天井裏のウロボロス

夙多史

Section1-2 キセイジジツ

 それは午前七時三十分、紘也がキッチンにてウロのための卵粥を作っている最中だった。
「紘也くん紘也くん紘也くん紘也くん紘也くん紘也くん紘也くん紘也くん紘也くん紘也くん紘也くん紘也くん紘也くん紘也くん紘也くん紘也くん紘也くん紘也くん紘也くん紘也くん紘也くん紘也くん紘也くん!!」
 ドドドド!! ダダダダ!! と朝っぱらから空襲警報を受けた市民のごとく喚き散らしながらウロが二階から駆け下りてきたのだ。
 秋幡家はいわゆるリビングキッチンであり、本来二つに分かれているはずの部屋は家族団欒のためにオープン化している。騒音が一瞬静まった次の瞬間、そのリビング側のドアがバン! と乱暴に開け放たれた。
「紘也くん大変ですよ紘也くん!!」
「やかましい!! 病人は大人しくしとけって昨日何回言ったと思って……」
 スルーすると余計近所迷惑だと考え振り向いて怒鳴り返した紘也は、ドアの前に立っていたパジャマ姿の金髪美少女を見て絶句した。知らずに指先が弛緩し、握っていたオタマを床に落としてしまう。
「……っ」
 ソファーに座って教育番組のアニメを見ていたウェルシュも固まっている。低血圧なのか朝にめっぽう弱いウロがこんな時間から騒いでいるのも異常事態ではあるが、今さらその程度のことでは紘也もウェルシュも動じたりはしない。
「ああ、夏風邪なら朝起きたらすっかり治ってましたよ。そんなことよりこれを見てくださいよこれを!」
 嬉々とした表情でウロは自分の腹部を軽くポンポンと叩いた。

