天井裏のウロボロス

夙多史

Section2-2 呼び名

 冷凍していた食パンにマヨネーズを満遍なく塗り、それをオーブントースターで焼いている間に目玉焼きを作る。よく熱せられたフライパンに油を敷き、卵を落とし、塩胡椒を振る。卵白がある程度固まったところで少量の水を加えて蒸し焼きにする。
 こんがりと焼き上がった食パンに目玉焼きを乗せて完成。これは手軽に作れて美味いため、紘也の朝の定番メニューとなっている。ちなみに、目玉焼きにはしっかりと火を通さないと食べる時に黄身が零れて悲惨な目に遭うので注意。
 それをコーヒー牛乳が注がれたコップと一緒にリビングに運び、適当にテレビを見ながら食事する紘也。テレビでは朝のニュース番組をやっていた。

《――昨日午後七時頃、板嶋市中央区のオフィスビルの屋上で、女性の変死体が発見されました。女性は全身の血液を抜かれており、同じような事件が先日から続いているため警察では同一犯による連続殺人の――》

「板嶋市って、隣町じゃないか。物騒だな」
 女性ニュースキャスターの話を適当に聞き流しつつ、紘也はコーヒー牛乳を啜った。近くで事件が起こっていても、いざ自分の身に降りかからなければ無関係。そう考えてしまうことは人間の悪いところだと思う。けれど、直してしまうと外に出ることも恐ろしくて生活なんてできやしない。ある意味、人間は逞しいのだ。
「あー、それ幻獣の仕業だね」
 後ろからの一声で一気に無関係だとは思えなくなってしまった。
「おはよう、ウロ」
「おはよう、紘也くん。挨拶の時くらいこっち見てくれてもバチはあたらないと思うよ?」
 ウロボロスの要望になど答えず、紘也はテレビから視線を離さないまま、
「で、なんでこの事件が幻獣の仕業だと思うんだ?」
「……あうぅ、そのスルースキルは夜が明けても健在なんだね。くすん」
 背後で啜り泣くウロボロスは朝から鬱陶しかった。彼女は完全に覚醒し切っていないのか、昨夜よりも低いテンションで言葉を紡ぐ。
「幻獣にだっていろいろいるんだよ。肉体ごと食す奴もいれば、生命力だけを吸い取る奴もいる。昨日のヘルハウンドが前者で、サキュバスとかが後者だね。だからこの事件では血を吸うタイプの幻獣が絡んでるとみた。ウロボロスさんの勘は当たるんです」
「勘かよ! つーか、血を抜いて殺すことなら人間でも頑張ればできると思うぞ?」
「ミステリー小説じゃないんだから頑張る理由がわからないよ」
 そうは言っても殺人犯の考えが想像の斜め上を行くことだって少なくない。血にまつわる悲劇でもあったのかもしれない。これから起こる事件をなんでもかんでも幻獣のせいにするというのは些か早計――

《――なお、事件との関連性は不明ですが、同時刻に巨大な蝙蝠の大群が確認されており、熱帯地方に生息するオオコウモリとも違う新種だという可能性が――》

「ほらほらほらほら! これ絶対幻獣だってやっぱあたしの勘すげー」
「……」
 紘也は無言でそのニュースを聞き続ける。本当は紘也にだってわかっていた。異様な殺し方を聞いて幻獣の可能性を考えないほど阿呆ではない。ただ、そうであってほしくなかっただけなのだ。
 事件のあった板嶋市と蒼谷市は目と鼻の先。いつその災いが紘也に、紘也の周囲に降りかかってもおかしくない。一難去ってまた一難、それが去ってもまた一難……魔術師連盟の幻獣狩りが終わるまでずっとこんなペースなのだとしたら泣きたくなる。

