天井裏のウロボロス

夙多史

Section1-1 風邪っ引きの蛇

 約一億五千万キロの彼方でギラつく灼熱の太陽が、容赦なく地球の気温を上昇させていく。相対する地球代表防衛軍――通称『蝉』が音波攻撃にて熱射攻撃を迎え撃つ。しかしそれらは相殺されることなく、傍観者たる人類の気力を根こそぎ奪っていくから傍迷惑この上ない。
「はぁ……だるい……」
 そんな夏真っ盛りの今日この頃、秋幡紘也は冷房の効いた自宅のリビングに避難――ではなく、天井裏にて盛大な溜息を吐いていた。
 日付は七月十九日の日曜日。八櫛谷渓谷での騒動から数日後、高校が夏休みに入ってから二日後の事である。
 世界魔術師連盟という世界最大規模の魔術組織に属する大魔術師――秋幡辰久を父に持つ紘也だが、かつて母親を傷つけてしまったことで魔術を捨て、現在は一般人としての人生を歩んでいる。本来なら一高校生として夏休み突入に並々ならぬ歓喜の念を抱いてしかるべきところ、なにが楽しくてこんな日にこんな場所でこんなことをしなければいけないのか。
「どうやったらここまで部屋を散らかせるんだよ。たまには自分で片づけしたらどうだ?」
 右手にハタキを、左手に何冊かの漫画本を抱えた紘也は、ゴミ屑・ゲーム・漫画・カードなどが足の踏み場を大いに蹂躙している天井裏をせっせと行き来していた。要するに、屋根裏部屋の大掃除中である。
 年末でもないのにどうしてこんなことを? と疑問に思わなくもないが、原因は明確。
「ほらほら紘也くん、文句言ってないであたしのためにしっかり働いてくださいよゲッホゴッホ!!」

