天井裏のウロボロス

夙多史

Section3-5 魔術師殺しVS陰陽剣士

 葛木香雅里は違和感を覚えていた。
 ――どういうこと?
 怪しい人物を発見し、威嚇の意味を込めた初撃をかわされたところまでは構わない。問題はこれだけ近距離で対峙しているにも関わらず、敵の魔力どころか気配すら一切感じられないことだ。
 まるで幻影か幻覚を見たように。
 怪しい人物など最初から存在しなかったかのように。
 香雅里の全知覚能力を持ってしても、そこの座席の陰に何者かが潜んでいると感じさせないのだ。
 ――本当に、いるの?
 そう疑いたくなるが、香雅里の目は初撃を避けた何者かが座席の陰に隠れるのを確かに視認している。それが幻影や幻覚じゃない保証はないけれど、直感は間違いなく現実だと告げている。
 それに、ホールのあちこちに転がっている死体。吐き気を催してしまいそうなそれらは、恐らくゾンビとしてさっきまで動いていたと思われる。彼らは皆頭部を一撃で損傷させられた痕がある。
 隠れている何者かがやったのだとしたら、ビルに魔術をかけゾンビたちを動かしていた犯人ではないのかもしれない。そうなるといよいよそこにいるはずの人物の正体がわからなくなる。
「わからないなら、捕まえて吐かせればいいだけよ」
 何者かが自主的に出て来る様子はない。香雅里は握っている刀――葛木家の宝剣〈天之秘剣・冰迦理〉に己の魔力を流し込む。
 冷気を纏った刃が周囲の水分を魔術的に凍らせ、巨大な氷の槍を生成する。
 不自然に浮遊する氷槍は、香雅里が刀を一振りするとミサイルのように勢いよく射出された。氷槍は何者かが隠れている座席を貫き、破裂し、砕けた氷塊が散弾となってその周囲をも広範囲に撃ち抜いた。
 初撃のように避けても意味のない二段階攻撃はしかし、全くの手応えがなかった。
「え? いな――ッ!?」
 呆然とするのも束の間、香雅里は直感で振り返った。
 チクリ、と。
 いつの間に忍び寄られていたのか、背後を取った人影が香雅里の首筋になにかを刺した。対応する暇がなかった。気づいたのが遅過ぎた。香雅里は刀を薙ぎ払いに振るうが、何者かは忍者のような身のこなしで跳び退ってかわされた。
 瞬間、くらっと香雅里の意識が朦朧とする。
 ――麻酔針!?
「うっ……」
 麻酔とわかるや香雅里は自分の刀で刺された首筋を針ごと斬った。瞬時に凍りついたその部分から血が流れることはなかったが、咄嗟にしてもかなり強引で無茶な対処だったと思う。
 それでも少し麻酔が回ってしまった。かなり強力な麻酔のようだ。気をしっかり持たねば、急激な眠気に意識を手放してしまいそうになる。
「あなた、何者?」
 今度は隠れることはせずホールの中心に立つ人物に香雅里は誰何した。こうして見えているのに、そこに人がいるだなんて感覚が全くなかった。魔術で気配を消しているわけでもない。それなら『気配を消している魔術の気配』を香雅里は感じ取れているはずだ。
 恐ろしい。
 見えているのに気配がない。見えているのに『いない』と錯覚してしまう。これを魔術じゃなく技術スキルでやっているのだとしたら……手強いなんてレベルの相手ではないだろう。
「……」
 何者かは答えない。バンダナで隠れた顔からはなにも読み取れそうにない。
「いいわ。今答えないなら、後で聞かせてもらうから」
 香雅里は視覚と直感だけを頼ることにして床を蹴った。大技を使えばまたさっきのように見失って背後を取られかねない。接近戦で組み伏せる。
〈天之秘剣・冰迦理〉で斬ることさえできれば、相手の魔力を凍らせて動きを封じることが可能だ。その魔力はなぜかまったく感じられないが、この状況で魔術師でないはずがない。
 だが、香雅里の剣術から繰り出される一閃は悉くかわされてしまう。かわされなくてもサバイバルナイフで受け流されてしまう。腹立たしいことに、そのナイフも魔術的なものじゃなくその辺で売っているような一般品だった。
「このっ」
 まるで消えるように移動する敵は気を抜いてしまうと一瞬で見失うだろう。香雅里は段々と強くなってくる麻酔の眠気に堪えながら、意識を強く持って刃を振るう。
 こんな意識じゃ式神も操れそうにない。香雅里は自分の戦闘だけで精一杯だった。

