天井裏のウロボロス

夙多史

Section1-3 集中できない勉強会

 ――三時間後。
「……だいたいの事情は理解したが」
 リビングのソファーに腰を下ろした紘也の親友――諫早孝一は、眉間を指で揉みながら眼前に座る紘也に言った。
「そろそろ許してやったらどうだ?」
 孝一は視線を紘也から逸らす。その先に、二人の少女が仲良く並んで座っていた。
 ただし、二人とも正座で、首から『反省』と書かれたプラカードを提げ、さらに太股の上に一杯まで水を張ったバケツを乗せた状態であるが。
「いや、あいつらならあと七日間くらいは楽勝だと思うぞ」
 紘也は無慈悲に答え、手元にある数学の問題集にペンを走らせる。と、正座組の片割れであるペールブロンドの少女が喚き声を発した。
「ちょ、楽勝じゃないよ! いかに柔軟な体質のウロボロスさんでも足ガッタガタのアビュポーンって痺れちゃってますよぅ!」
「……足、痛いです、マスター」
 かれこれ正座をさせて三時間。流石の彼女たちもそろそろ地獄が見えてきたようである。紘也は問題集を解く手を止め――
「ああ、そのバケツの水、一滴零すごとに一時間追加だからな」
「おおおおおお鬼! 悪魔! あんたは紘也くんの皮を被ったアスモデウスかっ!」
「……痛いです」
 二人とも目から塩水が滝のように流れていた。ちなみに件の写真集は庭の片隅で灰になっている。無論、パソコンの中にあったデータも削除済み。隠し撮りした小型カメラも踏み潰した。抜かりはない。
「ヒロく~ん、もうウロちゃんたちもすっかり反省してるよぅ。これ以上続けさせちゃうと、ヒロくんが本当に鬼さんになっちゃうよ?」
 のんびりした口調でそう言ってきたのは、紘也の左隣に座っている鷺嶋愛沙だった。腰まで届く艶やかな黒髪と赤いリボンが特徴の、やや幼い相貌をした少女である。
 昔からの親友である孝一と愛沙は、紘也が魔術師の息子だということはもちろん、ウロやウェルシュの正体も知っている。知っていて普通に接してくれているのだ。これほどありがたい存在はいないと紘也は思っている。
「ウロちゃんもウェルシュちゃんも足が痺れちゃったら可哀相だよぅ」
「オゥ! 愛沙ちゃんマジ天使!」
「紘也、今オレたちは『遊びたくて堪らないゲージ』がカンストしても我慢してテスト勉強しているんだぞ。そこにあんな呻き声を聞かされたら落ち着けないだろう」
 諭すように、孝一。実は紘也にもさっきから「あ、足……」「痛い……ん……」「ひゃう! ああん!」「ま、マス……ター……」なんて声が耳に刺さるのだが、聞こえないフリをしていた。目を離すとサボると思って監視できる場所を選んだことが間違いだったようだ。
「わかったよ。二人がそう言うなら仕方ない。――お前ら、反省したのならもういいぞ」
 溜息をついて言うと――ウロが飛び跳ねるように立ち上がった。
「いよっしゃぁあッ! やっとこさ解放されたよ。フフフ、実はまったく痺れてなどいないウロボロスさんでした!」
「……ウロボロス、ずるいです」
 万歳三唱するウロの横で、足を崩したウェルシュが涙目で抗議する。
「ハッ、腐れ火竜とは生物としての格が違うんだよ。蛇の柔軟さを舐めちゃあいけませんね。たかが二、三時間の正座で根を上げるわけがな――って誰が蛇じゃいっ!」
 ウェルシュの足を軽く小突くウロ。「ひゃあうっ!?」と可愛い悲鳴を上げてウェルシュの全身が跳ねた。
「おやおや、どうやら今あんたは動けないようだね。ムフフ、今なら殺れる。ゲチョチョバビーンって感じに殺れますとも」
 ガシッ。
「なあ、ウロ。俺、言ったよな? 反省したのならやめていいと」
