絶望世界の最強機≪インフィニティ≫ ~三十五歳、異世界に立つ。~
プロローグ 前編
西暦二〇一三年、東京。
東京は夜になってもタクシーやらバスやらが道路を右往左往してその雰囲気は残し、きらびやかな街並みが広がっていた。
「……大野くん。もう帰ってもいいのだぞ? 君のノルマはもうとっくに終わってしまっただろう」
とある会社のとある部署で、白髪混じりのスーツを着た男がそう言って溜息をついた。
男のいる部署では、一人居残りで作業を行なっていた。年齢は彼よりひとつか二つ年上であるが、実際には男の部下という少々ややこしい関係である。
「……あ、すいません。もう終わりましたので」
「就業時間は守ってもらわなくては。私も辛いのだよ。鍵締めを全部やる羽目になるからね」
上司の言葉に大野――大野崇人は苦笑いをした。
この男、大野崇人は仕事しか取り柄がない人間であった。
趣味も殆どすることがなければ、有給なんて殆ど取らない。まさに仕事に生きる人間だ、と社内で言われるほどだ。
「……ときに、大野くん」
鍵締めを終えて、一階にある警備室へと向かう道中、階段を降りながら上司が話を始めた。
「なんです?」
「君……結婚はしないのかね?」
「私が、ですか?」
崇人はそれを聴いて失笑するところだった。しかし、上司の前であるから、幾らなんでもそんなことは出来ない。
「君ももういい年だろう。……家庭の一つやふたつもたないでどうする」
「二つはもっちゃいけませんよ」
そうだな、と上司は苦笑いする。
崇人自身、この年齢まで生きてきて『結婚』という価値観を抱いたことすらなかった。それはきっと特異なことでもあるし、普通の人間では有り得ないことなのかもしれない。
しかし、彼は。
現に、この年まで独身である。ある同僚は、ある後輩は、ある先輩は、それぞれ口を揃えていう。
――やつは仕事と結婚したのだ。
と。
崇人は笑いながら、階段を降りていった。
ちょうど。
ちょうど、そのときだった。
ずるっ。
「……えっ?」
階段を、踏み外した。
自分でも、恥ずかしいくらいに。
そこで抑えきれずに、階段を転げ落ちる崇人。
加速度が生じ、速度が上がる。なめらかな斜面ではないから、ダメージも大きい。
――そして、彼の身体は踊り場まで落ちて――そのまま『消えた』。
**
『クローツ』の西北に位置するヴァリエイブル連合王国は東を除く三方を山に囲まれている国家である。
ヴァリエイブル連合王国の東にはアースガルド王国、南にはペイパス王国、北にはほぼ円形の領土を持つ法王庁自治領がある。
法王庁は置いても、アースガルド及びペイパスとは戦争が数多く行われている。
今日だって、そうだ。
「戦車隊進めーっっ!!」
「おーっ!!」
銃声にも負けぬ大きな掛け声とともに一列に並んだ戦車十七台が一直線に突入する。
しかし。
それらはすぐに薙ぎ倒されることになる。
それを行なったのは、直径一メートルの巨大レーザーガン。
正確には、それを装備する赤いカラーリングのロボット、『アレス』であった。『アレス』は戦場をゆっくりと闊歩していた。
戦車隊は既に行動不能に陥っており、次の部隊の準備が進められていた。
『アレス』内部にいるパイロット、マーズ・リッペンバーは戦場の状況を見ながら小さくため息をついた。
少なくとも、この状況から負けることはありえない。
それはペイパスの保持する『ヘスティア』を隙を付いて行動不能にしたからである。ヘスティアは行動速度が速く、一度隙をつかれてしまってはそのタイミングに合わせて何度も攻撃されてしまう。だからといってこちらから攻撃しようなどと考えるとヘスティア持ち前の速度で返り討ちもしくは一切攻撃が当たらないことだってありえるのだ。
だからこそ、今回の戦争では『ヘスティア』を行動不能にさせることを最優先事項とした。
この世界の戦争は、大部分が巨大ロボット『リリーファー』によって構成されている。世界の財政の殆どがこれに注ぎ込まれており、リリーファーが弱いということは国をも滅びる可能性があることを指す。
だからこそ、リリーファーを守るのが国の最重要課題であるのだが……。
「こんなにも『ヘスティア』が呆気なく行動不能に陥るなんてね……」
マーズは小さく欠伸をして、前を見た。
そこには殲滅された戦車隊と騎馬隊、銃隊などが居た。
それをマーズは残機確認の如く、眺めていたのだが――ふと、そこで不思議な点に気がついた。
――ここまで、攻撃を受けておいて。
――『なぜ死体が見つからない』?
