闇渡りのイスラと蒼炎の御子

井上数樹

【第七十六節/多頭の蛇の巣 下】

 鞄に詰められた聖銀は、歓声や感嘆ではなく、困惑の唸り声によって迎えられた。

 さもあらん、これほど厄介な代物は無いだろうな、とカナンは思う。

 聖銀は天火アトルや魔力を保持する特殊な鉱物だが、金と同様に劣化せず、鉄のように加工し易い。純度の高い物であれば、その美しさは宝石と肩を並べる。

 問題は希少価値の高さと、用途の多様さだ。純粋な聖銀ほど市場には流出しないため、その価値は一定に保たれている。現に、装飾商のデメテリオは眉を寄せつつも鞄を凝視していた。彼としては、これが下手に流出して値崩れを起こす危険性を考えずにはいられない。一方で、装飾商として確かに魅力的でもあるのだ。

 だが、これが装飾だけに使われるならまだしも、鉄と混ぜて剣になった場合、煌都間のパワーバランスに影響を与える可能性がある。
 聖銀製の武器は、たとえ混ぜ物だらけであっても、継火手と守火手の戦闘力を大きく高める。これをパルミラの戦士たちに持たせれば、確かに戦力は増えるかもしれない。だが、そのことで他の煌都から疑念を向けられれば厄介だし、流出したらしたで面倒なことになる。

 そうしたデメリットこそあれ、これだけの量の聖銀は確かに魅力的だった。

「これはまた……結構な品ですな」

 ニカノルの声は動揺を抑えきれていなかった。彼とて百戦錬磨の商人だろうが、それでもこの量の、しかも純粋な聖銀の威力は半端ではなかった。

 カナンにとっては狙い通りの反応だ。

「我々の保有する聖銀は、貴方がたにとっても有益な商材となるでしょう。
 ですが、これがパルミラの市場にどのような影響を与えるか、私の能力では判断しきれない。我々の活動の結果、貴方がたと摩擦を生じるような結果をもたらすのは望ましくありません」

「つまり、お前たちはそれをどのように売るか考えていないということだな?」

 アナニアは細い指を組み合わせてカナンを睨めつけた。それを受け流しつつカナンは「その通りです」とうそぶいた。

「我々は商売の素人です。聖銀これが価値を持つことは分かりますが、効果的な売り方は分かりません。下手に流通させて価値を崩してしまっては、私たちにとっても不利益になります。結局のところ、貴方がたと歩調を合わせることが、私たちにとって何よりも望ましいのです」

 商人たちの口からうめき声が漏れた。隣に座っている者と顔を見合わせ、カナンとペトラを置き去りに議論を始める。
 だが、ただ一人その協議に加わっていなかったエステルが、カナンを見据えて口を開いた。

「お嬢さん、慣れんことはよしやれ」

 刀傷の入った顔を、艶めかしく組んだ指の上に乗せて、エステルは言った。傷跡の物々しさと、全てを受け止めるような柔らかな微笑の不揃いさは、かえって見る者を魅了する不思議な色気を持っていた。珍しい緑色の瞳には知性と共に悪戯っぽさが宿っている。同性ながら、カナンは何故この女性が妓館の主に上り詰めたのか分かった気がした。

「初心な娘が悪女を気取っているようでありんす。お嬢さんの目的は一目瞭然。こうして議論を続けさせて、パルミラに居座る口実を作るつもりでありんしょう?」

 似合わないと言われたら立つ瀬がないが、それでもカナンは「さあ、どうでしょう?」と誤魔化して見せた。今さら路線変更は出来ないし、たとえそれが図星であったとしても、エステルの発言を証明する手立てはどこにも無いのだから。
 だが、エステルに優位に立たれた感は否めない。

「お嬢さんの考えはお見通しでありんすが、突き出すつもりはありんせん。あちきも、こちらのお歴々も、客人をないがしろにするような野暮ではござりんせん。安心しておくれなんし」

 エステルがそう言うと、穀物商のバラクも顎の肉をたぷんと震わせて頷いた。

「ホホ、パルミラの商人と言いますと、どうにも悪い印象が先行しているようで。いやはや、あたくし達は真っ当な商人でございますれば、お客様の利益を第一に考えております。どうぞご安心ください」

 ともあれ、と後を受けたニカノルが聖銀の調査を申し出たことで、その場の意見はまとまった。

 カナンら難民団は、パルミラ郊外に限り滞在を許された。ただし市内に入れるのは一部の許可を得た者に限定され、商人議会を経ていない取り引きも禁止された。彼らがどこから来たのかについてはさほど追及されなかったが、カナンやペトラの説明を丸ごと信用してくれたわけでもない。あまりに突拍子もない話なのだが、嘘と片づけるには、二人の話の内容はあまりに理路整然としていた。そうした曖昧さや得体の知れなさがあるからこそ、これほど厳しい入出条件が課せられたのだろう。

 それでも、光の当たる位置に留まれたのは大きい。その期間がどの程度の長さになるかは、これからの推移次第ではあったが。

 議会の一人ひとりと握手を交わしてから、二人は都営銀行を辞した。

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