夢見まくら
挿入話 夢
◆
「――今日、さ。バレンタインデーなんだよ」
「ああ」
「バレンタインデーなんですよ」
「そうだな」
「バレンタインデーじゃないですか」
「んだね」
「バレンタインデー……なのに――」
彼は、カッ! と目を見開く。
「――なんで野郎しかいねぇんだよぉぉおお!?」
佐原太陽の魂の叫びが、狭い部屋に響いた。
そしてついでに隣の原田さんの部屋から、騒音に対する抗議の壁ドンの音も、狭い部屋に響いた。
「あ、すいません」
「そんなこと言ったってなぁ……」
太陽の言葉に、翔太が苦笑する。
そう。
バレンタインデーにもかかわらず、部屋には男四人しかいなかった。
「涼子は今日、友達と遊びに行ってるし」
翔太がそう付け加え、
「皐月は今日、普通に学校あるし」
流れに乗って、俺も皐月がこの部屋にいない旨を伝える。
バレンタインデーである、本日、二月十四日は金曜日。平日だ。
長きにわたるテストが終わって暇している大学生と違って、高校生はちょうど今がテスト前の期間に当たる。
「皐月は夕方からはこっち来るって言ってたから、もうすぐ来るだろうけど」
ちなみに、皐月は将来獣医さんになりたいらしく、そのために日々猛勉強している。
本当なら、今日も放課後はこっちに来ないで勉強してたほうがいいとは思うのだが……。
「俺も会いたいから、強くは言えないんだよなぁ」
「何さらっと惚気てんの海斗。爆発しろよ」
太陽が毒を吐くが、いつものことなので皆スルーだ。
「琢ぅー。お前、女顔じゃん。TSとかできないの?」
「ぶっ殺すぞテメェ」
爽やかスマイルを浮かべながら、太陽の軽口にそう返答したのは、このメンバー中一番のイケメン、二条琢だ。
当たり前だが、女顔だからといってTSができたりはしない。
「ホント、琢だけだよ俺の味方は。他の奴らはイチャイチャイチャイチャイチャイチャイチャイチャ……。琢も顔面は完全に俺の敵だけど」
「そうだな」
ここで、自分が美形であることを全く否定しない辺り、うん。琢だと思う。
「そういえば太陽、お前今、気になってる娘がいるんだろ?」
ふと思い出したのか、琢がそんなことを言い出した。
「お、おう。まあな」
太陽は若干、挙動不審になりながらも答える。
「あー、俺もこの前見たわ、その娘。けっこう可愛かった」
「いいのか海斗? そんなこと言って。皐月ちゃんに嫉妬されても知らないぞ」
「皐月は世界で一番可愛いから問題ない」
「…………さいですか」
翔太の言葉にそう返答すると、翔太は何故か、しらけた顔で俺を見ていた。
……何か変なこと言ったか、俺?
「自覚ないのかよ」
琢も、しらけた顔で俺を見ていた。
「爆ぜろ」
太陽は、般若のような顔で俺を見ていた。
「え? 何で?」
こいつらの態度が豹変した原因がさっぱりわからずに首を捻っていると、勢いよくドアが開く音が聞こえた。
……インターホンも鳴らさずに、こんな乱暴な扉の開き方をする奴を、俺は一人しか知らない。
「おかえり、さつ――」
「かいとーっ!!」
「おおおっ!?」
振り返ると、皐月が両手を広げて俺の胸に飛び込んでくるところだった。
「っと」
俺は足を踏ん張りながらも、しっかりと皐月を抱きしめる。
「ただいま、海斗っ!」
俺の腕の中で、皐月は花のような笑顔を咲かせた。
「ああ、おかえり、皐月。早かったな」
言いながら、俺は皐月の頭を優しく撫でる。
「……んっ」
皐月は気持ちよさそうに目を細めた。
しっとりとした触感の艶やかな黒髪は、いくら触っても飽きることはない。
「えへへへへ♪」
上目遣いで俺を見上げる皐月の瞳には、俺の顔だけが映っている。
「……かいとー」
皐月は少し頬を赤く染めながら、瞳を閉じて、軽く唇をつき出した。
……まったく。仕方ないな。
「――皐月」
俺は、ゆっくりと、自分の唇を、皐月の桜色の唇に――
「おい、お前ら。……俺たちがいること、忘れてないか?」
「おおおおおおう!?」
「んひゃう!?」
俺は、どもりながらも琢の言葉に返答し、皐月は……何か叫んでいた。
「……この調子だと、こいつら毎日やってそうで怖いんですがそれは」
「聞かないほうが太陽の精神衛生上よろしいと思うよ、俺は」
