前夜

　夜の森は静寂に包まれていた。
　人工的な音は存在せず、日常生活では聞き漏らすであろう自然な音が耳に流れてくる。
　風に揺れる木々のざわめき、虫たちの鳴き声、川のせせらぎ。 
　もしかしたら、生存本能から感覚が研ぎ澄まされているのかもしれない。
　不意に変化が起こる。自然な音に不自然な変化。
　何かが、こちらに向かって歩いている。
　野生の獣か、人間か。
　前者なら運が良い。野生の獣に見つかっても襲ってくるとは限らない。
　だが、この森を徘徊している人間がいるならば、そいつの目的は、僕を殺す事にあるのだから。
　そして、不運にも異音の正体は人間だった。
　迷彩服に身を包み、長い髪を揺らして歩いている。
　それは『ソフトチェーン』だった。
　昼間のダメージは抜けているのか、足取りは軽いようだ。
　何かを探すように周囲を見渡しながら歩いている。
　何かだって？そりゃ僕に決まっているだろう。
　今のコンディションで戦えば敗北必至。高まる緊張感の中、何とか体を動かし、姿を隠す。
　『ソフトチェーン』が遠のいて行ったのを確認すると、力を抜いた。
　全身を脱力させて体を休ませる。
　体力の回復は遅い。それは、この劣悪な環境では仕方がないのかもしれない。
　この森から脱出するしか、体を万全の状態に戻す方法はないだろう。
　だが、脱出まで1度、２度の戦闘を行う事になるかもしれない。
　それに、この広大なはずの森で『ソフトチェーン』は接近してきた。
　おそらく、これは偶然ではないだろう。
　何か、僕の生存を確信でき、追跡を許してしまうような痕跡を発見したのではないか？
　ならば・・・・・・
　遅かれ、早かれ、再戦は逃れられない。
　せめて、一瞬だけでも普段の動きが可能なくらいは回復しなければ・・・・・・


　再び、何者かが近づいてくる感覚。
　木の影へ隠れて様子を伺うと『ソフトチェーン』だった。
　来た道を帰ってきてるのか？それとも、僕の居場所に見当がついているのか？
　しかし、どうも様子がおかしい。なにやらブツブツと独り言を喋っている。
　いや、これは会話をしているのか？
　もしかしたら、無線や携帯電話を同じことができる魔法が存在しているのかもしれない。
　僕は、『ソフトチェーン』の言葉に聞き耳を立てる。

　「オ・・・とディフェンスのラインを・・・・・・　残りがサポ・・・で待機させて・・・・・・ここ・・・でお前と合流し・・・…・・明日、奴を狩る」

　彼の言葉は小さく、部分部分が途切れて意味がわからない。
　わからないが、わかったこともある。
　それは、僕と『ソフトチェーン』以外にこの森に潜んでいる存在。
　濁流を操っていた魔法使いの事だ。
　姿を見せず、あまりにも情報がなく、そもそも『ソフトチェーン』の仲間なのか、単独で行動している魔法使いだったのか、ハッキリとはわかっていなかった。
　だが、あの会話の相手はその魔法使いであり、会話の内容から2人が合流して狩りを行うという話。
　ここまで推測できた。
　もちろん、狩りの標的は僕以外にいないだろう。
　そして、本格的な狩りの開始は明日だと。
　いい情報。朗報だ。
　少なくとも、これで心の準備はできた。