アカシック・アーカイブ

夙多史

FILE-23 護衛執事

「ほう……」

 屋上にできた大穴を階段室の端から見下ろしつつ、執事服の青年――アレクは感心したような声を漏らした。

「完全に不意を突いたと思いましたが、あの一瞬でよく防御態勢を取れたものです」

 称賛の言葉を贈るアレク。恭弥は階下から自分で開けた大穴を飛び抜けて屋上へと戻る。その体にはカンガルーのような形をしたオーラを纏っていた。
 屋上に着地するや、アレクに向かって銃に構えた人差し指を差す。

 問答無用の〈フィンの一撃〉。

 指先から放たれる物理的威力の呪い。聖堂の天井を瓦礫ごと突き破り、悪魔をも屠る必殺の衝撃波。
 生身の人間に向けられればひとたまりもない一撃はしかし、アレクがその場で振るった右手の甲で受け流すように弾かれた。

「なにっ……」

 殺さない程度に威力を抑えていたとはいえ、あれほど簡単に弾かれるとは思わなかった。だが、予想外だったのは恭弥だけではないようだ。

「……?」

 アレクが違和感を覚えたような顔をして自分の右腕を見る。

「これは誤算。危うく片手を持っていかれるところでした」

 彼の右腕は力なくだらりと垂れ下がっていた。あの様子だと少なくともこの戦闘中は使い物にならないだろう。

「流石はBMAのエージェント。他の連中のように一筋縄、というわけにはいかないようです」
「――ッ!?」

 正体がバレている。なぜだ? 
 土御門や白愛がバラしたとも思えない。
 となると――

「なぜ知っているのか、と訊きたそうな顔をしていますね。『全知の公文書アカシック・アーカイブ』の存在が公に仄めかされて最初の入学者。我々と同じ目的・方法で潜入している魔術師が多々いることは想定内でしょう。周囲は全て敵だと考え、一人一人素性を調査いたしました。生憎とまだ新入生全員ではありませんが、お嬢様を除いた十二人の特待生ジェレーターは最優先で既に完了しております」

 この片眼鏡の青年執事がとんでもなく有能だということだ。調べた理由はわかるが、それで簡単に個人情報を入手できるほど恭弥の組織はザルではない。
 その恭弥を含めて少なくとも特待生全員を洗い出したとなれば、有能以下の言葉はつけられないだろう。

「困ったことに、お嬢様は自分の正体を全く隠そうとしません。おかげで様々な勢力から襲撃に遭いました。全て丁重にお帰り願いましたが……お嬢様にはもう少し危機意識を持っていただきたいところですね」
「大丈夫ですよー。だってわたしにはアレクがいますから」

 やれやれと肩を竦めるアレクだったが、フレリアは全く反省していない笑顔でそう言うのだった。絶対的な信頼関係がなければできない台詞と表情だ。

「ああ、それとお嬢様、今ここで間食なされた分は本日のディナーから引かせていただきますので」
「えーっ!? それは酷いですよアレクぅ!? ごはんがないと人間生きていけないって知らないんですかぁ!?」
「もちろん、存じております。ですが、このアレク・ディオール、お嬢様の健康管理は旦那様よりカロリー単位で任されておりますので」
「ぶーぶー」

 頬を膨らませて本当に「ぶーぶー」言いながら抗議するフレリアを適当に宥めると、アレクは片腕が使えなくなっているとは思えない余裕な表情で恭弥を見た。

「さて、続きと行きましょうか」

 この数日間でどれほどの勢力を返り討ちにしてきたのか知らないが、先程の攻防だけで充分に理解させられた。
 奴は強い。
 恭弥をBMAのエージェントと知った上で退こうともしない自信。管理局だろうが犯罪結社だろうが、主人の目的の障害となるなら関係なく叩き潰す。そんな一途で絶対に曲がらない強固な意志を持って行動するタイプの人間だ。
 後手に回っては不利になる。
 恭弥は低く身を屈め、精魂融合により増強されたカンガルーの脚力で一瞬にして階段室へと跳ね上がった。

 音速に届く速度を乗せた脚蹴が空を斬る。今の今までそこにいたはずのアレクが消えていた。

「こちらです」

 背後からの声。
 回避する間もなく蹴り飛ばされた。

「ぐっ……」

 痛烈な一撃に呻く恭弥が階段室の反対側へと落ちそうになった時、その進行方向にアレクが出現した。

「お待ちしておりました」

 恭しく一礼してからアレクは再び蹴り上げを放った。なんとか腕を交差させてガードするが、それでも威力は凄まじく恭弥は宙に打ち上げられた。
 そして今度も進行方向――空中にアレクが最初からそこにいたかのように現れる。高速で移動しているわけではない。点から点へ空間を跳躍するような出現の仕方だ。

