アカシック・アーカイブ

夙多史

FILE-130 移植されし人格

 両の瞼を閉ざし、額の『目』だけを動かして孫曉燕は自身の身体を改めた。

「おや? ほとんど無傷だ。暴走している間に倒されないかとヒヤヒヤしたけれど、どうやら杞憂だったようだねぇ」

 孫曉燕の声で、孫曉燕ではない何者かは告げる。両足に纏った觔斗雲で上空から恭弥たちを見下し、微かな嘲笑を浮かべた。

「やはり所詮は学生、それともお仲間には手出しできないくらい君たちは甘かったのかな?」
「その自分は全部悟ってますよっつうクソみてぇな上から目線の喋り方……てめぇ、王虞淵か?」

 睨め上げた幽崎がキヒッと嫌らしく破顔した。

「幼女の身体を乗っ取るとかまぁずいぶんと愉快なことしてんじゃねぇの! 俺はどぉいうリアクションを取ればいい? 腹抱えて笑えばいいのか? ヒャハハハ! いつからてめぇはロリコンになったんだぁ?」

 幼児体型だが五十メートルを超えている今の孫曉燕を幼女と呼べるかどうかはともかく、口を開けば相手の神経を逆撫でる幽崎はこんな状況でも健在だった。寧ろこんな状況だからこそ真っ先に相手のペースを乱しにかかっているのだろう。
 だが――

「幽崎・F・クリストファー、生憎だけどその挑発は的外れなんだよねぇ」
「あぁ?」

 孫曉燕、もとい、王虞淵は涼しい表情で幽崎の挑発を受け流した。

「僕は王虞淵であって王虞淵ではない。〈蘯漾〉が彼女の仙術を引き出すために植えつけた別人格ってところだねぇ。まぁ、ベースは王虞淵であることは間違いではないし、覚醒時に本体との記憶もリンクするようになっているから僕を『王虞淵』と呼ぶことについてはなにも差し支えないかな」
「別の人格を植えつけただと?」

 恭弥は僅かに声のトーンを落とした。倫理的な問題で、人格移植は管理局が定めた魔術界の法律ルールに抵触する。もっとも、グレーどころか超ブラックの中国マフィア〈蘯漾〉に今更そんな余罪を突きつけても焼け石に水ではあるが。

「曉燕殿は王虞淵殿で王虞淵殿は王虞淵殿だけど王虞淵殿じゃなくて……ううぅ、頭がこんがらがって来たでござるぅ」
「待って! じゃあ、曉燕さんは〈蘯漾〉の構成員だったの?」
「そうだとすれば、どうするのかな?」

 レティシアの問いに、王虞淵は両の瞼を閉じたまま嘲笑うように問いで返した。混乱して頭をぐるぐるさせている静流はとりあえず放置しておく。
 仲間ではないにしろ、一般の魔術学生だと思っていた孫曉燕が〈蘯漾〉の構成員である可能性。恭弥とはほとんど接点はないが、特待生について一通り調べた時にはその片鱗すら見ていない。
 巧妙に隠していたのだとすれば――

「それならそれで構わん。容赦の必要がなくなるだけだ」
「うんうん、冷血だねぇ、黒羽恭弥。でも、安心するといい。彼女は〈蘯漾〉の関係者ではないよ。僕らが勝手に関わって、勝手に切り札にしているだけさ。僕らに関する記憶もない。そう、つまり彼女個人は極々善良な魔術師というわけだねぇ」
「本当でしょうね?」
「それはそちらで判断することだねぇ、レティシア・ファーレンホルスト。僕が本当だと言ったところで、今度はその言葉の真偽を問うことになるよ。まあ、本当だけど」

