絶望世界の最強機≪インフィニティ≫ ~三十五歳、異世界に立つ。~
第百四十三話 残骸(後編)
『ゲートフルオープン十秒前。リリーファーは出動に備えて下さい』
無機質なノイズ混じりの人工音声がリリーファーを格納する空間に響き渡る。
マーズはそれを聞いて、今まであった雑念を強引に振り払った。なにがなんでもこの作戦を成功させる――それしか考えないことにしたのだ。
無論、そんなことが簡単にいくわけもない。しかし、そうしなければ作戦が失敗してしまうかもしれない。
一瞬の気の迷いによって敗北がもたらされる。そんなケースはよくあることだ。
だが、そんなことがあってはならない。そのために彼女たちは日々トレーニングを積んでいるのだ。
……とはいえ、『絶対』は有り得ない。これは当たり前のことだ。どんなことでもイレギュラーというものは発生する。
『ゲートフルオープンしました』
ズズン、といった深い音と共に、遂にゲートが完全に開いた。
それと同時に格納庫には生暖かい空気と焦げた匂いが充満していく。
それを掻い潜るようにハリー、メルキオール両騎士団はゆっくりと歩を進めていく。
この作戦を経験した、巨大潜水艦アフロディーテの乗組員は語る。
――作戦は何度も参加したが、この作戦はあまりにも残酷なものであった、と。
◇◇◇
リリーファーから少し離れて、一般兵士達も行動を開始していた。リリーファーから大分離れた位置で隊列を組み、かつてのレパルギュアの区々を闊歩していた。
リリーファーの目的と彼らの目的は殆ど等しいものであるが、その対象が異なる。リリーファーは一般兵士には適わない程の巨大兵器を相手にする。そして一般兵士はそれ以外を相手にする。
「一言で言えば俺たちはリリーファーの残飯処理、ってわけですか」
行軍の中、茶髪の青年がぽつりと呟いた。頬にそばかすがあること以外、特徴のない青年だった。
「残飯処理、か。そう言えば聞こえはいいだろうが、現実はそんな甘くないよ。もはや人っ子一人居るかどうかも解らん廃墟を探すだけの作業は、ただの苦痛だ」
対して、その前に立っていた赤髪の女性はため息混じりにそう答えた。
女性は歩きながら、唇に触れる。触れた指は若干ながら脂でベタついていた。
「……相変わらず、人間が焼けた跡を歩くというのは面白くない。もっといえば不快極まりない」
「経験したことがあるんですか?」
茶髪の青年が訊ねると、女性は小さく頷く。
「そりゃ腐るほどな。飽き飽きするくらいだ。……人間の脂ってのはな、至極ベタつくし香りが気持ち悪い。一度嗅いだら忘れられんよ」
「そんなに独特な匂い……だと?」
「あぁ。出来ることならそう何回も嗅ぎたくない香りだ。今はあまり気にならないかもしれないが、いざ作戦が終わり戻ってみると普段と違う何か別の匂いが身体に染み付いているんだ。何度身体を洗ってもその匂いは落ちなくてな……。気になっていたところでふと気になった。『これはもしかして人間が焼けた匂いなのではないか?』ということに……な」
「早く気付きたいような、気付いたら不味いような……」
「少なくとも私は気付いてしまって、若干の後悔はあるがね。しかしそれを直ぐに割り切れてしまうのならば、案外慣れる人間が多いなんてことはある。……だが、そんなもは有り得ない。結局、怖いものがない人間なんて一人も居ないというわけだ」
その言葉を聞いて、青年は唇に触れてみた。すると彼の指はたちまち脂まみれになってしまっていた。
「本当だ……」
青年は女性が言っていたことが本当なのだと思うと、急に吐き気がやってきた。
そして彼はそれを抑えきれずに、瓦礫の上に吐き出した。
