天井裏のウロボロス

夙多史

Section4-8 明けの明星

 葛木香雅里の視力が回復した時、そこは秋幡邸とは違う景色だった。
「割と遠くまで転移させられたみたいね」
 南の高級住宅街を流れる川――そこに架かった橋の下だと思われる。車通りは多いが、河原には人の気配はなく、少し派手に戦闘したとしても目撃されることはないだろう。
「ふみゃあ……じゃ、ご主人たちの戦いが終わるまで昼寝でもして時間潰すにゃ」
 だらけ切った声が聞こえたと思ったら、橋下のコンクリートの上で二股のケットシーが大欠伸を掻いて丸くなっていた。
「ちょっと待ちなさい。あなた、私と戦うんじゃないの?」
「みゃあがおみゃあと戦う理由はにゃーよ。ご主人の邪魔さえさせにゃかったらいいだけにゃ」
 適当に手を振るケットシーからは本気で戦意を感じない。全力で戦う覚悟を決めていた香雅里はなんだか肩透かしをくらった気分だった。
「あなたがその気なら、私は戻らせてもらうわ」
 香雅里は構えていた刀を下すと、踵を返して橋下の外へと出ようとしたが――
「無駄にゃ。ここはみゃあの結界で封鎖してるにゃ。外からも中からも出入りできにゃいにゃ」
 言われた通り、驚くほど頑強な結界が張られている。同じ強度の結界を作ろうと思ったら、葛木家の術者が最低でも十人は必要だと思われる。
 無論、香雅里とて簡単に破れるものではないことは見ただけでわかった。
「……やっぱり、あなたを倒さないとダメってことかしら?」
「戦うつもりはにゃいにゃ。もしおみゃあが襲いかかって来たら、みゃあだけ結界の外に転移するにゃよ?」
「……」
 香雅里は沈黙した。そうなっては本格的に閉じ込められることになる。秋幡紘也のような結界破りが使えればよいのだが、生憎と香雅里はそこまで器用ではない。
 本気で時間稼ぎだけが目的のようだ。
 ――やりにくい。

