天井裏のウロボロス

夙多史

Section2-6 封術師

 香雅里の予想は的中していた。
「マスター、幻獣の臭いがします」
 アホ毛を忙しなく動かしているウェルシュが鼻をひくひくさせてそう言った。紘也は眉を顰める。
「ウロじゃないのか?」
「ウロボロスの臭いとは違います。こちらに近づいています」
 真剣に辺りを警戒し始めるウェルシュ。そんな彼女を日下部夕亜と名乗った少女が怪訝そうに見詰める。
「ねえねえ、どうかしたの?」
「いやなんか幻獣――あんたらの言葉だと妖魔か。それがこっちに近づいてるんだと」
「そう言えば、微かに妖魔の魔力を感じるような、感じないような……?」
 果てしなく曖昧な調子で首を傾げる日下部夕亜。同時、紘也の魔術に関わった者としての知覚がそれを感知した。
 妖魔(=幻獣)の魔力。当然、『人化』により魔力を極力外に漏らさないようにしているウェルシュやウロのものではない。体外へ放出された、幻獣の『気配』とも呼べるものだ。
 紘也は眼球運動だけで辺りを見回す。が、それらしい存在は周囲には見受けられない。
「下です、マスター!」
 珍しくウェルシュが叫んだ瞬間――ドゴン!! と地面が爆発した。
 紘也たちはそれぞれ後ろへ飛んだ。巻き上がった土煙の中から現れた幻獣は――蜘蛛だった。しかしただの蜘蛛ではない。タランチュラを熊ほど大きくしたような姿をし、背部から無数のなにかが生えている。否、刺さっている。
 矢だ。一目では数えきれないほどの矢が刺さっている。さっきまで誰かと戦っていたのではと紘也は思ったが、すぐにその考えを振り払う。矢があまりにも古い。
「ジャイアントスパイダーですか」
 ぼそっとウェルシュが呟く。幻獣ジャイアントスパイダー。名前の通り巨大な蜘蛛の幻獣だ。基本的に体が大きいこと以外は普通の蜘蛛と変わらないが、蜘蛛としての能力は侮れない。背に刺さった戦いの痕がこの幻獣がいかに強力なのかを如実に証明している。
「ジャイアントスパイダー? 違う違う。あれはツチグモよ!」
 能天気な口調で、夕亜。いやそんなのは英語名と日本名の違いにすぎないよ、と現役陰陽師に紘也はツッコミを入れようとして――できなかった。
「危ないっ!?」
 紘也は夕亜の腕を掴んで強引に引き寄せた。今の今まで彼女がいた場所を、白い粘着質な糸の束が絡め取る。ツチグモの口から吐き出された糸である。
 あのツチグモはここにいる全員を食らうつもりのようだ。今この場にウロはいない。どこでなにをやってるんだあのダメ蛇はと思いつつ、紘也は夕亜を抱き留めたまま叫ぶ。
「ウェルシュ!」
「はい、マスター」
 紘也の意思を汲み取ったウェルシュが飛び出す。
「マスターを傷つけようとする者は、このウェルシュが〝拒絶〟します」
 ウェルシュの掌に真紅の炎が宿る。彼女が定めた対象のみを焼き尽くす〈拒絶の炎〉。それを、威嚇するように尻部を立てているツチグモに向けて投げ放つ。
 バレーボール大の火炎球は、しかし寸前でかわされた。想像以上に素早い。
 ツチグモの開けた口から捕獲用の粘着質な糸が次々と射出される。
 ウェルシュは腕に〈拒絶の炎〉をオーラのように纏い、迫りくる全ての糸を的確に焼き払っていく。その表情に焦りの色はない。寧ろ糸を捌きつつ、凄まじいスピードでツチグモに接近している。
 ツチグモは巨大な足を振り、爪でウェルシュを串刺しにしようとした。ウェルシュは真上に飛んでかわすと再び火炎球で狙い撃つ。だがツチグモの体を微かに掠っただけで避けられた。
 空中のウェルシュに向かって糸が吐き出される。糸は彼女を捉える前に花火のように爆散したかと思えば、蜘蛛の巣状に張り巡らされ、落下する彼女を待ち構える罠となる。
「無駄です」
 ウェルシュは両手に鞭状の炎を生成し、新体操のリボン演技をするように振り回して蜘蛛の巣を薙ぎ払った。すたりと着地するウェルシュにツチグモが悔しげに唸る。
 普段はぼけーっとして頼りない印象のウェルシュだが、いざ戦闘になるとこれほどまでに圧倒的な実力を発揮するらしい。彼女の『戦闘』を初めて目にした紘也は、真紅に煌めく炎と演舞のような動きの美しさについつい見入っていた。
「これが親父の契約幻獣……」
 大雑把で行き当たりばったり感の漂うウロとは大違いのエレガントさだ。
「あのさ、私は別にいいんだけどね。キミ、いつまでこうしてるつもり?」
