闇渡りのイスラと蒼炎の御子

井上数樹

【第二十九節/イスラの剣、カナンの力 上】

 二人は里の離れにある牧草地に移動した。周りには羊の群れがたむろしていて、羊飼いの老人に追われながらメェメェと鳴いている。草の背は低く、色も鮮やかではないが、羊たちは一心不乱に草を食んでいた。

「のどかですねえ。エルシャの郊外を思い出します」

 羊の背中を撫でながらカナンが言った。

「街の外に出てたのか?」

「はい。こっそり抜け出して、羊飼いの手伝いなんかもしてたんですよ。こんな風に……」

 カナンは「アイ、アイ、アイ!」と掛け声を出しながら、はぐれそうになった羊を群れに戻す。岩の上で休憩していた老人が杖を振って礼をした。

「さて、それじゃあやりましょうか」

「ああ、頼む」

 イスラは手に持っていた二本の棒を投げ渡した。片方は杖を杖、片方は剣と同程度の長さだ。彼の手元にも伐剣と同じ長さの棒がある。

「問題点の洗い出しのため、まずは模擬戦をやります。いつも通りの戦い方で打ってきてください」

「了解、遠慮なくいくぞ」

「もちろん」

 十ミトラほどの間を空けて二人は向き合った。
 イスラは棒を持った右腕を大きく背後に向けて伸ばし、いつでも駆け出せる態勢を作る。対するカナンは大仰な構えをするでもなく、イスラの動きに注視していた。

「オォッ!」

 イスラが駆け出す。「速っ……!」知ってはいたが、やはりイスラの脚力は凄まじい。十ミトラの間合いなどあって無いようなものだ。

「で、もっ!」

 イスラの棒が振り下ろされるより先に、カナンは身をかがめていた。左手に持った長めの棒でイスラの足を払う。「おおっ!?」絶妙な一打だった。最大戦速で突っ込んできたイスラは避けられない。
 あっさりと吹き飛ばされたイスラは、羊の群れの中に落着した。「メエェ!」という怒りの鳴き声とともに小突き回され、ほうぼうの体で這い出てくる。

「クソっ! もう一回!」

「はいはい、何度でも」

 イスラはその場から再度突進する。カナンは再び身をかがめた。足払いを読んだイスラは、棒跳びのように跳躍してそれを躱す。着地、即座に最大速度で再突撃。
 その切り返しの速さは、さすがにカナンの予測を上回っていた。
 カナンは短い方の棒でイスラの一打を受け止める。腕力に速度と体重を乗せたそれは、天火アトルであらかじめ強化されたカナンさえも押し込んだ。かかとが土に埋まる。
 それでも、カナンは態勢を崩さなかった。

「えいっ」

 カナンは左手の杖を突き出し、距離を取る。イスラは三度突撃しようとするが、今度はカナンの方が先手を取った。杖の先端で突きを繰り返し、ここぞという所で一気に踏み込んで右手の剣で突く。「その手は!」エルシャで見たことがある。イスラはカナンの右側面に飛び退いた。

 三手目を避けてもがあると知っている。

 案の定、カナンは突き出した棒をイスラに向けて振り下ろした。刺突から斬撃への派生技だ。イスラはそれを受け止め、逆に押し退ける。「貰った!」イスラは棒を振り下ろす。完全に読み勝ったと思った。

「甘い!」

 ただ、カナンがギデオンと違ったのは、二本目の武器を持っていたということ。振り下ろしを避けられた時点でカナンは身体をひねり、左手の棒で足払いを掛けた。勝ったと油断していたイスラは、またもあっさりと転ばされた。

「うぉっ!?」

「また私の勝ちですね」

「くっ……もう一回!」

「え、問題点の洗い出しだって……」

「問答無用!!」

「ちょっ!?」


◇◇◇


「でえええっ!」「とやー」「うおぉ!」「てーい」「ぬあぁ!」「そいやさー」「ぐあぁぁ……!」「ちょいさー」「ぎえぇぇ!」「ちょいやさー」「ふぐぐ……!」


◇◇◇


「あ、の……いい加減、疲れたんですけど……!」

「まだだ! まだまだこっちは元気だぞ!」

 肩で息をするカナンは、顔を赤くして、全身汗まみれになっているが、服はどこも汚れていなかった。
 一方のイスラは、何度も転ばされたせいであちこちに土や草がひっついているものの、ぴんぴんしている。

