闇渡りのイスラと蒼炎の御子
【第四十五節/カタコンベ】
ペトラたちが動き出したのは、ウルクの地下に再び夜が訪れてからだった。
昼の間は、ペトラを始め抵抗勢力の全員が労働に駆り出されていた。その間、彼女の家に匿われていたカナンとトビアは、武器の手入れや家の掃除に時間を費やした。
表は常に騒がしかったが、時々、水を打ったように静まり返ることがあった。そういう時は、きまって不死隊が通りを巡回しているのだった。
そういうわけで、うかつに家から出るこのは出来なかった。二人とも理性ではそのことを理解しているが、身動きが取れないのはもどかしかった。
だから、煤だらけになって戻って来たペトラが「出掛けるよ」と言った時、二人はばね仕掛けの人形のように動き出した。
各々の武器を携え、それごと身体を覆う外套を羽織り、三人は動き出した。
居住区の通路は窮屈だが、圧迫感の原因は空間的な狭さだけではない。居住区に充満する、窒息しそうなほど重苦しい空気……カナンはそれを肌で感じ取っていた。
眠りの時でさえ身構えていなければならないのは不幸だ、とカナンは思う。それは、人間が浮世の苦しみから解放されるための数少ない方法なのだから。この地下都市の住人達を怯えさせているのは何なのか、見極めなければならない。
だが、見極めたとして、そのあとどうするのか?
「……どうしたいのかな、私は」
「カナンさん?」
彼女の独り言を聞きつけたトビアが振り返る。カナンは笑って、「何でもありませんよ」と返した。
やがて、一行は居住区の最奥にまでたどり着いた。大きな石の扉がしつらえてあり、三人でそれを開いて中へと滑り込んだ。
カナンは天火を使おうとしたが、中にはすでに松明が焚かれていた。小さな円形の広間があり、そこから三本の小さな道が分岐している。ペトラは迷うことなく中央の道に入っていった。
通路の幅は人間の肩幅二つ分程度で、大気中には埃や煤が充満している。歩いているだけで喉を傷めそうだ。
「ペトラさん、ここは……」
「すぐ横を見てみな」
言葉の通りに二人が右を向くと、そこには亡者の顔があった。
「わっ!?」
驚いたトビアが後ずさる。尻もちをつきそうになった彼を支えながら、カナンは自分たちの居る場所が何なのか把握した。
「カタコンベ、ですか」
「その通り。ここだけじゃない、あちこちに似たような施設があるよ」
石造りの壁にはいくつも窪みが設けられており、その中に死者の身体が横たえられるようにしてある。また、頭蓋骨だけがいくつも壁にはめ込まれていた。若干焦げているところを見るに、おそらく火刑によって殺された人間の骨だろう。これほどの数の頭蓋骨があるということは、それだけ大規模な処刑が行われたということだ。
しばらく回廊を歩いて行くと、ペトラはにわかにしゃがみ込み、足元の石板をどかした。小さな穴が現れた。迷いなくその中に飛び込むペトラに続き、二人も穴の中に降りていく。蓋を閉め、そこから亀裂のような通路を先へ先へと進むと、ガヤガヤと人声が聞こえてきた。
「皆、連れてきたよ」
たどりついた場所は、鉱物の採掘場だった。すでに枯れてしまっているのか、採掘道具は一つも見受けられないが、天井や壁が木製の梁で補強されている。足元にはトロッコを走らせるための線路もあった。
その採掘場に、三十名ほどの人間が詰め込んでいる。無論、尋常でないほど息苦しい。通気口はいくつもあるのだが、それでも収容人数に対し適当とは言えないだろう。
その集団のなかにはサイモンとオルファも混ざっている。ほとんどが彼らと同年代の若者で、カナンともそう歳が離れていない。せいぜい四つか五つ年上といったところだろう。
一方で、顔中を髭で覆った小柄な男たちもいる。彼らが岩堀族の一員であることはすぐに分かった。普通の人間に比べて背が低く、全身が毛むくじゃらなのは、岩堀族の男性に共通する特徴だ。
彼らの視線が一斉にカナンとトビアに注がれた。その切羽詰まった、訴えかけるような表情に一瞬カナンはひるんだものの、胸を張って前へと進んだ。
「私はエルシャの大祭司エルアザルの娘、名をカナンと言います。昨日は危ないところを助けていただき、ありがとうございました」
一同の前でカナンは腰を折った。その優雅な所作に一座がざわついたが、「顔を上げてくだされ」というしわがれた声によって、それも途切れた。
一人の岩堀族の老人が、ひょこひょこと杖を突きながらカナンの前に立った。老人と分かったのは、その人物の髭も髪も真っ白で、杖を突く手も頼りなく震えていたからだ。だが、しゃがれた声は意思の強さを感じさせる。
「この群れの長を務めております、魔導技師のバルナバと申します。何も礼を言われるようなことはしておりません、お気になさらんでください」
「それに、下心あってのことだしな?」
サイモンが茶々を入れる。その彼の横っ腹にオルファが肘鉄を喰らわせた。
「ほっほっ、まあ彼奴の言う通り、下心あってのことです」
「私に何か、出来ることがあると?」
「継火手の貴女が来てくださり、一層望ましい状態になったというべきですな。元々、アラルト山脈の風読みたちと合流出来れば、彼らと共闘するつもりでおりました。残念ながら、合流は叶いませんでしたが……」
「……ええ、残念でした」
後ろでトビアがうつむくのが分かった。彼に対し申し訳ないと思いつつ、カナンは話を進めていく。
「お聞きしたいことは色々あります。その上で、私に何をさせるつもりなのか教えてください」
昼の間は、ペトラを始め抵抗勢力の全員が労働に駆り出されていた。その間、彼女の家に匿われていたカナンとトビアは、武器の手入れや家の掃除に時間を費やした。
表は常に騒がしかったが、時々、水を打ったように静まり返ることがあった。そういう時は、きまって不死隊が通りを巡回しているのだった。
そういうわけで、うかつに家から出るこのは出来なかった。二人とも理性ではそのことを理解しているが、身動きが取れないのはもどかしかった。
だから、煤だらけになって戻って来たペトラが「出掛けるよ」と言った時、二人はばね仕掛けの人形のように動き出した。
各々の武器を携え、それごと身体を覆う外套を羽織り、三人は動き出した。
居住区の通路は窮屈だが、圧迫感の原因は空間的な狭さだけではない。居住区に充満する、窒息しそうなほど重苦しい空気……カナンはそれを肌で感じ取っていた。
眠りの時でさえ身構えていなければならないのは不幸だ、とカナンは思う。それは、人間が浮世の苦しみから解放されるための数少ない方法なのだから。この地下都市の住人達を怯えさせているのは何なのか、見極めなければならない。
だが、見極めたとして、そのあとどうするのか?