「そんにゃわけで、暇潰しにお喋りでもしようにゃ、葛木香雅里」

        ∞

 秋幡邸――上空。
「くたばれこの蛇女ぁあッ!?」
 ウロボロスの魔力を込められた拳撃を、ケツァルコアトルを腕をクロスさせて受け止めた。
「あなたも蛇女でしょう?」
「違いますー! あたし蛇じゃないですー! ドラゴンですー!」
「それでは私もドラゴンということになりますが?」
 ケツァルコアトルの膝蹴りがウロボロスの顎を打つ。仰け反った一瞬、抉るような掌底がウロボロスを殴打した。
 衝撃が体を突き破って背後の白雲を霧散させる。
 だが、ウロボロスは微動だにしていない。黄金の翼を広げて衝撃に堪え、ぐちゃぐちゃになった体内を〝再生〟させつつケツァルコアトルの腕を掴んだ。
 そのままジャイアントスイング。
 人間ならそれだけで全身が押し潰されそうな致死の加速度で投げ飛ばされたケツァルコアトルは、羽毛の翼を大きく羽ばたかせて体勢を整えた。そこに追撃される二つの圧縮魔力弾を手刀で弾き、その手を鷲掴みをする形に変える。
 巨大な岩が手の先に出現した。
 それを軽々とぶん投げる。
「チッ、本気で街を更地に変える気ですか!」
 ウロボロスは再び空間を開いて巨岩を呑み込んだ。岩を投げて森を平地に変える怪力神話……術式など使わなくとも、街を破壊するだけならケツァルコアトル一体いれば事足りる。
 そうしないのは、別の目的があるからだろうか?
 ウロボロスが考えたところで答えは出ない。ならば本人たちをとっちめて吐かせるだけである。
「これはどう防ぎますか?」
 翳した掌に魔力を集中させる。魔力弾として圧縮するのではなく、そのまま光線として射出する。ウロボロスビーム。説明するなら……相手は死ぬ。
「そうですね、わざわざ受ける必要はありません」
 直線の攻撃は澄ました顔で簡単にかわされた。空の彼方へ消えた魔力光線と入れ替わりに、空間を通ってウロボロスはケツァルコアトルの背後に回り込んだ。
「――ッ!?」
「だぁらっしゃあああああああああああああああっ!!」
 ケツァルコアトルが振り返る前にその背中を殴りつけた。魔力が爆発し、眼を焼く輝きがケツァルコアトルを呑み込んだ。
 だが、この程度で倒せる相手だとは思っていない。
「……不覚を取りました」
 収まった光の中から現れたケツァルコアトルは、特に問題なさそうな焦りの見えない表情で空中に立っていた。ローブが焦げ破れた程度のダメージ。やはりその辺の雑魚幻獣とは比べ物にならないタフさだ。
「この〝無限〟の魔力を受け続けるのは、流石によろしくないでしょう」
 ケツァルコアトルが胸元に片手をあてる。
「大変申し訳ありませんが、こちらも少々強化させていただきます」
 ゾワリ、と。
 背筋に嫌な汗が流れるほど、ケツァルコアトルの魔力が肥大化したのをウロボロスは感じた。ウロボロスの〝貪欲〟の魔力ドーピングに近い。
「あたしと同じように特性で強化したってことですか?」
「はい、厳密には〝栄与〟――新しき力を与える特性になります」
 神の特性だ。ケツァルコアトルは〝文化〟と〝農耕〟の神。文明一般を人類に授けたとされている。たとえばギリシア神話のプロメテウスのように、火の扱い方を人類にもたらしたなど。
 その力を自分自身の魔力を底上げするために使った。ウロボロスと違う点は、本来は他者に使う特性。ケツァルコアトルが単騎でよかった。もしウロボロスを相手にする仲間が他にもいたら、そいつらまで一緒に強化されていたことだろう。
「……厄介ですね」
 などと毒づいている場合ではない。足下――尖鋭な地面の塊がミサイルのように射出されていた。数は無数。高度は軽く三百メートルはあるが、地上から発射された地塊は勢いを失うことなくウロボロスを狙って飛来してくる。
 真横に飛行してかわす。が、地塊にはケツァルコアトルの〝風〟の加護が付与されていた。ウロボロスがどれほど回避しようとも、地塊の槍は方向を変えて追尾してくる。
「あーもう! めんどいですね!」
 回避を諦めたウロボロスは〈竜鱗の鎧〉を纏うと、向かってくる地塊の槍を一本残らず拳で叩き砕いた。
 息をつく暇はない。
 今度は先程よりもさらに一回り大きい巨岩をケツァルコアトルは生み出し、ピッチングマシーンのごとく連続して投擲を始めたのだ。
 一発一発が街一つを更地に変えるレベル。こればかりはウロボロスも砕くのではなく、呑み込まなければ街への被害が尋常ではなくなってしまう。
 こんな馬鹿みたいな体積の岩を呑み込むほどの空間を何度も開いて入れば、〝無限〟の魔力が枯渇することはなくとも疲労は溜まる。〝貪欲〟の魔力ドーピングでさえ無視できない負荷なのだ。次第に息が乱れていく。
 早めに決着をつけねばならない。
 そのためには――もう一段階くらい積まなければならないだろう。
「なにか覚悟をお決めになられたようですが、残念ながらこちらの準備も整いました」
 ケツァルコアトルが上昇していく。見上げたウロボロスは――ケツァルコアトルの背後に映った光景を見て、驚愕に目を見開いた。

