絶望世界の最強機≪インフィニティ≫ ~三十五歳、異世界に立つ。~
第二百五十九話 破滅の足音
その頃、場所は変わってヴァリエイブル連合王国、ヴァリス城。
第六十四代国王レティア・リグレーは王の椅子に座り小さく溜息を吐いていた。
「どうしたレティア……陛下。疲れているのか?」
宰相を務めるイグアス・リグレーはそう言ってレティアを労った。対してレティアは立ち上がり、頬を膨らませる。
「元はといえばお兄様がリリーファーに乗るなんてことをして、さらに王位継承権を破棄したのが悪いんです。だから、大きな戦争が起きていない今は宰相として私の手伝いをしてもらうことが、せめてもの罪滅ぼしになるの!」
「罪滅ぼし、ねえ……」
頭を掻いて、イグアスは言う。
そして、何かを思い出したらしくイグアスは指を鳴らした。
「そうだ、レティア。昔の話をしてあげよう。……と言っても僕の経験の話とか、そういうものではないけれど。面白い話ではないが、為になる話とも言える」
「お兄様が利益のあるというのであれば、私はどんな話でも聞きます」
「そうか」
イグアスは頷く。
そして彼は語り始めた。
かつて、亡くなった前王であり父、ラグストリアル・リグレーから語られた昔話。
それは彼が『最悪』と表現したある紛争。内乱と言ってもいいかもしれない。
内乱の発端となったのは、軍が一般市民を殺害してしまった、そんな『些細』な出来事だった。しかしそれはスケールを増していき、結果としてティパモールという一帯を破壊し、今の状態を創りだすまでとなってしまった。
「父さんがティパモール内乱に参加したのは、十八年前。もちろんその頃にはもう王になっていたし指揮を取っていた。宰相に国を任せ、ティパモールだけを破壊するように命じていた。今からすればとてもおかしな話なのかもしれない。そしてティパモールは、君も知っているとおり砂漠に出来た街。セレナ・コロシアムの周りを覚えているだろう? あの周りは砂だらけだった。もともと砂漠のオアシスに出来たのがティパモールだったからな。そして、ティパモール内乱を止めたとされる大きな一手が……『女神』マーズ・リッペンバーだった」
◇ ◇◇ ◇◇ ◇◇ ◇◇ ◇◇ ◇
八年前。
ティパモール地区、サラエナ。
ティパモールは今のような寂れた土地ではなく、人々の活気が溢れ、モノが溢れていた。それも凡てティパモール一帯に滾滾と湧き出る水のおかげとも言えるだろう。ティパモールはオアシスが発展した形で村となり、街となった。大きな街は十五の地区に分かれており、サラエナはその一番南に位置していた。
ヴァルト・ヘーナブルは頭にスカーフを巻いて走っている。手に持っているのは、少なくとも彼のものではない財布だ。
ティパモールは当時、水という資源を欠くことはなかったが、犯罪が減ったわけではなかった。ブラーシモ商会がオアシスを無断で買収し、水を売買するようになったのだ。
それに憤慨するのは、当然のこととも言えるだろう。しかしブラーシモ商会は水の売買を止めるどころか値段を釣り上げていくのだ。
このままでは水も飲めずに死んでしまう人間が続出する。現に水を子供に分け与えて親が死亡するケースが多くあった。
ブラーシモ商会は設立当初はヴァリエイブルの様々な地域から商品を仕入れ、適当な値段で販売する業者だった。その商品にはブラーシモ商会を介さないと手に入らない商品も多くあり、人々が挙って利用していたのだ。
しかし、内乱が凡てを変えてしまった。
内乱の発端となったのは単なるいざこざだった。軍と一般市民が対話をもって課題を解決しようとしていた。
そんななか、兵士が一般市民を射殺してしまった。兵士は間違いであると断言したが、その兵士は目の前にいたほかの一般市民によって撲殺されてしまった。
明らかに手を出したのは国、ヴァリエイブルであった。しかしそれだけで済めばよかったが人々の不平不満が爆発した。
そして僅か数日で、諍いは内乱へと発展していった。
思えばその時からブラーシモ商会はオアシスを買い占め、水を売るようになった。だから、いつしか人はこう思うようになった。
ブラーシモ商会は、ヴァリエイブルと繋がっているのではないかと。