《――次のニュースです。イギリスの新型旅客機『FLORA240便』がハイジャックされ墜落した事件ですが――》

「飛行機ジャックして墜落させるとか、まったく幻獣は酷い奴ばかりだな」
「紘也くん紘也くん、なんでもかんでも幻獣が悪いと思ったら大間違いだよ?」
 なんか今は全て幻獣の仕業にしてしまいたい気分だった。それはそれとして――
「時に、ウロ。なぜにお前はシーツに包まってるんだ? それ俺のベッドのだよな?」
 ようやく振り返ってみると、ウロボロスはパジャマの上から蓑虫みたくシーツでぐるぐる巻きになっていた。絡まったのだとしたら器用な奴だと誉めてやろう。
「ムフフ、これは紘也くんの残り香を堪能しているのですよ♪ ハァハァ、紘也くんの香り、魔力の残り火が感じられて実に心地よくじゅるり」
「変態かお前はっ!? そして今語尾おかしかったよなっ!?」
「いやいや、キノセイダヨ。……クンカクンカ」
「嗅ぐなっ!!」
 シーツを鼻にあてて恍惚とするウロボロスを、可燃ゴミに出すか不燃ゴミに出すか一瞬本気で考えた紘也である。
「どうでもいいからシーツ返せよ、ウロ」
 紘也がシーツを強引に剥ぎ取ると、ウロボロスは「あーれー」とか言いながら自分でくるくる回っていた。朝から勝手に楽しそうだ。
「ところでさっきから気になってたんだけど、その『ウロ』ってなんなの?」
 ひとしきり回ってから彼女は小首を傾げた。紘也はシーツを畳みながら億劫そうに答える。
「ああ、ウロボロスって呼びたくないから、俺はお前をそう呼ぶことにしたんだ」
「オゥ!? 実は全然信じてもらえてなかったのでは!?」
 滝のごとく涙を流して肩を落とすウロボロス、もとい、ウロ。どうやらウザったいことにテンションが元に戻ってきたようだ。
「言ってなかったけど、あたしにだって個体名はあるんだよ? ウロボロスは種族名」
「へえ」
「感心薄っ!?」
「なんて名前なんだ?」
「ふぇ? え、えーと……あー……えー」
 特に興味もないが訊いてやると、ウロはなぜか言葉を詰まらせた。腕を組んで天井を仰いだり、こめかみの横で人差し指を回したりして、
「……うん、よし。フローラ・ウロボロシュタインです」
「今考えたよな、その偽名」
 しかも縁起の悪いことに墜落した飛行機の名前だった。ファミリーネームは謎。
「うわん、即行バレた!? ええそうですよ偽名ですがなにか? こっちの世界ではこう名乗るようにしたんだよ人間っぽいからね!」
「本名は?」
「ごめんなさい。放送コードに引っかかるので言えません」
「どんな名前だよっ!? すげえ気になるよっ!?」
 紘也を守る理由を聞いた時と同じで彼女は口を割りそうにない。だからきっぱりと諦めることにした。どの道、紘也が『ウロ』と呼ぶことには変わらないのだから。
「そういえば、紘也くんって自炊するんだね」
 ウロは既に食べ終わった朝食の食器を見て意外そうに言った。
「まあ、朝だけな」
「朝だけ?」
「昼は学食もしくは購買のパン、夜はコンビニで済ますのが俺のライフスタイルなんだ」
「なんと不健康な! ふふ、わかりやした。今宵はこの『ロック鳥のたまごかけごはんを作らせたら幻獣界に並ぶ者なし』とまで言わしめたウロボロスさんが腕を振るっちゃうよ」
 ニヤリと悪戯小僧のようにウロは笑った。今夜もコンビニ弁当で決まりそうだ。
「じゃ、俺、学校に行くから。メシはキッチンに置いてあるから勝手に食っとけ」
 まだ始業には早いのだが、こいつと会話して疲れるくらいなら学校でテスト勉強でもした方が何倍もマシだ。紘也は自分の食器を片づけるためにキッチンへと向かい――
 ――その途中、そうだ、と思い出したように振り返った。
「俺を守るのはいいけど、意味もなく学校の中にまで入ってくんなよ頼むから」

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