クリフエッジシリーズ第三部:「砲艦戦隊出撃せよ」
第十八話
宇宙歴四五一八年七月二十五日。
第二次ジュンツェン会戦の翌日である七月二十五日。ゾンファの情報通報艦がシアメン星系に向けて超光速航行を行った。その一時間後、アルビオン艦隊のスループ艦五隻が同じようにシアメン星系に向かった。
ジュンツェンからシアメンまではFTLでも約四日間掛かる。シアメンでの交渉を終え、情報通報艦が戻ってくるには十日近くが必要になる。
アルビオン艦隊は工作艦をフル活動させ、損傷した艦を補修していった。
ヤシマ解放作戦、作戦名“ヤシマの夜明け――Operation Yashima Dawn――”、通称YD作戦参加部隊のうち、ジュンツェン進攻艦隊のグレン・サクストン総司令官とアデル・ハース総参謀長は頭の痛い問題を抱えていた。
先の第二次ジュンツェン会戦において総司令部の命令を無視した第三艦隊司令官ハワード・リンドグレーン大将の処遇についてだ。彼の命令違反は明白であるため処分が必要であるが、休戦状態とはいえ敵地で艦隊司令官を更迭するには、命令違反を行ったことを公表しなければならず、第三艦隊だけでなく全軍の将兵に少なからぬ動揺が起きると考えた。
「リンドグレーン提督を拘束すべきだと思うが、総参謀長の意見を聞きたい」
「このまま提督に指揮権を与えておくことは危険です。キャメロットに帰還するまで待つ必要はありません。しかし……」
明敏なハースにしては珍しく、僅かに逡巡する。
「この状況で司令官を更迭することは兵たちの動揺を招きます。提督に病気になってもらい、副司令官に指揮権を移譲させることが最も穏便に済ます方法でしょう」
彼女自身、内心ではリンドグレーンを処分したくて仕方がなかった。彼の命令違反は明確であり、その行為によって数万の将兵が戦死している。
しかし、戦闘が終了した今、リンドグレーンを処分するには軍法会議が必要になる。作戦中の戦場ということで各艦隊司令官が判事となるが、司令官が集まる軍法会議を行えば必ず情報は漏洩する。一度噂がたてば、艦隊内に一気に広まることは容易に想像でき、リンドグレーンだけでなく、彼を御し得なかった上層部全体の不審に繋がる。
ここは敵地であり、最低でも十日間はここに残る必要がある。今のところ敵将マオが戦端を開くとは考え難いが、敵地で下級士官や下士官兵たちが動揺する事態は可能な限り避けなければならない。そのため、ハースは妥協案の提示しかできなかった。
後年、彼女はこのことを後悔したと述懐している。
『リンドグレーン提督の処分については毅然とした態度で挑むべきでした。仮に兵たちに動揺があったとしても、サクストン提督であれば充分に対処できたはずですし、ゾンファが休戦協定を破って戦闘になったとしても、そのことで兵たちの士気は上がり、懸念されるような事態に陥ることはなかったでしょう……あの当時、後のリンドグレーン提督の破廉恥な行いを予想することはできなかったとはいえ、それを誘発した責任は当時の私にあったと考えています……』
サクストンの許可を得たハースはリンドグレーンにそのことを提案するが、
「小官は至って健康である。仮病を使うことなど考えられん」と言って拒否した。彼は戦場にいる間に自らの行為の正当性を示し、処分を免れることを考えていたのだ。
その言葉にハースは激怒するが、強引に入院させるわけにもいかず、更に他の案件の対応に手を取られ、結果として放置する形になってしまった。
リンドグレーンはその時間を活用し、自らの行為の正当性を補強すべく行動を開始した。
彼は自らの権限で行える艦隊内の士官の論功行賞を巧みに使い、自分に有利になる証言を引き出そうと画策した。艦隊内の上級指揮官は自らの負い目もあり、リンドグレーンの言葉に頷くしかなかった。
しかし、捨石にされた砲艦戦隊は事情が異なる。彼らは艦隊と行動を共にしておらず、更に自分たちを見捨てたリンドグレーンを擁護する気はなかった。リンドグレーンは砲艦戦隊の証言が自分に不利になると考え、砲艦戦隊の士官たちに対し、甘言と恫喝を巧みに使い取り込もうとした。生き残りの士官たちに対しては評価の低い砲艦戦隊からの転属を仄めかし、少しずつ取り込んでいった。
そして、特に大きな戦果を上げ最後まで戦場で奮闘した第四砲艦戦隊の司令エルマー・マイヤーズ中佐と、敵駆逐艦戦隊との戦闘で武勲を挙げているクリフォード・コリングウッド少佐に接触した。
マイヤーズには大佐への昇進と勲章を餌に第三艦隊の転進が合理的であったと証言するよう迫り、クリフォードに対しては生存者数の多さを指摘し不利な証言を行わないよう恫喝を行った。
「……君の艦の生存者が異常に多いのは戦闘継続可能な状況で艦を捨てたからではないのか? もし、そうであるなら敵前逃亡にも匹敵する所業だ。多少の武勲など関係なく軍法会議にかけることになる。今の名声を失いたくはなかろう……話は変わるが、君も第三艦隊の行動に疑問を感じていないのではないかね」
リンドグレーンは既に異例の出世を遂げているクリフォードに対し昇進の約束より恫喝の方が有効であると考えた。