マーズの言うとおり、死体はなかった。
戦車なら戦車、騎馬なら馬、銃ならば銃と、『人間以外の全て』がそのまま放置されていた。
「まさか……!」
ここで、マーズは最悪のパターンを考慮する。
それは。
「……『リリーファー』はあと一体居る……!」
マーズがその結論にたどり着いた束の間。
『アレス』が横に薙ぎ倒された。
瞬時にコックピットには大量の重力がかかり、コックピット内の重力を平時に保とうと機械が唸りを上げていた。
そんなことを気にもせずに、マーズは態勢を取り直し、後ろを振り返った。
そこには――全身黒いリリーファーが居た。その黒は全てを威圧する、黒だった。そして、それを引き立てるようなピンクのカラーリング。
「まさか……『ペルセポネ』……!」
マーズは、苦虫を潰したような表情を示して、呟いた。
ペルセポネはペイパス王国の所持する『国有リリーファー』ではなく、リリーファー応用技術研究機構、通称ラトロが保持する『民有リリーファー』である。つまり、国有と比べればその性能は自由に決められる。
国有リリーファーと民有リリーファーを同規模で開発すると、必ず出てくるのはその自由すぎる性能の差である。民有に関しては付けられる性能について制限はない。また、民有で安定した技術を国有に輸入したり、国有で得た危険な技術を民有で『プロトタイプ・リリーファー』として活用したりしている。
ペルセポネはその中でも三本の指の中に入る、リリーファーである。操縦パイロットは公式資料をそのままの意味でとらえれば、テルミー・ヴァイデアックス。ペイパス王国の貴族として長年続く由緒正しい家の長女である。
「……不味い、これはまずいぞ!」
アレス内部のマーズは急いで腕を手前に手繰り寄せる。
リリーファー内部にはコックピットがあっても操縦桿は存在しない。直径五センチくらいの円球――コントローラーを握ることで運転が可能となる。
リリーファーコントローラーは大きさこそ小さいが体温や汗を感知し、場合によっては自動的に運転を中止する判断を下すことが出来、オートコントロールモードに入ることもある。
そして、今の状態は――誰が見ても限界だと解る。
まともに考える頭があるならば、撤退するのが一番の行為だ。
しかし。
「まだだ」
アレスはペルセポネから距離を取るように後退りした。
まだ、終わっちゃいない。
彼女は、諦めることをしない性格だ。
だからこそ。
今の地位に立っているのも、案外道理にあっているのかもしれない。
「ペルセポネを出してくるってことは……ペイパスは相当参っているってことだ」
プレッシャーを与えるように、ペルセポネに向けて外部スピーカーを通じて声をだした。
国有リリーファーが倒された今、ペイパスの未来は民有リリーファーにかかっているということだ。悲しいことではある。
しかし、それでも彼女が行うことには変わりない。
「来いよ……、ペルセポネ!」
そして――アレスはペルセポネに向かって左手を前方に突き出した。
**
ところは変わり、ヴァリエイプル連合王国の外れにある森。
「……ここは、どこだ?」
その風景には似つかわしくない一人のサラリーマンが立っていた。
男の名前は、大野崇人。
先程まで、西暦二〇一三年の東京にあるとある会社に居たはずの人間である。
しかしながら。
今彼がいる場所はその場所とはとてつもなく違う場所であった。
「会社のところにいたはずなんだがな……夢かね……、夢にしてはリアルすぎる気もするけれど……」
考えても仕方がない。
そう考えて、崇人はまず辺りを探索することとした。
――が。
目の前の森が、突如として崩壊した。
「な、なんだ!!」
そして、すぐにその原因が姿を現した。
赤いカラーリングのロボットがこちらに向かって倒れてくるのだった。
「うおおおおおおおおお!! なんだよここは!! 少なくとも日本ではないの……か!?」
彼はそう言うが、この場所、日本はおろか世界が違うことにはまだ気づいていない。
ロボットは倒れてもなお、その大きさからか、こちらに向かって突入してくる。崇人はそれを見て更に走る。この運動は仕事が恋人の崇人には相当辛いものであった。
