絶望世界の最強機≪インフィニティ≫ ~三十五歳、異世界に立つ。~
第六十八話 スラム街(後編)
一年前。
カーネル起動従士訓練学校、起動従士クラス二年の教室。
ダレンという青年はこのクラスでトップの成績を誇っていた。彼はこの街のスラム出身だったが、それを蔑む者などいない。それはこの学校が超然とした実力主義だからだろう。
「おぉ、ダレン」
廊下を歩いていた彼は眼鏡をかけた先生に声をかけられた。
「どうしました、先生」
「実は君に、ある実験に付き合ってもらいたいとラトロからのお達しがあってね……。なに、ここで立ち話する内容でもないから、先生の教員室で話そう。これから授業は?」
「数学の授業が入っていますが、問題ありません」
「……解った。しかし今は授業よりも優先すべきことだ。数学の先生には私から言っておこう。少なくとも欠課時数がつくことはあるまい」
先生はそう言って眼鏡をずり上げる。そうしてダレンと先生は先生の教員室へと向かった。
先生――ルフリート・エンジャンクラーの教員室は学校の管理事務施設が一堂に存在する西エリアの二階、その一番奥にある。
ルフリート、ダレンの順で彼らは部屋に入り、ソファに腰掛ける。ダレンが出口側の席、ルフリートがダレンの正面の席に座っている。
「……さて、取り敢えず単刀直入に言おう」
ルフリートが出した紅茶を、許可を得て一口飲んだダレンに、ルフリートが言った。
「ラトロを、君はどれくらい知っているかい?」
「ラトロ……リリーファー応用技術研究機構のことですよね。世界にある民有リリーファーの凡てを設計・開発し、販売している」
「それが解れば大体いいだろう。……ラトロからのお達しというのは、ある実験に参加して欲しいということだ。そして、その実験というのがね、『新型リリーファーのシミュレート実験』だ」
「新型?」
「言うなら、第五世代だね。ペイパスの『ヘスティア』は第三世代、『エレザード』は第四世代だ。ヴァリエイブルの『アレス』は第二世代からさらに拡張したものだから、実際はどの世代に位置するのかは怪しいところだけれど」
「その、第五世代に乗ることが出来る、と?」
思わずダレンは唾を飲み込む。緊張しているのも無理はない。なにせ彼が言う第五世代とは今よりも一歩進んだ世代となる。『エレザード』ですらつい半年前に出来たばかりなのだが、研究者の追求とは基本とどまるところを知らないものだ。
「……第五世代、その名も『プロジェクト・ムラサメ』だ」
「ムラサメ?」
「なんでも古くに伝わる剣の名前らしいが……詳しくは私にも知り得ない。ともかく、この名前であることは決定事項だし、君や私がどうこう言おうともそんなことは関係のない話だよ」
ルフリートはそう言って、紅茶を一口啜る。
そして立ち上がり、机の上に置かれた資料をダレンへと差し出す。
そこにはこう書かれていた。――『第五世代リリーファー駆動実験について』と。
それを見て、益々ダレンは胸を躍らせた。何しろ今まで誰も乗ったことがないであろう最新世代のリリーファーに、自分が実験台になるとは言え、乗ることができるということが、どれほど素晴らしいことか、どれほど栄誉なことか、彼は知っていた。
だからこそ。
「……やります。やらせてください」
彼は即決した。
そのあと、何が起こるのかも知りもせずに。
◇◇◇
「……それが、俺の兄ちゃんだ」
そこまでがウルの独白だった。
そこまでが、ウルの悲しい記憶だった。
「辛かったな」
ヴァルトのその一言に、ウルの目は泣きそうになっていたが、直ぐに涙を堪え、
「何。一人で平気さ。殺された、とは言ったけれど帰ってこないだけだ。だから、もしかしたら、生きているかもしれないし……」
「甘えてもいいだろうよ」
次に言ったのは崇人だった。