それに対し、クリフォードは毅然とした態度で反論する。
「第三艦隊の行動について証言を求められた場合には、軍人としての責務と良心に従って証言いたします。また、艦を放棄した件ですが、航宙日誌を見ていただければ、レディバード125が戦闘不能に陥っていたことは明らかです。小官は恥ずべき行為を一切行っておりません」
リンドグレーンは最後の言葉を自分の行為に対する非難と受け取った。クリフォードにリンドグレーンを非難する意図はなかったが、負い目に感じているリンドグレーンは激怒する。
「コリングウッド少佐! 君は私が恥ずべき行為をしたと言いたいのか! ここには君が頼りにするノースブルックもコパーウィートもおらんのだ! その高慢さが命取りになることを思い知るがいい!」
頭に血が上ったリンドグレーンは、クリフォードが義父であり財務卿のノースブルック伯爵と元第一艦隊司令官で現軍務次官であるコパーウィートの力を背景に自分を恐れないと勘違いした。
リンドグレーンはクリフォードが戦闘継続可能な状態で艦を放棄し戦闘を回避したとして軍警察に拘束させ、旗艦の営倉に収監した。
この件に関し、マイヤーズは戦闘記録を第三艦隊司令部に提出し、クリフォードの行為が正当なものであると主張したが、その戦闘記録はリンドグレーンにより握り潰された。また、副長であるオーウェル大尉などレディバードの乗組員たちは最後まで戦ったクリフォードを不当に拘束したことに抗議し、それが聞き入れないと分かると独自に行動を開始した。
准士官や下士官たちは独自のネットワークを持っており、そのネットワークを使ってクリフォードが不当に逮捕されたことを艦隊内に広めていく。また、オーウェルは第一艦隊にいる元同僚の士官に対し、負傷した機関長を助けるため、脱出を遅らせて救助に当たった話などを広めていった。
リンドグレーンは下級士官や下士官兵たちの行動に注意を払わなかった。彼は怒りに任せてクリフォードを査問会議に掛けようとした。
査問会議は艦隊内で行われるため、秘密裏に処理できると考えたが、この情報は下級士官や下士官兵たちによって他の艦隊に伝わり、その結果総司令部にも伝わった。そして、サクストンやハース、更には奮闘した第九艦隊司令官エルフィンストーン提督らを激怒させる。
後に“烈風”と呼ばれるほど激しい性格のエルフィンストーンは、旗艦インフレキシブル89の戦闘指揮所でこう言って怒りを露わにしたという。
「砲艦で二隻の駆逐艦を沈めた勇者を卑怯者のリンドグレーンが裁くだと! いつから我が軍はゾンファと同じになったのだ! このような破廉恥なことが許されるはずがない!」
サクストンはハースに対し、「これほど愚かであるなら、直ちに解任した方がよいのではないか」と憮然とした表情で言い、ハースもこの状況に至っては軍の士気を下げる行為を見過ごすわけにはいかず、「対処いたします」と答えるしかなかった。
彼女は腸が煮えくり返るほどの怒りを覚えていた。
(私が軍の士気を考慮して穏便に済まそうとしたのに台無しにしてくれたわ。そうは言ってもここは敵地。まだシアメンから敵の輸送艦隊が戻ってくるには数日掛かるわ。でも、少なくとも“クリフエッジ”の坊やを見殺しにするわけにはいかないわね。それこそ軍の士気に関わるから……)
ハースは第三艦隊の旗艦マグニフィセント08に自ら乗り込んだ。そして、リンドグレーンに面会を申し込む。
彼女が司令官室にいるリンドグレーンに挨拶すると、「休戦中とはいえ総参謀長が総旗艦を離れるのはいかがなものか」と嫌味を言った。それに対し、ハースは笑みを浮かべたまま、
「ええ、本来ならこのようなことをしている場合ではないのですけど。仕事を増やしてくださる方がいらっしゃるので」と嫌味を返す。
リンドグレーンは口では勝てないと思い、憮然とした表情で「用件を伺おう」と話題を変えた。
「貴艦隊の士官を貸していただけないかと思いまして。総参謀部は非常に忙しいので、優秀な若手の士官を借りたいのです。艦を失った士官ならお借りしても問題ないでしょう?」
「わざわざそんなことのために旗艦を離れたのかね」
リンドグレーンはそう嫌味を言いながらも、ハースの目的を理解した。
査問会議に掛けようとしているクリフォードを一時的に総参謀部付にして、自分の影響力が及ばないところに避難させようとしていると気づいたのだ。
「ええ、小官が直接交渉に来たくなるほど優秀な士官ですわ。今回の会戦でも武勲を挙げておりますし」
「誰のことか分からんが、この状況で遊んでおる士官はおらん」と言って断った。ハースはニヤリと笑い、
「では、遊んでいる士官でしたら問題ないわけですね。この艦の営倉にいるはずですから、お借りしますわね」
「ま、待ちたまえ」とリンドグレーンは慌てる。
(いつの間に情報が漏洩したのだ……砲艦戦隊の穀潰しどもか……)
内心で怒りを爆発させるものの、この状況が危険であると気付く。しかし、冷静さを失っている彼はハースに対し「そのような事実はない」と言い切り、
「あったとしても艦隊司令部の専権事項だ。総参謀部にとやかく言われる筋合いはない」と付け加えてしまった。