吐いて吐いて吐いて吐いて吐いて吐いて吐いて吐いて吐いて吐いて、もう吐くものが胃液しかなくなってもまだ彼の吐き気は続いていた。
漸く吐き気が収まったその時、彼の周りにはその女性しか居なかった。どうしたのかと訊ねようとしたが、
「隊列を長らく止めて崩すわけにもいかないからな。我々だけ隊列から離れて行動することにしたよ。副隊長はかなり怒っていたがな」
そう言って彼女は青年に水筒を手渡す。
「これで口を濯ぐといい。見た感じ胃液も大分吐いたようだからな」
「……ありがとうございます」
暫く考えていたが、青年はその御好意を受け取ることにした。
口を濯ぎ、彼女に水筒を返す。彼女はそれをニコニコ微笑みながら返した。
「……どうしてニコニコと笑っているんですか」
「いや、特に何でも。とりあえず先を急ごう」
そうですね、とだけ言って彼女たちは隊列に合流すべく歩を進めていった。
◇◇◇
「見事な迄に何も見つからないな……」
マーズ・リッペンバーはアレスのコックピット内部にて、誰に向けたでもなくそう言った。残骸に残っている可能性のある人間を見つけ次第殺害するのが今回の作戦の目的である。既に生きている人間が居ないのであれば作戦はする意味がないのだが、僅かでも可能性がある以上は作戦を実行せねばならなかった。
だが、彼女の中にはその作戦を実行することに僅かながらの葛藤があった。
国全体が戦争一色と化していたとはいえ、レパルギュアの町並みを遠くから眺めていた限り、臨戦態勢のような緊迫した様子ではなかった。
だから、そこまでする必要が果たしてあるのか――マーズはそう思っていた。戦争は確かに、戦うことだ。しかし相手が戦う意志を見せていないにもかかわらず、こちらが全力を出して破壊しつくすとはいかがなものだろうか。もしこの作戦が世界的に知れ渡れば世界から大きな非難があることは間違いない。にもかかわらずこの作戦を実行した。どうしてだろうか?
そんなことを考えてしまうほどであったが、今マーズはそんなことを考えている暇などなかった。
今はともかく、生き残っている人たちがこの場に出て欲しくないことを願うだけであった。
「お願いだから、出てくれないでくれ……!」
そういって、彼女は手を合わせた。
だが、願いとはそう簡単に叶えられないものである。
『生き残りを発見! 総員、攻撃配置!』
彼女がその声を聞いたと同時に、銃撃戦が開始された。
――その銃撃戦は、一瞬にして完結した。
蜂の巣になった人間だったものが、瓦礫に寄りかかるように倒れた。
兵士の一人が近くまで走り、死亡を確認する。
マーズはアレスについている双眼鏡で、それがどのような人間だったのかを確認した。
それは女性だった。若い女性だった。傷ついて、傷ついて、傷ついていた。全身が傷ついていた。お腹が膨らんでいた。銃撃によって開いた穴から液体が滴り落ち、そこから小さい腕がはみ出ていた。
「……!」
マーズはそれを見た瞬間目を背けた。
いったい、この戦争では誰が正義で誰が悪なのか。
マーズは強く、そう思った。その思想は、起動従士にとってはあまりない思想であった。そしてそれを口に出す人間などいるはずもなかった。
なぜなら今ここにいる兵士はみな、法王庁は絶対的な悪であると思っているからだ。
悪と必要悪は違う。決定的な違いがある。必要悪はこの世界になければならない悪だが、悪は必ず世界に必要というわけでもない。
だからといって、正義がこの世界に必要なのだろうか? 必要だからとしても、このような虐殺に近い行為をしても、自分たちが正義だと言えるのだろうか?
