闇渡りのイスラと蒼炎の御子

井上数樹

【第百三六節/騒擾と群像 中】

 グィドの下した命令は即座にラヴェンナ騎士団へと伝わり、各所で槍の穂先を揃え威嚇していた。それに触発された闇渡り達が混乱も露わに逃げ回るものの、逃げる相手こそ追いかけたくなるものだ。オーディスの発破や、ペトラの対応の追いつかない場所では、ここぞとばかりに騎兵達が走り回っていた。

 ティヴォリ遺跡はあちこちに建物の建材や土台が点在しているが、元々道路が広く造られていたため、騎兵が走り回るだけの余裕があるのだ。

 ために、逃げ遅れた闇渡り達は、迷路の中を走るような心境で騎兵の蹄から逃れていた。

 ラヴェンナ騎兵達も全速で走ることは出来ないが、生身の人間では甲冑と馬に勝つ事など出来ない。狩りでもするかのような心持ちで闇渡りを追い詰めに掛かっていた。

 基本的に、大きな生き物ほど、誰かに襲われることを恐れない。ましてや相手に何の武装も無い場合は油断が生じる。騎兵というものは、そうした心理的な自信を抱き易い兵種なのだ。だからこそ、犇めく敵の戦列に向かって突撃することが出来る。

 だからこそ、この状況下で自分達に牙を剥く存在がいるとは思わなかったのだ。

 蹄鉄の音が鳴り響く中で、ある騎士は風の中の異音に気が付いた。そして次の瞬間、先頭を走っていた一騎の手から、槍がもぎ取られる光景を目の当たりにした。

 巨大な突撃槍ランスが冗談のように宙を舞い、暗闇の中へと消えていく。鉄塊が地面を打ち、そのけたたましい騒音を縫うように、梟の風切り音が走った。

 槍を奪われたのとは別の騎士が、鉤爪のようなものに引っかかって馬上から落とされる。後ろに続いていた騎士達は仲間を踏み殺さないよう手綱を引くが、馬が大きく前脚を振り上げた。


「今だ、やれっ!」


 騎士達の動きが止まった瞬間を見計らい、物陰に隠れていたサイモンが号令をかける。同時に彼の部下達が飛び出し、馬を鎮めるのに必死だったラヴェンナ騎兵に縄を掛けて引き摺り下ろす。

「押し倒して縛り上げろ! ただし絶対に殺すなよ!」

 彼自身も倒れた騎兵の上に馬乗りになって叫ぶ。相手はバタバタともがいているが、甲冑の重さのために押し退けるどころか身動きさえ満足にとれない。

 それでも流石は訓練を積んだ騎兵と言うべきか。圧倒的に不利な態勢にも関わらず、サイモンは決め手を欠いていた。それどころか、服を掴まれて重心を崩されかけた。

「こいつ!」

「サイモン、退け!」

 真後ろから声が聞こえた。その声の主が誰か確認するまでもない。サイモンは騎兵の上から転がり落ちた。

 急に重りの無くなった騎兵が手をついて立ち上がろうとする……その顎先を、駆け寄ったイスラが強かに蹴り飛ばした。

 鎧が地面と擦れて耳障りな音を発した。兜がガンと打ち付けられ、兵士は動かなくなった。

「……殺してないだろうな?」

「手加減はしたよ」

 周囲を見渡すと、この付近を走っていた騎兵はあらかた捕獲し終わっていた。捕まった者は敵意に満ちた視線の中で悄然と項垂れ、逃げ回っていた闇渡り達も恐々と顔を覗かせている。

 だが遺跡の他の箇所では、未だに騎馬のいななきや難民達の悲鳴が聞こえてくる。一息入れる余裕はありそうにない。

「……なあイスラ。これ、収まると思うか?」

 サイモンの声には疲れが滲み出ていた。これまでの疲労より、これからの疲労を思って出た弱音だった。

 ラヴェンナ騎兵の強襲と、それによる混乱。元々不安定な集団がなんとか纏りを保っていただけに、今回の一件は致命傷になりかねない。

 もし闇渡りの一部が逃走したら。その先で事件を引き起こしたら。

 当然ラヴェンナは糾弾するだろうし、難民団は辺獄に入ることなく壊滅させられるだろう。難民は皆殺しにあい、指導者層も良くて軟禁、悪ければ連座して処刑されるかもしれない。それこそサイモンやペトラなどは、ウルクへと送り返されてしまうだろう。


 そうなれば、今までの旅の全てが無駄になってしまう。


 サイモンが恐れるのは当然のことだった。彼だけでなく、大坑窟出身者がこうして必死に騎兵と戦ったのも、最悪の結果を少しでも遠ざけるためだ。

「……すまん、つまらねぇこと言っちまったな」

「いや」

 イスラは首を横に振りながら、サイモンの肩をポンと叩いた。
 そして振り返り、この場に集まっている全ての者に向かって声を張り上げた。


「今はこんな大騒ぎになってるけど、最後は絶対にカナンが収めてくれる! その時、あいつが動き易いように、今は少しでも出来る事をやるぞ!
 闇渡りの連中も心配するな。向かってくる奴は、あいつに代わって俺が全部黙らせてやる!」


 イスラは腰に帯びた明星ルシフェルを抜き放ち、夜空に掲げて見せた。金色の刀身の中に蒼い天火を宿した伐剣は、戦場の中にあっても一際眩い輝きを放っていた。

 もちろん、この剣で騎士達を斬るわけにはいかない。あくまで象徴としての意味しか今は無いが、それでも落ち込み掛けた士気を再び盛り上げるだけの力があった。

「ってなわけで、俺は別の所も回ってくるよ。こっちは……おい、何だよ、その顔?」

「ん? ああ、いや、ちょっとな」

 サイモンの妙にほっこりとした表情を見て、イスラは眉根を寄せた。

「はっきり言ってくれよ、気持ち悪い」

「言ったら殴られそうだからな。わざわざ藪蛇は突かない主義なんだ、俺って賢いから」

「うっぜぇ」

「へいへい。ほら、黙らせてきてくれるんだろ? ならさっさと行けよ」

 煽るように手を振るサイモンに舌打ちすると、イスラは梟の爪ヤンシュフを振って石柱の上へと飛び上がり、一瞬で闇の中に消えていった。

 その後ろ姿が見えなくなってから、サイモンはぽつりと呟いた。

「……ああ、お前には十分な器があるんだぜ。まだ分かってないんだろうけどな」

 だが、正面切って告げるのも憚られるな、とサイモンは思った。

 仲間が「行くぞ」と声を掛ける。サイモンはいつもの軽い口調で返事をすると、地道に道路の上を走り出した。

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