ハースはその言葉を待っていたかのように反撃を開始する。
「コリングウッド少佐を処分するおつもりなら、それ相応の覚悟をなさることです。コリングウッド少佐の戦闘記録は第三艦隊司令部を通じて、既に総参謀部でも入手しております。記録を見る限り、艦隊司令部の非合理的な命令に従って最後まで艦隊を支援した上、圧倒的に不利な状況で奮戦していますね。そのような優秀な士官を処分されるというのであれば、司令官としての資質を疑わざるを得ません。総司令官閣下も艦隊全体の士気を下げる行為を認めるおつもりは無いと明言されました。それを承知の上で査問会議を開かれるのであれば、どうぞご随意に」
それまでの笑みを消し、感情を排した声でそう言い切ると、リンドグレーンの言葉を待つことなく司令官室を退出していく。そして、その足で第三艦隊の参謀長ジャスタス・ノールズ中将に面会し、同じことを告げる。
「……提督の命令に従うなら貴官も同罪ですよ。それでも忠誠を尽くしたいなら退役も視野に入れておくことです」
ノールズはハースの言葉に戦慄する。彼自身、今回の第三艦隊の行動が友軍の損害を拡大させ、更には祖国を危うくするものであったことは理解している。そして、適切な助言を怠り、リンドグレーンの暴走を止められなかった責任を問われることも覚悟していた。それでも不名誉な除隊まで付き合う気はなかった。彼は副司令官や旗艦艦長らに連絡をいれ、ハースの言葉を伝えていく。
リンドグレーンはそれでも査問会議を強行した。ノールズは反対するが、それでもリンドグレーンは納得しなかった。
直ちに会議室の一つが査問会議の場に決められ、判事役として参謀長と旗艦艦長、そして自らがその長を務め、検事役である軍警察の士官が告訴状を読み上げていく。
「宇宙歴四五一八年七月二十四日、C03GF004キャメロット第三艦隊第四砲艦戦隊所属HMS-N1103125インセクト級レディバード型125番艦艦長クリフォード・カスバート・コリングウッド少佐は戦闘可能な艦を放棄し、危機的状況にある友軍を見捨てるという王国軍人にあるまじき行為を……第三艦隊司令部は本不名誉行為に対し告発を行うと共に、同少佐に除隊を勧告するものである。証拠につきましては判事殿の個人用通信端末に転送しておりますので、ご参照ください。以上」
クリフォードはその告発を他人事のように聞いていた。
(問題になるとは思っていたが、ここまでとは……しかし、私は間違っていない。私がこの告発を認めるということは戦死した部下たちに申し訳が立たない。もちろん生き残った部下たちにも……)
リンドグレーンは満足そうに頷くと、クリフォードに顔を向ける。
「少佐、勧告に従う気はあるかな?」
その言葉にクリフォードはしっかりとした口調で「いいえ、提督」と答えた。
「これほど明確な証拠があるのだ。ここで認めれば名誉除隊できるが、認めないならキャメロットに戻ってから軍法会議に掛けることになる。そうなれば不名誉除隊は確実だぞ。君の父上が築いたコリングウッド家の名誉も地に堕ちることになるのだ。どうだ、考え直す気はないか?」
猫撫で声でクリフォードを説得しようとするが、再び「いいえ、提督」とだけ答えた。
リンドグレーンが「なぜ認めん!」と激高すると、ノールズが「落ち着いてください。提督」と言って宥め、「少佐、何か言いたいことはないか」とクリフォードに水を向ける。
クリフォードは小さく頷き、「はい、参謀長」と答え、
「小官は何ら恥ずべき行為は行っておりません。レディバード125号が戦闘能力を失った時刻である〇九二〇以降に退艦命令を出しております。これは航宙日誌に明確に記録として残っております」
ノールズは「確かに主砲加速器の損傷後に退艦命令を出しているな」と頷く。しかし、リンドグレーンは立ち上がり怒声とも言える声で糾弾する。
「詭弁だ。貴様は戦闘開始前にハードシェルの着用を命じておる。更にレディバードの掌砲手に対しては早期に持ち場を放棄させておるではないか!」
ノールズが「落ち着いてください、提督。この場は査問会議であり、発言は正確に議事録に残ります」と警告する。リンドグレーンはその言葉に「了解した」と憮然とした表情で答えて座り直した。
クリフォードはその糾弾に対する答えを考えてあった。そのため、すぐに反論する。
「船外活動用防護服の着用は敵駆逐艦戦隊との戦闘が熾烈になると予想したためです。また、掌砲手たちを事前にDデッキに避難させた理由は集束コイルを切り離したため、主兵装操作室及び控室に常駐させる必要がないためです」
理路整然とした反論にノールズは目を見張った。
(英雄として祭り上げられただけの男かと思ったが、本物のようだ。総参謀長のおっしゃるとおりだな……)
横ではリンドグレーンが支離滅裂の言葉で罵倒していた。ノールズと旗艦艦長の心はその言葉を聞くたびに冷えていった。
リンドグレーンの罵詈雑言が止んだところでノールズが「そろそろ裁決を行ってもよいのではないでしょうか」と査問会議の終了を提案する。
リンドグレーンはその提案に鷹揚に頷いた。
