天井裏のウロボロス

夙多史

Section5-2 戦意、悲哀、焦燥

 玄関を開けると、紘也と同じ年頃と思われる小柄な少女が立っていた。やたらでっかい旅行カバンを引きずるようにして持っている彼女は、紘也を見るなりペコリと丁寧に頭を下げる。
「おはようございます、紘也様ですね」
 少女らしいあどけなさを残した端整な顔立ちに真紅の瞳、同じく真紅の長髪は後ろで二つに結われていて、二又の尻尾みたいになっている。頭の上からぴょこんと飛び出た人房の髪はいわゆるアホ毛というやつだ。初めて見た。
 赤を基調とした海外のブランド物っぽいワンピースを身に纏ったその姿は、ウロボロスの時と同様でとても幻獣には見えない。幻獣なんて非現実な存在が素の姿でその辺を闊歩していたら大変な騒ぎになるだろう。だから『人化』していて当然なのだ。
「あんた、ウェルシュ・ドラゴンなんだって?」
「はい、ウェルシュは幻獣ウェルシュ・ドラゴンで間違いありません」
 彼女の声は鈴を転がしたように澄んでいた。だが抑揚は少なく、表情もロボットみたいに微動だにしない。頭上のアホ毛だけが犬の尻尾よろしくピョコピョコ揺れている。
「来るのって一昨日じゃなかったのか?」
「はい、その予定でした。しかしウェルシュが乗っていた飛行機がハイジャックされて墜落してしまい、犯人の殲滅や人命救助をしていて遅くなりました。すみません」
 ハイジャックされた飛行機が墜落。どこかでそんな話を聞いたことがある気がする。
「まさか、この前ニュースでやってた……?」
「ウェルシュはそのニュースを知りませんが、たぶんそうだと思います。それより中に入れていただけますか?」
「ああ、そうだな。話はリビングで聞くよ」
 彼女は、おじゃまします、と一礼し中に入ってくる。
 とその折、引きずっていた旅行カバンの車輪が玄関の段差に引っかかった。
「あっ」
 と少女が声を漏らした時にはもう遅く、ぐらついた彼女の体勢は前のめりに崩れ――
 ――ビタン!
 盛大にすっ転んだ。
「……痛い」
「えっと、大丈夫か?」
「鼻が痛……いえ、問題ありません。ウェルシュは時差ボケで少し眠いだけです」
 そう言いながら彼女は何事もなかったかのように起き上がった。少々涙ぐんでいたように見えたのは目の錯覚ではないと思う。
「ところで紘也様はもう朝食はお済みになられましたか?」
 廊下の途中で唐突にウェルシュが訊ねてきた。
「いや、まだだけど」
「では、ウェルシュがお作りします。紘也様の守護の任務には、生活面のサポートも含まれていると勝手ながら推測していますので」
「家事手伝いもするってことか? 真面目だな」
「よく言われます。マスターもウェルシュのことを『はっはっは、俺の契約幻獣は俺と違って真面目ないい子だぞ』と周囲に評価しています」
 第一印象で無口無愛想だと思っていたが、存外に彼女はよく喋るようだ。ウロボロスほどではないけれど。
「作ってくれるのはありがたいが、冷蔵庫にはなにもないぞ」
「大丈夫です。あらかじめ食材はこちらで用意しています」
 ウェルシュは旅行カバンを指した。一人分にしては大き過ぎると思っていたけど、そうか食材が入っていたのならば納得――
 ガタガタガタガタン!
「……」
 跳ね飛ぶ勢いで旅行カバンが振動したのを、紘也は見逃すことができなかった。
「……時に、なにを作るつもりなんだ?」
「はい、ここへ来る途中に捕獲したクローラーの子供を使っ――」
「よしちょっと待て」
 おかしい、今、人食い巨大イモムシの名前を聞いた気がする。
「どうしたのですか?」ウェルシュは小首を傾げ、「ああ、大丈夫です。食材程度であれば魔術的にマナを封じ込める膜を張ることができますので、乖離は発生しません」
「そういうことじゃねえよ! てかやっぱり加工できるのかよ!」
「ではなにを……ああ、わかりました。生活のお手伝いをするのだから、それに相応しい格好をしろと仰るのですね。つまりメイド服を着ろと。了解です」
「だからそうじゃねえぇ!? ――って了解すんなメイド服持ってんのかよ!?」
「はい、マスターがウェルシュに買ってくださった服の中にそのようなものが」
 あの変態親父はもういっそ死ねばいいと思う。
「朝食はまだ作らなくていいから先に話をしようぜ。あとクローラーは廃棄処分にしてくれ」
「お嫌いなんですか? 好き嫌いはいけませんよ」
「アレルギーなんだ。食ったらジンマシンが大発生して死ぬ」
 無論、嘘だ。紘也のアレルギーは猫だけである。
「……それなら仕方ありません。了解です。後で処分しておきます」
 ウェルシュは素直に信じたようだ。それにしても幻獣が作ろうとする料理は怪し過ぎる。人間様の感覚で食材を選別してほしい。
 ウェルシュをリビングに案内してソファーに座るように促す。彼女はしばし部屋の様子を見回していたが、やがてなにかに気づいたようにピクっと反応した。アホ毛がピコンと『!』を描くようにそそり立つ。
「……モンバロ」
「へ?」
「いえ、なんでもありません。それよりお話をする前に一つ質問してもよろしいですか?」
 今絶対にモンバロ――対戦格闘ゲーム『モンスターバトルロイアル』の略称を呟いた。なぜだろう、ウェルシュからもウロボロスと同じ臭いがプンプンしてくる。
 だがそんなくだらないことを口にする必要はない。紘也は頷いた。
「なんだ?」
「先程から気になっていたのですが――」
 ウェルシュはもう一度部屋中を見回して、静かに口を開いた。