「……どうしたいのかな、私は」
「カナンさん?」
彼女の独り言を聞きつけたトビアが振り返る。カナンは笑って、「何でもありませんよ」と返した。
やがて、一行は居住区の最奥にまでたどり着いた。大きな石の扉がしつらえてあり、三人でそれを開いて中へと滑り込んだ。
カナンは天火を使おうとしたが、中にはすでに松明が焚かれていた。小さな円形の広間があり、そこから三本の小さな道が分岐している。ペトラは迷うことなく中央の道に入っていった。
通路の幅は人間の肩幅二つ分程度で、大気中には埃や煤が充満している。歩いているだけで喉を傷めそうだ。
「ペトラさん、ここは……」
「すぐ横を見てみな」
言葉の通りに二人が右を向くと、そこには亡者の顔があった。
「わっ!?」
驚いたトビアが後ずさる。尻もちをつきそうになった彼を支えながら、カナンは自分たちの居る場所が何なのか把握した。
「カタコンベ、ですか」
「その通り。ここだけじゃない、あちこちに似たような施設があるよ」
石造りの壁にはいくつも窪みが設けられており、その中に死者の身体が横たえられるようにしてある。また、頭蓋骨だけがいくつも壁にはめ込まれていた。若干焦げているところを見るに、おそらく火刑によって殺された人間の骨だろう。これほどの数の頭蓋骨があるということは、それだけ大規模な処刑が行われたということだ。
しばらく回廊を歩いて行くと、ペトラはにわかにしゃがみ込み、足元の石板をどかした。小さな穴が現れた。迷いなくその中に飛び込むペトラに続き、二人も穴の中に降りていく。蓋を閉め、そこから亀裂のような通路を先へ先へと進むと、ガヤガヤと人声が聞こえてきた。
「皆、連れてきたよ」
たどりついた場所は、鉱物の採掘場だった。すでに枯れてしまっているのか、採掘道具は一つも見受けられないが、天井や壁が木製の梁で補強されている。足元にはトロッコを走らせるための線路もあった。
その採掘場に、三十名ほどの人間が詰め込んでいる。無論、尋常でないほど息苦しい。通気口はいくつもあるのだが、それでも収容人数に対し適当とは言えないだろう。
その集団のなかにはサイモンとオルファも混ざっている。ほとんどが彼らと同年代の若者で、カナンともそう歳が離れていない。せいぜい四つか五つ年上といったところだろう。
一方で、顔中を髭で覆った小柄な男たちもいる。彼らが岩堀族の一員であることはすぐに分かった。普通の人間に比べて背が低く、全身が毛むくじゃらなのは、岩堀族の男性に共通する特徴だ。
彼らの視線が一斉にカナンとトビアに注がれた。その切羽詰まった、訴えかけるような表情に一瞬カナンはひるんだものの、胸を張って前へと進んだ。
「私はエルシャの大祭司エルアザルの娘、名をカナンと言います。昨日は危ないところを助けていただき、ありがとうございました」
一同の前でカナンは腰を折った。その優雅な所作に一座がざわついたが、「顔を上げてくだされ」というしわがれた声によって、それも途切れた。
一人の岩堀族の老人が、ひょこひょこと杖を突きながらカナンの前に立った。老人と分かったのは、その人物の髭も髪も真っ白で、杖を突く手も頼りなく震えていたからだ。だが、しゃがれた声は意思の強さを感じさせる。
「この群れの長を務めております、魔導技師のバルナバと申します。何も礼を言われるようなことはしておりません、お気になさらんでください」
「それに、下心あってのことだしな?」
サイモンが茶々を入れる。その彼の横っ腹にオルファが肘鉄を喰らわせた。
「ほっほっ、まあ彼奴の言う通り、下心あってのことです」
「私に何か、出来ることがあると?」
「継火手の貴女が来てくださり、一層望ましい状態になったというべきですな。元々、アラルト山脈の風読みたちと合流出来れば、彼らと共闘するつもりでおりました。残念ながら、合流は叶いませんでしたが……」
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後ろでトビアがうつむくのが分かった。彼に対し申し訳ないと思いつつ、カナンは話を進めていく。
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