「では、裁決を採るとしよう。コリングウッド少佐の行為に不名誉な点があったか。参謀長の意見は?」
「小官の意見は、ノーです」としっかりとした口調で反対の意思を表示した。その言葉にリンドグレーンは一瞬理解できず困惑するが、すぐに「どういうことだ! 私に逆らうのか!」と激怒する。
ノールズは小さく首を横に振り、
「そのようなつもりは毛頭ございません。しかしながら、無実の者を貶めるような行為は、私の名誉に誓ってできないと申し上げます」
リンドグレーンは腹心の叛意に怒りに打ち震えながら、もう一度確認した。
「もう一度問うぞ。コリングウッド少佐の行為に不名誉な点があったか。イエスかノーか」
その問いに「ノーです。閣下」としっかりとした口調で反対する。
リンドグレーンは顔を真っ赤にしながらノールズを睨みつけると、旗艦艦長に目を向けた。
「コリングウッド少佐の行為に不名誉な点があったか。艦長の意見は?」
「小官の意見も参謀長閣下と同じ、ノーです。閣下」とリンドグレーンと目を合わせないようにしながらも、はっきりとした口調で反対の意思を表明した。
リンドグレーンが爆発する前にノールズが引き取った。
「これで反対が多数となりました。コリングウッド少佐に関する本査問会議の結果は問題なしということで。よろしいですか、司令官閣下」
リンドグレーンは結果が信じられず、何も言えなかった。ノールズはそのまま閉会を宣言する。
「反対のご意見は無いということで本査問会議は閉会とします。少佐、不愉快な思いをさせて済まなかった。我々は君が最後まで奮戦したことを正しく理解している。そのことは忘れないで欲しい。では退出してよし」
クリフォードは目の前で行われたことが信じられなかったが、機械的に「了解しました、閣下」敬礼を行って退室した。
残されたリンドグレーンは呆然としたまま、座り込んでいた。そして、「貴様らは私を裏切ったのか」と呟く。その独り言にノールズは静かに反論する。
「私は査問会議を開くことに反対したはずです。こうなることは分かっていましたから。それをお分かりにならなかったのは閣下の方です」
そしてこう付け加えた。
「閣下以外、コリングウッド少佐を処分することに賛同する者はいないでしょう。あれほどの活躍をし、メディアに注目されている人物です。正当な理由もなく、私怨で処分すれば叩かれるのは自分の方ですから」
リンドグレーンは憎しみを込めた目を彼に向ける。しかし、ノールズは更に追い討ちを掛けた。
「今回の敵前での転進について、副司令官以下の調書を作成し始めました。これは総司令部の指示ではなく第三艦隊司令部として行っているものです。我々もあの時の命令に納得しているわけではありません。きっと公正な調書ができるでしょう」
「勝手なことを! そのような命令は出しておらん! 即刻中止するのだ!」
リンドグレーンは怒りに任せて喚くように叫ぶが、ノールズは「第三艦隊司令部の首席幕僚として責務を果たすだけです」と言って敬礼し、彼の前から去っていった。
司令部にすら味方を失ったリンドグレーンは失意のあまり、司令官室に引きこもった。ノールズはそれを機に軍医長に過労による精神衰弱という診断書を書かせ、総司令部に送付する。ハースは直ちに副司令官に指揮権を移し、第三艦隊を掌握させた。
(これで面倒ごとが一つ減ったけど、こんな人物が艦隊司令官だなんて……メディアが知ったら大事になるわね。といっても何もできないんだけど……)
ハースはクリフォードを釈放させると、直接通信を行った。
クリフォードは僅か二日間で艦隊戦の激戦、指揮艦の喪失、更にはMPに拘束され、査問会議に掛けられるという激動に憔悴していた。そこに総参謀長から直接連絡が入ったと聞き、当惑する。
(何が起きるんだろう……部下たちのところに戻りたいな……)
いつも通り笑みを浮かべたハースが映し出されると、きれいな敬礼で迎える。
「お疲れ様。リンドグレーン提督は過労で倒れられたわ。これ以上あなたに関わることはないわよ」
ハースの言葉に「はい、閣下」とだけ答える。その姿にハースは小さく頷き、本題に入っていく。
「まだ正式な話ではないのだけど、総参謀部にあなたの席を用意したわ。参謀として私の手伝いをしてくれないかしら」
ハースの申し出はキャメロット防衛艦隊の総司令部付にならないかという誘いであり、総参謀長自らが勧誘したという事実は今後の出世に非常に良い影響を及ぼす。
しかしクリフォードは即座に断った。
「小官には部下がいます。少なくともキャメロットに帰還するまでは部下たちに対する責任を果たしたいと考えております」
ハースはその言葉を予想していたのか、即座に頷いた。
「分かったわ。でも、あなたは得難い才能を持っているの。ぜひともその才能を祖国のために使って欲しいと思っているわ。だから、もう一度よく考えて」
クリフォードは、「了解しました、閣下」と言って敬礼した。
通信を切ったハースは「やっぱりディックの子ね」と呟き、士官学校の同期であるリチャード・コリングウッドの姿を思い出していた。