「この家にさっきまで幻獣がいましたね。それもウェルシュの大嫌いなドラゴン族です」

「なっ!?」
「その顔は図星ですね。どのような理由で隠していたのかは知りませんが、ウェルシュの任務は紘也様の守護です。紘也様に近づく幻獣はなんであれ殲滅します」
 ウェルシュの無感情な瞳に真剣な光が宿った。〝プロの顔〟というやつである。
 彼女は、ウロを殺しに行くつもりだ。
「ま、待ってくれ」
「待ちません。紘也様の守護と幻獣狩りはマスターの命令です」
 ウェルシュはそう言うとリビングの窓を力強くスライドし、顔だけ外に出してくんくんと犬みたいに臭いを嗅ぎ始めた。それに合わせてアホ毛もピコピコ動く。
「……まだ近くにいるようですね。これよりウェルシュは幻獣狩りを実行します。すみませんが、お話はその後にさせていただきます」
 素足のままウェルシュは庭に降り立つ。そして次の瞬間、彼女の背中からバサッと紅の巨翼が飛び出した。
 ウロボロスのように無骨だが形状は蝙蝠に近い。そんなドラゴンの翼。
 それを力いっぱい広げ、羽ばたく。そのたった一動作だけでウェルシュはあっという間に紘也の視界から消え去った。

        ∞

 契約者に拒まれた。
 それはウロボロスにとって二度目の大きな精神的ショックだった。
 一度目は前の契約者である。
 どこの組織にも属さず、錬金術師として知識欲の赴くままに流浪する自由奔放な人だった。そして同時に飽きっぽい人でもあった。一つの街に三日も滞在すれば禁断症状を起こして発狂していたほどの変人だ。
 彼によって偶然召喚されたウロボロスは、なんとなく気が合い、契約した。
 楽しかった。宛てのない旅ばかりだったが、充実していた。
 だが、三ヶ月で終わった。なんの前触れもなく解約されたのだ。
 理由は最悪。『ウロボロスの生態は調べ尽くした。もう興味はない』である。解約した瞬間にうっかり半殺しにしてしまいそうになったほどショックだった。
 かといって人間を嫌いになることはできなかった。契約者には裏切られたけれど、最後まで自分によくしてくれた人間も少なからずいたからだ。
「……紘也くん」
 邪魔と言われた。数百年ぶりに人間と契約したいと思えたのに、一週間も持たなかった。二回目なのに、経験しているはずなのに、すごく悲しかった。
 嫌われないために、飽きられないために、たとえ度が過ぎようとも底抜けに明るく振舞ってきた。……けれど、それは意味のないことだったようだ。
 紘也にはっきり『出て行け』と言われたら、頭が真っ白になってなにも考えられなくなった。力が抜け、自虐的に笑ってしまい、足が勝手に動いて家を飛び出していた。がむしゃらに走り回ったのでどこをどう通ったのかもわからない。
 気づくと市民公園のベンチに腰かけていた。
 西区市民公園は蒼谷市内にある公園の中でも最大規模の敷地面積を誇り、芝生広場に鯉が泳ぐ大きな池、噴水、それらを人口林が取り囲んでいる。もちろん、ブランコやジャングルジム等の遊具も充実している。
「あ、あたしパジャマのままだ」
 早朝の公園には割と人がいる。ジョギングや犬の散歩をしている者がほとんどだ。皆、不思議そうな顔でウロボロスをチラ見しつつ通り過ぎていく。
「わう!」
 そんな中、一匹の小型犬がウロボロスの前で吠えた。毛並の整った可愛らしいパピヨン犬である。
 怪訝に思い、首輪についた手綱を目で追っていく。赤いリボンを結んだ長く艶やかな黒髪が目に入った。知っている少女の顔が、ほんわかと優しい微笑みを浮かべていた。
「おはよう、ウロちゃん」
 鷺嶋愛沙だった。

