闇渡りのイスラと蒼炎の御子

井上数樹

【第百三節/闇渡り流の挨拶】

 偽装のため、やや迂回気味に駆けたにも関わらず、イスラはすぐに闇渡りの集団の先頭へと躍り出ていた。
 数千人の闇渡りの足音に木々が揺れ、地面が震える。イスラの足音もその中に呑み込まれてしまったが、彼の速さだけは他と隔絶していた。

 少し歩調を落とし、集団の中に紛れ込む。誰も隣を見ようとしない。足元を確認しつつ走るので精一杯といった様子だった。

(こいつらも相当バテてる……ろくに食い物も用意出来なかったのか?)

 この行軍方法なら、確かに都軍など簡単に振り切れるだろう。だが、それは装備を必要最低限に留めているからだ。
 エリコ攻めの際も、大掛かりな攻城兵器は一つも使われなかったらしい。せいぜい、伐り倒した木を組んで作った即席の投石器程度だったそうだ。

 イスラは隣を走っている闇渡りを横目で見た。男は顎から汗を垂らしながら、息も絶え絶えに走っている。身に着けているのは黒い外套に伐剣、小さな道具袋と水筒しか持っていない。恐らく、食料も飲み水も使い切ってしまい、おまけに何も略奪出来なかったのだろう。煤や泥のついた顔が、苦虫を噛んだように歪んでいた。

 略奪は楽だ。穀物は実るまでに時間と手間がかかるが、強盗はそんなことを気にする必要が無い。
 だが強盗の数が膨れ上がると、そのなかでも貧富の差が生じる。最初に踏み込んだ者ほど多くを得、おっとり刀でやってきた者は少ししか手に入れられない。イスラの隣を走っている男は、文字通りの負け犬だった。

(カナンなら、もっと上手くやれるな)

 彼女が富の分配に心を砕いていることは知っている。そのためにどれだけの手間や交渉をしてきたのかということも。それを思うと、少し誇らしい気持ちになった。
 同時に、悔しさも感じたが。

(こいつらの不満を焚き付けてやれば、案外あっさりと足止め出来るか……)

 そう考え、隣の男に向かって「よう兄弟、儲かったか?」と仕掛けてみた。

「くたばりやがれ!」

「おいおい、そう邪険にするなよ。俺だって儲からなかったクチなんだぜ?」

「手前のことなんざ知るか」

 それきり男は口を閉ざしてしまった。だが、その態度はとても雄弁に不満を語っている。イスラは思わずほくそ笑んでいた。

 やがて森の木々が開け、目の前に岩の転がる丘陵が現れた。枯れ草に覆われた平野には、かつて道路として使われていた名残の石畳が所々顔を覗かせている。丘はそのままゴツゴツとした岩肌につながり、岩山となって聳え立っている。

 かつて鉱山地帯として人を集めていた山々は、今は全く整備もされず荒れ果てている。坑道の前には小規模な街が作られているが、そこは闇渡り達の溜まり場と化していた。ほとんど廃墟のような建物の中に、何人もの闇渡りが押し込められている。街の中に入ると、四方から悪臭が漂ってきた。

 一応、出店のようなものが軒を連ねているが、どこもみすぼらしい上に品揃えも良くない。襲撃についてこれないような、年老いた闇渡りばかりが座らされている。彼らも、もう何かをする気力は無いのか、品物を並べてただ座っているだけといった有様だった。

 イスラは集団の中に身を隠しながら、注意深くあたりを探ってみた。奪われた天火は見当たらない。雨ざらしになっている外部よりも、坑道の中の方が快適なのだろう。王の住居もそこにあり、天火も同じ場所に隠されているに違いない。

「分かってきたな……」

 この街の構造は煌都と全く同じだ。天火を所有している王が中心となり、そこから階級ごとに居住区が割り当てられている。戦闘に参加出来ない老人達は坑道の外に追いやられ、王にとって必要な兵隊や女たちは城の中に囲い込まれる。

 案の定、ほどなくしてイスラは、他の闇渡りと一緒に坑道前の広場へと通された。

 坑道前には小さな関所が建てられており、徴税人が居座っている。襲撃の際に得た物の半分を拠出せよと命ぜられ、闇渡り達は一列に並ばされる。
 下っ端の連中は、皆一様に不満げな表情を浮かべていた。彼らにとって税金というシステムは理解し難いものだった。貢物、という言葉なら多少縁があるものの、大勢の人間から金を集めて再分配するという発想がそも存在しない。