        ∞

 ――まいったな。
 孝一は香雅里の剣技を捌きながら内心で困惑していた。
 一発で眠らせるつもりだった。だがまさか麻酔針ごと自分の首を斬るとは思わなかった。確かに香雅里の刀の能力なら止血など一瞬だろうが、正直友人としてそんな危ない真似はしてほしくない。
 麻酔針はあれ一本限りだ。あまり使わないからとストックを用意していなかったのは痛恨のミスである。まあ、流石に同じ手が二度も通じる相手ではないが……。
 動きの鈍った彼女でも繰り出される剣術は冴えている。市販のナイフなどまともに受けたらあっと言う間に砕かれてしまうだろう。
 ――このまま麻酔が完全に回るまで待つか、いっそ気絶させるか。
 普通なら迷うことなく後者を選択する孝一だが、相手は一応友人だ。紘也とも仲良く(?)してもらっている。あまり傷つけたくないのが本音である。
 ――くそッ、さっき腹を括ったばかりだろ。今さら迷うな。
 孝一が改めて決意を固めた時、香雅里が明らかに当たらない距離で刀を空振った。ついに麻酔が効いて来たかと思いかけたが、違う。
「!」
 気づいた孝一は瞬時に身を伏せた。刃の軌跡を辿るように空気が凍りつき、そこから氷の針弾が横殴りの雨みたく射出されたのだ。
 氷針の射出が収まると同時に飛び退こうとした孝一だったが、香雅里は魔術的に防護された黒装束で自らの氷針を受けながら飛び込んできた。
 咄嗟に身を起こそうとした孝一に強烈な蹴りが喰らわされる。どうにか腕をクロスさせて防いだが吹っ飛ばされ、さらに何本か氷の針が刺さってしまった。
 ――捨て身になってきたな。早く気絶させないと。
 孝一は氷塊の追撃をかわして香雅里に切迫。文字通り一瞬で間合いを詰められ驚愕する彼女に、孝一はナイフを使わず拳で鳩尾を衝いた。
「あぐっ!?」
 呻き声に悪いと思いつつ、孝一は間髪入れずくの字に折れた彼女の後頭部に手刀を振り下ろした。
 どさり、とその場に崩れる香雅里。孝一は意識の有無を確認する前にナイフを片手に二本ずつ指で挟むように持つと、ステージの左右の柱へと投擲した。ナイフは寸分違わず柱に描かれていた魔法陣の中心に突き刺さって無効化させる。
 なんの魔術が消えたのかはわからない。が、これでこの場での目的は完遂した。
 ――よし、葛木は完全に落ちてるな。
 念のためそれだけ確認し、孝一は劉文海たちと連絡を取るため懐に仕舞っていた護符を取り出した。
 その時――

『イヒヒ、見事なもんだ。実力は衰えるどころかより研鑽されてやがる』

 ホールのスピーカーから聞き覚えのない粘着質な声が響いた。
 一瞬遅れてステージのスクリーンがフラッシュし、今度は見覚えのある男の姿が映し出される。
 両目が隠れるほど伸びた青灰色の髪をした、頬の痩せたヨーロッパ系白人男性。
「……キリアン・アドローバーだな?」
 声のトーンを低くして孝一はスクリーンを睨みつける。
『いかにも』
 返答したということは、あの映像は録画ではなくリアルタイムだろう。奴の背景には市街区の商店街や無関係な一般人が映っている。夕暮れに染まった空が時間の一致も告げている。となると、奴は孝一や後輩たちが潜入した建物には最初からいなかったことになる。
「一応聞いておく。目的はなんだ?」
『察しの通りだ。俺の人生を破滅させた秋幡辰久への復讐さ。奴の息子をこいつで斬ってゾンビに変えた後、大事にしている故郷の街を吹っ飛ばしてやるんだよ。イヒヒ』
 キリアンは狂気に染まった笑みで顔を歪めると、抜き身の日本刀を孝一に見せた。血が付着したまま朱色に妖しく光っている刃――アレが妖刀〈朱桜〉だろう。商店街に訪れていた一般人が、今そこで人を斬って来ましたと言わんばかりの日本刀を見て悲鳴を上げ散っていく。
「なるほど、そこを動くな。すぐに殺してやる」
『それともう一つ。イヒヒ、別件の目的もあったんだなぁ』
「なに?」
 嫌らしく嗤うキリアンは――すっ。スクリーンの中から人差し指で孝一を示した。