 背後から紘也に肩を掴まれたウロは、一気に顔を青くしてガタガタと震え始めた。ギギギギ、と壊れたカラクリ人形のように彼女は振り向く。
「あ、あの、紘也くん? あたし、ちゃんと反省――」
「全然してないみたいだな。〝眼球をスプーンでぐりぐりする刑〟ってどうだろうか? 楽しそうだろ。ところで幻獣って可燃ゴミの日に出せたっけ?」
「――ッ!?」
 声にならない悲鳴。
 とりあえず、頭が床に減り込むほど土下座してきたので許してやった。
 数学のテスト勉強に戻る。紘也たちの通う私立蒼洋高校の期末試験は三教科ずつ三日間で行われる。つまり、明日のテストは数学以外にも二つあるのだ。これ以上ウロのアホにかまっている暇はない。
「ウロちゃん。ウロちゃんは勉強しなくていいの?」
 邪魔にならない場所に避難して大人しく漫画本を読んでいるウロを心配したのだろう、愛沙が優しく声をかけた。
「大丈夫も大丈夫。あたしはIQボボーン!! の天才美少女なのですよ。今さら人間の学問なんて勉強する必要ないね。ちなみに得意教科は保健体育とか保健体育とか、あと保健体育です。紘也くん紘也くん、今からさくっと実習してみない?」
「孝一、そこの参考書取ってくれないか?」
「オゥ!? ここぞとばかりの華麗なるスルー。――ぐすん、もういいよ。あたしは漫画の世界にダイブするから」
 相変わらずのオーバーリアクションで涙するウロ。と、紘也の裾が控え目に引かれた。見れば、そこには若干寂しげな色を瞳に宿したウェルシュがいた。
「マスター、ウェルシュも学校に行きたいです。ウロボロスだけずるいです」
 おねだりするように、というか完全におねだりだった。
「いや、これ以上学校で面倒事を増やしたくないんだけど。ウェルシュは家の方を守ってくれれば――」
 言いかけて、紘也は夕方のことを思い出した。ウェルシュ一人を放っておいたら家がどうなるかわかったものじゃない。今は着替えているが、あのメイド服姿で近所を出歩かれるのも非常に困る。
「わたしは大歓迎だよぅ。ウェルシュちゃんも学校に来たらきっと楽しいよぅ」
 愛沙は言うまでもなく賛成。
 と、孝一がなにか思いついたような笑みを顔に貼りつけた。
「そういうことなら、簡単にテストをしてみようぜ」
「テスト、ですか?」
「ああ。うちの学校は転入生にも容赦ないからな。たとえこの時期に転入できたとしても、期末試験免除になんてならない。夏休み補習三昧になりたくなければ、当人の学力を見てから転入時期を決めるべきだ。まあ、大丈夫とは思うけどな」
 ウェルシュは少し考え、
「……わかりました。ウェルシュ、テスト受けます」
 と真剣な眼差しで答えた。
「丁度いい。ウロ、お前も受けてみろ」
 紘也はついでとばかりに自称天才美少女――ウロへと投げかけた。彼女は漫画本から視線をこちらに向けて億劫そうに口を開く。
「えー。なんであたしまで」
 あからさまに嫌な顔をされた。
「勝った方が明日の晩飯のメニューを決めるってのはどうだ?」
「やります! あたしはコカトリスのペキンダック風姿焼きを希望!」
「ウェルシュはオーク肉のハンバーグがいいです」
 どちらも負けてくれ、と紘也は引き分けることを切に願った。
 とりあえず明日の三教科である数学・世界史・現国の答案を孝一が作り、それぞれ三十分の制限時間を設けてテストを行った。
 その結果は――
「ほう。流石は天才美少女。全問正解だ」
 感心する孝一に、どんなもんだい、と中型の胸を張るウロボロス。
「ウェルシュちゃんは、えっと……もうちょっと頑張ろうねぇ」