「瞬間転移!?」

 このままピンボールにされるわけにはいかない。アレクのしなるような蹴撃に恭弥も蹴りを合わせる。
 ドゴッ! と鈍い音が鳴ると共に、お互いが弾かれるように吹き飛んだ。

「がっ!?」

 屋上に叩きつけられる。カンガルーのオーラがクッションとなり衝撃を幾分か和らげてくれたがダメージは大きい。
 起き上がると、目の前にアレクの左拳があった。

「――ッ!?」

 反射的に首を捻ってかわす。すかさず人差し指を向けてほぼゼロ距離から〈フィンの一撃〉を放つ。

「むっ」

 アレクは衝撃をまともに浴びたが、それもたった一瞬であり、すぐに転移して距離を取りダメージを最小限に抑えた。消し飛んだのは執事服の上半身だけである。

「……なるほど、術式はそこか」

 上半身裸となったアレクを見て恭弥は確信する。アレクの体には気持ち悪いほどびっしりとルーン文字の刺青タトゥーが彫り込まれていたのだ。
 アレが瞬間転移――恐らく明瞭に視認できる範囲に自身と触れているモノを転移させる術式だ。瞬間転移だけでなく肉体強化など様々な術式を重ね掛けしていそうである。

「ルーン魔術はルーン文字を消しさえすれば機能いたしません。ですが、直接肉体に刻まれた文字は簡単には消せませんよ」

 アレクが消える。
 それを視認すると同時に恭弥は片足を軸に回転して背後に蹴りを放った。予想通りそこに出現したアレクは回し蹴りを左手で易々と受け止めると、手首を捻って恭弥を床に叩きつけた。
 咄嗟に受け身を取って〈フィンの一撃〉を撃つ。

「おっと」

 アレクは転移ではなく身を反らして衝撃をかわした。そのまま恭弥の両肩を踏みつけて脱臼させる。

「ぐぁあああっ!?」
「これで厄介な〈ガンド撃ち〉は使えません」

 アレクは左手で恭弥の胸倉を掴んで持ち上げる。

「あなたが犯罪魔術結社のメンバーなどでしたなら容赦する意味もないのですが、残念ながら仮にも管理局の人間です」

 微笑を浮かべ、アレクは言う。

「お嬢様のためにも、私もできればBMAのエージェントは殺したくありません。『全知の公文書アカシック・アーカイブ』から手を引くのであれば……そうですね、意識を奪うだけで済ませておきましょう」

 チラリ、とアレクは視線だけで階段室の上からのほほんとした表情で戦いを見物しているフレリアを見る。BMAは魔術界の警察のような組織だ。流石にそこへ喧嘩を売る真似はしたくなかったらしい。
 手を引けば一応見逃してもらえる。
 だが――

「却下だ」

 恭弥も恭弥で退けない理由がある。それにアレクは完全に勝ち誇っているようだが、恭弥は負けたとはこれっぽっちも思っていない。

「お前はまだガンドを舐めている」
「なにを――ッ!?」

 恭弥が僅かに口元を笑みで歪めた瞬間、アレクは一度驚愕に目を見開いてすぐにカクンと俯いた。
 掴んでいた恭弥も放す。だが、恭弥は力なく屋上の床に転がっただけで動くことはなかった。カンガルーのオーラも消えている。

「アレク、終わったのですか?」

 静かになった屋上に、フレリアのきょとんとした声だけが響く。

「悪い人には見えなかったのですけどねー」

 フレリアが階段室の梯子を下りてとてとてと駆け寄ってくる。しかしアレクは返事をせず、ゆらりと体を動かすと――

 屋上から、なんの躊躇いもなくその身を投じた。

「アレク!?」

 突然の奇行に驚いたフレリアが悲鳴を上げる。それからすぐに倒れていた恭弥が起き上がった。

「……くっ、これで、当分は動けないだろ」

 脱臼した肩を強引に直して立ち上がる。

「えっ? えっ? なんで? どういうことですか? なんでアレク飛び降りたのですか?」

 フレリアが混乱した様子で屋上から飛び降りたアレクと恭弥の間をキョロキョロする。

「あなた、アレクになにをしたのですか?」

 恭弥がやったことは簡単だ。

 憑依。

 自分の魂を相手に乗り移らせて一時的に体を乗っ取る術だ。かなりの高さの学棟だが、アレクならばここから落ちた程度では死なないだろう。
 戻ってくる前に退散しなければならない。
 恭弥は意味がわからず困惑しているフレリアに結局なにも説明することなく背を向けると――

「もう俺には関わるな。……あと、お茶は美味かった」

 振り向かずにそれだけ告げ、隣の学棟へ飛び移る形で屋上を去って行った。

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