 と、紘也は自分の腕の中に柔らかな温もりがあることに今更ながら気がついた。
「うわっ!? わ、悪い……」
 ぷくっと頬を膨らませている夕亜を慌てて放す。紘也は狼狽を押し隠すように、
「えーと、大丈夫か? どこか怪我とか「ねえねえ! あの子ってもしかしてキミの使い魔かなんか?」してないか?」
 見事に言葉を被せられた。
「まあ、俺の契約幻獣だけどレンタルしてるようなもんだ。本当の主は俺の親父、秋幡辰久なんだけど」
「ワオ! 超ビップ! いいなぁ。私もあんな可愛くって強い子を式神にしたいなぁ」
 夕亜の瞳は羨望の色でキラキラしていた。本当に純粋で天真爛漫な人だ。
「そういえばあの矢の刺さってるツチグモ、どっかで聞いたことあったような気がするんだよね。ん~、どこだったかなぁ? ねえ、どこだか知らない?」
「俺が知るかよ!」
 そして唐突に話を変えてくる人だった。
 そのまま人差し指で顎を持ち上げてうんうん唸り始めた夕亜はこの際放っておいて、紘也はウェルシュとツチグモの戦いに視線を戻す。
 ウェルシュは手を伸ばせば触れられるほどの距離までツチグモに肉迫していた。そこからほとんどゼロ距離で〈拒絶の炎〉を放射する。
 後ろに高く飛び跳ねて回避するツチグモ。だが、前足の一本が炎に呑まれて焼失していた。
 それに、遅い。
 たかが虫が竜に敵うはずがないのだ。ウェルシュはツチグモのスピードを易々と上回り、一瞬で着地点に先回りしていた。
 ウェルシュの魔力が高まり、宙空に炎の魔法陣が描かれる。彼女は肉弾戦よりも、超火力の炎をぶっ放す中遠距離型としての戦い方が得意だと聞いている。
「この一撃で終わりです」
 狙いを定めるようにウェルシュはツチグモを指差した。
 直後――
「!?」
 ツチグモの尻部から、口からのものと同じ糸が射出された。
 魔法陣の方に集中していたウェルシュは避けることができず、頭の天辺から足の先までぐるぐるに絡め取られてしまった。蚕の繭のような姿となったウェルシュ。まさに蜘蛛が食事する時の獲物の状態である。
 描かれていた魔法陣が蝋燭の火のように吹き消える。
「ウェルシュ!?」
 まさかやられたのではと紘也は焦った。ツチグモが後ろ足で立ち上がり、鋭い牙を剥く。あのままかぶりついて麻痺毒を注入し、体液と共に魔力を搾取するつもりだろう。
 ツチグモが迫る。
 その時。
 ウェルシュを包んでいた糸が呆気なく燃え落ちた。姿を見せた彼女の全身には、薄い炎の膜が張られてある。あれは彼女のもう一つの特性を付加した炎、あらゆる敵意ある攻撃から身を守る〈守護の炎〉だ。彼女は〝守護〟と〝拒絶〟の両方の特性を同時に使用することはできない。だからあの時魔法陣を消したのだろう。
〈守護の炎〉には攻撃力がないと聞いていたが、蜘蛛の糸を焼くことくらいはできるらしい。
「……少し、驚きました」
 ウェルシュは静かな動作で、表情一つ変えずツチグモへ右手を翳す。
 真紅の魔法陣が展開。放たれた灼熱の火炎流は、ツチグモの半身を丸呑みして跡形もなく消滅させた。残った半身にもマナの乖離が始まり、間もなく霧散する。
「やったやったぁー♪ 凄いじゃない、えっと……パトラッシュちゃん!」
「ウェルシュです。そんな飼い主と一緒に天へ召されそうな名前ではありません」
 ピョンピョンと飛び跳ねてその辺を駆け回り、子供よりも激しく嬉しさを表現する夕亜。名前を間違えられたウェルシュは少しふてくされているようだった。
「ところであんた、さっきなにか思い出そうとしてたみたいだったけど、もういいのか?」
 あのツチグモはどこか必死だったように紘也は見えていた。背に刺さっていた無数の矢からしても、魔術師連盟の実験のせいで無差別召喚された幻獣とは違う気がする。彼女はなにか心あたりがあるようだったので紘也は気になって訊ねてみた。
「そうそう! 思い出したのよ! あのね。昔読んだ日下部家の文献にさっきのツチグモが載ってたの。三百年くらい前かな。もうすっごく凶暴だったらしくってね。三匹纏めてこの八櫛谷に封印されたんだって」
「待った! あんた今なんて言った?」
 紘也は聞き間違えかと思って確認する。夕亜はそんな紘也にキョトンとした様子で、
「八櫛谷に封印されたって言ったけど?」
「お約束のボケはいいから、その前に何匹って言った?」
「え? 三匹だけど?」