そう思うのももはや当然のこととも言えるだろう。内乱が始まり、タイミングよくブラーシモ商会は行動に出たのだ。ブラーシモ商会を叩く人間もいた。攻撃する人間もいた。だが、それよりも前にやってくるヴァリエイブル国軍に打つ手はなかった。
だが、ティパモールの人間はそれで諦めるつもりなど毛頭無かった。ティパモールはオアシスを中心に構成されているとはいえ、その大半は砂漠で構成されている。そこで育つ人間もまた、砂漠に鍛えられ強靭な民族が生まれ、戒律の厳しい『ティパ教』のもと、人々は生活していた。
もとより、ティパモールに住む人間は僧が大半を占めている。男は僧になり、女性は僧である男を支える。ティパ教の教えに基づき、そういう風に生活をしているのだ。
しかしながら、少年と少女は違う。
ティパ教の教えには子供は自由に動くことと決められている。理由は広い世界を見るためだとも言われており、戒律にそう定められているのだ。
そして、この少年――ヴァルト・ヘーナブルは人から奪った財布を持って走っていた。誰から逃げているのか? それは言わずとも知れている。その財布の持ち主からだ。
息も絶え絶えに、彼は走る。走る。走る。
しかし、それは――あるものに制された。
「こらっ!」
走っている(この場合は動いている、と言ってもいいかもしれない)ヴァルトの頭を正確に捉え、その女性は拳をぶつけた。
当然拳はクリーンヒット。ヴァルトはそのまま地面に転がり込んだ。
「まったく。あんたって子は……」
まるで母親が子供に言うようなセリフを口にして、女性は――顔を見るからにヴァルトと同じくらいに見えるから少女と言い直した方がいいのかもしれない――ヴァルトの頭をもう一度殴った。
「おー、グレイシアちゃんじゃないか。こいつのお守りは大変だろう?」
遠くから駆けてきた、財布を盗まれたであろう人物がグレイシアと呼んだ少女の顔を見て笑顔で言った。
対してグレイシアは仏頂面を保持したまま、
「もー、アリティクおじさんもきちんとして? じゃないとこんな唐変木に財布をまた盗まれちゃうよ?」
「アハハ、でも君が居るから問題ないだろう? まあ、少しは注意することにしよう」
そう言ってアリティクは奪われた財布をグレイシアから受け取り、立ち去っていった。
さて、残ったのはグレイシアとヴァルトだけだ。グレイシアは笑顔で手を振ってアリティクを見送ると、踵を返してヴァルトの背後に立った。
「あんた、いつまでこういうのをやっていくつもり? スリ稼業がいつまでも続くと、いつまでもやっていけると思っているの?」
「だって……こうまでしないと食っていけないし」
「それはあんたが職を探さないだけ! 別にあんたが目を向ければ至る所に仕事はある! 今から僧を目指すために寺院に入ったっていい。アリティクおじさんみたいにキャラバンに入ったっていい! 仕事は幾らでもあるのよ! なのにあんた、そんなこと続けていたらもう……死んだお母さんとお父さんに顔を合わせることも出来ないわよ!!」
そう言って彼女――グレイシア・ヘーナブルは涙を零した。
そう。ヴァルトとグレイシアは血を分けた姉弟だった。
「よう、姉貴、それにヴァルト。どうやらお前たちはまた諍いを起こしているみたいだな?」
そんな時だった。
頭上から声が聞こえた。
それを聞いてヴァルトとグレイシアは頭上を見る。そこに居たのはひとりの青年だった。ヴァルトとグレイシアに比べれば幾分年が上のようにも見える、そんな青年が建物の上に足をぶら下げて座っていた。
その人物を彼女たちは知っていた。
「「兄さん!」」
だから二人はほぼ同時に言った。
彼こそがこのヴァルトとグレイシアの兄、ブレイブ・ヘーナブルだった。
ブレイブはひとり働いている。まだ働くことの出来ないヴァルトとグレイシアを養っていくために必要なことだ。ヴァルトたちの親は一年前――ティパモール内乱の直接的原因となったと言われているあの諍いで死亡した。二人共、だ。その死を悼む人はいた。しかし殆どが、この内乱の直接的原因になったとして祭り上げられている。
なぜかといえば、もともとティパモールの住民はヴァリエイブルの不当な地位の押し付けに耐えかねていたのだ。税を増やし、兵を増やし、ヴァリエイブルの『養分』へと化してしまった。