 普通の人間にはただ変わった形の雲にしか見えないかもしれない。
 だが、空一面に存在するそれらは、白い輝きを放つ展開された魔法陣だった。

「なんのつもりですか? これほどの極大魔術……地球でも滅ぼそうってんですか?」
「そんなつもりはありません。ですが、あなたを滅ぼすにはこのくらいの力を集約させなければ不可能だと愚考いたしました」
 いくらなんでもやり過ぎだ。アレをくらってウロボロスが消滅するかどうかは置いておき、少なくとも蒼谷市……いや、この規模だと周辺の都市も丸ごと消し飛ばすほどの威力はあるのではないだろうか?
「本当に愚考ですよ。それを撃てば、あんたの契約者だって肉片も残らず吹っ飛びますよ?」
「問題ありません。私の意思である程度は破壊するものを選択できます」
「事は術式だけの問題じゃあないんですよ!」
「確かに、余波まではコントロールできかねます。ですが、我が主人に危険が及びそうであれば私がその前に救い出します」
 そんな無茶苦茶なことが可能だという自信に溢れたケツァルコアトルに、ウロボロスも自分より街より紘也を優先して救出すべきではないかと思案する。
 しかし、敵の狙いはウロボロス。自分が動けばより危険になる可能性の方が高い。
「そこまでして、あたしたちになんの恨みがあるんですか!」
「私個人としては一切ありません。ただ、我が主人に全力で相手をしろと命じられております」
 ケツァルコアトルは丁寧で紳士的だが、頭が固過ぎて話の通じないタイプだ。もはやなにを言っても無駄だろう。
 ウロボロスは悔し気に呻くと、左の手首に嚙みついた。

「では、術式名〈明けの明星〉――我が〝金星〟の特性を組み込んだ、星一つ分の輝きをその身にお受けください」

 空の魔法陣が一気に明るく輝き始める。するとその輝きが一点に――ウロボロスの頭上へと収斂し、純白の柱となって降り注いだ。
 ウロボロスは……光の柱を全てその体で受け止めた。
 地上へは落とさせない。
「う……ぐ……」
 全身を焼き尽くすような痛み。〈竜鱗の鎧〉すら浸透し、〝再生〟すら凌駕する光の暴力に意識を持って行かれそうになる。
 だが、間に合った。
 本当にウロボロスだけを狙ってくれて助かった。
「あー、うん、いやはや、久々に死ぬかと思いましたね」
 既に痛みはない。光は放出を続けているが、ウロボロスは最初に受けたダメージを〝再生〟し、それ以降は火傷一つ負っていない。

 光は――〈明けの明星〉は、投げつけられた巨岩と同様に、ウロボロスの体の前で異空間へと流れていた。

 違う点は一つ。
 全ての光を呑み込んだ後、ウロボロスは改めて別口で空間を開いた。
「あんたの術式、そっくりそのまま返してあげますよ!」
 開いた空間から天に向かって〈明けの明星〉が放射された。
「なっ!?」
 異空間に流したことでケツァルコアトルの制御下を離れている光は、空気を焼き焦がしながら一直線に奔る。それは目を見開いたケツァルコアトルの鼻先を掠めて宇宙の彼方へと消えて行った。
 外した。
 元より、当たるとは思っていない。
「驚きました。まさか呑み込むだけでなく、吐き出すこともできるのですか」
 素直に驚嘆の声を漏らすケツァルコアトルだったが、彼女が見ている先にウロボロスはいない。
「反射させるにはめんどうくさい計算をしなきゃいけませんがね」
 異空間を抜け、ウロボロスはケツァルコアトルの背後を取っていた。
「二度目は通用しませんよ」
 振り返り様に打ち出された掌底だったが、ウロボロスを捉えることはなかった。
 ケツァルコアトルの腕は半分以上、異空間に呑まれていたのだ。その向こうでウロボロスが悪意に満ち満ちた笑みを浮かべていた。
「チェックメイトです」
 強い爆光を放つ魔力の必殺拳が、ケツァルコアトルの顔面目がけて打ち出された。

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