翔太と太陽が何やら失礼なことを話していた。
さすがに毎日はやっていない。
「すっ、すいません、ご挨拶が遅れました! こんにちは。太陽さん、翔太さん、琢さん!」
慌てて姿勢を正して、皐月が太陽たちに挨拶する。
「こ、こんにちは」
「こんにちはー」
「おう」
各々が挨拶を済ませたところで、皐月は自分のバッグの中から何かを取り出した。
「今日はバレンタインデーなので、海斗だけじゃなくて、皆さんの分も作ってきたんですよ!」
はい、と言いながら、皐月は一人ひとりに手作りチョコレートを渡していく。
「皐月ちゃんマジ天使」
「ありがとう!」
「ありがとな」
「…………あれ? 俺のは?」
何故か、皐月は俺にはチョコレートを渡さなかった。
「かいとー」
皐月のほうを見ると、右手の親指と人差し指でチョコレートを摘み、
「はい、あーん♪」
それを、俺のほうへ差し出していた。
――そう来たか。
なら、俺も全力で応えよう。
「あーん」
俺はそのチョコレートを、皐月の指ごと口に含んだ。
「っ!?」
皐月は、一瞬びっくりしていたようだったが、すぐに笑顔になった。
「おいしい?」
「……ん。おいしいよ、皐月」
「えへへ♪」
皐月の笑顔を眺めながら、思う。
……ああ。
やっぱり、皐月は世界で一番可愛いな、と。
「皐月……」
「海斗……」
俺たちは見つめ合い、お互いの唇を――
「――甘いわあああぁぁぁぁぁあああっ!」
太陽のそんな叫び声と共に、再び隣室から壁ドンの音が部屋に響いた。
◇
飲んだ。
そして呑まれた。酒に。
俺以外の三人は飲みに飲み、完全に酔い潰れていた。
俺は今、俺自身が皐月の背もたれになるようなかたちで、皐月のことを抱きしめている。
……俺も、酒を飲んだせいだろうか。
少し、頭がボーッとする。
「ねぇ、海斗」
俺の腕の中で、皐月が俺に話しかける。
皐月の甘酸っぱい香りが、俺の脳を犯し、理性を奪っていく。
「海斗は、さ。……今、幸せ?」
……そんなの、答えはひとつしかない。
「幸せだよ。幸せに、決まってる」
翔太がいて、琢がいて、太陽がいて、涼子がいて、……他にもたくさん、数えきれないくらいの大切な人がいる。
そして、皐月がいる。
俺の最愛の人が今、俺の腕の中にいる。
これを幸せと呼ばずして、何を幸せと呼ぼうか。
「わたしも、幸せだよ? でも――」
皐月はそこで一度言葉を切って、
「――幸せすぎて、不安になっちゃうの」
「……皐月」
「海斗と過ごしてる今の日々は本当に幸せで、幸せで、幸せで、不満なんて本当になくて……これは、ただの夢なんじゃないのかな、って。全部、わたしが見ているだけの、ただの夢なんじゃないのかな、って、そんなことを……」
皐月の顔の下に回している俺の右腕が、濡れていた。
「……怖い。怖いよ海斗。夢じゃないよね? わたしはちゃんと、ここにいるよね?」
皐月は、泣いていた。
「いるよ」
「――――」
「皐月はちゃんと、ここにいるよ。――俺が、ずっと皐月の手を握ってるから」
指で、濡れている皐月の目元を拭ってやった。
「海斗」
皐月が振り向き、俺の顔を見つめる。
皐月の、少し充血した瞳が、俺の瞳を見つめる。
「――海斗は、ずっと、ずっとずっと、わたしのそばに、いてくれますか?」
皐月の声は。
俺がいなくなることを恐れて、震えていたから。
「あっ……」
だから、抱きしめる。
皐月を抱きしめる。
強く、強く抱きしめる。
「ああ、もちろん」
当たり前だ。
俺が、お前から離れるものか。
俺が、お前を離すものか。
何があっても。
どんなことがあっても。
「俺たちは、ずっと一緒だ。皐月」
「――うんっ!」
皐月が、自身の顔を俺の胸に押し付ける。
俺の胸が、温かいもので濡れていく。
俺は皐月の頭を撫でながら、囁いた。
「愛してるよ皐月。俺は絶対に、お前を離さない」
「……海斗、それほとんどプロポーズ……」
「嫌なのか?」
「……い、嫌じゃ、ないけど」
そう言いながら、顔をさらに深く俺の胸にうずめてくる皐月が、愛おしくてたまらなくて。
俺は微笑みながら、いつまでも、いつまでも皐月の頭を撫で続けていた。
――いつまでも。いつまでも。
「――今日、さ。バレンタインデーなんだよ」
