闇渡りのイスラと蒼炎の御子

井上数樹

【第七十九節/イスラの提案】

 パルミラに到着した後、カナンはそれまで預けられていた指揮権を一旦返上していた。
 砂漠という常に生死の危険がある場所でのみ独裁権を振るい、それが終わったらなるべく指導者の立場と距離を置こうと思っていたからだ。

 無論、カナンの実務能力や求心性を欠いてこの集団が立ちゆくはずもなく、また彼らもカナンを代表者とすることを積極的に望んだから、結局は以前と変わらない地位に留まっている。
 だが、自分の権力が拡大し過ぎることを防ぐために、カナンはいくつか手を打っていた。

 まず難民団を性別で二分し、そこからさらに青年層と熟年層に区分する。青年層は十八歳から二十九歳まで、熟年層は三十歳以上と取り決め、それぞれの層より二人ずつ代表者を選出させる。こうすることで、男女合わせて八人の代表者が出そろう。
 カナンは、その八人と合議する形で、難民団の運営を進めることにした。決定に際しては投票を行い、カナン自身も含めた九つの票で方針を定める。

 なるべく公平を期そうとした結果ではあるが、狙いは他にもあった。カナンとて万能ではなく、難民団の隅々まで気を配ることなど出来ないので、彼女に代わってそれぞれの層の不満や要求をくみ上げる人間が必要だったのだ。
 政治形態としてははなはだ不格好とは思うが、良くも悪くも素朴な集団であるウルクの難民団には、このくらいの大雑把なシステムの方が効果がある。第一、複雑化しようにも官僚がカナン一人では不可能だ。
 故に、今の形は決まるべくして決まったともいえる。

 商人会議との会談を行った日の夜、カナンは造船所の一室を会議室に割り当て今後の方針について話し合っていた。ペトラやバルナバ、サイモンにオルファといった見知った面子以外にも、各層から選ばれた代表者と膝を突き合わせ、何が最善の道かを導き出そうとしていた。

 会談の内容を報告し、あらかじめ温めていた持論を説明したところで、カナンは一旦言葉を区切った。自分の意見に対してどのような反応があるか見たかったからだ。

 だが、難民の代表者たちは特に異論も持たず彼女の意見を支持した。もちろんそれ以外に現実的な道など無いのは確かなのだが、そもそもカナンと議論を戦わせようという意思が見られない。
 ペトラだけが、職業の有無による格差を俎上に載せた。

「仮にパルミラとの間で商売を始めたとき、装飾品を誰が作るのかって話になる。……まあ、己惚れるわけじゃないけど、岩堀族の仕事になるだろうね」

 ペトラの発言は傲慢でも何でもない。何百年にもわたって聖銀の発掘、加工を取り仕切ってきた岩堀族は、世界全体で見ても最高級の技能集団と断言できるだろう。限られた資源を有効に扱うためにも、彼らに聖銀の加工を任せるのは必要条件と言える。

 問題は、彼ら岩堀族と普通の難民との間で格差が出来てしまうことだ。

 現在、この難民団は絶妙なバランスの上で何とか成り立っているような状態だ。
 ウルクの大坑窟から逃れられた安堵感と開放感、魔女ベイベルを打倒したカナンへの畏敬、砂漠越えを成し遂げた達成感に、今現在天火アトルの下に居るという事実。
 だが、それらは一時的な感情に過ぎない。時間が経てば、いずれ彼らも新たな危機感を抱くことになるだろう。ましてや格差など生じてしまえば、その時点で難民団が崩壊しかねない。

 聖銀の加工は絶対にやらなければならないし、それを岩堀族に任せるのも必然だ。だがその前に別の問題を片づける必要がある。

「最悪、パルミラと取引を始めるのは、ある程度仕事が出来るようになってからかもしれません」

 会議室の中に唸り声が充満した。カナンもそうしたい気分だったが、進行役である自分が感情を見せてはならないと思った。
 代表者たちは互いに話し合ったり、頭を抱えたりしているが、有効な案はどこからも出てこない。それはカナンも同様で、どうするべきかと心から悩んでいた。