第二次ジュンツェン会戦の翌日である七月二十五日。ゾンファの情報通報艦がシアメン星系に向けて超光速航行を行った。その一時間後、アルビオン艦隊のスループ艦五隻が同じようにシアメン星系に向かった。
ジュンツェンからシアメンまではFTLでも約四日間掛かる。シアメンでの交渉を終え、情報通報艦が戻ってくるには十日近くが必要になる。
アルビオン艦隊は工作艦をフル活動させ、損傷した艦を補修していった。
ヤシマ解放作戦、作戦名“ヤシマの夜明け――Operation Yashima Dawn――”、通称YD作戦参加部隊のうち、ジュンツェン進攻艦隊のグレン・サクストン総司令官とアデル・ハース総参謀長は頭の痛い問題を抱えていた。
先の第二次ジュンツェン会戦において総司令部の命令を無視した第三艦隊司令官ハワード・リンドグレーン大将の処遇についてだ。彼の命令違反は明白であるため処分が必要であるが、休戦状態とはいえ敵地で艦隊司令官を更迭するには、命令違反を行ったことを公表しなければならず、第三艦隊だけでなく全軍の将兵に少なからぬ動揺が起きると考えた。
「リンドグレーン提督を拘束すべきだと思うが、総参謀長の意見を聞きたい」
「このまま提督に指揮権を与えておくことは危険です。キャメロットに帰還するまで待つ必要はありません。しかし……」
明敏なハースにしては珍しく、僅かに逡巡する。
「この状況で司令官を更迭することは兵たちの動揺を招きます。提督に病気になってもらい、副司令官に指揮権を移譲させることが最も穏便に済ます方法でしょう」
彼女自身、内心ではリンドグレーンを処分したくて仕方がなかった。彼の命令違反は明確であり、その行為によって数万の将兵が戦死している。
しかし、戦闘が終了した今、リンドグレーンを処分するには軍法会議が必要になる。作戦中の戦場ということで各艦隊司令官が判事となるが、司令官が集まる軍法会議を行えば必ず情報は漏洩する。一度噂がたてば、艦隊内に一気に広まることは容易に想像でき、リンドグレーンだけでなく、彼を御し得なかった上層部全体の不審に繋がる。
ここは敵地であり、最低でも十日間はここに残る必要がある。今のところ敵将マオが戦端を開くとは考え難いが、敵地で下級士官や下士官兵たちが動揺する事態は可能な限り避けなければならない。そのため、ハースは妥協案の提示しかできなかった。
後年、彼女はこのことを後悔したと述懐している。
『リンドグレーン提督の処分については毅然とした態度で挑むべきでした。仮に兵たちに動揺があったとしても、サクストン提督であれば充分に対処できたはずですし、ゾンファが休戦協定を破って戦闘になったとしても、そのことで兵たちの士気は上がり、懸念されるような事態に陥ることはなかったでしょう……あの当時、後のリンドグレーン提督の破廉恥な行いを予想することはできなかったとはいえ、それを誘発した責任は当時の私にあったと考えています……』
サクストンの許可を得たハースはリンドグレーンにそのことを提案するが、
「小官は至って健康である。仮病を使うことなど考えられん」と言って拒否した。彼は戦場にいる間に自らの行為の正当性を示し、処分を免れることを考えていたのだ。
その言葉にハースは激怒するが、強引に入院させるわけにもいかず、更に他の案件の対応に手を取られ、結果として放置する形になってしまった。
リンドグレーンはその時間を活用し、自らの行為の正当性を補強すべく行動を開始した。
彼は自らの権限で行える艦隊内の士官の論功行賞を巧みに使い、自分に有利になる証言を引き出そうと画策した。艦隊内の上級指揮官は自らの負い目もあり、リンドグレーンの言葉に頷くしかなかった。
しかし、捨石にされた砲艦戦隊は事情が異なる。彼らは艦隊と行動を共にしておらず、更に自分たちを見捨てたリンドグレーンを擁護する気はなかった。リンドグレーンは砲艦戦隊の証言が自分に不利になると考え、砲艦戦隊の士官たちに対し、甘言と恫喝を巧みに使い取り込もうとした。生き残りの士官たちに対しては評価の低い砲艦戦隊からの転属を仄めかし、少しずつ取り込んでいった。
そして、特に大きな戦果を上げ最後まで戦場で奮闘した第四砲艦戦隊の司令エルマー・マイヤーズ中佐と、敵駆逐艦戦隊との戦闘で武勲を挙げているクリフォード・コリングウッド少佐に接触した。
マイヤーズには大佐への昇進と勲章を餌に第三艦隊の転進が合理的であったと証言するよう迫り、クリフォードに対しては生存者数の多さを指摘し不利な証言を行わないよう恫喝を行った。
「……君の艦の生存者が異常に多いのは戦闘継続可能な状況で艦を捨てたからではないのか? もし、そうであるなら敵前逃亡にも匹敵する所業だ。多少の武勲など関係なく軍法会議にかけることになる。今の名声を失いたくはなかろう……話は変わるが、君も第三艦隊の行動に疑問を感じていないのではないかね」
リンドグレーンは既に異例の出世を遂げているクリフォードに対し昇進の約束より恫喝の方が有効であると考えた。
それに対し、クリフォードは毅然とした態度で反論する。