 もっとも、この徴収にしても税金と銘打っているだけで、実際にはただの搾取なのかもしれないが。

「……」

 イスラは懐から銀貨の入った財布を取り出した。中身はさほど重くないが、一枚だけ、とっておきの金貨が入れてある。イスラはそれをつまみ出して右手の中に隠した。

「次の奴! 前に出ろ!」

 徴税役の闇渡りがイスラを呼ぶ。気だるげに肩を竦め、悠然と男の前に向かって歩いていく。
 徴税人は机の上に台帳を広げ、雑な手つきで数字を書き込んでいた。隣には闇渡り達から徴収した金や現物が積み上げられている。イスラは無造作に財布を放り投げた。

「おい、もっと丁寧に置け……待てよ、手前テメエ、見ない顔だな」

 男は胡乱気な表情でイスラを睨みつける。傍らに控えていた衛兵二人が、伐剣の柄に手を伸ばすのが見えた。

「おいおい、何言ってんだよ。この前酒場で会ったばかりじゃねえか」

 だが、イスラは顔色一つ変えずにうそぶいた。

「とぼけ……」

「まあまあ」

 男が何か言うより早く、イスラは相手の右手を両手で捉えていた。左手でペンを握った握り拳をこじ開け、右手に隠していた金貨をサッと滑り込ませる。

「あの日飲んだ酒は美味かったよな?」

 イスラがパッと手を放した時には、徴税人の顔には張り付けたような笑みが浮かんでいた。

「おお、そうだったな! しっかり稼いできたようじゃねえか、また一杯やろうぜ」

「おう!」

 こんな子芝居を見抜けない者などいないのだが、誰も何も言わなかった。闇渡りというのはそういうものだからだ。

 煌都の基準では到底考えられないことだが、それだけ官僚機構が整っていないということだ。こんな有様で国作りとは、無謀を通り越して滑稽だとイスラは思った。徴税機構など作る前に、まずは道徳から整えるべきだろう。

 ところが、衛兵役の二人はイスラを通そうとしなかった。イスラの前に立ちふさがり、これ見よがしに伐剣の刃をちらつかせる。

「礼儀をわきまえた新入りらしいが、それなら俺たちへの挨拶もするべきじゃねえのか?」

「あれで全部ってことは無ぇよなあ」

 衛兵の一人が、伐剣の切っ先でピタピタとイスラの頬を叩く。列に並ばされていた闇渡り達が事の成り行きを期待に満ちた目で見ている。不愉快な儀式の最中に、面白い見世物が始まったと言わんばかりだ。

「おいおい勘弁してくれよ、俺はもう素寒貧なんだぜ?」

「そいつは分からねえな。前なんて、下着の中に指輪を隠してた奴がいたんだ」

「この場でひん剥いてやろうか!?」

 二人の衛兵が下卑た笑い声をあげる。存外、この手の新人いびりが好きで、衛兵などやっているのだろう。


「……ちょうど良いな」


 イスラはぼそりと呟いた。「あん?」衛兵の一人が聞き返した時、その男の顎にイスラの拳がめり込んでいた。

 両脚が地面から離れる。とうに意識を刈り取られていた男は、受け身もとれないまま地面に倒れた。

「野郎!!」

 硬直から脱したもう一人が伐剣を振りかぶるが、イスラは猛禽のような素早さで男の腕を掴み、関節と逆方向に向けて捻り上げた。骨の折れる音と同時に激痛が男を襲うが、絶叫はしなかった。イスラが、すかさず膝蹴りを腹に叩き込んでいたからだ。声の代わりに空気と胃液が吐き出される。

「よっと」

 身体を曲げた男に、イスラは全体重を乗せた回し蹴りを喰らわせた。衛兵が面白いほど吹っ飛ぶのと同時に、並んでいた闇渡りの列から歓声が上がった。

「よぉ兄弟、俺は悪くねぇよな?」

 イスラは徴税人に向かってニッカと笑って見せた。衛兵二人が見事に料理されるところを目の当たりにした徴税人は、顔を白黒させながら壊れたおもちゃのように何度も首を振った。

「ありがとよ……っと、こいつは頂いてくぜ」

 ぶっ飛ばした片割れから伐剣を鞘ごと奪い、ついでに懐から財布を抜き取る。

 それは、イスラが出した袋よりも重たかった。

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