『お前たちだよ! 秋幡辰久に拾われた哀れな子狼たちがどんな風に成長したのか、作りの親の一人・・・・・・・としちゃとても興味深くてなぁ!』

「……てめえ、まさか」
『ああ、そうさ! 俺は元ラッフェン・メルダーの魔科学者さ! まあ、見覚えはねえだろうな。俺の研究テーマは生きてるお前たちじゃなく、死んだお前たちの再利用方法だったからよぉ!』
 ゾワリ、と。
 孝一の中で黒い嫌な感情が膨れ上がる。キリアンは元『ラッフェン・メルダー』の魔科学者。組織を潰されてからの十年間、別の犯罪組織に身を隠していたということか。
『見え見えの罠に引っかかってくれてありがとう! 予定通り、お前たちと葛木家があちこちで衝突している! 厄介な陰陽剣士相手に不殺で頑張ってる姿は泣けてくるね! 楽しくて!』
 今となっては地獄としか思えないクソッタレな日々を思い出し、孝一は数倍の殺意でスクリーンを睨む。狂ったように嗤いながら血のついた日本刀を振り回すキリアンの背後から駐在の警察官が拳銃を構えて駆けつけてくるのが見えた。
『そ、そこのお前! 今すぐその刀をがぁあっ!?』
 キリアンは忠告など聞かず、下手糞なダンスを踊るように警察官を斬殺した。血を吹いて倒れた警察官だったが、すぐにむくりと起き上がって別の警察官へと襲いかかる。
 平和な日本では――少なくとも表の世界では考えられない銃声と悲鳴が飛び交う。
 幸いゾンビに噛まれても感染拡大パンデミックすることはないようだが……孝一は無関係な人々が襲われる光景をただ見ているだけしかできない。
『ええとなんだっけ? ああ、そうそう! 特にお前――T-0051は同期の中でダントツの優等生だったよなぁ! それでも二つ上にいた〝最強〟には敵わなかったが、葛木家次期宗主程度なら余裕じゃないか! なぁ、T-0051! イヒヒ!』
「……オレを、そのコードで呼ぶな」
 余裕なものか。最初の不意打ちで麻酔針を打っていなかったら苦戦は免れなかっただろう。
『とにかくいいもんが見れた! どうだ? 俺と共にもう一度ラッフェン・メルダーをやらないか? 魔改造人間を研究したい変態どもはごまんといる。再興は簡単だぞ?』
「断る。そんなことをしてみろ。オレが再興する前に全員抹殺してやる」
『イヒヒ、だろうな! 訊いてみただけだ。これで別件の目的は済んだ。お前たちが葛木家に手こずってる間に俺は秋幡辰久の息子を斬ってくるとしよう!』
 くるくると回して妖刀を鞘に収めたキリアンは、そこでなにかを思いついたように改めて孝一に向き直った。
『そうだ、最後に一つ情報をプレゼントしてやろう。お前のいるホールにある術式を破壊してもあまり意味はないぞ。肝心要は屋上の貯水タンクの中だ! 神殿化の核となる祭具をそこに隠している。俺が大量のゾンビを同時に動かせているのもそれのおかげだ』
 孝一は無駄足を知って舌打ちする。屋上は後輩たちが調べたが、流石に貯水タンクの中はわからなかったようだ。
 それと神殿化の外でキリアンが動かせるゾンビは多くて数体なのだろう。最初の警察官以外を斬らないのは一人が限界なのかもしれない。
『イヒヒ、だがな、見つけても破壊できるかなぁ? アレは特殊な結界で護られていて硬いぞ? 一撃で壊したけりゃドラゴン族でも連れて来るこった! イッヒヒ!』
 一つどころかいろいろ喋ってくれたが、そこでスクリーンの映像は途切れた。魔術的に遠隔操作でもしたのか知らないが、もうスピーカーから声も聞こえない。
「……」
 どうやら、キリアンは紘也が蒼谷市にいないことを知らないようだ。いいタイミングで外出してくれた。奴の目的がはっきりしたのだから、こんな罠だと確定したビルに長居は無用である。
 と――
『孝一はん、聞こえまっか?』
 無意識に握り潰していた護符が淡く輝き、劉文海の声が頭に直接響いてきた。孝一は速やかにその場を撤退しつつ応える。
「ああ、聞こえる」
『こっちはハズレや。地下にはなんもあらへん。そっちはどや?』
「こっちもハズレのようだが、なんかの術式は破壊した。なにが消えたのかわかるか?」
『ちょい待ち……あー、結界が消えとるようや。せやけど空間は捻じ曲がったままやで』
 劉文海が残念そうに告げる。結界だけ消えたとなれば確かにあまり意味はない。美良山たちと連絡が取れるようになった程度だ。
 神殿化の術式は屋上の貯水タンクにある。しかも破壊は困難ときた。
 時間稼ぎのつもりかもしれないが、わざわざ乗ってやる義理はない。
「キリアンが秋幡邸に向かった。すぐにビルを出て追うぞ」
『……なんか、あったみたいやな』
「詳細は後で話す」
 見取り図は頭の中に入っているが、空間がそのままでは出口までの移動にそれなりの時間がかかってしまうだろう。
 どうにかショートカットできる道はないか探そうとした矢先――

 ドゴォオオオオオオオオオン!!