「お前は子供だ。そして俺も子供だ。泣きたい時は泣けばいい。笑いたい時は笑えばいい。感情なんて溜め込まないで、さっさと吐き出しちまえばいい。それが人間の別段自然なことだろ。自然に感情を出して、何が悪いんだ」
「……何がわかる」
「ああ、解らねえよ。けれど、ぐずぐずしている、お前も解らねえよ。本当に気にしていないなら、どうしてお前は俺たちに話したりしたんだ? もしかしたら助けてくれるかも……とかそんなことを考えたんじゃないのか?」
「そんなことは」
「考えていない、というのか?」
崇人の言葉に、ウルは唇を噛むだけだった。
「……なあ、甘えてもいいんだぜ? 何も世界がお前一人で回っているわけじゃないんだ。たまには、甘えてもいいと思うんだよ。な?」
「まあ、別に『必ず甘えろ』というわけでもないんだが……」
ヴァルトはポケットからタバコを取り出して、咥える。
「とりあえずお前の兄さんは探しておくよ。……君はここで平和に暮らしておくんだ。ここならば安全だから」
そう言って、彼らはゆっくりとスラム街を後にした。
ウルはそれをただ見ることしかできなかった。
スラム街を出て。
「……なあ、本当に良かったのか?」
崇人はヴァルトに訊ねる。
「ん? ああ、あの子の事かい? 自分で何とかする……とか思わせぶりな人間にとって一番困るんだよ。何をしでかすか解ったもんじゃない。だからこそ、こちらで何とかすると言ったまでだ。ああ、あくまでも騙したつもりはないさ。もし出来たら、というだけ」
「騙しているじゃないか」
「そもそも誰かにやってもらうのを待っていたのなら、自分でやる人間も居ないさ。こっちでしてあげてもいいけど、それが成功する保証はしないよ、というだけ」
ヴァルトの言葉は正論ではあった。
だが、崇人としては少しだけ彼を騙した気分になってしまうのだった。
「一先ず、これからどうする? 通信でもとって確認するのか?」
崇人が訊ねると、マーズが小さく微笑む。
「大丈夫よ。ある場所を知っている。そこへ行かなくてはいけないのよ」
「そこを基地とする感じなのか?」
「ん? ああ、間違ってはいないわ。けれど、基地というか協力者という感じの方が近いわね。ニュアンスの問題よ」
「そうなのか」
「そうよ」
マーズと崇人はそう会話を交わし、一先ずマーズのいうその場所へ向かうこととした。
――したのだが。
「ところで、そこまでの交通手段は?」
「地下鉄?」
「徒歩とかだと見つかるリスクが高いのかな?」
「いや、どのみちすぐ見つかる。だったら地下鉄を使って……」
「あの」
そんなハリー騎士団の会話に割り入る誰かがいた。
その声のする方へ彼らが目線を移動させると、そこにはウルがいた。
「ウル、ここまで来ていたのか」
「あのさ。兄ちゃんが昔使っていた車があるんだけど」
「車? それはどれくらいの大きさなの?」
「結構人数は入るだろうけれど、それでも八人くらいだと思う」
ウルの言葉を聞いて、崇人は脳内でメンバーを構成していく。
「それじゃ、俺とマーズ、ヴィエンスにエスティ、そしてエルフィーとマグラス、これで六人だな」
「運転は俺がしよう」
ヴァルトが言った。
「それじゃ、任せる」
「あの」
ウルが呟いた言葉を、崇人は聞き逃さなかった。
「どうした?」
「俺も……連れて行ってくれ! 邪魔になったら置いていってもいい! ただ……兄ちゃんがどうなったのかだけが気になるんだ!!」
「危険な場所だ」
「解っている」
「死ぬかもしれない」
「百も承知だ」
崇人の言葉に対しても、ウルは視線を崇人から離すことはなかった。
崇人は小さくため息をついた。
「……解った。お前が最後のメンバーだ。残りはこのスラム街で待機してくれ」
それを聞いて残りのメンバーは敬礼した。
ウルは、何度も何度も頷いていた。
「いいの?」
マーズが訊ねると、崇人は肩をすくめる。
「しょうがないさ。あんな熱い視線を送られちゃあ」