        ∞

「――まずい」
 ウェルシュが飛び去った空を見上げ、紘也は呟いた。
「なんでこうなったんだ! こうならないためにあいつを追い出したのに、これじゃまるで意味がないじゃないか!」
 壁に拳を打ちつける。紘也は最初から、さりげなくウロボロスのことを話してどうにかウェルシュを説得するつもりだった。説得してからウロを連れ戻すつもりだった。そのタイミングを掴む前に相手に見抜かれるなんて馬鹿みたいだ。
「そう言えば俺、ウロになんて言って追い出したっけ?」
 冷静になって考える。あの時は正直テンパっていて、自分がなにを言ったのかあまり覚えていない。ウロボロスとウェルシュを争わせたくない、そんな気持ちはよく覚えているのに、気持ちとは裏腹な酷い言葉をぶつけたかもしれない。
 いや、ぶつけた。ウロの自己中的な契約理由に苛立って口走ってしまった。なぜならあの時、彼女は泣いていたから。
 ヘルハウンドに襲われた時を思い出す。
 ハルピュイアに襲われた時を思い出す。
 ヴァンパイアに愛沙が攫われ、彼女を救出した時を思い出す。
 ウロは契約幻獣としてしっかり紘也を、紘也たちを守ってくれた。孝一や愛沙とも仲良くなっている。正直、紘也にとっても彼女はかけがえのない仲間になっていた。
 泣かしてしまうほどきつく言わなくてもよかったと後悔する。もっとも、あのウロに一から緩く説明したところで「そんな面倒なことするくらいならあたしが力づくで捻じ伏せます」と言い出しかねない。どうせなら、怒らせて飛び出させる程度がよかった。
「ウロ、どこにいるんだ?」
 ウェルシュより先に見つけるのはたぶん無理だ。戦闘は確実に勃発する。そしてその戦闘を収拾することができるのは紘也だけだ。
「くそっ、あいつ携帯置きっぱなしだったから連絡が取れないじゃないか」
 いざって時に使えないのでは番号を交換した意味がない。
 となると……紘也は取り出した携帯で頼りになる親友たちに電話をかけた。
 ――Trrガチャ!
『よっ。朝っぱらからどうした、紘也?』
 ワンコールも鳴り終わらない内に孝一は出てくれた。
「朝早くに悪いな。起きてたのか?」
『いや、この電話に起こされたばっかりだ。まあ、オレはお前と同じで寝起きはいい方だから気にしてないさ』
「ホントか? 流石の俺でも寝てる時にワンコール前に出るなんて芸当できないぞ」
 などと突っ込んでいる場合でないことを、突っ込んでから思い出した。
「孝一、少し手伝ってほしいことがある」
 紘也は事情を掻い摘んで話した。
『……わかった。すぐに出る。なにかわかったら連絡する』
 次は愛沙だ。
 ――Trrrn! Trrrn! Trrrn! Trrrn! ガチャ!
『あれあれ!? 録音十二秒しかないの!? えっとえっと、い、今近くにいませ――』
 ピー。
 留守電だった。メッセージがマヌケなのは置いといて、彼女の場合、寝ているよりもとっくに起きていて携帯をどこかに置き忘れている可能性の方が高い。
「仕方ない。葛木にも頼むか……って携帯の番号知らねえし。それに昨日の怪我も治り切ってないだろうから、そっとしておいた方がいいかもな」
 携帯を畳み、玄関へ向かう。
「あいつがやられるとは思えんが、心配だ。いろいろと」

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