闇渡りのイスラと蒼炎の御子

井上数樹

【第七十七節/富と分配】

「だっはぁ、疲れたぁ……」

 銀行の柱の陰にしゃがみ込み、カナンは大きく溜息をついた。「お疲れ様」と言いながら、ペトラがカナンの頭をわしゃわしゃと撫でた。

「なかなか様になってたよ」

「嫌味を言わないでください、あれでも必死だったんですから」

 弱みを見せないよう強がって見せたが、やはり百戦錬磨の商人を相手にするには荷が重すぎたらしい。無論、こちらが困窮しているのは一目瞭然だろうが、ハッタリだけでもかましておきたかった。

「まあ、あの人の言う通り、目的は果たせたから良かったんですけどね……」

「ああ。今はそれで十分さ」

 パルミラの商人議会は、難民団に対して聖銀の調査と利用方法の提案を請け負ってくれた。

 その代わり、向こうからも色々と条件をつけられている。

 第一に、パルミラ市内への自由な出入りは許されていない。カナンやペトラといった代表者は別だが、それ以外の者は市内に通じる橋を渡ることさえ出来ない。カナンの守火手とはいえ、闇渡りであるイスラも同様だった。

 第二に、郊外での経済活動の制限。これはつまり、パルミラの影響圏で労働が出来ないことを意味する。

 煌都には限られた人数しか住むことが出来ず、当然仕事の総量も限られている。どれほど些細な仕事であれ、都市の外から来た人間が、都市に元々住んでいる人の仕事を奪うことは許されない。仮にティグリス河で漁でもしたら、櫓から矢を射掛けられかねない。


 第一条件はともかく、第二条件はカナン達にとって最重要課題だった。


 何しろ働かなければ食っていけない。どれほど過酷で割の合わない仕事でも、やらないわけにはいかない。選り好みなどしていれば、煌都を目の前に飢え死にしかねないのだ。


「まずは仕事……仕事を見つけないと!」


 働かないで生きていけるほど、この世界ツァラハトは甘くないのだ。


◇◇◇


 だが、銀行にやってきて報われたことは他にもあった。

 例のオアシスの情報を高値で買い取ってもらえたのだ。

 パルミラの交易路はあくまで街道なのだが、それでもオアシスの存在は決して軽視出来ない。砂嵐で位置を見失うことはざらにあるし、最悪街道が埋まってしまうということもある。何が起こるか分からない以上、給水場は多いに越したことはない。
 以前推測した通り、オアシスの存在自体は漠然と察知されていたようだが、いかんせん報告に戻った者がいなかったため確定情報にはなっていなかったのだ。加えて、例の大蛇をイスラが(勝手に)倒してくれたおかげで、その分の謝礼金も上乗せされた。

 そういうわけで、とりあえず当座の資金を稼ぐことは出来たのだが、それでも一週間もたたないうちに無くなってしまうのは目に見えていた。水は自由に使えるが、二千人分の食費となると節約しても相当な額になる。

「理想を言うなら、一人ひとりに収入があるのが望ましいんだけどねえ」

「難しいですね、それは……」

 銀行から出た二人は、パルミラの橋の上を歩きながら相談を続けていた。相手方の決定待ちである以上、話しても仕方が無いのだが、そうせずにはいられなかった。

「二千人のうち、働ける男がどう見積もっても七百人程度……女は、まあ内職とかになるだろうけど、それでも男と対して変わらないか……」

「そもそもそういう仕事をとってこれるかどうかも怪しいですしね。岩堀族は何人くらいでしたか?」

「あたしも含めて、百人いるかいないかってところだね」

「百人……」

 カナンは目を閉じて天を仰いだ。

「少ないかい?」

「少ないというか……うーん、どうしよう……」

「何か案があるんだろ? 良かったら話しておくれよ」

「案、と言えるかどうか……苦し紛れですけど、一応、聖銀の利用方法については考えているんです」

「本当かい?」

「ええ。とりあえず、順を追って説明しますね」

 カナンが思い描いていた聖銀の利用方法は、装飾品の製造である。高い技術を持った岩堀族の手で聖銀を加工し、デメテリオら装飾商に買い取ってもらうのだ。

 策などと大層なものではない。元よりこれ以外に利用方法など存在しない。

 効率だけで言うなら、聖銀を鉄と混ぜて水増しし、武器に加工するのが一番だ。だがこれは著しく現実味を欠く。一体どこの政治家が、難民に武器の製造販売を任せると言うのか。馬鹿を通り越して狂人扱いされるのが関の山だ。

 それなら聖銀を丸ごと売り飛ばす方が、まだしも現実的ではある。だが、それが尽きてしまえば補填することは不可能だ。どんどんジリ貧になっていく未来しか見えない。

 その点、装飾品の製造だけなら、パルミラとの軋轢を最小限に抑えられる。長期的に資金を得ることも出来るだろう。

「まあ、こんな浅知恵、彼らが思いつかないはずがありません。それに……」

「まだ何かあるのかい?」

「仮に彼らとの交渉が上手くいって、装飾品を作れるようになったとしても……莫大な収益が得られるわけではありません。装飾品は、単価は高くても需要は少ないですから。
 でも、一番心配なのは、私たちの間で格差が広がってしまうことです」

「……格差、ねえ。仕事を持ってる奴と、持ってない奴に分かれるかもしれないってことかい?」

「その通りです」

 カナンが直面しているのは、政治の最も基本的な要素……すなわち分配である。

 現状、難民団はカナンやペトラに対して全権を委任している。それは、彼らの共有の財産である聖銀を、どういった形で再分配するかということだ。

 その一つの形が、仕事を与えることなのだが、一部の者にだけ仕事が割り当てられないのでは不公平になる。
 当たり前だが、働かなければ収益は得られない。どれほど過酷な仕事であろうと、それで収入を得ている限り無職の者よりは豊かなのだ。少なくとも、理屈の上では。

 このまま話がトントン拍子に進めば、確かに一部の者は仕事を得られる。だが、それ以外の者との間で衝突が起きるのは確実だ。それだけは何としても避けなければならない。

「ともかく、一度報告に戻って情報を整理しましょう。問題は皆で考えて、少しでも公平になるような結論を探さないと……」

 結局のところ、ベイベルとの戦いと何も変わりはしない。手探りであっても、少しずつ前進していく以外に道など無いのだ。

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