「ああ」
「バレンタインデーなんですよ」
「そうだな」
「バレンタインデーじゃないですか」
「んだね」
「バレンタインデー……なのに――」
彼は、カッ! と目を見開く。
「――なんで野郎しかいねぇんだよぉぉおお!?」
佐原太陽の魂の叫びが、狭い部屋に響いた。
そしてついでに隣の原田さんの部屋から、騒音に対する抗議の壁ドンの音も、狭い部屋に響いた。
「あ、すいません」
「そんなこと言ったってなぁ……」
太陽の言葉に、翔太が苦笑する。
そう。
バレンタインデーにもかかわらず、部屋には男四人しかいなかった。
「涼子は今日、友達と遊びに行ってるし」
翔太がそう付け加え、
「皐月は今日、普通に学校あるし」
流れに乗って、俺も皐月がこの部屋にいない旨を伝える。
バレンタインデーである、本日、二月十四日は金曜日。平日だ。
長きにわたるテストが終わって暇している大学生と違って、高校生はちょうど今がテスト前の期間に当たる。
「皐月は夕方からはこっち来るって言ってたから、もうすぐ来るだろうけど」
ちなみに、皐月は将来獣医さんになりたいらしく、そのために日々猛勉強している。
本当なら、今日も放課後はこっちに来ないで勉強してたほうがいいとは思うのだが……。
「俺も会いたいから、強くは言えないんだよなぁ」
「何さらっと惚気てんの海斗。爆発しろよ」
太陽が毒を吐くが、いつものことなので皆スルーだ。
「琢ぅー。お前、女顔じゃん。TSとかできないの?」
「ぶっ殺すぞテメェ」
爽やかスマイルを浮かべながら、太陽の軽口にそう返答したのは、このメンバー中一番のイケメン、二条琢だ。
当たり前だが、女顔だからといってTSができたりはしない。
「ホント、琢だけだよ俺の味方は。他の奴らはイチャイチャイチャイチャイチャイチャイチャイチャ……。琢も顔面は完全に俺の敵だけど」
「そうだな」
ここで、自分が美形であることを全く否定しない辺り、うん。琢だと思う。
「そういえば太陽、お前今、気になってる娘がいるんだろ?」
ふと思い出したのか、琢がそんなことを言い出した。
「お、おう。まあな」
太陽は若干、挙動不審になりながらも答える。
「あー、俺もこの前見たわ、その娘。けっこう可愛かった」
「いいのか海斗? そんなこと言って。皐月ちゃんに嫉妬されても知らないぞ」
「皐月は世界で一番可愛いから問題ない」
「…………さいですか」
翔太の言葉にそう返答すると、翔太は何故か、しらけた顔で俺を見ていた。
……何か変なこと言ったか、俺?
「自覚ないのかよ」
琢も、しらけた顔で俺を見ていた。
「爆ぜろ」
太陽は、般若のような顔で俺を見ていた。
「え? 何で?」
こいつらの態度が豹変した原因がさっぱりわからずに首を捻っていると、勢いよくドアが開く音が聞こえた。
……インターホンも鳴らさずに、こんな乱暴な扉の開き方をする奴を、俺は一人しか知らない。
「おかえり、さつ――」
「かいとーっ!!」
「おおおっ!?」
振り返ると、皐月が両手を広げて俺の胸に飛び込んでくるところだった。
「っと」
俺は足を踏ん張りながらも、しっかりと皐月を抱きしめる。
「ただいま、海斗っ!」
俺の腕の中で、皐月は花のような笑顔を咲かせた。
「ああ、おかえり、皐月。早かったな」
言いながら、俺は皐月の頭を優しく撫でる。
「……んっ」
皐月は気持ちよさそうに目を細めた。
しっとりとした触感の艶やかな黒髪は、いくら触っても飽きることはない。
「えへへへへ♪」
上目遣いで俺を見上げる皐月の瞳には、俺の顔だけが映っている。
「……かいとー」
皐月は少し頬を赤く染めながら、瞳を閉じて、軽く唇をつき出した。
……まったく。仕方ないな。
「――皐月」
俺は、ゆっくりと、自分の唇を、皐月の桜色の唇に――
「おい、お前ら。……俺たちがいること、忘れてないか?」
「おおおおおおう!?」
「んひゃう!?」
俺は、どもりながらも琢の言葉に返答し、皐月は……何か叫んでいた。
「……この調子だと、こいつら毎日やってそうで怖いんですがそれは」
「聞かないほうが太陽の精神衛生上よろしいと思うよ、俺は」
翔太と太陽が何やら失礼なことを話していた。
さすがに毎日はやっていない。