「……はあ、はあ……!」
漸くそれが止まった頃には、彼の足は棒のように動かなくなってしまっていて、スーツも脱いでいた。さらにはシャツの袖をもまくっていた。
「……なんなんだこれは?」
崇人は停止した物体を眺める。
それは、ロボットだということにはまだ気づいていない。
普通向こうの世界の人間ならば、これはロボットだとは思わないだろう。
頭部を眺める。頭部は人間的な特徴を捉えていた。目鼻と、耳こそなかったが可動すると思われる口もついていた。
「これは――」
――なんなんだ、と言う前に。
ロボットの胸部が唐突に開かれた。
**
「……くっ……、まさかペルセポネにあんな能力があったとは……!」
マーズはコックピットから脱出することに精一杯だった。
しかし、足を怪我したらしく、思うように動くことが出来なかった。
このままでは――国が滅びる。
ペルセポネを甘く見ていたのが、彼女のそもそもの間違いだった。ペルセポネは民営リリーファーなのだから常に強化されることを、彼女だって解っていたはずだった。
にもかかわらず。
彼女は見誤ってしまった。
そして、結果として今、アレスは行動不能に陥った。
「このままじゃ――」
国が滅びる。
そして――そのあとのストーリーは誰にだって予想できる。
国がひとつ滅びれば、その分世界は大きく変わる。これだけは避けなくてはならない。
「……おい。大丈夫か?」
マーズは不意に声をかけられて、そちらの方を見た。
そこに居たのはスーツを着た男だった。マーズは見たこともない素材の服で、その服は訳が分からなかった。
「おい……!」
「なにものだ貴様……、ここが危険な場所だとは解らないのか……!? さっさと立ち去れ……!」
「そういうキャラを気取りたいのもわからんではないが、怪我をしているのではないか?」
男に言われて、マーズは自分の体を見た。確かに、彼の言うとおりマーズの身体はもはや満身創痍だった。
「おい、大丈夫か?」
男は手を差し出した。マーズはその手を払った。
「私を誰だと思っている! リリーファーの起動従士マーズ・リッペンバーだ!! 貴様がなにものは知らないが、手を借りる筋合いなどない!!」
「そんなことはどうだっていいだろ!! てめえがお子様かどうかは知らねえが体型で判断させてもらう。てめえは子供だ! 精神も、肉体も!! 子供なら背伸びせずに大人の言うことを聞け!!」
その男の言葉の迫力に、マーズは一瞬うろたえた。
この男は、この世界の事情を全く知らないのに。
リリーファー起動従士は、うろたえていた。
この男は――いったい何者なのか。
しかし。
この男は――目に希望を失っていなかった。
「……お前が何者かは知らんが、お前になら……託せるかもしれない……」
「は? 何を……」
男が言葉を言い終わる前に、マーズは言った。
「森を抜けると小さな建物がある。その中にあるリリーファー……≪インフィニティ≫を起動させろ。もしかしたら……起動できるかもしれない」
「その≪インフィニティ≫ってのは、起動できないものなのか?」
「起動できるかどうかは解らない。しかし、今まで起動できた人間は……一人しかいない」
「……残業代は?」
「は?」
「残業代だ。俺を訳の分からねえ場所まで連れ出して挙句の果てにリリーファーなるものを操縦しろ、だ? 狂ってやがる。残業代をたんまり貰わなきゃ納得いかん」
「……人の命、ヴァリエイブル連合王国の三千万人と、あんたの残業代数千ルクスどっちが大事だ?」
「……」
ルクスとは、この世界の金銭単位で、大体一円一ルクスくらいなのだが、そんなことを男は知ることもない。
しかし。
マーズの言葉に、男は踵を返し、走り出した。
「サービス残業するっきゃないってことか……」
そして。
「見てろ、何者か知らねえが、サービス残業が普通の残業に引けを取らないところを見せてやる」
男は森の奥へと――消えた。
それを見届けてマーズは安堵の溜息をもらした。
何者かは知らないが、これで一安心である。
しかし、しかしだ。
仮に、“≪インフィニティ≫が発動しなかったら”?