「第三艦隊の行動について証言を求められた場合には、軍人としての責務と良心に従って証言いたします。また、艦を放棄した件ですが、航宙日誌を見ていただければ、レディバード125が戦闘不能に陥っていたことは明らかです。小官は恥ずべき行為を一切行っておりません」
リンドグレーンは最後の言葉を自分の行為に対する非難と受け取った。クリフォードにリンドグレーンを非難する意図はなかったが、負い目に感じているリンドグレーンは激怒する。
「コリングウッド少佐! 君は私が恥ずべき行為をしたと言いたいのか! ここには君が頼りにするノースブルックもコパーウィートもおらんのだ! その高慢さが命取りになることを思い知るがいい!」
頭に血が上ったリンドグレーンは、クリフォードが義父であり財務卿のノースブルック伯爵と元第一艦隊司令官で現軍務次官であるコパーウィートの力を背景に自分を恐れないと勘違いした。
リンドグレーンはクリフォードが戦闘継続可能な状態で艦を放棄し戦闘を回避したとして軍警察に拘束させ、旗艦の営倉に収監した。
この件に関し、マイヤーズは戦闘記録を第三艦隊司令部に提出し、クリフォードの行為が正当なものであると主張したが、その戦闘記録はリンドグレーンにより握り潰された。また、副長であるオーウェル大尉などレディバードの乗組員たちは最後まで戦ったクリフォードを不当に拘束したことに抗議し、それが聞き入れないと分かると独自に行動を開始した。
准士官や下士官たちは独自のネットワークを持っており、そのネットワークを使ってクリフォードが不当に逮捕されたことを艦隊内に広めていく。また、オーウェルは第一艦隊にいる元同僚の士官に対し、負傷した機関長を助けるため、脱出を遅らせて救助に当たった話などを広めていった。
リンドグレーンは下級士官や下士官兵たちの行動に注意を払わなかった。彼は怒りに任せてクリフォードを査問会議に掛けようとした。
査問会議は艦隊内で行われるため、秘密裏に処理できると考えたが、この情報は下級士官や下士官兵たちによって他の艦隊に伝わり、その結果総司令部にも伝わった。そして、サクストンやハース、更には奮闘した第九艦隊司令官エルフィンストーン提督らを激怒させる。
後に“烈風”と呼ばれるほど激しい性格のエルフィンストーンは、旗艦インフレキシブル89の戦闘指揮所でこう言って怒りを露わにしたという。
「砲艦で二隻の駆逐艦を沈めた勇者を卑怯者のリンドグレーンが裁くだと! いつから我が軍はゾンファと同じになったのだ! このような破廉恥なことが許されるはずがない!」
サクストンはハースに対し、「これほど愚かであるなら、直ちに解任した方がよいのではないか」と憮然とした表情で言い、ハースもこの状況に至っては軍の士気を下げる行為を見過ごすわけにはいかず、「対処いたします」と答えるしかなかった。
彼女は腸が煮えくり返るほどの怒りを覚えていた。
(私が軍の士気を考慮して穏便に済まそうとしたのに台無しにしてくれたわ。そうは言ってもここは敵地。まだシアメンから敵の輸送艦隊が戻ってくるには数日掛かるわ。でも、少なくとも“クリフエッジ”の坊やを見殺しにするわけにはいかないわね。それこそ軍の士気に関わるから……)
ハースは第三艦隊の旗艦マグニフィセント08に自ら乗り込んだ。そして、リンドグレーンに面会を申し込む。
彼女が司令官室にいるリンドグレーンに挨拶すると、「休戦中とはいえ総参謀長が総旗艦を離れるのはいかがなものか」と嫌味を言った。それに対し、ハースは笑みを浮かべたまま、
「ええ、本来ならこのようなことをしている場合ではないのですけど。仕事を増やしてくださる方がいらっしゃるので」と嫌味を返す。
リンドグレーンは口では勝てないと思い、憮然とした表情で「用件を伺おう」と話題を変えた。
「貴艦隊の士官を貸していただけないかと思いまして。総参謀部は非常に忙しいので、優秀な若手の士官を借りたいのです。艦を失った士官ならお借りしても問題ないでしょう?」
「わざわざそんなことのために旗艦を離れたのかね」
リンドグレーンはそう嫌味を言いながらも、ハースの目的を理解した。
査問会議に掛けようとしているクリフォードを一時的に総参謀部付にして、自分の影響力が及ばないところに避難させようとしていると気づいたのだ。
「ええ、小官が直接交渉に来たくなるほど優秀な士官ですわ。今回の会戦でも武勲を挙げておりますし」
「誰のことか分からんが、この状況で遊んでおる士官はおらん」と言って断った。ハースはニヤリと笑い、
「では、遊んでいる士官でしたら問題ないわけですね。この艦の営倉にいるはずですから、お借りしますわね」
「ま、待ちたまえ」とリンドグレーンは慌てる。
(いつの間に情報が漏洩したのだ……砲艦戦隊の穀潰しどもか……)
内心で怒りを爆発させるものの、この状況が危険であると気付く。しかし、冷静さを失っている彼はハースに対し「そのような事実はない」と言い切り、
「あったとしても艦隊司令部の専権事項だ。総参謀部にとやかく言われる筋合いはない」と付け加えてしまった。
ハースはその言葉を待っていたかのように反撃を開始する。