それを止めなくてはならないと立ち上がったのは若い僧とその妻たちで構成された部隊だった。名前はない。だが、彼らの死以後、こう名付けられるようになった。
『砂漠の燧石』と――。
そんな両親をブレイブは蔑もうなど思わなかった。彼自身もまた、不当な差別に苦しんでいたからだ。差別と言っておきながらも、ヴァリエイブルはティパモール人を兵として徴収し、税を増やし私腹を肥やしていく。それが耐えられなかった。だから、両親の活躍は寧ろ褒め称えるべきであった。
でも、殺されたこととそれは同義ではなかった。殺したのはヴァリエイブルに悪意があったからだ。今までやってきた行動を『悪い』と思う意志があったからだ――ティパモールの僧はそう思うようになった。ブレイブだってそうだった。両親が亡くなって直ぐ僧となった彼は、同じ仲間である僧の考えに感化され、そう思うようになったのだ。そして、その兄を尊敬するヴァルトもそう思うようになっていた。
ただひとり、グレイシアだけはそれに反対だった。
「ねえ、兄さん。まだティパモールが内乱を続けていくことに賛成なの?」
ブレイブは建物から降り、グレイシアの前に立つ。
そして笑みを浮かべ、答えた。
「当然だろ。父さんと母さんはティパモールの地位が良くなる為に戦った。だけれど、ヴァリエイブルはそれを隠すために殺した。……そして内乱は始まった。結果として父さんと母さんは死んでしまったけれど、この内乱によって世界にヴァリエイブルがティパモールにしてきたことを大々的に発表することができる。そう思うと、」
「父さんと母さんが死んでもよかった、とでもいうの!?」
グレイシアは肩を震わせ、激昂する。
対してブレイブは肩を竦める。
「そうは言っていないだろ。母さんと父さんは犠牲になってしまった。でもそれが結果的にいい方向に……」
「違う! 兄さんは父さんと母さんが死んだのを、合理的に見たいだけ! 『内乱が始まった』ことの原因に結びつけたいだけなのよ! 私は違う! きっとそんなものじゃ、解決出来ないと思っている! 内乱は、いいえ、もう戦争と言ってもいい! 戦争はこんなものじゃ簡単に終わるはずもない。けど、きっかけはどんな些細なものだっていいのよ!」
「……そうか」
グレイシアの声に、ブレイブは怒りもせず、かといって笑いもせず、ただ頷いて小さく溜息を吐いた。
そして、ブレイブは踵を返しゆっくりと立ち去っていった。
ドーン、ドーンと銃火器の音が聞こえる。それを聞くとグレイシアは自分が紛れもなく戦場の一歩手前に住んでいるのだということを嫌でも実感させられる。実感したくないのに。今すぐここから逃げたいのに。
彼女はそう思いながら、ヴァルトとともに家路についた。
ティパモール地区、クロウザ。
ティパモールの一番北方に位置している地区は既に陥落、そこにはヴァリエイブル軍の基地が建っていた。簡易的なものではあるが、そこにはもう立派な設備が整っており、普通の基地と遜色無かった。
汚れが落ちきっておらず若干茶色めいているコーヒーカップに入っているコーヒーを啜りながら、二人の兵士が会話をしていた。
「お前さん、今日は終わり?」
「ティズと呼んでくれよ。俺は昼だけだからな。夜はゆっくり……眠ることすらできないけれどな。ま、火薬の匂いを嗅がないだけでも平和な夜を過ごせるのかもしれないけれどね。そちらは?」
「ロスでいい。俺はこれからだ。夜戦ってやつだな。ティパモールのこのクロウザ、だっけ? ここにもまだ残党が残っているからな。そいつらを殲滅するのが俺にくだされている命令、ってわけよ」
「命令、か……」
ティズはコーヒーを啜る。そのコーヒーは旨くないのか、一瞬表情が強ばった。
「……にしても、国はどうしてここまでティパモールに躍起なのかねえ。ロス、って言ったか? あんた、国は?」
「俺はヴァリスだよ。ティズは?」
「俺もヴァリスだ。というか今回はヴァリス軍が大半を占めているらしいぜ。ここまでティパモールを潰す理由があるのかね。ただでさえここはヴァリスじゃなくてエイブルのものだっていうのによ」
「そこだよな。どうしてエイブル王国領のティパモールを、わざわざヴァリス軍中心に構成してまでヴァリエイブル全体で取り締まるのか……。ま、そんなこと考えても俺たちが変えることなんぞ出来るわけがねえんだけどな」
「違いねえ」