――いいや、発動するだろう。
マーズはそんな確証のないことをつぶやいた。
そして男――崇人は森を走り、小さな煉瓦造りの建物へとたどり着いた。
「あの女の子が言っていたのは……ここか?」
崇人は建物にあった鉄製の扉を強引にこじ開け、中へと入った。中は外と比べるととても冷たかった。なんというか、しばらくの間ここには誰も立ち入らなかったような……そんな感じが見て取れた。
「……これか……!」
奥まで階段を降りると、そこには黒いカラーリングのロボットがいた。彼女の言うとおりであるならば、これはリリーファーの≪インフィニティ≫であるということだ。
そもそも、何故これは≪インフィニティ≫と呼ばれるのか。
インフィニティとは無限を表す単語である。それが意味するとおり、このリリーファーはエネルギーを無限に生み出すことが出来る。どういうことかと言えば、インフィニティ内部には重力を元にした振り子が存在している。この星の重力を用いて振り子は周期をもって運動する。そのエネルギーを微弱な熱に変換し、それを元にタービンを回転させ電気を作りだしている。このしくみが出来るボックスを、≪インフィニティ≫は七千五百八十個体内で保管・稼働しており、これによって≪インフィニティ≫はほぼ無限に稼働することができるということだ。
勿論、そんなことを崇人は知る由もない。
崇人はインフィニティと対面した。そして、眺めた。
――この機械を動かすことが、果たしてできるのか。
崇人はそんなことを考えていた。先程のマーズは起動従士として訓練を受けていた人間である。それと比べて崇人は社会人である。つまり、そんな訓練など受けてもいない人間なのだ。
「……俺が、どうすりゃいいんだよ……」
そう崇人が独りごちると、≪インフィニティ≫は突然として、頭部の――ちょうど人間でいう『目』のあたり――が光り始めた。
「な、なんだ……?」
崇人はこの状況についていくことができなかった。しかし、それを無視するかのように、崇人の耳に声が響いた。
『……≪インフィニティ≫ブート・プログラム起動。マスター、あなたはマスターですか?』
「……誰だか知らねえが、俺はマスターと呼べる程の人間ではないと思う」
恐らくあの『ロボット』から発せられたものなのだろう――と崇人は思い、そう呟いた。彼はどうせ起動出来る訳がないと思っていたのだから。
しかし。
『声紋、一致』
「――は?」
≪インフィニティ≫から出たラジオを引き伸ばしたような音声は、崇人を驚かせた。
「……待て、声紋が、一致した? 何を言っているんだ。俺はただの社会人だぞ。そんなこと無理に――」
『ブート・プログラム、終了。以後はSRSとなります』
「SRS……音声認識システム、ってことか?」
音声認識システム――Speech Recognition Systemは崇人の世界でも用いられていた技術である。ヒトの話す言語をあらかじめそのパターンをデータ化させておいたコンピューターに通すことで解析され、その内容を文字データとして保存するシステムである。崇人の会社ではそれを応用し、コンピューターやロボットに命令を伝達することを開発していたのだが……崇人はそれが完成していたなんて聞いたこともなかった。
まさか――本当に動くわけもあるまい。
崇人は半信半疑で、そう思い、そして冗談半分で呟いた。
「……それじゃ、『俺をそれに乗せろ』」
『――了解しました』
あくまでも、冗談のつもりだった。
しかし。
その命令を忠実に再現するかのように、崇人の身体は宙に浮いた。
「……はっ!?」
『暴れないでください。――現在、プログラム実行中です』
「まじかよ……!」
崇人が≪インフィニティ≫に吸い込まれると同時に≪インフィニティ≫胸部が観音開きで開いた。
そしてそこには人間が一人分入れるスペースが存在した。それはまさしく――ロボットでいうところのコックピットだった。
そして、崇人がコックピットに座ったと同時に胸部の扉が閉まった。
胸部はちょうどマジックミラーのようになっているらしく、こちらからは外の景色が丸見えであった。勿論、そうでなくては戦うこともままならないのだが。
『それでは――マスター、ご指示を』
堅苦しい口調で『言う』人工音声に、崇人はため息混じりに答えた。
「俺は崇人だ。……解った、では≪インフィニティ≫」
『わかりました、タカト様。それと、わたくしは民営リリーファー≪インフィニティ≫起動補助OS「フロネシス」です。以後、お見知りおきを』
「……わかった、フロネシス。それでは――≪インフィニティ≫発進……!!」