「コリングウッド少佐を処分するおつもりなら、それ相応の覚悟をなさることです。コリングウッド少佐の戦闘記録は第三艦隊司令部を通じて、既に総参謀部でも入手しております。記録を見る限り、艦隊司令部の非合理的な命令に従って最後まで艦隊を支援した上、圧倒的に不利な状況で奮戦していますね。そのような優秀な士官を処分されるというのであれば、司令官としての資質を疑わざるを得ません。総司令官閣下も艦隊全体の士気を下げる行為を認めるおつもりは無いと明言されました。それを承知の上で査問会議を開かれるのであれば、どうぞご随意に」
それまでの笑みを消し、感情を排した声でそう言い切ると、リンドグレーンの言葉を待つことなく司令官室を退出していく。そして、その足で第三艦隊の参謀長ジャスタス・ノールズ中将に面会し、同じことを告げる。
「……提督の命令に従うなら貴官も同罪ですよ。それでも忠誠を尽くしたいなら退役も視野に入れておくことです」
ノールズはハースの言葉に戦慄する。彼自身、今回の第三艦隊の行動が友軍の損害を拡大させ、更には祖国を危うくするものであったことは理解している。そして、適切な助言を怠り、リンドグレーンの暴走を止められなかった責任を問われることも覚悟していた。それでも不名誉な除隊まで付き合う気はなかった。彼は副司令官や旗艦艦長らに連絡をいれ、ハースの言葉を伝えていく。
リンドグレーンはそれでも査問会議を強行した。ノールズは反対するが、それでもリンドグレーンは納得しなかった。
直ちに会議室の一つが査問会議の場に決められ、判事役として参謀長と旗艦艦長、そして自らがその長を務め、検事役である軍警察の士官が告訴状を読み上げていく。
「宇宙歴四五一八年七月二十四日、C03GF004キャメロット第三艦隊第四砲艦戦隊所属HMS-N1103125インセクト級レディバード型125番艦艦長クリフォード・カスバート・コリングウッド少佐は戦闘可能な艦を放棄し、危機的状況にある友軍を見捨てるという王国軍人にあるまじき行為を……第三艦隊司令部は本不名誉行為に対し告発を行うと共に、同少佐に除隊を勧告するものである。証拠につきましては判事殿の個人用通信端末に転送しておりますので、ご参照ください。以上」
クリフォードはその告発を他人事のように聞いていた。
(問題になるとは思っていたが、ここまでとは……しかし、私は間違っていない。私がこの告発を認めるということは戦死した部下たちに申し訳が立たない。もちろん生き残った部下たちにも……)
リンドグレーンは満足そうに頷くと、クリフォードに顔を向ける。
「少佐、勧告に従う気はあるかな?」
その言葉にクリフォードはしっかりとした口調で「いいえ、提督」と答えた。
「これほど明確な証拠があるのだ。ここで認めれば名誉除隊できるが、認めないならキャメロットに戻ってから軍法会議に掛けることになる。そうなれば不名誉除隊は確実だぞ。君の父上が築いたコリングウッド家の名誉も地に堕ちることになるのだ。どうだ、考え直す気はないか?」
猫撫で声でクリフォードを説得しようとするが、再び「いいえ、提督」とだけ答えた。
リンドグレーンが「なぜ認めん!」と激高すると、ノールズが「落ち着いてください。提督」と言って宥め、「少佐、何か言いたいことはないか」とクリフォードに水を向ける。
クリフォードは小さく頷き、「はい、参謀長」と答え、
「小官は何ら恥ずべき行為は行っておりません。レディバード125号が戦闘能力を失った時刻である〇九二〇以降に退艦命令を出しております。これは航宙日誌に明確に記録として残っております」
ノールズは「確かに主砲加速器の損傷後に退艦命令を出しているな」と頷く。しかし、リンドグレーンは立ち上がり怒声とも言える声で糾弾する。
「詭弁だ。貴様は戦闘開始前にハードシェルの着用を命じておる。更にレディバードの掌砲手に対しては早期に持ち場を放棄させておるではないか!」
ノールズが「落ち着いてください、提督。この場は査問会議であり、発言は正確に議事録に残ります」と警告する。リンドグレーンはその言葉に「了解した」と憮然とした表情で答えて座り直した。
クリフォードはその糾弾に対する答えを考えてあった。そのため、すぐに反論する。
「船外活動用防護服の着用は敵駆逐艦戦隊との戦闘が熾烈になると予想したためです。また、掌砲手たちを事前にDデッキに避難させた理由は集束コイルを切り離したため、主兵装操作室及び控室に常駐させる必要がないためです」
理路整然とした反論にノールズは目を見張った。
(英雄として祭り上げられただけの男かと思ったが、本物のようだ。総参謀長のおっしゃるとおりだな……)
横ではリンドグレーンが支離滅裂の言葉で罵倒していた。ノールズと旗艦艦長の心はその言葉を聞くたびに冷えていった。
リンドグレーンの罵詈雑言が止んだところでノールズが「そろそろ裁決を行ってもよいのではないでしょうか」と査問会議の終了を提案する。
リンドグレーンはその提案に鷹揚に頷いた。
「では、裁決を採るとしよう。コリングウッド少佐の行為に不名誉な点があったか。参謀長の意見は?」