 それもこれも、ウロボロスが夏風邪をこじらせたせいだ。

 とその一文だけ見るとなにも知らない人間なら楽勝で首を傾げることだろう。特に主語辺りで。だが紘也にとってはそれ以外に表現のしようがない。いや、やろうと思えば『ペールブロンドの緩いウェーブヘアをした蒼眼の美少女が……』と容姿を綴ることもできるだろう。できるだろうが、残念なことにコレは見た目を判断材料にしてはいけない生命体なのだ。
 幻獣ウロボロス。〝永遠〟〝無限〟〝連続〟〝再生〟などを象徴とする身食らう蛇。様々なフィクションで用いられているので名前だけなら知っている人も多いと思われるが、今そこのベッドで横になっている美少女は紛れもなく『本物』だから頭が痛い。
 現在は『人化』により美少女の形を成しているこの大蛇は、とある面倒臭い事情から紘也の契約幻獣となり、秋幡家に居候している。紘也も一応はそれを受け入れているわけで、共に暮らしているのだから世話したりされたりすることもやぶさかではないと思っている。が――
「注釈! あたしは蛇じゃなくてドラゴンだよ!」
 こんな活きの良い病人の看病は勘弁してほしいものだ。
「どうしたんだ、ウロ。いきなり大声出して?」
「いえ、なんとなくまた蛇扱いされたような気がしましてゲッホガッフイ紘也くん!!」
「なんで無意味に俺の名前で咳き込むんだよ! 熱もあるんだからお前は静かに寝てろよ病人、もとい病蛇らしく!」
「さっきツッコンだばっかりなのにまた言わせる気ですか! あたしはドラゴッホッ! ゲッフン!」
「いいから喋るな。わかったよ。お前は蛇じゃない。ドラゴッホなんだろ? 画家でも目指しそうな名前だな」
「違ぁああああうッ!?」
 風邪を引いても無駄に近所迷惑なウロボロスだった。
「とりあえずお前の部屋の掃除が終わったらお粥でも作ってやるから、もう騒ぐな」
「誰のせいで騒いでると思ってんですか……」
 ウロボロス――紘也はウロと呼んでいる――は息を荒げつつ布団を口元まで被った。上気した顔にべっとりとした汗、額に張りつけた熱冷まシートも随分と温くなっていると思われる。見るからに苦しそうだ。
 最初は幻獣バカでも風邪引くんだなと胡散臭く思った紘也だが、引いてしまったものは仕方がない。流石に放っておくわけにもいかず、看病がてらまずはこのとんでもなく不衛生な部屋から片づけることにしたのだ。
 元々薄暗くて埃っぽい屋根裏部屋は、この居候が住み着いてから知らないうちに大改造されていた。最新型のデスクトップパソコンにプリンタ、今ウロが寝ている天蓋つきのベッドなぞ一体どこから持ってきたのか激しく謎である。エアコンや簡易冷蔵庫まで完備されていて……家賃として電気代を徴収するべきか真剣に検討しようと思う紘也だった。
「でもでも紘也くんの作ってくれたお粥ってのは心にキュンキュン来ますね。そんで『あーん』とか言って食べさせて貰えるならあたしは一生風邪引いててもいいですよ」
「その時は病院に搬送してやるよ。あとそれだけ元気なら自分で食えるだろ?」
「うっ、大変です紘也くん! ウロボロスさんは夏風邪と一緒に筋萎縮性側索硬化症も併発しちゃったみたいです! ほらアレです。手足とかの筋力が衰えて力が入らなくなる病気。だから紘也くんに食べさせてもらわないと、あたし生きていけない」
「この単行本はここの棚でよかったか?」
「病人をスルーとかいい度胸ですね紘也くん」
 とんでもなくダメ人間にしか聞こえない台詞はスルーするのが一番だ。
「ところで人間の薬ってお前には効くのか?」
「え? そんなもん効くわけがなウォッホンドスコイッ!! ……失礼。えっと、なんの話でしたっけ? あ、薬でしたね。もちろん効果ありますよ。紘也くんが口移しで飲ませてくれればエリクサー並に効果抜群ですともムフフ」
「そうか、効かないのか。じゃ、大人しく寝てるしかないな」
「紘也くん紘也くん、病人にはもっと優しくした方がいいと思うよ?」
「だったらほんの少しでいいから病人らしく振舞ってくれ」
 普段と変わらないハイテンションと激しくわざとらしい咳き込みのせいで実感が湧いてこないが、一応見た目だけは病人のそれだ。これでも紘也は優しく接しているつもりである。そろそろシートじゃなくて氷水を染みこませたタオルでも用意してやるか。
「病人らしくと言われましても、あたしって今まで病気とかかかったことないんですよね。ほら、あたしの〝再生〟は怪我だけじゃなくて病原体ごと駆除してくれますし」
 なんて便利な身体構造だ。
「それならなんでまた急に夏風邪なんか引いたんだ? 〝再生〟の特性が弱まってるわけじゃないんだろ?」
「そこがあたしにもわかんないとこなんですよ。ただわかることは、お腹の辺りに違和感があると言いますか、このまま寝ちゃうと洪水の夢を見そうな気がすると言いますか」
「行って来いよ、便所に」
「乙女に向かってなんたる単語を使うんですか紘也くん!」
 文句を垂れつつベッドから這い出るウロ。彼女はそのままフラつく足取りで天井裏の端まで歩むと、「ではお花を摘みに行ってきますね」とあざとく言い残して梯子を下りていった。相手が病人でなければ張り倒しているところだ。
「さてと、うるさいのがいないうちにさっさと片づけ終わらせるか」
 気合いを入れ直すように紘也は袖を捲った。とその時、屋根裏部屋の入口からぴょこっと赤いアホ毛が飛び出した。
