天井裏のウロボロス

夙多史

Section1-5 幻獣契約

 一撃。
 単体で熊をも殺せそうなヘルハウンドを、彼女は素手で殴り倒してみせたのだ。
「すげぇ……」
 思わず紘也は感嘆の声を洩らしていた。
「このくらい当然ですよ」ウロボロスは誇らしげに胸を張り、「さあさあ、紘也くん、遠慮せずにもっとあたしを誉めて誉めて♪」
「あいつ、もう起き上がって来ないだろうな」
「オゥ!? 撫でてもらおうと頭まで差し出したのにスルーされた!?」
 ウロボロスに多大なる鬱陶しさを感じながら、紘也は慎重にヘルハウンドの死骸へと近寄った。あんなのが道の真ん中に転がっていたら新聞の一面を彩ってしまう。今のうちに処理しなければならない。
 とりあえず庭に埋めるしかないか。そう考えていると――紘也の目の前で信じられないことが起こった。

 ヘルハウンドの死骸は光の粒子となって霧散、跡形もなく消滅してしまったのだ。そこには血の一滴すら残っていない。

「は? え? ど、どうなったんだ?」
「これがマナの乖離だよ」
 わけがわからず狼狽する紘也に、後ろからウロボロスが現象を説明する。
「言ったよね、幻獣はマナで構成されてるって。死んだ幻獣はマナの乖離を抑制できなくなるから、こっちの世界ではこの通り綺麗さっぱり消えるのです」
「へえ」
 どうりで幻獣の死骸が発見されたというニュースを見ないわけだ。
 と、そこで紘也は気づく。
「うわ、大丈夫なのかよ、これ」
 周囲には、先の戦闘の爪痕がしっかりと残されていた。紘也の家にはトラックでも突っ込んだのかという大穴が穿たれ、火炎を受けた道路標識は完全に溶解している。
「大丈夫、問題ないよ。たぶんそろそろだと思うからよーく見てて」
 気楽そうに、ウロボロス。次の瞬間、紘也は何度目かの驚愕に目を疑った。
 破壊された玄関や家の壁、溶解した道路標識などが、まるでビデオを逆再生するかのように元に戻っていく。不可思議で幻想的な光景に、紘也はしばらくなにも言えないでいた。
「これは……?」
 そういえば、全く騒ぎになっていないのもおかしい。隣や向かいが留守だったとしても、近所の住民が物音を聞きつけて飛び出してきてもいいのに……。
「ふっふっふ、これはですね。あたしの個種結界が働いたからなのです!」
「なんだ、それ?」
「むぅ、ノリ悪いなぁ。ここは『なにぃ!?』って驚かな――ごめんなさい。説明します」
 拳をチョキに構えて一睨みしてやると、ウロボロスはすっかり萎縮してしまった。
「結界は結界だよ。デフォの能力は人払いと認識阻害――つまり、あたしたちが中でなにやっても一般人にはバレないってことだね。ただ普通の結界と違うところは幻獣の特性を付与できること。幻獣が戦う時は、まず個種結界を張って自分に有利な戦闘フィールドを形成するんだよ。紘也くんが怯え死にそうだったのも、ヘルハウンドが〝恐怖〟を付与させた結界を張ってたからだね」
 となると、破壊された箇所が元通りになるのは、ウロボロスの〝再生〟が付与されているのだろう。ヘルハウンドが再生しなかったり、紘也を守っていたところを鑑みるに、どうも生物には効果が適用されないようだが……。
「ところで紘也くん、これで自分が狙われてるって自覚できたかな?」
 改めてウロボロスが訊いてくる。自覚もなにも、ウィル・オ・ウィスプから始まって夜も明けないうちにまた襲われているのだ。危機感を覚えない方がどうかしている。
 紘也は頷き、次にウロボロスが言わんとしていることを先に口にする。
「契約、だったな」
「おっとこいつは話が早い。そうです。紘也くんの安全のためにも契約をしてもらいたいのですよ」
 確かにヘルハウンドみたいな幻獣に襲われて死ぬのはまっぴらごめんだ。非日常な存在が身近にいても、日常を過ごすことはきっとできる。だが――
「あんた既に契約してるだろ。いいのか?」
「……はて、なんのことやら。あんなのは昔の話だよ」
 父親はなかったことにされていた。
 もしかしたら、彼女は紘也の父親――大魔術師・秋幡辰久のことが嫌いなのではなかろうか。一体自分の契約幻獣になにをやらかしたんだ、あの人は。なんか帰れとも言いづらくなってきた。
「契約したら、俺はもちろん、周りのことも守ってくれるんだろうな?」
「そこは豪華客船に乗ったつもりでどんと任せてくださいな。処女航海だけど」
 氷山にぶつからないか心配になった。
「わかった、契約してやる」
 溜息をつきながら仕方なく了承すると、ウロボロスは満面の笑みを咲かせ、
「イヤッホーッ!! いやはや紘也くんには物わかりのよろしくない堅物人間の可能性を危惧していたけど、いやぁ、見直しました」