 困り顔の愛沙が持つウェルシュの答案は――全て赤点だった。最も点の高かった世界史でさえ二十五点とは酷過ぎる。
 その結果を見て、当の本人はわなわなと全身を震わせていた。
「ウェルシュは……ウェルシュは一体どうすれば……」
「にょはははははっ! 腐れ火竜は脳味噌まで腐って燃えて溶けてんじゃあないの?」
「う、うるさいです、ウロボロス。あとウェルシュは腐ってません」
 そのまま子供レベルの口喧嘩に発展する紘也の契約幻獣たち。紘也はあのウロがこれほど勉強できたとは今も信じられないでいるが、ウェルシュの想像以上のポンコツさにも驚いていた。仮にも大魔術師・秋幡辰久の元契約幻獣だろう、と心の内で突っ込んだ。
「こりゃ、転入の話は二学期まで繰り越しだな」
 紘也が言うと、ウェルシュは心底残念そうに項垂れた。が、そこは素直で物わかりのいい彼女である。すぐに自分の現実を受け入れて納得してくれたようだ。
「というわけで紘也くん。この天才ウロボロスがマンツーマンでしっとりムフフと家庭教師をしてあげますよ。そんでもって紘也くんの残念な成績も一気にトップクラ――」
 ――グサッ!
「捻じ込むようにキタァ―――――――――――ッ!?」
 目を突かれて悶えるウロに、紘也は一枚のプリントを差し出す。
「誰の成績が残念だ! 見ろ、これが俺の中間テストの成績表だ」
「見ろって言うくらいなら目を突かないでよっ!!」
 待つこと数秒。視力を取り戻したウロは紘也の成績表を見て唸った。
「むぅ、平均九十一点とな。一夜漬け人間とは思えない意外さだよ、紘也くん」
「流石はウェルシュのマスターです」
 成績表を横から覗き込んでいたウェルシュがなぜ誇らしげなのかは置いといて、紘也は当たり前のことを話すように言う。
「授業聞いてればだいたい理解できるんだよ」
 もっとも、それができない人間が大勢いることくらい紘也だってわかっている。自分の記憶力や理解力が魔術師の血によるものだと考えたこともあった。
 孝一が笑う。
「うちの高校は頭いい奴多いからな、紘也の成績でも順位は十番台だったりするんだぜ。予習復習とかしっかりやってりゃ、もっと伸びるんだろうけどな」
 毎度毎度ベスト3に入る親友はそう語る。お前だってやってないだろ、と紘也は言い返してやった。
「ふむふむ、孝一くんは文字通りトップクラス。紘也くんも最上位レベル。じゃあ、愛沙ちゃんは?」
「愛沙もけっこう上だよな」
 紘也が振ると、愛沙は慌てたように顔の前で手を振る。
「そ、そんなことないよぅ。わたしなんてよく解答欄間違えちゃうんだよ」
 それでもきちんと点を取っているのは、果たして愛沙がすごいのか、採点が甘いのか。
「むむむぅ、誰もあたしの力を必要としないとは、まったくもって面白くないですね」
 不満そうに唇と尖らせるウロボロス。
「ウェルシュに教えればいいじゃないか」
「ばっ、なにを言うか紘也くん! そんなことするくらいなら腹切りますよ!」
「そうです、マスター。ウェルシュもウロボロスに教わるくらいなら……ウロボロスを消し去ります」
「ちょっと待てぃ! あたしは自害を選んだのに、なんであんたはあたしを消そうとするんだよ! 舌でも噛みなさい!」
「ウェルシュもウロボロスのように超速再生があればそうし……いえ、やはりウロボロスを消し去ります」
「ウガァーッ!」
「お前ら静かにしろっ!」
 ゴン! グサッ! と怒りのゲンコツと目潰しが炸裂した。どんどん器用になっていくことを自覚する紘也だった。

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