そして、崇人は左手のところにあったレバーを手前に引いた。
それと同時に≪インフィニティ≫は静かに一歩を、その大地に刻み込んだ。
つづく。
東京は夜になってもタクシーやらバスやらが道路を右往左往してその雰囲気は残し、きらびやかな街並みが広がっていた。
「……大野くん。もう帰ってもいいのだぞ? 君のノルマはもうとっくに終わってしまっただろう」
とある会社のとある部署で、白髪混じりのスーツを着た男がそう言って溜息をついた。
男のいる部署では、一人居残りで作業を行なっていた。年齢は彼よりひとつか二つ年上であるが、実際には男の部下という少々ややこしい関係である。
「……あ、すいません。もう終わりましたので」
「就業時間は守ってもらわなくては。私も辛いのだよ。鍵締めを全部やる羽目になるからね」
上司の言葉に大野――大野崇人は苦笑いをした。
この男、大野崇人は仕事しか取り柄がない人間であった。
趣味も殆どすることがなければ、有給なんて殆ど取らない。まさに仕事に生きる人間だ、と社内で言われるほどだ。
「……ときに、大野くん」
鍵締めを終えて、一階にある警備室へと向かう道中、階段を降りながら上司が話を始めた。
「なんです?」
「君……結婚はしないのかね?」
「私が、ですか?」
崇人はそれを聴いて失笑するところだった。しかし、上司の前であるから、幾らなんでもそんなことは出来ない。
「君ももういい年だろう。……家庭の一つやふたつもたないでどうする」
「二つはもっちゃいけませんよ」
そうだな、と上司は苦笑いする。
崇人自身、この年齢まで生きてきて『結婚』という価値観を抱いたことすらなかった。それはきっと特異なことでもあるし、普通の人間では有り得ないことなのかもしれない。
しかし、彼は。
現に、この年まで独身である。ある同僚は、ある後輩は、ある先輩は、それぞれ口を揃えていう。
――やつは仕事と結婚したのだ。
と。
崇人は笑いながら、階段を降りていった。
ちょうど。
ちょうど、そのときだった。
ずるっ。
「……えっ?」
階段を、踏み外した。
自分でも、恥ずかしいくらいに。
そこで抑えきれずに、階段を転げ落ちる崇人。
加速度が生じ、速度が上がる。なめらかな斜面ではないから、ダメージも大きい。
――そして、彼の身体は踊り場まで落ちて――そのまま『消えた』。
**
『クローツ』の西北に位置するヴァリエイブル連合王国は東を除く三方を山に囲まれている国家である。
ヴァリエイブル連合王国の東にはアースガルド王国、南にはペイパス王国、北にはほぼ円形の領土を持つ法王庁自治領がある。
法王庁は置いても、アースガルド及びペイパスとは戦争が数多く行われている。
今日だって、そうだ。
「戦車隊進めーっっ!!」
「おーっ!!」
銃声にも負けぬ大きな掛け声とともに一列に並んだ戦車十七台が一直線に突入する。
しかし。
それらはすぐに薙ぎ倒されることになる。
それを行なったのは、直径一メートルの巨大レーザーガン。
正確には、それを装備する赤いカラーリングのロボット、『アレス』であった。『アレス』は戦場をゆっくりと闊歩していた。
戦車隊は既に行動不能に陥っており、次の部隊の準備が進められていた。
『アレス』内部にいるパイロット、マーズ・リッペンバーは戦場の状況を見ながら小さくため息をついた。
少なくとも、この状況から負けることはありえない。
それはペイパスの保持する『ヘスティア』を隙を付いて行動不能にしたからである。ヘスティアは行動速度が速く、一度隙をつかれてしまってはそのタイミングに合わせて何度も攻撃されてしまう。だからといってこちらから攻撃しようなどと考えるとヘスティア持ち前の速度で返り討ちもしくは一切攻撃が当たらないことだってありえるのだ。
だからこそ、今回の戦争では『ヘスティア』を行動不能にさせることを最優先事項とした。
この世界の戦争は、大部分が巨大ロボット『リリーファー』によって構成されている。世界の財政の殆どがこれに注ぎ込まれており、リリーファーが弱いということは国をも滅びる可能性があることを指す。
だからこそ、リリーファーを守るのが国の最重要課題であるのだが……。
「こんなにも『ヘスティア』が呆気なく行動不能に陥るなんてね……」
マーズは小さく欠伸をして、前を見た。
そこには殲滅された戦車隊と騎馬隊、銃隊などが居た。
それをマーズは残機確認の如く、眺めていたのだが――ふと、そこで不思議な点に気がついた。
――ここまで、攻撃を受けておいて。
――『なぜ死体が見つからない』?