「本当……イスラの体力って、どうなってるんですか……」

 練習を始めて一時間ほど経つが、その間イスラはほとんど止まることなく、全力で動き回っていた。しかも、動きのキレは少しも衰えていない。今でさえ全く疲労していないように見える。
 おまけに、ここは高地だ。平地に比べて格段に空気が薄く、二倍、三倍の疲労を感じるはずなのに、そんな様子などおくびにも出さない。

 だが、それだけの体力差をもってしても、カナンには一度も勝てなかった。

「休憩がてら、分析に入りましょうか」

「ぬ……」

 イスラは不服そうだったが、カナンはやんわりとたしなめた。

「このままいけば、まあ、先に私の方が参るでしょうけど……それじゃ意味が無いでしょう?」

「……そりゃあな」

 イスラは棒を放り投げた。何度も打ち合わせたせいで、木肌はぼろぼろになっていた。
 カナンは水筒から水を飲み、一息ついてから話し出した。

「まず、イスラの長所から挙げていきましょうか」

「ああ」

「一つ目は、持久力ですね。一時間戦い続けたのに、全然疲れていない。動きのキレも少しも損なわれなかった。これは大きな強みです。
 二つ目は、敏捷性。瞬発力と言い換えられるかもしれません。動作と動作のが極端に短くて、無茶な態勢からでも攻撃に移れる。動きのキレの部分を支えている要素ですね。
 三つ目は筋力の強さ。腕と脚はもちろん、たぶん、腹筋とか背筋とか、いわゆる体幹がしっかりしている。だから攻撃にも威力があるし、素早く動くことも、態勢を立て直すことも出来る。
 この三つの要素を組み合わせて、最初の一撃で勝負を決めるのがイスラの戦い方……だと思います」

 イスラは黙って聞いている。「次は短所ですね」とカナンは続けた。

「イスラの致命的な弱点は、攻め方が単調なことです」

「うっ」

「自覚、あったんですね……これまでのイスラの戦い方を見ていると、突進して勢いで押し込む勝ち方が多かったです。それが通じないなら、相手に飛び乗ったり、あるいは飛び越して再度突撃する。私はそれをずっと見てきましたから、受け止めたり、いなしたりするのも簡単でしたよ」

 実際、イスラの攻めを受け損じたことは一度も無かった。彼の戦い方が奇襲に特化している以上、最初の一撃さえ凌げば徐々に有利になっていくのは自明の理である。

「そうして突進の衝撃力を吸収されると、途端に圧力が無くなる。何度も反復して攻撃する余力はあっても、結局は同じ手の繰り返しだから、受ければ受けるほど対応し易くなっていきました」

「……だから何度も転ばされたのか」

「そもそも、私にとって有利な戦いではあったんですよ? イスラの強みは奇襲ですけど、私は最初から手の内を知ってますからね。そうなると、守りの技術を知っている分、私の方が有利になるのは当然です。だから、イスラの課題は剣術を覚えること。攻めの型、守りの型を理解することです」

「回りくどいな」

 イスラは憮然とした表情で言った。

「強くなるってそういうことですよ。ギデオンも言ってました。一つの戦い方で勝てているうちは良いでしょう、でも、その代わりに、技の通用しない相手と出くわした時は死ぬ覚悟をしておくべきだ、って」

「あんたは教えてくれるのか?」

「出来る範囲で。……でも、今日はこれで終わりにしましょう。しばらくはこの里からも移動出来ないでしょうし、やりたいことも、色々ありますからね」

 そういってカナンは話を切り上げた。
 さしあたり彼女のやりたいことは、もう一度温泉に入りに行くことだった。

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