 大きく、胸よりも膨れ上がったまん丸い腹部を。

「うふ、できちゃった♪」
 幸せそうな蕩けた笑顔で謎の隆起を起こした腹部を擦り続けるウロ。
「……」
 紘也は声が出せなかった。その代わりに白色化した脳内で目の前の不思議を解き明かそうと挑戦し、
「……」
「……」
「……マスター、アレは」
「おっとコンロの火を止め忘れてたな。ウェルシュ、お前も卵粥食べるか?」
 現実逃避という答えを弾き出した。
「ちょっ、なに見なかったことにしてんの!? あたし妊娠しちゃってるんですよ!?」
 ありえない。
 だってそうだろう。昨日までは普通だったのだ。一晩のうちにウロボロスの身になにが起こったのか? 紘也には想像もできない。
 過去に読んだ魔術書や幻獣書にもこんな現象は記載されていなかった。となると、考えられる可能性を一つずつ確かめていくしかない。
「どうせ服の中に枕でも仕込んでるんだろうが」
「む。そう思うなら触ってみてくださいよ」
 紘也はキッチンから出ると、ちゅくんと唇を尖らせるウロの下まで歩み寄り、無意識に震えてしまう右手でそのでっぷりとしたお腹に触れた。
「やん♪」
 ウロが黄色い声を発したのは当然のごとくスルーして……本物だった。人肌の温もりと弾力ある触感は枕では発揮できない業だ。
「にゅふふ、どうですか紘也くん?」
「ウロ、お前、まさか……」
「イエス! そうですとも! これはあたしと紘也くんの愛の結晶――」
「熱にやられてその辺の子供を丸呑みしたんじゃないだろうな?」
「してませんよ!? 発想が怖いよ!? 認める気ねーですよこの人!?」
 もしそうだったら連盟に通報しないといけないところだった。安心する反面、紘也にはこれ以上の可能性を思いつけなかった。
「……マスター」
 心なしかウェルシュが泣きそうな顔で紘也を見詰めてくる。アホ毛がしゅんと項垂れていた。
「仮にお前の妊娠が本当だったとしよう」
「仮じゃなくても本当ですよ!」
「ウロボロスは単体で産卵できる生き物なのか?」
 確か蛇の精子は雌の体内で一年以上生きられるらしいから、もしかするとそういうことなのかもしれない。と紘也は自分でもなにを考えているのかよくわからなくなっていた。
「なに言ってんですか紘也くん? あの熱い夜を忘れたんですか?」
「それはお前が熱にうなされてただけだろ」
「紘也くんってば意外とテクニシャンで、思い出すだけであたし……んん、はぁ、はぁ、あん」
「ありえない妄想は控えろ万年発情蛇が!」
「ドラゴンですってばっ!? マイ タイプ イズ ドラゴン!!」
 記憶力に自信のある紘也は断言できる。子供ができるような行為は一切やってない。命を賭けてもいい。もしも紘也の別人格が覚醒して寝てる間にやらかしたのだとすると……紘也は今すぐに富士の樹海へ旅立つだろう。
「まったく、紘也くんってばまったく。ホントにもう照れ屋さんなパパでちゅよね~。――あ、蹴った。紘也くん紘也くん、今この子お腹蹴りましたよ」
 母親の微笑みで「よしよしいい子でちゅね~」と赤ちゃん言葉を使うウロを、紘也はこんがらがった頭のまま眺めることしかできなかった。普段であればここで目潰し制裁は確実なのに、それができないのは心のどこかで自分に非があると思っている自分がいるからだろうか? そんな馬鹿な。
 ――いや待て、落ち着こう。
 冷静になって考えれば、たとえもう一人の紘也が暴走していたとしてもいろいろ早過ぎるし、不自然過ぎる。ありえない。そう、何度も言うがありえないのだ。相手が幻獣だからと言って納得できるものではない。
 ウロはアレが自分の子供だと信じ切っているようだが、違うものは違う。少なくとも紘也の子では断じてない。寝惚けたウロがマジでその辺の子供か野良犬を拾い食いしたのではなかろうかと疑い始める紘也だった。
 と――くいくい。紘也の袖が控え目に引っ張られた。
「マスター、ウェルシュも子供が欲しいです。ウロボロスだけずるいです。どうすればできますか?」
 ウロボロスに対抗意識のあるウェルシュが〝親が子供に訊かれて困る質問ランキング〟常時上位の質問を投げかけてきた。今はこちらに構っている場合ではないので適当に答えておこう。
「キャベツ畑で採れるんだ」
「……行って来ます」
 疑いもせずウェルシュはリビングの窓を開け放った。そして蝙蝠に似た真紅の竜翼を背に生やし――バサッ! と一羽ばたきであっという間に見えなくなる。
 さて、と紘也はエセ妊婦を振り向く。余計に話を面倒臭く拗らしてくれそうな奴がどっかに行ったので、こっちの問題を早急に解決するべきだ。流石にスルーはできない。
「紘也くん紘也くん、結婚式はいつにしましょうか?」
「あ? なんでそうなるんだよ?」
「だってできちゃってるんですよ? 既成事実です既成事実。紘也くん、ちゃんと責任、取ってくださいよ?」
 僅かに身を屈めたウロが上目遣いの青い瞳で紘也を見詰めてきた。その整った可愛らしい顔立ちと、決して太ったわけではない腹の膨らみを見ているだけで猛烈に頭が痛くなってくる紘也である。
 なんにしても身に覚えのない責任なんて取れない。いっそ奴の腹を掻っ捌いて膨らみの正体を突き止めてやろうかと考える。なにせ〝再生〟のウロボロスはそんな程度では死なないのだから。
「ひ、紘也くん、どどどどうしてキッチンの包丁に視線をやってるんですかね?」
「いや、蛇の捌き方ってネットで調べれば載ってるかなぁ、と」
「またとんでもなく物騒なこと考えてるでしょ紘也くん!? 妻殺しの子殺しになるつもりですか!? あとあたしはドラゴンだっつってんでしょ! 何回やる気ですかこの遣り取り!」
 そうだ。わざわざ紘也が手を下すことはない。こういうのは専門家に任せた方が確実だろう。具体的には、陰陽師の名家である葛木家に。
 紘也はこの前の八櫛谷で交換した葛木家次期宗主の電話番号にかけようとし、
「とう!」
 残像ができるほど俊敏に動いたウロに携帯を引っ手繰られてしまった。
「どこに電話する気か知りませんけどさせませんよ! ええ、させませんとも! 紘也くんはこれからあたしとシャララグリーンって結婚式を挙げてもらうんですか――あうっ!」
 唐突に、ウロが腹を押さえて床に崩れた。
「ウロ、ど、どうした? 大丈夫か?」
 やはりそれは子供なんかではなく、腫瘍のようなでき物だった可能性に紘也は今さらながら思い至った。そしてそう考えると、昨日の夏風邪(?)と合わせて急激に心配になってくる。
「う」
「う?」
「生まれる……」
「なにぃいっ!?」
 ウロの苦渋の孕んだ一言に驚愕する紘也。こういう場合はどうするのがセオリーだったか。とりあえずお湯を沸かせばいいのだろうか?
 先程ウロの腹を掻っ捌こうとしていたことなんか忘れ、紘也は盛大にパニックに陥っていた。
「マスター、ただいま戻りました」
 するとそこにタイミングよくウェルシュが帰ってきた。おかげで、助かった、と僅かに落ち着きを取り戻した紘也だったが――
「周辺のキャベツ畑に子供はいませんでした」
「季節じゃないんだよ」
「……そうでしたか。残念です」
 このアホ毛ポンコツが異常に使えないことも思い出した。
「あ、う……紘也くん、あたし……もう……」
「待てウロもうちょい我慢しろ! ウェルシュ、俺はお湯を沸かすからお前は孝一と愛沙に連絡してくれ!」
「りょ、了解です」
「ダメ……もう……無理……」
 事態の深刻さを悟ったウェルシュがワンピースのポケットから赤い携帯電話を取り出し、コールした直後だった。