マーズの言うとおり、死体はなかった。
戦車なら戦車、騎馬なら馬、銃ならば銃と、『人間以外の全て』がそのまま放置されていた。
「まさか……!」
ここで、マーズは最悪のパターンを考慮する。
それは。
「……『リリーファー』はあと一体居る……!」
マーズがその結論にたどり着いた束の間。
『アレス』が横に薙ぎ倒された。
瞬時にコックピットには大量の重力がかかり、コックピット内の重力を平時に保とうと機械が唸りを上げていた。
そんなことを気にもせずに、マーズは態勢を取り直し、後ろを振り返った。
そこには――全身黒いリリーファーが居た。その黒は全てを威圧する、黒だった。そして、それを引き立てるようなピンクのカラーリング。
「まさか……『ペルセポネ』……!」
マーズは、苦虫を潰したような表情を示して、呟いた。
ペルセポネはペイパス王国の所持する『国有リリーファー』ではなく、リリーファー応用技術研究機構、通称ラトロが保持する『民有リリーファー』である。つまり、国有と比べればその性能は自由に決められる。
国有リリーファーと民有リリーファーを同規模で開発すると、必ず出てくるのはその自由すぎる性能の差である。民有に関しては付けられる性能について制限はない。また、民有で安定した技術を国有に輸入したり、国有で得た危険な技術を民有で『プロトタイプ・リリーファー』として活用したりしている。
ペルセポネはその中でも三本の指の中に入る、リリーファーである。操縦パイロットは公式資料をそのままの意味でとらえれば、テルミー・ヴァイデアックス。ペイパス王国の貴族として長年続く由緒正しい家の長女である。
「……不味い、これはまずいぞ!」
アレス内部のマーズは急いで腕を手前に手繰り寄せる。
リリーファー内部にはコックピットがあっても操縦桿は存在しない。直径五センチくらいの円球――コントローラーを握ることで運転が可能となる。
リリーファーコントローラーは大きさこそ小さいが体温や汗を感知し、場合によっては自動的に運転を中止する判断を下すことが出来、オートコントロールモードに入ることもある。
そして、今の状態は――誰が見ても限界だと解る。
まともに考える頭があるならば、撤退するのが一番の行為だ。
しかし。
「まだだ」
アレスはペルセポネから距離を取るように後退りした。
まだ、終わっちゃいない。
彼女は、諦めることをしない性格だ。
だからこそ。
今の地位に立っているのも、案外道理にあっているのかもしれない。
「ペルセポネを出してくるってことは……ペイパスは相当参っているってことだ」
プレッシャーを与えるように、ペルセポネに向けて外部スピーカーを通じて声をだした。
国有リリーファーが倒された今、ペイパスの未来は民有リリーファーにかかっているということだ。悲しいことではある。
しかし、それでも彼女が行うことには変わりない。
「来いよ……、ペルセポネ!」
そして――アレスはペルセポネに向かって左手を前方に突き出した。
**
ところは変わり、ヴァリエイプル連合王国の外れにある森。
「……ここは、どこだ?」
その風景には似つかわしくない一人のサラリーマンが立っていた。
男の名前は、大野崇人。
先程まで、西暦二〇一三年の東京にあるとある会社に居たはずの人間である。
しかしながら。
今彼がいる場所はその場所とはとてつもなく違う場所であった。
「会社のところにいたはずなんだがな……夢かね……、夢にしてはリアルすぎる気もするけれど……」
考えても仕方がない。
そう考えて、崇人はまず辺りを探索することとした。
――が。
目の前の森が、突如として崩壊した。
「な、なんだ!!」
そして、すぐにその原因が姿を現した。
赤いカラーリングのロボットがこちらに向かって倒れてくるのだった。
「うおおおおおおおおお!! なんだよここは!! 少なくとも日本ではないの……か!?」
彼はそう言うが、この場所、日本はおろか世界が違うことにはまだ気づいていない。
ロボットは倒れてもなお、その大きさからか、こちらに向かって突入してくる。崇人はそれを見て更に走る。この運動は仕事が恋人の崇人には相当辛いものであった。