 刹那、夕亜の背後の地面が爆発し、二体目のツチグモが彼女に襲いかかった。

 逃げろと叫ぶ間も、ウェルシュが迎撃に向かう間もなかった。
 夕亜は振り返り、瞠目した。一体目と同じく背部に無数の矢を背負ったツチグモは、横開きの口から糸を吐き出そうとしている。
 やられる! 彼女が殺される!
 紘也は足を動かし、彼女の方に手を伸ばすが、間に合うはずがない。こんなことなら彼女を抱き留めたままいればよかった。
 吐き出された蜘蛛糸が、夕亜を包み込む。
 次の瞬間――
 バチィイッ!?
 突然、彼女の周囲に力場のようなものが現れ、糸ごとツチグモを吹き飛ばした。
「え?」
 呆気にとられる紘也。なにが起こったのか、彼女がなにをしたのか、わからなかった。
 一体どこから取り出したのか、無数の護符が夕亜を守るように周回していた。
「――〈縛〉!!」
 先程までの彼女とは違う凛とした表情に、覇気のある落ち着いた声。彼女の周りに展開していた護符が引っ繰り返っているツチグモの周囲に移動する。
 夕亜は右手を前に突き出し、開いていた五本の指を一気に閉じる。
「――〈封滅〉!!」
 ツチグモの周囲を円運動していた護符が、一斉にその体へと張りついた。もがき苦しむツチグモは、塩をかけられたナメクジのごとくみるみる収縮していく。
 そして最後にはなにも残らなかった。あれだけあった護符もどこかに消えている。
「はあ、ビックリしたなぁ」
 間の抜けた口調で、夕亜。さっきの凛とした表情と覇気のある声はどこへやら。
「マスター、なにが起こったのですか?」
 ウェルシュが紘也の服の裾を引きながら訊いてきた。
「いや、俺もわからん」
 夕亜が陰陽師だということは忘れていないが、日下部家の能力は戦闘には不向きだと聞いている。それなのに、彼女はたったの数手でツチグモを消滅させてしまった。
「封印したんだよ、えっと……エリザベスちゃん」
「ウェルシュです。もう一文字も合ってません」
 この人はわざとやってるんじゃないだろうかと紘也はそろそろ思い始めてきた。
「どういうことだ?」
「うん。ちょっと待ってね。えっと……あっ! あったあった。これこれ」
 夕亜はさっきまでツチグモがいた場所から漬物を漬けるとすれば手頃なサイズの石を拾う。その石には先程の護符が数枚、ピタリと貼りつけられていた。
「あのツチグモはここにいるんだよね。どう? 凄いでしょ? 日下部家でもこんな一瞬で封術を使えるのって私くらいなんだよ。ああ、でもこれって即席の封印だから後でちゃんとしたものに変えないといけないかな」
 まるで自分の成果を自慢するように彼女は言う。
「まだ生きてるってことか?」
「うん、そう。日下部家は『封術師』の一族だから、術式の殺傷能力は低いの。ていうか封術ってね、言わば対象を〝時の流れのない異空間に閉じ込める〟ってもので滅することはできないの。まあ、説明しなくてもキミならわかるよね?」
 つまるところ封印している間はマナの乖離も発生することはない、そういうことだ。
「あとさ、陰陽師って〝人を守り魔を滅する〟ためにあるじゃない? だから一つ謝っておきたいことがあるの。ごめんね。私もキミたちと一緒に宝剣強盗と戦いたいんだけど、封術を人間にかけるなんてことは不可能なの。あっ、でも使い魔とか式神とか魔装具の封印なら任せて! 得意だから!」
「あんた、本当に何者だ? あの実力。日下部家の下っ端陰陽師ってわけじゃないだろ?」
 紘也は魔術師ではないが、魔術師の知識はある程度持っている。だから陰陽師の術者が誰しも彼女レベルの力だとは思えない。
「あー、そういえば言ってなかったかな。じゃ、改めて自己紹介するね!」
 ぽりぽりと頬を掻き、夕亜は一拍置いて、