 腹を押さえていたウロの両手が、
 次第に上へと持ち上げられ、
 その口へと移動する。

「おうぇええええええええええええっ!?」
「ええっ!? そっち!?」


        ――見せられないよ☆――


 ウロの腹の中にあったなにかが、その口から吐き出された。
 グロかった。とにかくグロかった。絶対に通るはずのない大きな物体が彼女の体を突き破るようにして出てきたのだ。加えてウロボロスの〝再生〟も働くもんだから、表現してしまうと18禁のレッテルを貼られるほどグロかった。我ながらよく見るに堪えたもんだと感心する紘也である。
「うっ……うぅ、紘也くんの前で吐いちゃうなんて……これじゃあヒロインじゃなくてゲロインですよ……ぐすん」
 既に完全に〝再生〟が終わって元通りになっているウロは、よくわからんことを呟きながら涙の海に沈んでいた。
 だが当然、重要なのはそっちじゃない。
「マスター、ウロボロスが吐いた物ですが」
「ああ、『卵』だな。どう見ても」
 リビングのテーブルに鎮座している白く巨大な楕円形の物体は、百人に訊けば百人が同じ答えを返すくらい立派な卵だった。
 だが立派過ぎる。さっきメジャーで計ってみたが、最も長い部分で百三十センチあった。そんなものがどうやって『人化』しているウロボロスの口から出てきたのかというと、見ていた紘也にもわからない。いや冗談ではなく、脳が眼前の現象を受け入れられなかったのだ。
 きっとアレだ。未来の猫型ロボットがポケットから電話ボックスとかを取り出すレベルの原理に違いない。〝無限〟のウロボロスなだけに。
「卵……」
 なにやら意味深に囁いたウェルシュがじーっとウロボロスの卵を見詰めている。まさか、なにか心当たりでもあるのだろうか?
「マスター、ウェルシュは今夜、オムライスが食べたいです」
 そんなわけがなかった。
「ハッ! なにふざけたことぬかしてんですか腐れ火竜!」
 シュバッ! と弾かれたように涙海から復帰したウロが卵を庇う位置に回り込んで両腕を大きく広げた。
「この卵はあたしと紘也くんの子供ですよ! それをオムライスにして食べるだなんてありえな……じゅるり……ありえないことですよ! ブチ殺しますよ親として!」
「お前、今一回自分の卵見てヨダレ拭いただろ?」
「そ、そそそそんなわけありませんですよ紘也くん」
 凄まじい勢いでウロは紘也から目を逸らした。どうやら放っておいてもこの卵はウロボロスの腹に戻りそうだ。
「あっ……」
 なおも卵を物欲しそうに見詰めていたウェルシュが奇妙な声を漏らした。
「今度はどうしたんだ?」
「卵に罅が入っています」
「「え?」」
 紘也とウロが同時に卵を振り返ったその時――

 パキリ、と薄氷を踏みつけたような音を皮切りに、巨大卵の上半分が内部爆発でも起こったかのように豪快に弾け飛んだ。 

 爆発した卵。その飛散する卵殻の破片が呆然とする紘也たちの全身を隈なく打ちつける。地味に痛かった。
「「「――ッ!?」」」
 そしてさらに三人を驚愕させる事態が待ち受けていた。