「小官の意見は、ノーです」としっかりとした口調で反対の意思を表示した。その言葉にリンドグレーンは一瞬理解できず困惑するが、すぐに「どういうことだ! 私に逆らうのか!」と激怒する。
ノールズは小さく首を横に振り、
「そのようなつもりは毛頭ございません。しかしながら、無実の者を貶めるような行為は、私の名誉に誓ってできないと申し上げます」
リンドグレーンは腹心の叛意に怒りに打ち震えながら、もう一度確認した。
「もう一度問うぞ。コリングウッド少佐の行為に不名誉な点があったか。イエスかノーか」
その問いに「ノーです。閣下」としっかりとした口調で反対する。
リンドグレーンは顔を真っ赤にしながらノールズを睨みつけると、旗艦艦長に目を向けた。
「コリングウッド少佐の行為に不名誉な点があったか。艦長の意見は?」
「小官の意見も参謀長閣下と同じ、ノーです。閣下」とリンドグレーンと目を合わせないようにしながらも、はっきりとした口調で反対の意思を表明した。
リンドグレーンが爆発する前にノールズが引き取った。
「これで反対が多数となりました。コリングウッド少佐に関する本査問会議の結果は問題なしということで。よろしいですか、司令官閣下」
リンドグレーンは結果が信じられず、何も言えなかった。ノールズはそのまま閉会を宣言する。
「反対のご意見は無いということで本査問会議は閉会とします。少佐、不愉快な思いをさせて済まなかった。我々は君が最後まで奮戦したことを正しく理解している。そのことは忘れないで欲しい。では退出してよし」
クリフォードは目の前で行われたことが信じられなかったが、機械的に「了解しました、閣下」敬礼を行って退室した。
残されたリンドグレーンは呆然としたまま、座り込んでいた。そして、「貴様らは私を裏切ったのか」と呟く。その独り言にノールズは静かに反論する。
「私は査問会議を開くことに反対したはずです。こうなることは分かっていましたから。それをお分かりにならなかったのは閣下の方です」
そしてこう付け加えた。
「閣下以外、コリングウッド少佐を処分することに賛同する者はいないでしょう。あれほどの活躍をし、メディアに注目されている人物です。正当な理由もなく、私怨で処分すれば叩かれるのは自分の方ですから」
リンドグレーンは憎しみを込めた目を彼に向ける。しかし、ノールズは更に追い討ちを掛けた。
「今回の敵前での転進について、副司令官以下の調書を作成し始めました。これは総司令部の指示ではなく第三艦隊司令部として行っているものです。我々もあの時の命令に納得しているわけではありません。きっと公正な調書ができるでしょう」
「勝手なことを! そのような命令は出しておらん! 即刻中止するのだ!」
リンドグレーンは怒りに任せて喚くように叫ぶが、ノールズは「第三艦隊司令部の首席幕僚として責務を果たすだけです」と言って敬礼し、彼の前から去っていった。
司令部にすら味方を失ったリンドグレーンは失意のあまり、司令官室に引きこもった。ノールズはそれを機に軍医長に過労による精神衰弱という診断書を書かせ、総司令部に送付する。ハースは直ちに副司令官に指揮権を移し、第三艦隊を掌握させた。
(これで面倒ごとが一つ減ったけど、こんな人物が艦隊司令官だなんて……メディアが知ったら大事になるわね。といっても何もできないんだけど……)
ハースはクリフォードを釈放させると、直接通信を行った。
クリフォードは僅か二日間で艦隊戦の激戦、指揮艦の喪失、更にはMPに拘束され、査問会議に掛けられるという激動に憔悴していた。そこに総参謀長から直接連絡が入ったと聞き、当惑する。
(何が起きるんだろう……部下たちのところに戻りたいな……)
いつも通り笑みを浮かべたハースが映し出されると、きれいな敬礼で迎える。
「お疲れ様。リンドグレーン提督は過労で倒れられたわ。これ以上あなたに関わることはないわよ」
ハースの言葉に「はい、閣下」とだけ答える。その姿にハースは小さく頷き、本題に入っていく。
「まだ正式な話ではないのだけど、総参謀部にあなたの席を用意したわ。参謀として私の手伝いをしてくれないかしら」
ハースの申し出はキャメロット防衛艦隊の総司令部付にならないかという誘いであり、総参謀長自らが勧誘したという事実は今後の出世に非常に良い影響を及ぼす。
しかしクリフォードは即座に断った。
「小官には部下がいます。少なくともキャメロットに帰還するまでは部下たちに対する責任を果たしたいと考えております」
ハースはその言葉を予想していたのか、即座に頷いた。
「分かったわ。でも、あなたは得難い才能を持っているの。ぜひともその才能を祖国のために使って欲しいと思っているわ。だから、もう一度よく考えて」
クリフォードは、「了解しました、閣下」と言って敬礼した。
通信を切ったハースは「やっぱりディックの子ね」と呟き、士官学校の同期であるリチャード・コリングウッドの姿を思い出していた。
「SF」の人気作品
書籍化作品
-
-
337
-
-
159
-
-
147
-
-
22803
-
-
0
-
-
238
-
-
23252
-
-
49989
-
-
11128
コメント