闇渡りのイスラと蒼炎の御子

井上数樹

【第百一節/追撃 下】

 襲撃を受けた村からは、闇渡り達がどこに行ったのかという痕跡が綺麗さっぱり無くなっていた。もとより根こそぎ奪っていくのが闇渡りというものだが、行き先を示す証拠さえ見つからないのは厄介だ。

「証拠は無し、証人も役に立たず、僕らはここで立ち往生かあ……」

 焼けて倒れた材木に座ったヴィルニクがため息をついた。それに当てられたように、追撃部隊の兵士たちも顔を見合わせている。

 サイモンは難民団の仲間を引き連れて独自に調査を行っていたが、芳しい成果は得られなかった。村の外に続く足跡はほとんど見つからず、焼けて倒れた木々によってわずかな痕跡も台無しになっている。

「こっちもお手上げだ。エリコを襲った闇渡りは、少なくとも千人は超えてるって話なんだけどな……」

 各派の代表を集めて話し合いが行われたが、議論は平行線をたどった。こうして実りの無い会議をしている間に、敵はどんどん距離を離している……それが分かっていても、どうしようもなかった。

「さっき捕まえた連中が、嘘の証言をしたんだ。行き先を知らないなんてことがあるはずない!」

 もう一度搾り上げてやる、とマスィルは意気込むが、賛同の代わりに溜息を送られた。目の前で斧を振り回された連中が嘘をつくとは思えない。それに、そこまで忠誠を誓う理由があるとも考えられなかった。

 こうなったら闇雲にでも探すしかない。そんな方向で話がまとまりかけた時、村の外を見回っていたオーディスが会議の輪に入ってきた。

「その方法では犠牲が増えるばかりです。彼らに追いつくことは出来ません」

「でも、今の私たちにこれ以外の方法は無いんだぞ。手がかりが何一つ無いんだから」

「それは君の思い込みだ」

「なっ!?」

 あっさりと片付けられたマスィルは鼻白んだが、すぐに対案はあるのかと切り返した。

「もちろんあるさ。イスラ、いるだろう?」

 少し離れたところで話を聴いていたイスラは、唐突に名前を呼ばれて少しだけ困惑した。だが、オーディスの余裕のある表情を見ていると、無根拠で呼ばれたとは思えなかった。「なんだよ」と返事だけは返したが、その場から動こうとはしなかった。
 オーディスもイスラの態度には構わず、一つの質問を投げかけた。

「闇渡りとしての君に聴くが、狩りをする時、君ならどう動く?」

「狩りか……そうだな、いくつか狩場に使えそうな場所を決める、かな。水場とか、餌の多い場所とか」

「だが野営地からは遠く離れない」

「当たり前だ。深追いして戻れなくなったら元も子もねぇよ」

「では、この場合も同じではないかな?」

 オーディスは長剣の鞘を使って地面に簡単な図を描いた。最初に三つの点を作り、次にその点を線で結ぶ。二等辺三角形に似た図形が出来上がった。

「今までに襲われた三か所を結ぶと、こういう形になる。さらに、この三角形と対称になる図形を描くと菱形になるわけだが……この四つ目の点に当たる箇所に、何か建物や山は無いかな?」

 描かれた図形を見下ろしていたサイモンが即座に「鉱山がある」と答えた。

「ここ数か月、パルミラ周辺の地図は俺たちが作ってたんだ。ここはまだ調査出来てないけど、聞き取りとかやって、下調べは出来てる」

「そうだねえ。たしか、旧時代の採掘場だったかな? 聖銀がよく採れたそうだよ。元々、エリコも砂漠と鉱山をつなぐために造られた街だからねえ」

「では、決まりだな」

 サイモンとヴィルニク、二人の裏付けを得てオーディスは断定した。だが、あまりにあっさりとした見立てに、かえって他の面子は疑念を募らせる。それを最初に口に出したのは、もちろんマスィルだった。

「ちょっと待て! こんな子供でも描けるような図を描いて、はいお終い……じゃ、納得出来ん!」

「だからだよ、お嬢さん」

「んなっ!?」

 お嬢さんという言葉に反応して暴れようとするマスィルを、察していたヴィルニクが後ろから羽交い絞めにする。それに構わず、オーディスは続ける。

「我々の敵は闇渡りだ。まずそれを前提に置き、これまでに得た事実を整理する。
 一つ、敵はウドゥグの剣なる武器を所有している。この剣にいかなる力があるのか……そもそも力があるのかは不明だが、兎にも角にも、闇渡りの畏敬を集めている。故に絶対に破壊しなければならない。
 二つ、敵の団結は弱い。エリコでは優勢にも関わらず兵の収容を怠り、先程は新参の部族を使い捨ての囮に使った。指揮官が冷酷な証拠だ。
 三つ、これは証言だが、闇渡りの長の一人が王を名乗っていること。すなわち王国を作らんという意思があること」