 卵の中から、小学校低・中学年くらいの女の子が現れたのだ。

「……」
「……」
「……」
 紘也もウロもウェルシュも唖然とする中、その女の子は眠そうに目を擦ってから周囲の様子を観察している。
 紫がかった黒髪は床に届きそうなほど長く、ウェルシュとは違う濁った赤い瞳は血の色に近い。輪郭は幼女らしく丸みを帯びていて可愛らしいが、その表情はどこか大人びていて子供らしさをこれっぽっちも感じない。背は低い。卵の大きさから考えて百三十センチもないだろう。
 そして着ている物は、ない。文字通り生まれたままの姿である。
「ウロ、これはどういうことだ?」
「え? なんであたしを睨むんですか紘也くん? どういうこともこういうことも、この子はあたしたちの子供じゃあないですか」
「お前まだそんなこと言ってんのか! 明らかにおかしいだろ! 卵なのはいいとしても、どうして生まれたての子供がここまで成長してんだよ! どこの大魔王だお前は!」
「きゃっ。紘也くんのエッチ♪ ――ってごめんなさいすみません調子こきました! だからそのVの字は下げてくださいッ!!」
 チッ、と紘也は舌打ちしてチョキに構えた右手を下ろした。ここでウロボロスの目を突いても状況はなにも変わらない。
 紘也が攻撃体勢を解除したことで安堵したらしいウロは、だらしない笑みを浮かべて卵から生まれた真っ裸の少女の頭を梳くように撫でだ。
「それにしても女の子ですかぁ。うふふ。あ、名前はどうします? 卵から生まれたので『たま太郎』とか?」
「女の子の名前じゃねえだろうが!」
「それもそうですね。では『たまや姫』とかどうです?」
「打ち上がりそうな名前だな。ていうか名前なんてどうでもいいだろ! あーくそっ、なにをどうすればいいのか全然わかんね!」
 とりあえず先に服を着せてやれよ、と紘也が実は若干目のやり場に困っていたりするのは確かである。
「紘也くん紘也くん、あたし今度は男の子がいいです。そしてゆくゆくは男の子も女の子もそれぞれでサッカーチームができるくらいに増やしましょう!」
「そうかこの期に及んでまだふざけるのな、お前。それが俺たちの子供に見えるか?」
「あ、もしかして紘也くん、自分に似てないからって疑ってるんですね。まったく酷いパパになったもんです。ほらよく見てください。目元なんて紘也くんそっくりですよ」
 ウロには紘也があんな感じのやさぐれてそうな目をしているように見えるらしい。
「パパは恐いでちゅけどママは優しいでしゅよ~。ほらほら、いないないバー」
 ――グサッ!
 ウロボロスの目が刺突される音。
 しかし、それは紘也がやったものではなかった。
 紘也は見た。ウロが顔面を両手で隠し、そして変顔をして開いた瞬間、卵から生まれた少女のミニフィンガーが容赦なくその両目に突き刺さった現場を。
「あんぎゃああああああああああああああああああああああああああッ!?」
 鮮やかな目潰しを喰らったウロは赤ちゃんのように絶叫してリビングの床を転がり回った。
「あ、あの無駄なくキレのいい目潰し……そんな、まさか、マジで俺の子……?」
「ま、マスター、お気を確かに」
 ウェルシュに揺さ振られて紘也はハッとする。そうだった、そんなわけがない。そんなわけがないのだ。
 と、ウロの目を遺憾なく突き刺した女の子が、ニヤリ、と妖艶に笑った。

《ようやく出られたかと思えば。都合の良いことに憎い顔が揃っておるな》

 女の子から放たれた声は、何重にも重なって聞こえた。さらに黒紫色の髪が結ってもないのに枝分かれし、ユラユラと揺らめく八本のテールを形成する。
「いや、ちょっと待て……嘘だろ……?」
 この声、この口調を紘也は知っている。一週間ほど前に味わった死の恐怖がフラッシュバックし、嫌な汗が背中を濡らす。
 女の子は怖気のする笑みを貼りつけたまま、八重の口調でさらに言の葉を紡ぐ。

《よくも吾を喰ろうてくれたな。今度はわれが己らを喰らう番だ》

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