「……マスター、ご命令通りの品を買ってきました」
 抑揚の薄い淡々とした口調でそう言いながら梯子を登って来たのは、真紅のワンピースで身を包んだ少女だった。燃えるような赤髪を二股の尻尾みたく後ろで束ね、感情を窺わせない人形のような紅瞳で紘也を見詰めている。
 右手に提げたコンビニ袋は紘也がウロのために買って来させた清涼飲料水とプリンだろう。病気の時はなんとなくプリンが欲しくなるのは紘也も人類の一員だからに違いない。
「ああ、ありがとな、ウェルシュ。そこの冷蔵庫にでも入れておいてくれ」
「了解です、マスター」
 この全身真っ赤な少女も人間ではない。幻獣ウェルシュ・ドラゴン、またの名をア・ドライグ・ゴッホと呼ばれるウェールズの赤き竜だ。元々は父親の契約幻獣だったが、これまた面倒臭い事情があって今は紘也と契約を交わしている。面倒臭い事情とは、面倒臭い事情だ。
「あー、待てウェルシュ。そのプリン、一個はお前のだから食っていいぞ」
 三個買ってあったプリンを一個ずつ冷蔵庫に入れているウェルシュに言うと、彼女は僅かに目を見開いて視線を紘也に向けた。アホ毛が犬の尻尾みたくピコピコ動く。
「マスターが、ウェルシュの分まで……このプリンは大事に仕舞っておきます」
「すぐに食べろ。そのプリンけっこう賞味期限が短いやつだからな」
 それに秋幡家には〝貪欲〟の大蛇が住み着いているのだ。プリンなんて獲物を放置していたら半日もかからず食われてしまうだろう。たとえその蛇が夏風邪を患っていてもだ。
「マスター、他にウェルシュにお手伝いできることはありますか?」
「う~ん、そうだなぁ」
 基本的な部分で真面目なウェルシュはこうやってよく紘也の手伝いを進んで申し出てくる。どこぞのアホにも見習わせたい態度であるが、非常に残念なことに彼女は家事全般のスキルが皆無に等しい。この間だって紘也の部屋を掃除しようとし、室内という局地的な範囲で台風が発生したかのような惨状を生み出した実績がある。
 だが、紘也監修の下でならなんとかなるかもしれない。
「なら、そこに散らかっている漫画本を適当に片づけていってくれ」
「了解です。ではウェルシュはこれから本棚を倒す作業に入ります」
「なにを聞いていたお前は?」
 監修してもダメそうだった。
「あ、ちょっと腐れ火竜! なんで勝手にあたしの部屋に入ってんですか!」
 とそこに大変やかましい奴が戻ってきた。とはいえ目は半開きだし、体はフラフラと左右運動しているためさっきよりも辛そうだ。
「――ってそのプリンはあたしんのじゃあないんですか! 紘也くんがあたしのために買ってきた至高の品じゃあないんですか! 今すぐそれをあたしに寄越しなさいッ!」
「嫌です。これはウェルシュの分だとマスターが言ってくれました。ウロボロスの分は冷蔵庫に入っています。あとウェルシュは腐ってません」
「あんたいい加減その台詞やめガフッゴフッ!! ゲホッ!! オエッフ!!」
 言葉の途中でウロの咳き込みが酷くなった。今度ばかりはわざとらしくない。立ってられなくなったのか、彼女はその場に膝をついてしまった。
「お、おいウロ、大丈夫か?」
 咄嗟に紘也はウロを抱え起こしてベッドに寝かせた。なんだかんだ言っても病人は病人である。幻獣だからといって労わる心を忘れるほど紘也は悪魔ではない。
 紘也は苦しそうな息遣いをするウロの額に手を添える。熱冷まシートの上からでも高熱が伝わってきた。人間だったら命に関わるレベルの体温だ。
「ウェルシュ、至急氷水とタオルを用意してくれ! それと嫌かもしれんがウロを着替えさせてやってくれ」
「はい、マスターの命令なら嫌々でもウェルシュは実行します」
 ドラゴン族嫌いのウェルシュはやはりウロボロスの看病は嫌みたいだが、素直に氷水とタオルを用意しに動いてくれた。
「紘也くん……着替えなら……紘也くんにやってもらいたい……」
「この期に及んでお前はまだそんなことを」
 ウロは明らかに声に張りがなくなっていた。これはいよいよもってマズイのではないか? そもそもこれはただの夏風邪なのか? ウロ自身がそうだと言い張った病状だから怪しいものである。
 重たく瞼を閉じるウロの顔に嫌な汗が玉となって現れる。すかさず紘也はそれをハンカチで拭ってやった。
「紘也くん」
「なんだ?」
「手、繋いでもらってもいいですか?」
 それはいつものふざけた調子のない、彼女らしからぬ問いかけだった。
 だから、紘也は無視することも断ることもできなかった。
 本当はかなりキツかったのに、彼女は空元気に振る舞っていたのだろう。もはやそんな余裕などなく、自分がなにを言ったのかもわからないくらい意識が朦朧としているはずだ。
 元気溌剌と天真爛漫を足して二乗して擬人化したような存在のしおらしい態度に、病気の間くらいは弄ることをやめようと誓う紘也だった。
「今日は無理にはしゃがなくていいから、ゆっくり休めよ」
 紘也が優しくそう言って手を握ると、ウロは少しばかり安心した表情になって寝息を立て始めた。
 幻獣ウロボロスの得体の知れない病気。
 これはなにか悪いことの予兆でなかろうか。そんな心配を抱いた紘也だったが――

 ――最悪なことに、翌日、その心配が杞憂に終わらなかったことを告げられる。


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