 と砲撃されたような爆音が鼓膜を打った。崩壊はしなさそうだが、激しく揺さぶられたビルに孝一はホールを出たところで思わず立ち止まってしまう。
『なんやなんや!?』
「外から攻撃があったようだ」
『わからへんけど……朗報やで、孝一はん! 今の衝撃で空間が戻りよった!』
「……なんだと?」
 結界が消えたことで葛木家が貯水タンクの中身に気づいたのだろうか。破壊は困難と言っていたのにあっさりしている。
 どうも腑に落ちないが、今は運がよかったと思うことにしよう。
「待ちなさい!」
 後ろから呼び止められる。
 よろよろの葛木香雅里が、ホールの入口に凭れるようにして立っていた。
「本当の敵は、さっきの男。あなたは、一体……」
 ――聞かれていたのか。
 正体が孝一だとバレるような内容は喋っていない。それでも声は聞かれた。幸い意識が鮮明じゃないおかげで気づかれてはいないようだが……もう一度眠らせておくか。
 ――いや。
 彼女はもうフラフラだ。気力を振り絞っている状態に過ぎない。
「……」
 孝一はなにも答えず彼女に背を向け、窓を蹴り破ってビルから飛び降りた。後ろから「ちょっとここ四階!?」と驚きの声が聞こえた。
 着地と同時に上を見る。香雅里は窓から孝一を見下ろしていたが、すぐに糸が切れたようによろけて倒れた。
「孝一先輩!」
「先輩! 大丈夫ッスか!」
 四階から飛び降りた孝一を見つけた美良山とジョージが駆け寄ってきた。
「ああ、オレは問題ない。他の奴らは――」
 言いかけたところで、美良山のローブの中が突然光り輝き始めた。
「えっ? えっ? なにこれなんなの!?」
 美良山も何事かと慌ててローブを調べ……〈八卦〉の陣が描かれた和紙を取り出した。見覚えがあり過ぎる。
 和紙が弾け、爆光が周囲を包む。
 そして光が収まった時、そこに劉文海と、同行していた後輩たちが現れた。
「おお、上手く転移できてよかったわ」
「葛木家に囲まれた時はどうしようかと思ったぜ……」
 カラコロと笑う劉文海に対し、後輩たちは疲れたようにげんなりしていた。
「ぶ、文海さんいつの間に私にこんなの仕込んでたんですか!?」
「え? そら突入する前にこっそりそっと」
「フギャーッ!? 乙女の服の中になにしてくれてんですかぁあっ!?」
 悲鳴のように抗議して劉文海をポコポコ叩く美良山だった。心なしか叩かれる劉文海は嬉しそうに見えた。
 孝一はざっと辺りを見回し、葛木家がいないことを確認する。そして面子が一人足りないことにも気づいた。
「シトロンはどうした?」
「えっと、なんかさっきからいないんです。たぶんトイレだと思うんですけど」
 困ったように眉を顰める美良山。この状況であの真面目そうなシトロンがトイレになど行くだろうか。
 孝一は少し考えると、彼女のことは気になるが優先順位を下に設定した。

「とにかく、今いないなら置いて行く。秋幡邸に急ぐぞ。美良山、お前はシトロンを探してから来い」

        ∞

 シトロンは孝一たちが移動するのを別のビルの屋上から見下ろしていた。
「上手く壊せたようね。都合よく結界が解除されてよかったわ」
 孝一たちが潜入していたビルより二階分高いビルからは、押し潰されたように破壊されて水を溢れさした貯水タンクも見える。
「手を出してよかったのですか?」
 斜め後ろから凛とした女性の声。
 この屋上にはシトロン以外に、同じローブ姿の女性がもう一人いる。
「仕方ないでしょ。こうしないと手遅れになりそうだったから」
 シトロンは斜め後ろの女性にそう告げると、踵を返して屋上の出入口へと歩く。
「さて、私は仁菜ちゃんと合流するわね。あなたは例の計画の始動までもうしばらく隠れてて」
「御意」
 ローブの女性はシトロンが建物内に入ることを確認し、その場から飛び去った・・・・・

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