そう言ってティズは残っていたコーヒーを一気に口の中に放りこんだ。
第六十四代国王レティア・リグレーは王の椅子に座り小さく溜息を吐いていた。
「どうしたレティア……陛下。疲れているのか?」
宰相を務めるイグアス・リグレーはそう言ってレティアを労った。対してレティアは立ち上がり、頬を膨らませる。
「元はといえばお兄様がリリーファーに乗るなんてことをして、さらに王位継承権を破棄したのが悪いんです。だから、大きな戦争が起きていない今は宰相として私の手伝いをしてもらうことが、せめてもの罪滅ぼしになるの!」
「罪滅ぼし、ねえ……」
頭を掻いて、イグアスは言う。
そして、何かを思い出したらしくイグアスは指を鳴らした。
「そうだ、レティア。昔の話をしてあげよう。……と言っても僕の経験の話とか、そういうものではないけれど。面白い話ではないが、為になる話とも言える」
「お兄様が利益のあるというのであれば、私はどんな話でも聞きます」
「そうか」
イグアスは頷く。
そして彼は語り始めた。
かつて、亡くなった前王であり父、ラグストリアル・リグレーから語られた昔話。
それは彼が『最悪』と表現したある紛争。内乱と言ってもいいかもしれない。
内乱の発端となったのは、軍が一般市民を殺害してしまった、そんな『些細』な出来事だった。しかしそれはスケールを増していき、結果としてティパモールという一帯を破壊し、今の状態を創りだすまでとなってしまった。
「父さんがティパモール内乱に参加したのは、十八年前。もちろんその頃にはもう王になっていたし指揮を取っていた。宰相に国を任せ、ティパモールだけを破壊するように命じていた。今からすればとてもおかしな話なのかもしれない。そしてティパモールは、君も知っているとおり砂漠に出来た街。セレナ・コロシアムの周りを覚えているだろう? あの周りは砂だらけだった。もともと砂漠のオアシスに出来たのがティパモールだったからな。そして、ティパモール内乱を止めたとされる大きな一手が……『女神』マーズ・リッペンバーだった」
◇ ◇◇ ◇◇ ◇◇ ◇◇ ◇◇ ◇
八年前。
ティパモール地区、サラエナ。
ティパモールは今のような寂れた土地ではなく、人々の活気が溢れ、モノが溢れていた。それも凡てティパモール一帯に滾滾と湧き出る水のおかげとも言えるだろう。ティパモールはオアシスが発展した形で村となり、街となった。大きな街は十五の地区に分かれており、サラエナはその一番南に位置していた。
ヴァルト・ヘーナブルは頭にスカーフを巻いて走っている。手に持っているのは、少なくとも彼のものではない財布だ。
ティパモールは当時、水という資源を欠くことはなかったが、犯罪が減ったわけではなかった。ブラーシモ商会がオアシスを無断で買収し、水を売買するようになったのだ。
それに憤慨するのは、当然のこととも言えるだろう。しかしブラーシモ商会は水の売買を止めるどころか値段を釣り上げていくのだ。
このままでは水も飲めずに死んでしまう人間が続出する。現に水を子供に分け与えて親が死亡するケースが多くあった。
ブラーシモ商会は設立当初はヴァリエイブルの様々な地域から商品を仕入れ、適当な値段で販売する業者だった。その商品にはブラーシモ商会を介さないと手に入らない商品も多くあり、人々が挙って利用していたのだ。
しかし、内乱が凡てを変えてしまった。
内乱の発端となったのは単なるいざこざだった。軍と一般市民が対話をもって課題を解決しようとしていた。
そんななか、兵士が一般市民を射殺してしまった。兵士は間違いであると断言したが、その兵士は目の前にいたほかの一般市民によって撲殺されてしまった。
明らかに手を出したのは国、ヴァリエイブルであった。しかしそれだけで済めばよかったが人々の不平不満が爆発した。
そして僅か数日で、諍いは内乱へと発展していった。
思えばその時からブラーシモ商会はオアシスを買い占め、水を売るようになった。だから、いつしか人はこう思うようになった。
ブラーシモ商会は、ヴァリエイブルと繋がっているのではないかと。
そう思うのももはや当然のこととも言えるだろう。内乱が始まり、タイミングよくブラーシモ商会は行動に出たのだ。ブラーシモ商会を叩く人間もいた。攻撃する人間もいた。だが、それよりも前にやってくるヴァリエイブル国軍に打つ手はなかった。
