闇渡りのイスラと蒼炎の御子

井上数樹

【断章/ユディトの回想 中】

 私たちは行く先々で歓迎されたけれど、ラヴェンナばかりはそうはいかなかった。

 エマヌエル・ゴートが提唱した救征軍の出撃が目前に迫っていたからだ。

 今現在の評価はともかく、当時この構想はラヴェンナで厚く支持された。それは、新領土の獲得以外に、大規模な雇用創出という面を持っていたからだ。

 旧時代の歴史が伝えるところに依ると、戦争は大規模な雇用を生み出す社会事業の側面を持っている。この言い方が適切かは置いておくけれど、実戦部隊とそれを支える兵站の構築には、確かに膨大な人間の力が必要だ。

 つまり、ラヴェンナは人余りに陥っていた。厳しい居住制限を設けている煌都にとってこれは看過出来ない問題だった。

 何故そんな状態になったのかというと、因果なことにラヴェンナの政治体制が原因だったのだ。

 煌都ラヴェンナとその管区は、王族であるゴート家や五人の辺境伯をはじめとした貴族階級によって支配されてきた。彼らは元々軍人であり、戦いで命を落とすという前提があったのだけど、今は戦争などとは無縁な平和な時代。家名が淘汰されずに残り続けると、必然的に子供も増え続ける。そうするとどうなるか。


 必要とされない人間が増えることを意味するのだ。


 貴族の息女ならまだ良い。どこにでも嫁がせることが出来るし、その縁故を基盤にして家を盛り立てることも出来る。ところが相続権を持たない貴族の次男、三男になると、もうどうにもこうに使い道が無い。

 彼らに行き場は無い。祭司になろうにも、継火手の血統を持たない一族では決して参入することが出来ない。
 だからと言って、貴族階級に属する者が下々の人間と同じ仕事をするわけにはいかない。そんなことをすれば階級制度を根本から崩してしまう。

 残った道は、軍人として煌都の防人さきもりになることだけ。それも、滅多に戦闘など起こらないから、使い道の無い訓練を延々と繰り返すことになる。

 エマヌエル・ゴートは、ラヴェンナの抱える問題が顕在化していく様を見ながら大人になった。

 当時のラヴェンナを実際に見たわけではないから想像に過ぎないのだけれど、酷い有様だったことだろう。

 力を持て余した軍人ほど厄介なものはない。エルシャのレヴィン……カナンを犯そうとしたクズ、あいつのようなやからが巷に溢れ、都市の風紀は乱れに乱れたと聞いている。市民の間では、そうした不貞軍人を指して「日に焼けた闇渡り」とまで言っていたそうだから、その荒れ具合は相当なものだったのだろう。

 燈台の遮光壁も下りないうちから酒を浴び、無辜の市民を路地裏に引っ張り込んだり暴力沙汰を起こしたり……軍人が軍人を取り締まり広場に吊るすのが日常茶飯事だったという。


 エマヌエルの救征軍は、そうしたどうしようもない連中に働く場所と戦士としての意義を与えるために結成された。


 良く憶えている。あの日、ラヴェンナを訪れた私たちは、彼女自身の口から実際に遠征の目的を語られた。

 カナンはエマヌエルに会うのを楽しみにしていた。あの子の性格だから、きっと噂話を聞いただけでも、自分と通じる何かを感じ取っていたのだろう。

 私も次にラヴェンナの女王になるのがどんな人物なのか気になっていた。政治の才覚、天火、人格、全てにおいて讃えられていた女性ひとで、そのうえ荒くれ者を率いて辺獄に乗り込むというのだから、どんな豪傑が待ち構えているのかと変な想像を膨らませていた。

 ところが王城の彼女の執務室に通され、飲み物が運ばれて来ても、肝心のエマヌエルは姿を現さない。

 何か用事でもあるのかと思ったのだけれど、案内役のギヌエット大臣が真っ青な顔で侍女に問い詰めているのを見て、違うと確信した。

 たぶん一時間くらい経った頃だろうか。部屋には私とカナン以外に誰もいなくなっていた。でもその方が良かった。気を遣った大臣が私達に色々話しかけてきたのだけれど、かえって居た堪れない気分にさせられていたから。

「……来ないわね」

「そうですね……」

 カナンは少しだけしゅんとしているようだった。よほどエマヌエルに会うのが楽しみだったのだろう。
 でも、これ以上ここに居座るわけにもいかない。予定も詰まっているから、断ってから帰ろうと思った。

 その時、壁際の一際大きな本棚がガタガタと揺れた。完全に不意をつかれた私達は椅子の上で思わず飛び上がってしまった。

 不覚にもカナンと抱き合ったまま固まっていると、本棚が真横に滑り、大人が屈んで潜れるくらいの扉が姿を現した。

 エマヌエル・ゴートは、その小さな扉から這い出るように姿を現した。

「ギヌエットは行ったわね……こんにちは、エルシャの双子さん」

 色々と呆気にとられていた私は、エマヌエルが挨拶する間もじっと彼女を見つめていた。

 思えば、私達姉妹はそれぞれ違う形でエマヌエルの影響を受けている。カナンはもちろん、私も……認めたくないけれど、そうなのだ。

 十五歳のこの時でも、私とカナンは美少女として知れ渡っていた。ただし、それはエルシャだけの話。
 美女と言えば誰を思い浮かべるか。そんな質問をどこの煌都でやったとしても、真っ先にエマヌエル・ゴートの名前が挙げられた。もちろんラヴェンナ以外の住人が彼女の顔を見るのは難しいが、噂が一人歩きするくらいには綺麗だったということだ。