「この子は日下部夕亜。日下部家の陰陽師で、こんな風だけど歴とした宗主よ」

 息を切らして現れた香雅里に台詞を横から奪われた。
「宗主!? 嘘だろ!?」
 流石にそこまで紘也は想像していなかった。
「ほ、本当よ! キミ、ちょっと失礼じゃない? ていうか香雅里ちゃんは私の台詞盗らないでよもう! ――ってあれ? 香雅里ちゃん? ワオ! 本物の香雅里ちゃんだひっさしぶり~♪」
「ちょっと夕亜抱きつかないでよ! 苦しいじゃない!」
「あぅ。久々に会った親友を突き放すなんて、私は香雅里ちゃんをそんな風に育てた覚えはないわよ!」
「あなたに育てられた覚えなんてないわよ!」
 二人の遣り取りは、どことなくウロのそれと似通っていた。あの二人は気が合うかもしれない。
「てか、お前、俺たちの他に友達いたんだな」
「当たり前よ! 秋幡紘也、あなたは私をなんだと思ってたの? 私にだっているわよ。友達の一人や二人くらい」
「そんな、香雅里ちゃんに私の知らない友達がいるなんて……浮気? 浮気なの?」
「そしてそこは黙りなさい!」
 ぜーぜーはーはーと、やってきた時よりも息を切らしている香雅里。彼女はこんな役ばっかりだなと紘也は少し憐憫の念を抱いた。
「そんなことよりも、ここで戦闘があったみたいだけど大丈夫なの?」
 心配そうに香雅里が問う。紘也は得心がいった。戦いを感知したから香雅里は息を切らしてやってきたのだ。
「まあ、特に誰も怪我はしてないよ」
「そう。それはよかったわ」
 ほっと香雅里が安堵の息をついたと思えば、不意に表情を真剣なものにシフトさせる。
「気をつけなさい、秋幡紘也。あなたたちが戦った妖魔は例の宝剣強盗が仕向けたものよ」
「どうしてわかるんだ?」
「遊歩道脇の封印が破壊されていたの。それに宝剣強盗本人にも会ったわ。逃げられてしまったけど……」
 忌々しげに香雅里は表情を曇らす。
「とにかく、宝剣強盗がいつなにを仕掛けてくるかわからないわ。遊ぶのはいいけど、警戒だけは怠らないで」
「わかった」
 香雅里の忠告に紘也は首肯する。すると、ウェルシュが思い出すように紘也の服を引っ張った。
「あの、マスター。夕亜様の話が本当なら、まだあの幻獣は一匹残っています」
「あっ、そうか。やばいな。孝一たちが襲われるかもしれない。すぐに合流しよう」
 ウェルシュがコクリと頷く。『襲われる』が現在進行形、または過去形でないことを祈りつつ、紘也たちは下流の方へ向かおうとした。
 と――

「ウロボロスビィイイイイイイイイイイイイイイム!!」

 謎の絶叫と共に、遠くの方から天へ向かって一条の光が伸びた。その光線の先端に巨大な蜘蛛のような影があったように思えたが、影も光も幻かなにかだったかのようにすぐに消え去った。
 紘也たちは足を止める。
「なんか、大丈夫そうだな」
「はい。あの幻獣の臭いはもうしません」
 それから十分後、紘也たちはウロ、孝一、愛沙の三人とキャンプ場で合流したのだった。

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