「……はあ、はあ……!」
漸くそれが止まった頃には、彼の足は棒のように動かなくなってしまっていて、スーツも脱いでいた。さらにはシャツの袖をもまくっていた。
「……なんなんだこれは?」
崇人は停止した物体を眺める。
それは、ロボットだということにはまだ気づいていない。
普通向こうの世界の人間ならば、これはロボットだとは思わないだろう。
頭部を眺める。頭部は人間的な特徴を捉えていた。目鼻と、耳こそなかったが可動すると思われる口もついていた。
「これは――」
――なんなんだ、と言う前に。
ロボットの胸部が唐突に開かれた。
**
「……くっ……、まさかペルセポネにあんな能力があったとは……!」
マーズはコックピットから脱出することに精一杯だった。
しかし、足を怪我したらしく、思うように動くことが出来なかった。
このままでは――国が滅びる。
ペルセポネを甘く見ていたのが、彼女のそもそもの間違いだった。ペルセポネは民営リリーファーなのだから常に強化されることを、彼女だって解っていたはずだった。
にもかかわらず。
彼女は見誤ってしまった。
そして、結果として今、アレスは行動不能に陥った。
「このままじゃ――」
国が滅びる。
そして――そのあとのストーリーは誰にだって予想できる。
国がひとつ滅びれば、その分世界は大きく変わる。これだけは避けなくてはならない。
「……おい。大丈夫か?」
マーズは不意に声をかけられて、そちらの方を見た。
そこに居たのはスーツを着た男だった。マーズは見たこともない素材の服で、その服は訳が分からなかった。
「おい……!」
「なにものだ貴様……、ここが危険な場所だとは解らないのか……!? さっさと立ち去れ……!」
「そういうキャラを気取りたいのもわからんではないが、怪我をしているのではないか?」
男に言われて、マーズは自分の体を見た。確かに、彼の言うとおりマーズの身体はもはや満身創痍だった。
「おい、大丈夫か?」
男は手を差し出した。マーズはその手を払った。
「私を誰だと思っている! リリーファーの起動従士マーズ・リッペンバーだ!! 貴様がなにものは知らないが、手を借りる筋合いなどない!!」
「そんなことはどうだっていいだろ!! てめえがお子様かどうかは知らねえが体型で判断させてもらう。てめえは子供だ! 精神も、肉体も!! 子供なら背伸びせずに大人の言うことを聞け!!」
その男の言葉の迫力に、マーズは一瞬うろたえた。
この男は、この世界の事情を全く知らないのに。
リリーファー起動従士は、うろたえていた。
この男は――いったい何者なのか。
しかし。
この男は――目に希望を失っていなかった。
「……お前が何者かは知らんが、お前になら……託せるかもしれない……」
「は? 何を……」
男が言葉を言い終わる前に、マーズは言った。
「森を抜けると小さな建物がある。その中にあるリリーファー……≪インフィニティ≫を起動させろ。もしかしたら……起動できるかもしれない」
「その≪インフィニティ≫ってのは、起動できないものなのか?」
「起動できるかどうかは解らない。しかし、今まで起動できた人間は……一人しかいない」
「……残業代は?」
「は?」
「残業代だ。俺を訳の分からねえ場所まで連れ出して挙句の果てにリリーファーなるものを操縦しろ、だ? 狂ってやがる。残業代をたんまり貰わなきゃ納得いかん」
「……人の命、ヴァリエイブル連合王国の三千万人と、あんたの残業代数千ルクスどっちが大事だ?」
「……」
ルクスとは、この世界の金銭単位で、大体一円一ルクスくらいなのだが、そんなことを男は知ることもない。
しかし。
マーズの言葉に、男は踵を返し、走り出した。
「サービス残業するっきゃないってことか……」
そして。
「見てろ、何者か知らねえが、サービス残業が普通の残業に引けを取らないところを見せてやる」
男は森の奥へと――消えた。
それを見届けてマーズは安堵の溜息をもらした。
何者かは知らないが、これで一安心である。
しかし、しかしだ。
仮に、“≪インフィニティ≫が発動しなかったら”?
