闇渡りのイスラと蒼炎の御子

井上数樹

【第百四九節/カナンについて 下】

娼婦あの人達は、闇渡りとして生まれ育ってから、ずっとあの仕事を当たり前のこととして続けてきました」

 ワインの注がれた杯を軽く回しながら、カナンは呟くように語る。頰が微かに赤らんでいた。炎の揺らぎに合わせて、彼女の顔の陰影も揺れる。

「私だって、色々考えましたよ……? でも、私が一人で色々考えたって、それは私一人の正しさに過ぎないもの。人に押し付けるなんて出来ない……」

 息を吐きながらカナンは夜空を仰いだ。

「でも、闇渡りの女性が不幸なのって、やっぱり娼婦として身体を売るからだと思うんです……それは間違いない。だから、他に食べていける仕事を作ってあげたり、男女両方を定期的にお風呂に入れてあげたり……ああ、それから薬の買い上げもしてるんですけど……結局は問題の先延ばしに過ぎないと言うか、解決してないというか……」

 葦のように上体を動かしつつ、次々と言葉が漏れ出てくるが、それは説明から徐々に愚痴へと変わりつつあった。

 同じく倒木を腰掛けがわりにして座らされたコレットは、だらだらと流れてくるカナンの言葉を聞きつつも、意識はすぐ側で調理しているイスラへと向けられていた。

 恐るべき手早さでトマト、玉ねぎ、ジャガイモを微塵切りにすると、油の敷かれた鍋に入れて塩を振り、蓋をする。

 そこまでは良いのだが、問題は、何故か鍋の下に金色の刀身の伐剣が差し込まれていることだ。

 剣からは蒼い火がちろちろと噴き出ている。イスラが柄に触れると、それに合わせて火の強弱が変わる。よく見ると、会ったばかりの時に外套の下からのぞいていたのと同じ剣だと気づいた。

(あれって、こういう使い方をするものなの……?)

 コレットの疑問符などどこ吹く風で、イスラは鶏肉の燻製を切り分ける作業に移ろうとしていた。彼女の杯が空なのに気づき、「ん」と果実水の入った水筒を差し出す。

「あ、ありがとうございます」

「悪いな、付き合わせちまって」

「いえ、そんな……」

 二人は揃って、相変わらずぶつぶつと呟くカナンを見やった。「世界は皿のように平らだから……んあぁ、でも、応益負担……」。

「……イスラさん、何の話か分かりますか……?」

「分かるわけねぇだろ。ったく、皆の前で話した後は、いつもこうなんだ。おい、寝るなよ。今から飯なんだぞ」

 イスラはぺちぺちとカナンの頰を叩いた。そのまま真後ろに倒れかけていたカナンが、バッと身体を起こした。

「……イスラ。私、何か言ってました?」

「イスラのご飯一生食べたいってさ」

「それ絶対ウ……ん、本当に言いました?」

「嘘だよ」

「また揶揄からかった!」

「隙を見せたお前が悪い」

 ククッ、と笑いながらササミの燻製にナイフを入れるイスラを、カナンは唸りながら睨みつけた。その顔には、酔いとは違う赤みが差している。

 二人のやり取りを見ていたコレットは、二人に対する印象が少しずつ変わっていくのを感じていた。イスラは見た目通りの恐ろしい闇渡りではなく、カナンもまた、数千人の聴衆の前で声を張り上げるのが本性ではない。

 だが、カナンの中に堂々と説法が出来る能力が宿っていることも確かなのだ。

 そしてイスラもまた、剣を剣として振るうこともあるのだろう、と思った。



◇◇◇



 イスラが用意した料理は、三十分も経たずに三人の腹の中に納まった。それほど量が多くなかったこともあるが、普段小食なコレットは、自分がこれほど一気に料理を食べられるのだと驚いた。

 食事が終わってからも、カナンはしばしコレットと問答していたが、最後には酔いが回ったのと、何より日中の疲れが出て、眠り込んでしまった。

「やれやれ……」

 イスラはぼやきながらカナンを抱き上げると、天幕の中に運び込んで毛布をかけてやった。

「悪いな、嬢ちゃん。今日はこれでお開きだ」

「そんな、こちらこそありがとうございました。とても美味しかったです」

「ん……寝床なんだけど、カナンの隣で寝てくれ。ここいら一帯で一番安全な場所だ。毛布もあるんだけど、寒かったらあいつの服を使ってくれ。怒ったりしないだろうからさ」

 そう言いつつ、イスラは食事の後片付けをする。コレットも眠気を覚えていたが、申し訳なさが先だった。

「あの……私も、お手伝いします」

「そうか? 疲れてるだろ?」

「いえ。今日一日で、すごくお世話になりましたから。少しでも恩返しをさせてください」

「じゃあ、ぼちぼちやってくれ」

 張り切って見せたところで、温室育ちのコレットに出来る仕事は限られているし、手際も悪い。それでもイスラは小言は言わなかった。

 空になった鍋に食器を入れて、川へと洗いに行く。すれ違ったイスラの顔なじみが、隣を歩いているコレットをしげしげと眺めていった。そのたびに、コレットは小さく肩をすぼめた。