マーズはこの戦争が始まって、何度も何度も何度も何度も葛藤した。自分はほんとうに正しいことをしているのか――と。
だが、そのようなことを考えてもこの戦争が終わるわけもないし、彼女がやりたくないと言えばアレスはあっけなく『バックアップ』に奪われてしまう。
彼女の存在意義のためにも、彼女はアレスに乗らねばならない。
自分のやっている行為が決して間違ってなどいない。せめてそれだけは正しいことであると、彼女は思って強く拳を握った。
無機質なノイズ混じりの人工音声がリリーファーを格納する空間に響き渡る。
マーズはそれを聞いて、今まであった雑念を強引に振り払った。なにがなんでもこの作戦を成功させる――それしか考えないことにしたのだ。
無論、そんなことが簡単にいくわけもない。しかし、そうしなければ作戦が失敗してしまうかもしれない。
一瞬の気の迷いによって敗北がもたらされる。そんなケースはよくあることだ。
だが、そんなことがあってはならない。そのために彼女たちは日々トレーニングを積んでいるのだ。
……とはいえ、『絶対』は有り得ない。これは当たり前のことだ。どんなことでもイレギュラーというものは発生する。
『ゲートフルオープンしました』
ズズン、といった深い音と共に、遂にゲートが完全に開いた。
それと同時に格納庫には生暖かい空気と焦げた匂いが充満していく。
それを掻い潜るようにハリー、メルキオール両騎士団はゆっくりと歩を進めていく。
この作戦を経験した、巨大潜水艦アフロディーテの乗組員は語る。
――作戦は何度も参加したが、この作戦はあまりにも残酷なものであった、と。
◇◇◇
リリーファーから少し離れて、一般兵士達も行動を開始していた。リリーファーから大分離れた位置で隊列を組み、かつてのレパルギュアの区々を闊歩していた。
リリーファーの目的と彼らの目的は殆ど等しいものであるが、その対象が異なる。リリーファーは一般兵士には適わない程の巨大兵器を相手にする。そして一般兵士はそれ以外を相手にする。
「一言で言えば俺たちはリリーファーの残飯処理、ってわけですか」
行軍の中、茶髪の青年がぽつりと呟いた。頬にそばかすがあること以外、特徴のない青年だった。
「残飯処理、か。そう言えば聞こえはいいだろうが、現実はそんな甘くないよ。もはや人っ子一人居るかどうかも解らん廃墟を探すだけの作業は、ただの苦痛だ」
対して、その前に立っていた赤髪の女性はため息混じりにそう答えた。
女性は歩きながら、唇に触れる。触れた指は若干ながら脂でベタついていた。
「……相変わらず、人間が焼けた跡を歩くというのは面白くない。もっといえば不快極まりない」
「経験したことがあるんですか?」
茶髪の青年が訊ねると、女性は小さく頷く。
「そりゃ腐るほどな。飽き飽きするくらいだ。……人間の脂ってのはな、至極ベタつくし香りが気持ち悪い。一度嗅いだら忘れられんよ」
「そんなに独特な匂い……だと?」
「あぁ。出来ることならそう何回も嗅ぎたくない香りだ。今はあまり気にならないかもしれないが、いざ作戦が終わり戻ってみると普段と違う何か別の匂いが身体に染み付いているんだ。何度身体を洗ってもその匂いは落ちなくてな……。気になっていたところでふと気になった。『これはもしかして人間が焼けた匂いなのではないか?』ということに……な」
「早く気付きたいような、気付いたら不味いような……」
「少なくとも私は気付いてしまって、若干の後悔はあるがね。しかしそれを直ぐに割り切れてしまうのならば、案外慣れる人間が多いなんてことはある。……だが、そんなもは有り得ない。結局、怖いものがない人間なんて一人も居ないというわけだ」
その言葉を聞いて、青年は唇に触れてみた。すると彼の指はたちまち脂まみれになってしまっていた。
「本当だ……」
青年は女性が言っていたことが本当なのだと思うと、急に吐き気がやってきた。
そして彼はそれを抑えきれずに、瓦礫の上に吐き出した。
