらしい。実技もあるが、こちらは問題あるまい」
卒業できなければ魔導師はありえない。勉学は苦手だが、非常に苦手だが……でも卒業しなければ〝最強〟になれない。
決意が瞳に宿る。
やる気が湧いてくる。
改めて入学願書に目を通す。
そこで、静流は一つの重大な事に気がついた。
「父上、大変でござる!」
「どうした? まさか怖気ついたか?」
一大事な様子の娘に静刃郎は僅かに眉根を寄せて問うと、静流は入学願書を指差した。
「この巻物読めぬでござる!?」
入学願書は――英語で書かれていた。
静刃郎は無表情のまま絶句する。
「……」
「あと『すうがく』とはなんでござるか?」
「……」
「今日から忍術の修行は一切禁じる! 勉強するぞ!」
「うえぇえッ!?」
勉強と聞いて変な声を出す静流。
「こんなことならもっと早く普通の学校に通わせるべきだった……」
悲嘆な表情で崩れ落ちる娘に、静刃郎は頭を押さえて深々と溜息をついた。
「……もう一つ、お主に課題を与える」
げんなりしたまま、静刃郎は告げる。
「外の世界で忍として最も大切なモノを見つけよ。言っておくが、〝最強〟になることではないぞ?」
父親から課せられたその答えは、敗北を知った今の静流にもまだ見つけられないでいた。
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