 オーディスは詩でも読むような明朗さで、これまでに得た情報を整理していく。皆、彼がどんな答えを出したのか聴こうと待ち構えている。マスィルでさえ暴れるのをやめて、ヴィルニクの腕のなかでむっつりと彼を睨んでいた。

「王国を作る以上、彼らには領土が必要だ。そのための明確な線引きには、天火アトルの存在が欠かせない」

「あいつらが、奪った天火で燈台を復活させるって言うのか」

 サイモンの言葉に、エリコ側の人間からざわめきが起こった。都市の人間にとって天火と燈台は絶対であり、それを所持していることが、自分たちと闇渡りの線引きになっている。その境界線が犯されつつあるというのだ。
 オーディスは深く頷いだ。

「でなければ、最初の村で台座ごと天火を奪った説明がつかない。交渉に使えば、戦争などという大博打を打たなくとも利益が出せる。それをしなかったのは、彼らにより大きな目的があったからだ。
 無論、数か月単位の準備が必要だったはずだ。人目を避けつつ戦力を集め、威光のもとにとりあえずまとめるだけの時間が。だが、闇渡りの文化や気質からすれば、そんな間に合わせの集団が長持ちするはずがない。今は魔剣の威光によって何とか纏めている状態だろうが、一度敗北を喫すれば、たちまち瓦解することは目に見えている。
 だからこそ、敵は複雑な作戦は立てられないし、合流地点もおのずと限られてくる。狩りという日常的な行動に沿った布陣なら、ある程度はぐれても合流出来る」

 ひとしきり説明を終えたオーディスは、わずかに顔をあげて一座を見渡した。納得したような表情で頷いている者もいれば、首をひねっている者もいる。だが、彼の見解よりも合理的な意見はついに出なかった。
 サイモンが手を打ち鳴らす。

「考えるのも良いけど、ぼちぼちにしておこうぜ。とりあえず当面の指針は立てられたんだ。敵が本拠地を持ってるとすれば、当然女子供はそこに置いてくるだろうな。その分軽くなった足回りで、あちこちを荒らしまわってる……こんなところか?」

「そう考えるのが妥当だろう。こうしている間にも、彼らは自慢の足で我々と距離を離しつつある。移動した痕跡が残っているうちに追撃した方が良い」

 オーディスの提案した意見を下地に、会議はまとまった。ともかくも敵の根拠地を見つけ出し、それから都軍の到着を待つという方向性が定まった。
 休憩していた兵士達に号令が出され、のろのろと出発の準備が進められる。その表情は一様に暗い。彼らの様子を横目で見ていたオーディスは、人知れず息を吐いた。

「貴方のような人から見たら、やっぱり歯痒いですよねえ」

 ヴィルニクはオーディスの表情の変化を見逃さなかった。さすがに彼も不意を突かれたらしく、「見られたか」と苦笑した。

「彼らの不安は理解出来る。防衛隊と言っても内情は武装市民のようなものだ。畑や工房で働いている人間に、常日頃から殺し合いをしている闇渡りと戦えと言っても、尻込みするのは仕方がない。
 だが、人にはその時々に応じて、なさねばならないことがある。責務を引き受け、真正面からそれに立ち向かう時こそ人間は輝く」

「……さながらかの聖女の如く、ですか?」

 常に温和な表情を崩さなかったオーディスに、一瞬暗い影が差したのをヴィルニクは見逃さなかった。それはすぐに消えてなくなり、やや困ったような笑顔で「さあ、どうだろうね」とはぐらかした。
 ヴィルニクは少し迷ったものの、さらに一歩踏み込んだ。

「救征軍の遠征と崩壊は、ほんの数年前のことです。憶えている人は憶えてますよ…‥そう、貴方がその中で成した役割も」

「成せなかった、の間違いだ。それは良い……今は、関係のないことだ」

 これ以上の会話を拒むようにオーディスは外套を翻した。その背中を見送りつつヴィルニクは呟く。

「人には人の責務、か。僕の仕事は……お守り、かな?」

 自分の継火手のことを思うと、どうしてもそんな言葉が出てしまった。

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