吐いて吐いて吐いて吐いて吐いて吐いて吐いて吐いて吐いて吐いて、もう吐くものが胃液しかなくなってもまだ彼の吐き気は続いていた。
漸く吐き気が収まったその時、彼の周りにはその女性しか居なかった。どうしたのかと訊ねようとしたが、
「隊列を長らく止めて崩すわけにもいかないからな。我々だけ隊列から離れて行動することにしたよ。副隊長はかなり怒っていたがな」
そう言って彼女は青年に水筒を手渡す。
「これで口を濯ぐといい。見た感じ胃液も大分吐いたようだからな」
「……ありがとうございます」
暫く考えていたが、青年はその御好意を受け取ることにした。
口を濯ぎ、彼女に水筒を返す。彼女はそれをニコニコ微笑みながら返した。
「……どうしてニコニコと笑っているんですか」
「いや、特に何でも。とりあえず先を急ごう」
そうですね、とだけ言って彼女たちは隊列に合流すべく歩を進めていった。
◇◇◇
「見事な迄に何も見つからないな……」
マーズ・リッペンバーはアレスのコックピット内部にて、誰に向けたでもなくそう言った。残骸に残っている可能性のある人間を見つけ次第殺害するのが今回の作戦の目的である。既に生きている人間が居ないのであれば作戦はする意味がないのだが、僅かでも可能性がある以上は作戦を実行せねばならなかった。
だが、彼女の中にはその作戦を実行することに僅かながらの葛藤があった。
国全体が戦争一色と化していたとはいえ、レパルギュアの町並みを遠くから眺めていた限り、臨戦態勢のような緊迫した様子ではなかった。
だから、そこまでする必要が果たしてあるのか――マーズはそう思っていた。戦争は確かに、戦うことだ。しかし相手が戦う意志を見せていないにもかかわらず、こちらが全力を出して破壊しつくすとはいかがなものだろうか。もしこの作戦が世界的に知れ渡れば世界から大きな非難があることは間違いない。にもかかわらずこの作戦を実行した。どうしてだろうか?
そんなことを考えてしまうほどであったが、今マーズはそんなことを考えている暇などなかった。
今はともかく、生き残っている人たちがこの場に出て欲しくないことを願うだけであった。
「お願いだから、出てくれないでくれ……!」
そういって、彼女は手を合わせた。
だが、願いとはそう簡単に叶えられないものである。
『生き残りを発見! 総員、攻撃配置!』
彼女がその声を聞いたと同時に、銃撃戦が開始された。
――その銃撃戦は、一瞬にして完結した。
蜂の巣になった人間だったものが、瓦礫に寄りかかるように倒れた。
兵士の一人が近くまで走り、死亡を確認する。
マーズはアレスについている双眼鏡で、それがどのような人間だったのかを確認した。
それは女性だった。若い女性だった。傷ついて、傷ついて、傷ついていた。全身が傷ついていた。お腹が膨らんでいた。銃撃によって開いた穴から液体が滴り落ち、そこから小さい腕がはみ出ていた。
「……!」
マーズはそれを見た瞬間目を背けた。
いったい、この戦争では誰が正義で誰が悪なのか。
マーズは強く、そう思った。その思想は、起動従士にとってはあまりない思想であった。そしてそれを口に出す人間などいるはずもなかった。
なぜなら今ここにいる兵士はみな、法王庁は絶対的な悪であると思っているからだ。
悪と必要悪は違う。決定的な違いがある。必要悪はこの世界になければならない悪だが、悪は必ず世界に必要というわけでもない。
だからといって、正義がこの世界に必要なのだろうか? 必要だからとしても、このような虐殺に近い行為をしても、自分たちが正義だと言えるのだろうか?
マーズはこの戦争が始まって、何度も何度も何度も何度も葛藤した。自分はほんとうに正しいことをしているのか――と。
だが、そのようなことを考えてもこの戦争が終わるわけもないし、彼女がやりたくないと言えばアレスはあっけなく『バックアップ』に奪われてしまう。
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