 と、その時、それまで黙って会話に参加していなかったサイモンが「ちょっといいか?」と言い出した。一座の視線が一斉に彼の方に向けられる。そこには言外に「くだらないこと言ったら承知しないぞ」という念が込められていた。
 やや圧倒されながらも、サイモンは咳払いを一つついて話し始めた。

「今日の昼頃、パルミラの商人連中が来てただろ? あいつらによると、この近くに大坑窟みたいな旧時代の遺跡がいくつかあるらしいんだ。まあ、近くっていっても、往復に数日は掛かるらしいんだけど……どうも、どこもかしこも手付かずらしくてさ。そこから何か拾って来れないかって思うんだ」

「つまり、大坑窟でやってたようなことを、ここでもするってことかい?」

 ペトラがたずねると、サイモンは「そうだ」と頷いた。

「ただ、あそこに居た時とは何もかも違う。俺たちが遺物を探し出しても、それは全部ウルクの高官の物になった。割に合わない仕事を、命令されて、強制されて……。
 でも今は、俺たちが俺たち自身のために、それをするんだ。生きていくためにな」

「……だってさ。どうだい、カナン?」

 カナンは少しだけ考え込んだ。
 案としては悪くない。どうしても彼らの命を危険に晒すことになるが、それは彼ら自身が望んでいることだ。その決意に水を差すようなことは出来ない。
 それに、今の士気の高さを利用しない手はない。過酷な仕事になるだろうが、エネルギーのはけ口にはちょうど良いだろう。今日の昼、商人たちと揉めたのも、そのあたりの息苦しさが関係しているのではないだろうか。

(あり、なのかな……?)

 そうなびきかけた時、オルファが「良く思いついたねと」と話しかけているのが聞こえてきた。

「いやあ、実は俺の発案じゃないんだわ」

「えぇ……? 何だか、感心して損した」

「そんな露骨にガッカリしたって顔するなよな」

「あんだけ堂々と言ってたんだもん。少しは見直した気分になってたんだから……それで、誰が言い出したのさ」

「ああ、イスラだよ」

 ガタッ、とカナンは机を揺らした。サイモンとオルファがビクリと椅子の上で飛び上がった。

「それ本当ですか?」

「え、あ、ああ。晩飯食ってる時に、後で言っといてくれって頼まれてさ。俺はまだ出れないからって……」

 意外だった。集団生活とはほとんど無縁だったイスラが、集団のことを考えた意見を出してくるとは思わなかったのだ。それも、現状の問題を的確についた提案だ。あの現場に居合わせたのなら、若い衆の間で不満が広まっていることに気付いたとしてもおかしくはないが、これには完全に意表を突かれた。と同時に、守火手としてカナンに直訴しなかったのは彼らしいな、とも思う。

 ただ、彼がそれを言い出したということは、十中八九自分で出向くつもりなのだろう。もとよりそれを視野に入れての意見に違いない。

 複雑な気持ちだった。彼の意見は確かに現状に適っているし、反対意見もほとんど出ていない。
 だが、カナン個人の心情としては、支持したくなかった。

 例の遺跡のある場所までは、片道でも数日。調査も含めて往復すれば、一週間以上になってしまう。

 大坑窟で再開した時、もう二度と揺るいだりしないと決意した。それでもやはり、イスラがそばに居ないと寂しいし、不安だ。その気持ちを抑えることは出来ない。

「……投票に掛けましょう」

「良いのかい?」

 ペトラが確認する。カナンの考えていることは、ペトラにはお見通しだった。その上での確認だったが、カナンは静かにうなずいた。

「やってみる価値は十分にあると思います。それに、無理に続ける必要もありません。危険が迫ったらすぐに逃げ帰ってきてもらえれば、それで……」

「分かった。それじゃあ、挙手で決めようか」

「お願いします」

 そう答えつつカナンは、どうやってイスラの参加を阻止するか、頭の片隅で考えずにはいられなかった。

「闇渡りのイスラと蒼炎の御子」を読んでいる人はこの作品も読んでいます

「ファンタジー」の人気作品

コメント

コメントを書く