 恭弥は内心で舌打ちした。
 

「本当だろう。普段の彼女が本物なのだとすれば己を偽れるような性格ではないからね」

 グラツィアーノがバラバラになっていたチームメイトを引き連れて戻ってきた。話は聞いていたようであり、彼の後ろで猟銃を構えたオレーシャが微かに眉を寄せる。

「だが、わからないな。〈蘯漾〉という組織には聞き覚えがある。ロシアの片田舎にまで名を轟かせるほどの組織が、なぜ足枷になりかねない無関係な人間を使う?」

 その疑問には幽崎がクツクツと嗤いながら答えた。

「そりゃ簡単な話だろ。てめぇらの『切り札』ってぇのは、なんに対する『切り札』だ? 同業者なら確かに自分とこで囲んでおけばいい。が、例えばお行儀のいいBMAなんかと戦り合う時に無関係な人間を投入すればどうなる? 上手くいきゃ最高の人質兵器。最低でも判断を鈍らせる効果はあるだろうよぉ。なぁ、黒羽?」
「……」

 なにが楽しいのか話を振ってくる幽崎には無言を返しておく。だが回答は概ね百点満点だ。伝承クラスの術式。敵の指示に忠実。しかし無関係な人間。〈蘯漾〉がBMAと戦争することを見越していたのであればこれ以上の嫌がらせはそうそうないだろう。
 BMA――魔術管理局に暗部が全くないとは言わないが、魔術界の警察を謳う以上、そういう存在を無視することなどできない。

「下衆な……」
「ああ、最低すぎて吐き気がするよ」

 ランドルフとユーフェミアも顔を顰めた。特にランドルフは卒業後にBMAに入ることが決定しているらしく、内心穏やかではいられないと思われる。
 既にBMAのエージェントである恭弥ですら、若干のやり難さを感じているのだ。
 と――

「端的に言おう。どうでもいい!!」

 今まで黙って話を聞いていた第六階生組の片割れ――ヘルフリート・コルネリウスが痺れを切らしたように怒鳴り上げた。

「オイてめえら! なにをぺちゃくちゃとくっちゃべってやがる? 一年坊主どもの因縁なんて知ったことじゃねえよ! ここは戦場だ! 戦るのか? 戦らねえのか? とりあえずそれだけハッキリしやがれ!」
「ヘルフリートの言う通りデース。ミーたちには関係ありまセーン。あとそこのタロットガール! ミーのフィアンセたちを返してもらいマース!」

 ヘルフリートに同調したアレックスも黒光りする筋肉を盛り上げ、レティシアに預けていた女子二人を奪還せんと地を蹴った。
 魔力結晶は何個か奪えたようだが、全部ではないため二人の転送は始まっていない。
 恭弥は咄嗟に間に割って入り、人差し指を立てて〈フィンの一撃〉を放つ。

「オゥ!?」

 空を裂く不可視の衝撃波を、アレックスを腕をクロスさせて顔を庇い受け堪えた。

「黒髪ボーイ、そこをどいてくだサーイ!?」
「あいつらはもう退場させておけ。死ぬぞ」

 恭弥の目下、いや、目上の敵は彼らではない。
 あの王虞淵が戦闘を開始すれば、もはや動けない人間を庇っている余裕などなくなる。

「うんうん、そうだねぇ。今は大会を楽しもうじゃないか。王虞淵本人はもうとっくに退場しちゃったようだけど、この僕が孫曉燕として優勝すれば問題はない」

 王虞淵が如意棒を斜めに構えた。今さらっと聞き流せないことを言ったが、そこを追求している暇を与える気はないらしい。

「さあ――伸びよ、如意棒」

 頭上から巨大な質量が迫る。高速で伸長した如意棒は星に釘を打つかのように地面に深々と突き刺さった。
 全員上手く避けられたが、大地が激しく振動する。
 引き抜かれた後の大穴に底は見えない。地鳴りも収まらず、大地の風穴からなにやら不穏な気配が昇ってくるのを恭弥は感じた。

 ――王虞淵、一体どこまで穿った?

 数秒後。
 如意棒によって穿たれた大穴から、真っ赤なマグマが間欠泉のごとく吹き上がった。

「ハハハハハハハ! 全知書を手に入れるのは僕だ! そして王虞淵本人から〈蘯漾〉も奪う! そう、成り代わるのさ! だからそのために、ここで君たち全員退場してもらおう!」

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