 川べりに着くと、イスラは明星ルシフェルを地面に突き立てた。蒼い光を放つ刀身が、二人の手元を照らし出した。

 いくら箱入り娘と言えど、コレットも皿洗いくらいならしたことがある。だが、煌都から離れた夜の世界で、知り合ったばかりの男性と一緒にすることになるなど、今日の朝までは思いもしなかった。

 川の水は冷たく、手を浸しただけで凍り付きそうなほどだった。だが、隣のイスラは顔色一つ変えずに手早く仕事を進めているし、先客の女達も姦しい声をあげながら楽しそうに洗い物を片づけている。

「……こういう仕事、いつもイスラさんがやっているんですか?」

 大変な仕事だな、と思いながらコレットは訊ねる。だが、イスラは笑いながら「こんなもん、仕事の内に入らねぇよ」と言った。

「俺なんかは気楽なもんだぜ。その日その日の仕事を適当にこなしてたら、それだけで飯を食うだけの金は手に入るんだからな。
 でも、自分で仕事を作るってのは、俺には無理だ」

「仕事を……作る?」

「カナンがやってるようなことさ。パルミラに着いた頃からしきりに言ってたよ。人間を人間らしく生活させるには、まずまっとうな仕事と、それが出来る環境を作ってあげないと……って」

「それが、正しい世界ということなんでしょうか」

「俺に聞かれたって困るよ。こちとらしがない闇渡りなんだからな。それに、あいつが言う世界とやらにも、正直そこまで興味は無いんだ」

「えっ!?」

 コレットは驚愕した。守火手であるイスラが、カナンと意思を一つにしていないことがあまりに意外だったからだ。性格が違っていても、理想が同じだから協力し合えるというのなら話は通じる。しかし、見た限り性格が異なり、そのうえ目標まで違うのであれば、一体二人を繋ぎ止める関係性は何なのだろう? そう考えてしまう。

「じゃあ……何でカナン様の守火手をやっているんですか?」

「悪いか?」

「い、いえ! そういうわけじゃない、んですけど……とても不思議で」

「いいさ。正直、俺だって上手く理由は言えないんだ」

 そんなあやふやな関係で、これほどの旅を続けられるのだろうか、とコレットは思った。そんな彼女の疑問をかぎ取ったイスラは「ただ……」と言葉をつなげた。

「だいぶ前に……あいつから言われたんだ。イスラは言葉を大事にする人だって。前は俺も、昔の闇渡りの格言とかをよく使っててさ。それに倣って生活してた時期があるんだ。
 でも、それは結局借り物の言葉に過ぎないんだよ。最近は、誰かから言葉を借りる必要も無くなってきたけど、やっぱり一番偉いのは、自分で自分の言葉を話せる奴だと思う」

「自分の、言葉……?」

「ああ。自分だけの考えをちゃんと持ってて、それをきちんと言葉に変えられる奴のことさ。
 俺はこんな風に、ただ生きるだけの生活だったら、百歳までだって続ける自信がある。でも、そんな生活をいくら積み重ねたところで、後には何も残らない」

 いつの間にか、コレットは手を止めていた。イスラは手を動かしたまま、黒い川面に視線を落としている。そして、少しだけ笑みを浮かべた。

「あいつは……カナンは、無茶で無鉄砲、向こう見ずで勝手に無理を背負い込むし、そのうえ頑固で馬鹿真面目だから、一度決めたら絶対に逃げようとしない。そんなこと気にしてどうするんだ、とか、お前が頭捻っても仕方ないだろ、って言いたくなることもある。見てて呆れることもあるし、時々苛々することもあるよ。
 でも、色んなことをちゃんと考えてる……凄く偉い奴だと思う」

 それが少々ひねくれた惚気のろけであることに、当のイスラは気付いていなかった。コレットは気付いていたが、指摘したら川に突き飛ばされるかもしれないと思った。

 だから、一つだけ気付いたことをイスラに教えた。


「イスラさん。それってたぶん、尊敬してるってことだと思いますよ?」


 イスラは喉を鳴らした。苦笑であったの驚愕だったのか、それとも気恥ずかしさであったのか、当人も良く分からなかった。ただ、コレットの言葉は妙にぴったりと彼の頭の中の空白に収まった。

「……絶対に、あいつの前で言わないでくれよ?」

 カナンのにやにやとした顔が水面に映った気がした。イスラは最後の皿を水面に叩き付けた。

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