天井裏のウロボロス

夙多史

Section2-8 葛木香雅里

「うぅ……」
 恐らく数秒の間だっただろうが、葛木香雅里の意識は途切れていた。
 それすなわち、香雅里の敗北を意味している。そう認めると急激に悔しさが込み上がってきた。
 祖父と兄以外に負けたことなどなかった。相手が人外であってもそうだった。
 でも、負けた。圧倒的な実力差で。
「まだやる? まあ、あたしはいいんだけど、これ以上やっちゃうと紘也くんの目潰しが怖いんだよねぇ」
 目の前に透き通った黄金の大剣が突きつけられる。似たような色の髪をした少女が、片手で軽々とその大剣を握っている。ウロボロスの個種結界が働いたのか、引き裂かれたはずの制服は修復されていた。〈冰迦理〉で凍らしたはずの右腕も既に治っている。
「妖魔に敗れるなんて屈辱的ね」
 自虐的に香雅里は笑う。
「オゥ。つまり負けを認めると?」
「そうよ、私の負け。――殺しなさい」
「いやいやいや、殺しちゃまずいでしょ」
 さっとウロボロスは剣を引いた。殺されなかったことに香雅里は不覚にもほっとしてしまった。
 直後――
 周囲に張り巡らせた結界の護符が、一斉に弾け飛んだ。
「おや? 和風魔術師の結界が解けたようだね。なら、あたしの方も解きますか」
 もう戦意がないことを示した、ウロボロスはそう捉えたようだ。しかし、香雅里は違う。
「私、なにもしてないわよ?」
 誰かが結界を破ったのだ。そしてその誰かとは、香雅里とウロボロスを除けば一人しか考えられない。
「戦いはそこまでだ」
 世界魔術師連盟の大魔術師・秋幡辰久の息子――秋幡紘也その人である。約十年前の事故で魔術師になることを諦めたはずの彼が、一体どうやって……?
「葛木、負けを認めたのならウロが学校へ来ても構わないよな?」
「……ふん、勝手にすればいいわ」
 素っ気なく返す。と、彼に遅れて一般人の二人――確か諫早孝一と鷺嶋愛沙――が駆け寄ってきた。ウロボロスの個種結界が解除された証拠である。
「よかったね、ウロちゃん」
「当然の結果だよ。これで晴れて一緒に学生生活をエンジョイできるね、愛沙ちゃん」
「なあ、フローラ、その剣についてなんだが」
 なんでもない日常みたいな空気がそこにできていた。馬鹿らしい、と香雅里は思った。自分はこんな性格だからあのような馬鹿話をする友達などいない。そもそも、子供の頃から自分とは違う貧弱な一般人とつるむことを香雅里は拒んでいた。だから羨ま――ではなく、妖魔のくせに一般人と馴染んでいるのが苛立たしい。
 むすっとした顔でいると、手が差し伸べられてきた。秋幡紘也だ。
「んなあ! なにしてんだい紘也くん! あたしという妻がありながら他の女に手を出すなんてムッキャーッ!!」
「誰が誰の妻だ! てか、さっきから目のやり場に困ってるんだ。早く立ってくれないか?」
 目を逸らし、どこかバツが悪そうに言う秋幡紘也。なんのことかと思って香雅里は自分の状態を確認すると――――スカートが思いっ切り捲れ上がっていた。
 バッとスカートを手で押さえ、彼の手を借りずに自力で立ち上がる。困ったように頬を掻く彼に、少し涙目で言う。
「……見た?」
「ばっちしぶはあっ!?」
 鳩尾に渾身の拳を叩き込む。くの字になった紘也はその場に膝をついた。やはり先程結界を破られたのはなにかの偶然に違いない。
「ところで、一つ訊きたいんだけど、あんたはなんで幻獣を嫌ってるんだ?」
 起き上がった紘也が訊ねてくる。別に話す必要なんてないけれど、気が動転していたのかもしれない、香雅里の口は勝手に開いていた。
「妖魔は私の兄様を奪ったのよ」
「あっ……なんというか、悪いこと訊いたな。すまん」
 紘也は目を伏せて謝ってきたが、香雅里は続ける。
「兄様も兄様よ。あんな妖魔の女に誑かされて駆け落ちするなんて。本当は兄様が葛木宗主になるはずだったのに、私や家のことなんてなにも考えてないんだわ。それもこれもあの妖魔のせいなのよ。ああもう、思い出すだけで殺意が湧く。あの妖魔の女、今度会ったら細胞単位で斬り凍らしてやるわ!」
 ギリギリと恨みの籠った歯軋りをする香雅里。ふと気づくと、周りが戸惑ったような表情で一歩引いていた。なぜだろう。特におかしなことは言っていないのに……。
「これは、意外なところでブラコン疑惑が浮上したな」
 と諫早孝一。
「いやぁ、こんな堅物そうな人が『兄様ぁ~』ってのは萌えポイントだよ」
 そう、ウロボロス。
「ああ、葛木、その、なんだ……頑張れよ」
 なんか憐憫にも似た視線で香雅里を見る秋幡紘也。
「そうだよね。家族がいなくなるのは悲しいことだもんね。でも大丈夫。生きていればきっといつか会えるよぅ」
 一人だけ他と対応の違う鷺嶋愛沙。こっちはこっちで視線に別の痛みを感じるのはなぜだろうか?
「なによ! 私なにか変なこと言った?」
「「「いや、別に」」」
 鷺嶋愛沙以外の三人が声を揃えて首を振った。なんだか非常に腹が立つ。
「おー、そうだそうだ」思い出したように、ウロボロス。「あたしが勝った時の条件を言ってなかったね」
「は? 学校に来ることを許可したじゃない」
「それはそちらが負けたから必然的にそうなっただけだよ。そうだなぁ、どうしてもらおうかなぁ」
 ニヒヒ、と嫌らしい笑みを浮かべてウロボロスは思案する。香雅里はなんとなく身の危険を感じて自分の体を抱き締めた。
「よーし、決めた」
 ポンと軽快に手を叩く。ウロボロスは嫌らしい笑みから楽しげな笑みにシフトし――
「あたしとお友達になってくださいな」

 言っている意味がわからなかった。

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