――いいや、発動するだろう。
マーズはそんな確証のないことをつぶやいた。
そして男――崇人は森を走り、小さな煉瓦造りの建物へとたどり着いた。
「あの女の子が言っていたのは……ここか?」
崇人は建物にあった鉄製の扉を強引にこじ開け、中へと入った。中は外と比べるととても冷たかった。なんというか、しばらくの間ここには誰も立ち入らなかったような……そんな感じが見て取れた。
「……これか……!」
奥まで階段を降りると、そこには黒いカラーリングのロボットがいた。彼女の言うとおりであるならば、これはリリーファーの≪インフィニティ≫であるということだ。
そもそも、何故これは≪インフィニティ≫と呼ばれるのか。
インフィニティとは無限を表す単語である。それが意味するとおり、このリリーファーはエネルギーを無限に生み出すことが出来る。どういうことかと言えば、インフィニティ内部には重力を元にした振り子が存在している。この星の重力を用いて振り子は周期をもって運動する。そのエネルギーを微弱な熱に変換し、それを元にタービンを回転させ電気を作りだしている。このしくみが出来るボックスを、≪インフィニティ≫は七千五百八十個体内で保管・稼働しており、これによって≪インフィニティ≫はほぼ無限に稼働することができるということだ。
勿論、そんなことを崇人は知る由もない。
崇人はインフィニティと対面した。そして、眺めた。
――この機械を動かすことが、果たしてできるのか。
崇人はそんなことを考えていた。先程のマーズは起動従士として訓練を受けていた人間である。それと比べて崇人は社会人である。つまり、そんな訓練など受けてもいない人間なのだ。
「……俺が、どうすりゃいいんだよ……」
そう崇人が独りごちると、≪インフィニティ≫は突然として、頭部の――ちょうど人間でいう『目』のあたり――が光り始めた。
「な、なんだ……?」
崇人はこの状況についていくことができなかった。しかし、それを無視するかのように、崇人の耳に声が響いた。
『……≪インフィニティ≫ブート・プログラム起動。マスター、あなたはマスターですか?』
「……誰だか知らねえが、俺はマスターと呼べる程の人間ではないと思う」
恐らくあの『ロボット』から発せられたものなのだろう――と崇人は思い、そう呟いた。彼はどうせ起動出来る訳がないと思っていたのだから。
しかし。
『声紋、一致』
「――は?」
≪インフィニティ≫から出たラジオを引き伸ばしたような音声は、崇人を驚かせた。
「……待て、声紋が、一致した? 何を言っているんだ。俺はただの社会人だぞ。そんなこと無理に――」
『ブート・プログラム、終了。以後はSRSとなります』
「SRS……音声認識システム、ってことか?」
音声認識システム――Speech Recognition Systemは崇人の世界でも用いられていた技術である。ヒトの話す言語をあらかじめそのパターンをデータ化させておいたコンピューターに通すことで解析され、その内容を文字データとして保存するシステムである。崇人の会社ではそれを応用し、コンピューターやロボットに命令を伝達することを開発していたのだが……崇人はそれが完成していたなんて聞いたこともなかった。
まさか――本当に動くわけもあるまい。
崇人は半信半疑で、そう思い、そして冗談半分で呟いた。
「……それじゃ、『俺をそれに乗せろ』」
『――了解しました』
あくまでも、冗談のつもりだった。
しかし。
その命令を忠実に再現するかのように、崇人の身体は宙に浮いた。
「……はっ!?」
『暴れないでください。――現在、プログラム実行中です』
「まじかよ……!」
崇人が≪インフィニティ≫に吸い込まれると同時に≪インフィニティ≫胸部が観音開きで開いた。
そしてそこには人間が一人分入れるスペースが存在した。それはまさしく――ロボットでいうところのコックピットだった。
そして、崇人がコックピットに座ったと同時に胸部の扉が閉まった。
胸部はちょうどマジックミラーのようになっているらしく、こちらからは外の景色が丸見えであった。勿論、そうでなくては戦うこともままならないのだが。
『それでは――マスター、ご指示を』
堅苦しい口調で『言う』人工音声に、崇人はため息混じりに答えた。
「俺は崇人だ。……解った、では≪インフィニティ≫」
『わかりました、タカト様。それと、わたくしは民営リリーファー≪インフィニティ≫起動補助OS「フロネシス」です。以後、お見知りおきを』
「……わかった、フロネシス。それでは――≪インフィニティ≫発進……!!」
そして、崇人は左手のところにあったレバーを手前に引いた。
それと同時に≪インフィニティ≫は静かに一歩を、その大地に刻み込んだ。
つづく。
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