そして、崇人たちはその車がある場所へと向かった。
カーネル起動従士訓練学校、起動従士クラス二年の教室。
ダレンという青年はこのクラスでトップの成績を誇っていた。彼はこの街のスラム出身だったが、それを蔑む者などいない。それはこの学校が超然とした実力主義だからだろう。
「おぉ、ダレン」
廊下を歩いていた彼は眼鏡をかけた先生に声をかけられた。
「どうしました、先生」
「実は君に、ある実験に付き合ってもらいたいとラトロからのお達しがあってね……。なに、ここで立ち話する内容でもないから、先生の教員室で話そう。これから授業は?」
「数学の授業が入っていますが、問題ありません」
「……解った。しかし今は授業よりも優先すべきことだ。数学の先生には私から言っておこう。少なくとも欠課時数がつくことはあるまい」
先生はそう言って眼鏡をずり上げる。そうしてダレンと先生は先生の教員室へと向かった。
先生――ルフリート・エンジャンクラーの教員室は学校の管理事務施設が一堂に存在する西エリアの二階、その一番奥にある。
ルフリート、ダレンの順で彼らは部屋に入り、ソファに腰掛ける。ダレンが出口側の席、ルフリートがダレンの正面の席に座っている。
「……さて、取り敢えず単刀直入に言おう」
ルフリートが出した紅茶を、許可を得て一口飲んだダレンに、ルフリートが言った。
「ラトロを、君はどれくらい知っているかい?」
「ラトロ……リリーファー応用技術研究機構のことですよね。世界にある民有リリーファーの凡てを設計・開発し、販売している」
「それが解れば大体いいだろう。……ラトロからのお達しというのは、ある実験に参加して欲しいということだ。そして、その実験というのがね、『新型リリーファーのシミュレート実験』だ」
「新型?」
「言うなら、第五世代だね。ペイパスの『ヘスティア』は第三世代、『エレザード』は第四世代だ。ヴァリエイブルの『アレス』は第二世代からさらに拡張したものだから、実際はどの世代に位置するのかは怪しいところだけれど」
「その、第五世代に乗ることが出来る、と?」
思わずダレンは唾を飲み込む。緊張しているのも無理はない。なにせ彼が言う第五世代とは今よりも一歩進んだ世代となる。『エレザード』ですらつい半年前に出来たばかりなのだが、研究者の追求とは基本とどまるところを知らないものだ。
「……第五世代、その名も『プロジェクト・ムラサメ』だ」
「ムラサメ?」
「なんでも古くに伝わる剣の名前らしいが……詳しくは私にも知り得ない。ともかく、この名前であることは決定事項だし、君や私がどうこう言おうともそんなことは関係のない話だよ」
ルフリートはそう言って、紅茶を一口啜る。
そして立ち上がり、机の上に置かれた資料をダレンへと差し出す。
そこにはこう書かれていた。――『第五世代リリーファー駆動実験について』と。
それを見て、益々ダレンは胸を躍らせた。何しろ今まで誰も乗ったことがないであろう最新世代のリリーファーに、自分が実験台になるとは言え、乗ることができるということが、どれほど素晴らしいことか、どれほど栄誉なことか、彼は知っていた。
だからこそ。
「……やります。やらせてください」
彼は即決した。
そのあと、何が起こるのかも知りもせずに。
◇◇◇
「……それが、俺の兄ちゃんだ」
そこまでがウルの独白だった。
そこまでが、ウルの悲しい記憶だった。
「辛かったな」
ヴァルトのその一言に、ウルの目は泣きそうになっていたが、直ぐに涙を堪え、
「何。一人で平気さ。殺された、とは言ったけれど帰ってこないだけだ。だから、もしかしたら、生きているかもしれないし……」
「甘えてもいいだろうよ」
次に言ったのは崇人だった。
