闇渡りのイスラと蒼炎の御子

井上数樹

【第九十九節/「切り札はトビア」】

 エリコからの報告があった時点で、カナンはパルミラを離れることを決断した。

 よもやこんな事態になるとは思っていなかったため、サイモン達にはろくな裁量権を与えていなかった。報告でも現地の部隊と合流して追撃に入ったと書かれていたが、意地悪な言い方をすれば編入されてしまった形だ。

 だが、闇雲に動き回った所で事態は好転しない。彼らが闇渡り達の挙動を掴めたとして、その後パルミラの本隊が到着するまで待つのでは時間が掛かり過ぎる。


 それなら、難民団は難民団で独自に指示系統を構築して動いた方が効率が良い。


 唯一、商人会議からの承諾を得られるかが微妙だったのだが、彼らは彼らで方々の対応に手一杯で、難民団に構っている余裕などどこにも無かった。カナンのエリコ行きもなし崩し的に受け容れられた。

 ペトラに図書館での情報収集を頼む一方で、オルファやバルナバといったリーダー格の人間に引継ぎを行い、大慌てで部隊の編制を終わらせた。

 予備の調査隊員は、かき集められるだけで三十名程度だった。戦力としては心もとないが、ウドゥグの剣の破壊ないし奪取を目的とするなら、少ない方がかえって小回りが利く。

 強行軍が予想されるため、二頭立ての馬車を六台用意し、替馬は全部で二十四頭用立てた。無論、物資不足の難民団にとっては大きな負担だが、こちらの対応が遅れれば遅れるほど状況は悪くなる。こうして用意している間にも、闇渡りの軍勢はどこかの村を襲っているかもしれないのだ。

 馬や物資の手配がひとしきり終わると、カナンは廃船の船尾にある自室に戻り、服を脱いだ。

 ここしばらくは女物の衣装を着ていたが、戦場に赴くとなるとそうはいかない。エルシャを出る際に持ってきた旅装に身を包み、つぎはぎ・・・・だらけの茶色の外套を手に取る。

「……いい加減に、買い替え時よね」

 この地味な外套にはずいぶんお世話になったが、さすがにもう寿命が来ている。今回の一件が終わったら新しいのを買おうと決めた。

 最後に細剣の鞘をベルトに吊るす。エルシャから持ち出した剣はベイベルとの戦いで失くしてしまったので、難民団の備品から拝借した代用品だ。前の物とは到底比べ物にならないが、あるに越したことはないし、今回は戦闘よりも交渉役としての出番の方が多いだろう。

「よしっ」

 カナンが剣を鞘に納めるのと、ペトラが部屋の戸を叩いたのは同時だった。

「用意は出来たかい?」

「ええ。そちらも、間に合いましたか?」

「ああ。爺さんがばっちり見つけてくれたよ。魔導司書にまとめてもらった書類もあるから、馬車の中ででも読んでおくれ」

「助かります。……でも、頼んだ私が言うのもなんですけど、本当にあっさり見つかりましたね」

「ネタが割れたらどうってことない代物だったのさ。まあ魔剣には違いないんだろうけど、こっちには切り札があるからね」

「切り札?」

 カナンがそう聞き返すと、ペトラはすぐ後ろにいたトビアの手を掴んで前に押し出した。

「ど、どうも……」

 トビアは縮こまったまま、申し訳なさそうに手を挙げた。

「……切り札?」

「あ、信じてないね」

「い、いえいえ、信じてますよ! ねっ、トビアさん!?」

「カナンさん、無理しなくて良いです……」

 正直なところ、一番驚いているのがトビア本人だった。

 図書館でフィロラオスに言われた資料を一通り持ってきたあと、彼の口から「カナンと一緒に行きなさい」と言われた時は本当に驚かされた。自分の非力さは嫌と言うほど知っているし、付いていっても足手まといになるだけだと思った。


 だが、老博士の口から語られた魔剣の正体を聴くに至り、確かに自分が必要とされる理由も分かった。


 こんな大役が自分に務まるかは分からない。だが、難民団だけでなくパルミラの人々まで危機に瀕していると言われたら、尻込みしているわけにはいかなかった。

 難民団の中で、トビアほど頻繁にパルミラ市内に入っている人間はそうそういない。毎日図書館と居留地を往復していたので、門番の兵隊たちから顔を覚えられたし、果物屋の女将や肉屋の店主から奢ってもらうこともままあった。フィロラオス以外の司書も良い人ばかりで、逆に彼女たちからも気に入られている。

 トビアは自然と人から好かれる分、その好意を裏切らないよう努力することを忘れない。そんな素朴な誠実さが、ますます人を引き付けるのだ。

 彼の性格は、カナンも良く理解している。今も不安げな表情を浮かべているが、同時に何としてでもついていくという意志も見受けられた。

「今度も、危険な旅になりますよ?」

「はい。覚悟は出来てます」

 その返事に迷いは無かった。
 カナンは微笑を浮かべた。

「それじゃあ……よろしくお願いします、トビアさん」

「はいっ!」

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