「すっ、すいません、ご挨拶が遅れました! こんにちは。太陽さん、翔太さん、琢さん!」
慌てて姿勢を正して、皐月が太陽たちに挨拶する。
「こ、こんにちは」
「こんにちはー」
「おう」
各々が挨拶を済ませたところで、皐月は自分のバッグの中から何かを取り出した。
「今日はバレンタインデーなので、海斗だけじゃなくて、皆さんの分も作ってきたんですよ!」
はい、と言いながら、皐月は一人ひとりに手作りチョコレートを渡していく。
「皐月ちゃんマジ天使」
「ありがとう!」
「ありがとな」
「…………あれ? 俺のは?」
何故か、皐月は俺にはチョコレートを渡さなかった。
「かいとー」
皐月のほうを見ると、右手の親指と人差し指でチョコレートを摘み、
「はい、あーん♪」
それを、俺のほうへ差し出していた。
――そう来たか。
なら、俺も全力で応えよう。
「あーん」
俺はそのチョコレートを、皐月の指ごと口に含んだ。
「っ!?」
皐月は、一瞬びっくりしていたようだったが、すぐに笑顔になった。
「おいしい?」
「……ん。おいしいよ、皐月」
「えへへ♪」
皐月の笑顔を眺めながら、思う。
……ああ。
やっぱり、皐月は世界で一番可愛いな、と。
「皐月……」
「海斗……」
俺たちは見つめ合い、お互いの唇を――
「――甘いわあああぁぁぁぁぁあああっ!」
太陽のそんな叫び声と共に、再び隣室から壁ドンの音が部屋に響いた。
◇
飲んだ。
そして呑まれた。酒に。
俺以外の三人は飲みに飲み、完全に酔い潰れていた。
俺は今、俺自身が皐月の背もたれになるようなかたちで、皐月のことを抱きしめている。
……俺も、酒を飲んだせいだろうか。
少し、頭がボーッとする。
「ねぇ、海斗」
俺の腕の中で、皐月が俺に話しかける。
皐月の甘酸っぱい香りが、俺の脳を犯し、理性を奪っていく。
「海斗は、さ。……今、幸せ?」
……そんなの、答えはひとつしかない。
「幸せだよ。幸せに、決まってる」
翔太がいて、琢がいて、太陽がいて、涼子がいて、……他にもたくさん、数えきれないくらいの大切な人がいる。
そして、皐月がいる。
俺の最愛の人が今、俺の腕の中にいる。
これを幸せと呼ばずして、何を幸せと呼ぼうか。
「わたしも、幸せだよ? でも――」
皐月はそこで一度言葉を切って、
「――幸せすぎて、不安になっちゃうの」
「……皐月」
「海斗と過ごしてる今の日々は本当に幸せで、幸せで、幸せで、不満なんて本当になくて……これは、ただの夢なんじゃないのかな、って。全部、わたしが見ているだけの、ただの夢なんじゃないのかな、って、そんなことを……」
皐月の顔の下に回している俺の右腕が、濡れていた。
「……怖い。怖いよ海斗。夢じゃないよね? わたしはちゃんと、ここにいるよね?」
皐月は、泣いていた。
「いるよ」
「――――」
「皐月はちゃんと、ここにいるよ。――俺が、ずっと皐月の手を握ってるから」
指で、濡れている皐月の目元を拭ってやった。
「海斗」
皐月が振り向き、俺の顔を見つめる。
皐月の、少し充血した瞳が、俺の瞳を見つめる。
「――海斗は、ずっと、ずっとずっと、わたしのそばに、いてくれますか?」
皐月の声は。
俺がいなくなることを恐れて、震えていたから。
「あっ……」
だから、抱きしめる。
皐月を抱きしめる。
強く、強く抱きしめる。
「ああ、もちろん」
当たり前だ。
俺が、お前から離れるものか。
俺が、お前を離すものか。
何があっても。
どんなことがあっても。
「俺たちは、ずっと一緒だ。皐月」
「――うんっ!」
皐月が、自身の顔を俺の胸に押し付ける。
俺の胸が、温かいもので濡れていく。
俺は皐月の頭を撫でながら、囁いた。
「愛してるよ皐月。俺は絶対に、お前を離さない」
「……海斗、それほとんどプロポーズ……」
「嫌なのか?」
「……い、嫌じゃ、ないけど」
そう言いながら、顔をさらに深く俺の胸にうずめてくる皐月が、愛おしくてたまらなくて。
俺は微笑みながら、いつまでも、いつまでも皐月の頭を撫で続けていた。
――いつまでも。いつまでも。
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