アカシック・アーカイブ

夙多史

FILE-09 Astral projection

 ――退屈だ。

 なにが? 学院の講義が。

 クラスの発表からオリエンテーションまではよかったが、早速今日から始まった近代魔術理論の講義が基礎中の基礎過ぎてやってられない。そんなものは五歳の時にロルクから忘れられないほど叩き込まれている。
 エルナには真面目に学院生活を送るようにと釘を刺されているが、慣れたとはいえ嫌な夢を見たせいか少し眠い。

「――とこのように、近代の西洋儀式魔術というものは隠秘学ないし秘教の一分野にある。この学院が模範としている『黄金の夜明け団ゴールデン・ドーン』が十九世紀末に体系化し――」

 黒板に儀式用の魔法陣を図解しながら禿頭の教師が熱弁している。段々状に配置された席の窓際最奥を確保した恭弥は一応聞いてはいるものの、教師が誰かを指名して答えさせたりといったアクションはなさそうだ。
 講義内容もあくまでオリエンテーションということだろう。

 ――だったら、いいか。

 このまま聞いていても時間の無駄である。こうしている間にもエルナは調査を進めているわけで、恭弥も恭弥でせめて手近なところだけでも探索して把握しておくべきだろう。
 隣の席の土御門は講義開始五秒で夢の世界に旅立っている。

 ――今なら問題ないはず。

 そう判断した恭弥はゆっくり目を閉じ、意識を切り離した。

        ☆★☆

 午前の講義が終わると、九条白愛は自分の席を立った。
 唯一の知り合いである恭弥や土御門と同じクラスになれた時はほっとした。中学校までは一般の学校に通っていた白愛だが、流石に魔術師の学校にまで一緒に進学する友人など皆無だったのだ。

 一クラス八十人が収まる教室は広々としており、今は昼休憩で外へ出て行った者もいるため人数はまばらだ。
 基本人見知りの白愛が勇気を出して声をかけた恩人の席は窓際最奥。廊下側の前の方に座ってしまった白愛からは少し遠い。
 昨日出会ったばかりなのでまだ気後れしてしまうものの、他に話しかける友人もいないため白愛は意を決して彼の席へと歩み寄った。

「あの、黒羽くんはお昼どうしますか? よかったら、その、ご一緒させていただけませんか?」

 席に座って腕を組み、目を閉じてなにか考えているらしい恭弥に訊ねる。男子と一緒に食事など無経験な白愛だが、一人寂しく食べるのもそれはそれで嫌だった。

「……」

 だが、恭弥は目を閉じたまま反応しなかった。緊張で声が小さくなっていたから聞こえなかったのかもしれない。
 もう一度。今度は気持ち声を大きめに。

「あの――」
「大将大将! 焼きそばパン買って来たぜ! 日本でもないのにあるもんなんだな、焼きそばパン! いやぁ、購買の場所見つけといて正解だったハッハッハ!」

 周りの目など気にせずテンション高く大声を張り上げて駆け寄ってきたのは土御門清正だ。いつも恭弥の傍にいる親友(?)が見当たらないと思ったら、昼食を買いに行っていたらしい。両手いっぱいに大量の焼きそばパンを抱えている。

 それでも恭弥はピクリとも動かなかった。

「お? どうした大将? 寝てんのか? あ、白愛ちゃんも一緒に焼きそばパン食べる? 今日はオレの奢りってことで」
「え? あ、はい。いただきます」

 少しテンションを下げた土御門は白愛を見つけると、抱えていた焼きそばパンを一つ渡してきた。白愛は勢いで受け取ってしまったが、一応自分でも弁当を用意している。小食なので全部食べられるかどうか心配だった。
 それにしても焼きそばパンばかり……好きなのだろうか?

「おーい大将やーい! 起きろー! めーしーだーぞー!」

 ドサドサと自分の席に焼きそばパンを積み上げた土御門は、無遠慮に恭弥の肩を掴んで揺り動かした。

 すると――
 組んでいた腕を解いた恭弥は、目は閉じたままグラリとこちら側に倒れ込んできた。

「……」
「……」

 床に倒れたまま動かない恭弥に状況を理解できず放心する白愛と土御門。

「……え?」

 やっと絞り出せた声はそれだけだった。

「は、はは、大将はアレか。一回寝たらなにやっても起きないタイプだな。ほら床なんかで寝たら風邪ひ……………………死んでる」

 恭弥の体を起こそうとした土御門が驚愕した表情で呟いた。

「え? え? 土御門くん、嘘、ですよね?」
「そう思うなら、白愛ちゃんも触ってみろ」

 土御門に言われ、白愛は恐る恐る恭弥の手を掴む。
 冷たかった。

「いやぁああああああああああああああああああああああっ!?」

 廊下にまで轟いた絶叫が白愛たち以外にも状況を報せることとなった。

        ☆★☆

 困ったことになった。

 騒ぎを聞いて教室に集まってきた生徒たちに紛れて、恭弥は土御門に抱き起されている自分の『死体』を眺めていた。
 そこに恭弥がいることには誰も気づいていない。というか、見えてもいないはずだ。
 恭弥は今、魂だけの存在となっている。

 幽体離脱。

 ガンド魔術でできることの一つだ。魂を肉体から一定時間切り離すことで誰にも気づかれず自由に飛び回ることができる。講義中に発動させて学院内を探索していたのだが、戻るのが少々遅かった。

 魂が離れている間の肉体は仮死状態にある。
 事態が悪化する前に早く戻っておいた方がいいだろう。
 霊体である恭弥が野次馬を文字通り擦り抜けて自分の体に重なろうとしたところで――

「ひっ……」
「えっ?」

 涙目の九条白愛が顔を青くしてマジマジと恭弥を見詰めていた。
 肉体の方ではない。
 霊体の恭弥の方だ。

「九条、お前、まさか見えて――」
「ひやぁあああああああああああああああああああっ!?」

 どうやら声も聞こえているらしく、話しかけただけでパニックになった彼女は、懐から複数の丁寧に小さく折りたたまれた紙を取り出して放り投げた。

「ダメです黒羽くんなにがあったから知りませんが幽霊になって彷徨ったりしちゃダメです成仏してくださいっっっ!?」

 空中で広がった紙の中から白い粒がばら撒かれる。
 それが塩だと恭弥が気づいた時には、彼女はどこから取り出したのか紙垂の取りつけられた白木の棒――神道の祭祀によく使われる大幣おおぬさを振るっていた。

「彼の魂の罪穢れを清め給え! 未練を断ち切り浄土への道を示し給え!」

 いきなり塩を撒いた彼女に恭弥だけでなく周囲もぎょっとしていたが――バチバチバチィイイ!! と。
 恭弥に被せるように撒かれた塩が青白くスパークした。

「成仏してくださぁあああああああああああああい!?」
「ぐぁあああああああああああああああああああっ!?」

 霊体に痛覚などない。なのに凄まじい『痛み』が恭弥の魂に襲いかかった。かつて経験したことのない魂への直接攻撃は恭弥といえども三途の川が見えてしまうほど激烈だった。
 どうにか意識をあの世に持っていかれる前に抜け出して肉体に戻る。

「かはっ!? ……はぁはぁ」

 復活して跳ね起きた恭弥は息を乱して脂汗を掻いていた。

「ホワッツ!? 大将、生き返ったのか!?」
「危うく成仏するところだったがな……」

 収まらない動悸に手を心臓の位置へと持っていく。

 九条白愛は未だこちらの様子には気づかず必死に塩を撒いて大幣を振り回していた。

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