「うっさいはしゃぐな! まだ契約の方法を聞いてないぞ」
 すると彼女は上目遣いで紘也を見、少しばかり恥ずかしそうにモジモジしながら口を開いた。
「あたしとディープなキスをしてください」
「やっぱなしの方向で」
「嘘ですすいません調子こきました! ホントはこれにサインしてくれればオッケーです」
 ウロボロスはどこからか一枚の用紙を取り出した。紘也は渡されたそれに視線を落とす。
 ――婚姻届。
 問答無用で破り捨てた。
「オゥ!? せっかくの渾身のネタが一瞬で撃沈!?」
「ふざけんのも大概にしろ目ぇ刺すぞコラ!」
「ごめんなさい。真面目にやります」
 涙目で平謝りしたウロボロスは、今度は両腕を前に軽く広げた。まるで『私の胸に飛び込んでおいで』的なポーズである。
「あーそうかそうか、このままチョキで殴ればいいんだな」
「違うよ! ふざけてないよ! あたしと手を繋いで環を作ってくれればいいんだよ!」
「環を? ……こんな感じでいいのか?」
 怪訝に思いながらも紘也は彼女の手を取った。決して綺麗とは言えない環ができあがるが、特にこれといって変わった様子はない。見た目美少女の手の温もりに少しドキッとしたのは内緒だ。
「ふう、契約完了♪」
 ウロボロスが手を離す。本当に終わったのだろうか? なんか随分と呆気なかった。もっとこう、光とかがパァッと出る派手なものだと思っていた。
「ホントにこんなのでいいのか?」
「うん。まあ、こんなのとは言うけど、契約は幻獣によって行い方が様々なんだよ。あたしは〝無限〟や〝循環〟を示す環を作ればいいので、特に準備はいらないんだ」
 へえ、と紘也は感心薄に呟いた。最初のディープキスが一番契約らしいと思ったのはマンガの読み過ぎかもしれない。
「あ、そうそう、携帯のメルアドとか交換してくださいな」
 スカートのポケットからファンシーなデザインの携帯電話を取り出すウロボロス。なにか裏がありそうで紘也は少し躊躇ったが、いざという時の連絡手段はあった方がいいに決まっている。二人は赤外線通信で互いのプロフィールを交換した。
「はい、というわけで、これよりつきっきりで紘也くんの護衛をさせていただきます。改めてよろしくね♪」
 ニッコリと笑いながら軍人みたいな敬礼をする少女に、紘也は一つの懸念を抱いた。
「そういや、あんたマンションとか借りて……ないよな。やっぱうちで寝泊まりするのか?」
「不束者ですがよろしくお願いします」
 ペコリと丁寧に頭を下げるウロボロス。紘也は本日最大の溜息を吐いた。
 これからこいつと暮らすことになるのか。ダメだと言っても無駄そうだ。
 幻獣とはいえ、見た目は可愛い美少女である。孝一や愛沙になら事情を話せるとしても、他の知り合いには絶対知られたくない事実だ。
 かといって彼女がいない時に幻獣に襲われたら死ねる。認めたくないが、断じて認めたくないが、同居することが一番いい方法なのだろう。
「うちで暮らすとなると、部屋はどうする? 一階にも二階にも余ってるけど」
「紘也くんと相部屋でめひゃあああっ!?」
「おっと悪い、手が勝手に」
「あうぅ、こんな美少女の顔に攻撃するとかありえないよ……」
 本当にウロボロスの再生能力には驚嘆する。指で目を突いたくらいじゃ血も流れない。
「二階の妹の部屋でいいよな」
「いや待った! あたしは天井裏を希望する! 屋根裏部屋ですよ屋根裏部屋! あるよね? こんなに広い家なんだから」
「まあ、あるし別に構わないけど、なんでまたわざわざそんなところを? 遠慮なんかしなくていいんだぞ? どうせ誰も使ってない部屋なんだから」
 紘也としては屋根裏に追いやったみたいでいい気分ではないのだが、当の本人はそうでもないようだ。恍惚と目を輝かせて、祈るように手を胸の前で組む。まるで夢見る少女だ。
「前々から天井裏の生活ってのを体験してみたかったんだぁ。それにあたしって薄暗いとこの方が落ち着くし。ちょっと湿ってるとなおいいんだけど」
「やっぱ蛇だな」
「だからドラゴンだってばぁーっ!」
 その主張はどうあっても曲げるつもりはないらしい。ドラゴンなら火山にでも住んでいればいいのだ。
「それはそれとして、あたしは紘也くんにモンバロのリベンジを申し込む!」
「それはもう明日にしろよ」
 魔術師の道に戻るつもりはさらさらないが、今後のためにも幻獣や魔術について少しでも知識を取り戻した方がいいかもしれない。
 そんなことを割りと真剣に考える紘也だった。

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