「お前は子供だ。そして俺も子供だ。泣きたい時は泣けばいい。笑いたい時は笑えばいい。感情なんて溜め込まないで、さっさと吐き出しちまえばいい。それが人間の別段自然なことだろ。自然に感情を出して、何が悪いんだ」
「……何がわかる」
「ああ、解らねえよ。けれど、ぐずぐずしている、お前も解らねえよ。本当に気にしていないなら、どうしてお前は俺たちに話したりしたんだ? もしかしたら助けてくれるかも……とかそんなことを考えたんじゃないのか?」
「そんなことは」
「考えていない、というのか?」
崇人の言葉に、ウルは唇を噛むだけだった。
「……なあ、甘えてもいいんだぜ? 何も世界がお前一人で回っているわけじゃないんだ。たまには、甘えてもいいと思うんだよ。な?」
「まあ、別に『必ず甘えろ』というわけでもないんだが……」
ヴァルトはポケットからタバコを取り出して、咥える。
「とりあえずお前の兄さんは探しておくよ。……君はここで平和に暮らしておくんだ。ここならば安全だから」
そう言って、彼らはゆっくりとスラム街を後にした。
ウルはそれをただ見ることしかできなかった。
スラム街を出て。
「……なあ、本当に良かったのか?」
崇人はヴァルトに訊ねる。
「ん? ああ、あの子の事かい? 自分で何とかする……とか思わせぶりな人間にとって一番困るんだよ。何をしでかすか解ったもんじゃない。だからこそ、こちらで何とかすると言ったまでだ。ああ、あくまでも騙したつもりはないさ。もし出来たら、というだけ」
「騙しているじゃないか」
「そもそも誰かにやってもらうのを待っていたのなら、自分でやる人間も居ないさ。こっちでしてあげてもいいけど、それが成功する保証はしないよ、というだけ」
ヴァルトの言葉は正論ではあった。
だが、崇人としては少しだけ彼を騙した気分になってしまうのだった。
「一先ず、これからどうする? 通信でもとって確認するのか?」
崇人が訊ねると、マーズが小さく微笑む。
「大丈夫よ。ある場所を知っている。そこへ行かなくてはいけないのよ」
「そこを基地とする感じなのか?」
「ん? ああ、間違ってはいないわ。けれど、基地というか協力者という感じの方が近いわね。ニュアンスの問題よ」
「そうなのか」
「そうよ」
マーズと崇人はそう会話を交わし、一先ずマーズのいうその場所へ向かうこととした。
――したのだが。
「ところで、そこまでの交通手段は?」
「地下鉄?」
「徒歩とかだと見つかるリスクが高いのかな?」
「いや、どのみちすぐ見つかる。だったら地下鉄を使って……」
「あの」
そんなハリー騎士団の会話に割り入る誰かがいた。
その声のする方へ彼らが目線を移動させると、そこにはウルがいた。
「ウル、ここまで来ていたのか」
「あのさ。兄ちゃんが昔使っていた車があるんだけど」
「車? それはどれくらいの大きさなの?」
「結構人数は入るだろうけれど、それでも八人くらいだと思う」
ウルの言葉を聞いて、崇人は脳内でメンバーを構成していく。
「それじゃ、俺とマーズ、ヴィエンスにエスティ、そしてエルフィーとマグラス、これで六人だな」
「運転は俺がしよう」
ヴァルトが言った。
「それじゃ、任せる」
「あの」
ウルが呟いた言葉を、崇人は聞き逃さなかった。
「どうした?」
「俺も……連れて行ってくれ! 邪魔になったら置いていってもいい! ただ……兄ちゃんがどうなったのかだけが気になるんだ!!」
「危険な場所だ」
「解っている」
「死ぬかもしれない」
「百も承知だ」
崇人の言葉に対しても、ウルは視線を崇人から離すことはなかった。
崇人は小さくため息をついた。
「……解った。お前が最後のメンバーだ。残りはこのスラム街で待機してくれ」
それを聞いて残りのメンバーは敬礼した。
ウルは、何度も何度も頷いていた。
「いいの?」
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