だが、ティパモールの人間はそれで諦めるつもりなど毛頭無かった。ティパモールはオアシスを中心に構成されているとはいえ、その大半は砂漠で構成されている。そこで育つ人間もまた、砂漠に鍛えられ強靭な民族が生まれ、戒律の厳しい『ティパ教』のもと、人々は生活していた。
もとより、ティパモールに住む人間は僧が大半を占めている。男は僧になり、女性は僧である男を支える。ティパ教の教えに基づき、そういう風に生活をしているのだ。
しかしながら、少年と少女は違う。
ティパ教の教えには子供は自由に動くことと決められている。理由は広い世界を見るためだとも言われており、戒律にそう定められているのだ。
そして、この少年――ヴァルト・ヘーナブルは人から奪った財布を持って走っていた。誰から逃げているのか? それは言わずとも知れている。その財布の持ち主からだ。
息も絶え絶えに、彼は走る。走る。走る。
しかし、それは――あるものに制された。
「こらっ!」
走っている(この場合は動いている、と言ってもいいかもしれない)ヴァルトの頭を正確に捉え、その女性は拳をぶつけた。
当然拳はクリーンヒット。ヴァルトはそのまま地面に転がり込んだ。
「まったく。あんたって子は……」
まるで母親が子供に言うようなセリフを口にして、女性は――顔を見るからにヴァルトと同じくらいに見えるから少女と言い直した方がいいのかもしれない――ヴァルトの頭をもう一度殴った。
「おー、グレイシアちゃんじゃないか。こいつのお守りは大変だろう?」
遠くから駆けてきた、財布を盗まれたであろう人物がグレイシアと呼んだ少女の顔を見て笑顔で言った。
対してグレイシアは仏頂面を保持したまま、
「もー、アリティクおじさんもきちんとして? じゃないとこんな唐変木に財布をまた盗まれちゃうよ?」
「アハハ、でも君が居るから問題ないだろう? まあ、少しは注意することにしよう」
そう言ってアリティクは奪われた財布をグレイシアから受け取り、立ち去っていった。
さて、残ったのはグレイシアとヴァルトだけだ。グレイシアは笑顔で手を振ってアリティクを見送ると、踵を返してヴァルトの背後に立った。
「あんた、いつまでこういうのをやっていくつもり? スリ稼業がいつまでも続くと、いつまでもやっていけると思っているの?」
「だって……こうまでしないと食っていけないし」
「それはあんたが職を探さないだけ! 別にあんたが目を向ければ至る所に仕事はある! 今から僧を目指すために寺院に入ったっていい。アリティクおじさんみたいにキャラバンに入ったっていい! 仕事は幾らでもあるのよ! なのにあんた、そんなこと続けていたらもう……死んだお母さんとお父さんに顔を合わせることも出来ないわよ!!」
そう言って彼女――グレイシア・ヘーナブルは涙を零した。
そう。ヴァルトとグレイシアは血を分けた姉弟だった。
「よう、姉貴、それにヴァルト。どうやらお前たちはまた諍いを起こしているみたいだな?」
そんな時だった。
頭上から声が聞こえた。
それを聞いてヴァルトとグレイシアは頭上を見る。そこに居たのはひとりの青年だった。ヴァルトとグレイシアに比べれば幾分年が上のようにも見える、そんな青年が建物の上に足をぶら下げて座っていた。
その人物を彼女たちは知っていた。
「「兄さん!」」
だから二人はほぼ同時に言った。
彼こそがこのヴァルトとグレイシアの兄、ブレイブ・ヘーナブルだった。
ブレイブはひとり働いている。まだ働くことの出来ないヴァルトとグレイシアを養っていくために必要なことだ。ヴァルトたちの親は一年前――ティパモール内乱の直接的原因となったと言われているあの諍いで死亡した。二人共、だ。その死を悼む人はいた。しかし殆どが、この内乱の直接的原因になったとして祭り上げられている。
なぜかといえば、もともとティパモールの住民はヴァリエイブルの不当な地位の押し付けに耐えかねていたのだ。税を増やし、兵を増やし、ヴァリエイブルの『養分』へと化してしまった。
それを止めなくてはならないと立ち上がったのは若い僧とその妻たちで構成された部隊だった。名前はない。だが、彼らの死以後、こう名付けられるようになった。