 事実、エマヌエルは私やカナンが圧倒されるくらいに美しい女性ひとだった。

 金色に似た白とも、暖かな銀色とも言われる髪は、彼女が動くたびに光を放つかのようだった。癖があるのか緩やかに波打っていて、それが彼女の柔らかな雰囲気を一層引き立てていた。

 少し垂れ気味の瞳、髪と同じ色の長い睫毛、暖かな頬の色。美女の種類にも色々あるけれど、彼女のように暖かさを連想させる人はいないと思う。私が彼女を真似ようとしても絶対に無理だし、カナンも真似しようとしたけど無駄だった。あの子には落ち着きが無さ過ぎるし、ころころと表情が変わる。要するに未熟なのだ。

「あ、あのっ……はじめまして! エルシャの大祭司の娘、カナンと言います!」

 あのカナンが慌ててどもる・・・ところなんてなかなか見られない。緊張と興奮で耳まで赤くなっていた。妹の醜態を横目に見ながら、私も胸に手を当てて名乗り、会釈した。

 エマヌエルは穏やかな笑みを浮かべながら私たちを見ていた。質素な、言い換えれば地味なドレスを着ているのに、煤けた感じは全然しなかった。むしろ、相手の緊張をほぐすような安心感がある。

「遅れてしまってごめんなさい、準備に手間取ってしまって。さあ、こっちに来て」

 そう言って、エマヌエルは私たちを手招きすると、隠し扉の中に入っていってしまった。私が困惑して突っ立っていると、カナンまで私の背中を押して押し込もうとしてくる。

「姉様、先に行って?」

「ちょ、ちょっと! 勝手にいなくなったら皆が困るでしょ!?」

 私が抵抗していると、穴の中からエマヌエルが「大丈夫よ」と言ってきた。

「手は打っておいたわ。ギヌエットの机には書置きを残しておいたし、上手く取り繕ってくれるわよ」

 それは手を打ったうちに入るのだろうか、と思ったのだけれど、カナンにグイグイとお尻を押されて隠し扉の中に押し込まれてしまった。

 扉の向こうは、人ひとりがようやく通れるくらいの小さな通路になっていた。高さも二ミトラも無いくらいで、ギデオンなら屈んで歩かなきゃいけないくらい。
 私たちが入るのを待ってから、エマヌエルは壁に取り付けられたレバーを回した。歯車の回る音とともに本棚が動き、通路を隠す。

 当然、中は真っ暗になった。私は咄嗟に天火を出そうとしたのだけれど、それよりも先に白色金の光が通路を満たしていた。

「さあ、ついてきて」

 エマヌエルは手の平の上に小さな炎を浮かばせていた。ゴート家に伝わる白い輝きは、エマヌエルの人柄を表現するかのように優しく揺らめいていた。

 私とカナンは、エマヌエルの後について通路を歩き続けた。途中で階段があったり、分岐点があったのだけれど、エマヌエルは私たちに注意しつつ慣れた足取りで進んでいく。

「ここは昔、ラヴェンナが要塞として使われていた頃の通路なの。今は万が一の時に逃げ道として使うことになっているわ」

「そんな所に、私達みたいな部外者を入れて良いのですか……?」

「大丈夫よ、憶えている人なんてほとんどいないもの。使っているのも、私と、妹のマリオンくらいね。……さあ、着いたわ」

 小さな木の扉を開くと、白い光が私達を照らした。

 エマヌエルが誘った部屋には彼女の天火を灯した銀の燭台がいくつも掲げられていた。
 壁際には小さな本棚が置かれていて、神学書、軍学書、経済学書の名著が並んでいた。闇雲に集めたのではなく、何か目的を持って揃えてあることが読み取れた。
 その隣に置かれた文机は綺麗に整頓されていて、丸められた地図や綴じられた書類が種類ごとにまとめられていた。花瓶にはラナンキュラスの花束が挿されている。誰かからの贈り物だったのかもしれない。

 小さな部屋だけに、私達三人が入るとさすがに少し動きづらい。それでもあまり窮屈な感じがしなかったのは、天井が礼拝堂のように高かったからだ。
 大きな壁にはそれに負けないくらい広いタペストリーが掛けられていた。たぶん、彼女がこの部屋に私物を持ち込む前からあった物なのだろう。端々はほつれ、虫食いで穴が開いている箇所もあった。
 それでも真紅の生地の美しさは褪せていない。色とりどりの糸で編まれているのは、この世界ツァラハトの想像図だった。

 でも、何よりも私とカナンを魅了したのは、部屋の真ん中に置かれた丸テーブル……そのうえに並べられた、お菓子の盛られた皿たちだった。

「ギヌエットは良い人だけれど、あまり気は利かないわね。女の子をおもてなしするなら、これくらいは用意しないといけないわ」

 茶目っ気を覗かせながら微笑むエマヌエルに、私はどうして彼女が好かれるのか理解出来た。だって、私自身もまた、彼女に対して好意を抱くようになっていたのだから。

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