『砂漠の燧石』と――。
そんな両親をブレイブは蔑もうなど思わなかった。彼自身もまた、不当な差別に苦しんでいたからだ。差別と言っておきながらも、ヴァリエイブルはティパモール人を兵として徴収し、税を増やし私腹を肥やしていく。それが耐えられなかった。だから、両親の活躍は寧ろ褒め称えるべきであった。
でも、殺されたこととそれは同義ではなかった。殺したのはヴァリエイブルに悪意があったからだ。今までやってきた行動を『悪い』と思う意志があったからだ――ティパモールの僧はそう思うようになった。ブレイブだってそうだった。両親が亡くなって直ぐ僧となった彼は、同じ仲間である僧の考えに感化され、そう思うようになったのだ。そして、その兄を尊敬するヴァルトもそう思うようになっていた。
ただひとり、グレイシアだけはそれに反対だった。
「ねえ、兄さん。まだティパモールが内乱を続けていくことに賛成なの?」
ブレイブは建物から降り、グレイシアの前に立つ。
そして笑みを浮かべ、答えた。
「当然だろ。父さんと母さんはティパモールの地位が良くなる為に戦った。だけれど、ヴァリエイブルはそれを隠すために殺した。……そして内乱は始まった。結果として父さんと母さんは死んでしまったけれど、この内乱によって世界にヴァリエイブルがティパモールにしてきたことを大々的に発表することができる。そう思うと、」
「父さんと母さんが死んでもよかった、とでもいうの!?」
グレイシアは肩を震わせ、激昂する。
対してブレイブは肩を竦める。
「そうは言っていないだろ。母さんと父さんは犠牲になってしまった。でもそれが結果的にいい方向に……」
「違う! 兄さんは父さんと母さんが死んだのを、合理的に見たいだけ! 『内乱が始まった』ことの原因に結びつけたいだけなのよ! 私は違う! きっとそんなものじゃ、解決出来ないと思っている! 内乱は、いいえ、もう戦争と言ってもいい! 戦争はこんなものじゃ簡単に終わるはずもない。けど、きっかけはどんな些細なものだっていいのよ!」
「……そうか」
グレイシアの声に、ブレイブは怒りもせず、かといって笑いもせず、ただ頷いて小さく溜息を吐いた。
そして、ブレイブは踵を返しゆっくりと立ち去っていった。
ドーン、ドーンと銃火器の音が聞こえる。それを聞くとグレイシアは自分が紛れもなく戦場の一歩手前に住んでいるのだということを嫌でも実感させられる。実感したくないのに。今すぐここから逃げたいのに。
彼女はそう思いながら、ヴァルトとともに家路についた。
ティパモール地区、クロウザ。
ティパモールの一番北方に位置している地区は既に陥落、そこにはヴァリエイブル軍の基地が建っていた。簡易的なものではあるが、そこにはもう立派な設備が整っており、普通の基地と遜色無かった。
汚れが落ちきっておらず若干茶色めいているコーヒーカップに入っているコーヒーを啜りながら、二人の兵士が会話をしていた。
「お前さん、今日は終わり?」
「ティズと呼んでくれよ。俺は昼だけだからな。夜はゆっくり……眠ることすらできないけれどな。ま、火薬の匂いを嗅がないだけでも平和な夜を過ごせるのかもしれないけれどね。そちらは?」
「ロスでいい。俺はこれからだ。夜戦ってやつだな。ティパモールのこのクロウザ、だっけ? ここにもまだ残党が残っているからな。そいつらを殲滅するのが俺にくだされている命令、ってわけよ」
「命令、か……」
ティズはコーヒーを啜る。そのコーヒーは旨くないのか、一瞬表情が強ばった。
「……にしても、国はどうしてここまでティパモールに躍起なのかねえ。ロス、って言ったか? あんた、国は?」
「俺はヴァリスだよ。ティズは?」
「俺もヴァリスだ。というか今回はヴァリス軍が大半を占めているらしいぜ。ここまでティパモールを潰す理由があるのかね。ただでさえここはヴァリスじゃなくてエイブルのものだっていうのによ」
「そこだよな。どうしてエイブル王国領のティパモールを、わざわざヴァリス軍中心に構成してまでヴァリエイブル全体で取り締まるのか……。ま、そんなこと考えても俺たちが変えることなんぞ出来るわけがねえんだけどな」
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