天井裏のウロボロス

夙多史

Section1-3 復活の災悪

 不気味に煌く血色の瞳で紘也たちを見回す女の子。八本に分かれた長い髪の毛がゆらゆらと蠢き、幼女の見た目とは裏腹に底冷えするおぞましさが紘也の全身を支配していく。
「お前、ヤマタノオロチか?」
《気安くわれを呼ぶな。人間の雄》
 紘也の確認に少女は八重の声で応答した。もう疑う余地がない。そうであって欲しくないという紘也の天文学的期待はあっさり打ち砕かれてしまった。
 幻獣ヤマタノオロチ。
 巨大な霊威ある者。
 日本神話で有名な八つの谷峰に跨る八頭の大蛇にして、水害の象徴。
「嘘だろ……」
 紘也はもう一度、戦慄し震えながら呟いた。
 先週のことだ。八櫛谷という渓谷にて、陰陽師の葛木家と日下部家が合同でヤマタノオロチを再封印する儀式を行った。しかし、その儀式は日下部家宗主の日下部夕亜を人柱――つまり生贄にする禁術だった。
 儀式に使う宝剣の護衛として参加していた紘也たちは、もちろん異を唱えた。そして夕亜を救う目的で各地を騒がせていた宝剣強盗――彼女の兄・日下部朝彦と共に封印の解かれたヤマタノオロチと戦った。実際は言うほど簡単に手を取り合ったわけではなかったが、悪戦苦闘の末、朝彦が入念に仕掛けていた滅殺術式を用いることでヤマタノオロチ討伐に成功したのだ。
 ――と、その時は誰もが喜んだ。
 結果は殺し切れていなかったヤマタノオロチが最後の抵抗を始め、奇跡的に死者こそでなかったが甚大な被害をもたらされてしまった。そのヤマタノオロチにトドメを刺したのが、なにを隠そうそこにいるウロボロスである。方法は『喰った』。いや比喩ではなく。
「ヤマタですと!? そんな馬鹿な。あいつはあたしが食べ……ぶっ飛ばしたはずです」
 ウロはなぜか頑なに否定しているが、紘也はこの目でしかと見ている。確かに『喰われた』はずだ。なのに、ヤマタノオロチは幼女の姿となってそこにいる。人間の女好きのヤマタノオロチが雌だったことにも驚きを隠せないが、そんなことは些細な問題だろう。
 全員が黙りこくっていると、少女――ヤマタノオロチは不敵に嗤った。
《信じられないか。人間の雄に竜族の雌ども? いや。信じたくないのだろうな》
 と、ヤマタノオロチはその細く小さな両腕を羽ばたくように大きく広げた。見た目が幼女だが、裸体であるため非常に目のやり場に困った紘也である。
《吾の〝霊威〟は壮麗たる衣と成る》
「!」
 ヤマタノオロチが唱えるように呟いた途端、その全身から透明な輝きが放たれた。輝きは内から外へと次第に物質化され、裸体を包む衣服の形を成していく。魔法少女の変身シーンを彷彿とさせるが、実際にでき上がったそれは魔法少女が着るような可愛らしい洋服とは違っていた。
 ゆったりとした青色の長着、腰の辺りに巻かれた帯、腕よりも広い袖。見るからに高級そうな和服である。そのまま七五三に連れて行っても恥ずかしくない姿となったヤマタノオロチは、どうだと言わんばかりの腹の立つ表情で紘也たちを嘲笑った。
 紘也は現実を受け止め、訊くべきことを訊く。
「お前、ウロボロスに喰われたはずだろ? なんで生きてるんだよ?」
「紘也くん紘也くん、あたしは食べてなんかないよ。ドドガシュゴーン! ってぶっ飛ばしたんですよ」
「どうなんだ? 本当にお前はあのヤマタノオロチなのか? 答えろ」
 勇気を振り絞って紘也はヤマタノオロチを威圧する。なんか向こうで「くそう! くそう! スルーくそう!」と汚く喚き散らしながら地団太を踏むアホがいるが、無視しておく。
《ふん。吾があの程度で消滅するわけがなかろう。〝霊威〟で身を守りつつ、復活の機を伺っていたのだ》
〝霊威〟とはヤマタノオロチが持つ特性だ。得体の知れない不思議な力と言われるだけあって、なにをしでかしたところで驚きはしない。寧ろ紘也は納得さえしてしまった。
 なにせこの〝霊威〟は、ウロやウェルシュのあらゆる攻撃を無効化するわ、動物を妖魔に変異させるわ、山をも砕く水鉄砲を放つわとやりたい放題なのである。ウロやウェルシュも大概チート性能なのだが、こいつと比べると可愛く思えてくるから厄介極まりない。こいつの言ったことが本当なら、恐らくあの卵は〝霊威〟の防御壁が物質化したものだと思われる。
「……マスター、ヤマタノオロチを〝拒絶〟しますか?」
 ウェルシュが紘也を庇うように前に出た。その構えられた手に真紅の炎がボワッと着火する。ウェルシュ・ドラゴンの特性により、指定した対象のみを跡形もなく焼き尽くす〈拒絶の炎〉だ。
「よくものこのこと復活してくれちゃいましたね! ま、まあ、実はあんたがあたしと紘也くんの子供じゃないってことくらい最初から気づいてましたけどっ! だって全然似てませんからね!」
 ウェルシュに便乗するように、地団太をやめたウロもその掌に光球を浮かばせた。消耗しない魔力を存分に注ぎ込んだウロボロスの魔力弾である。にしてもこの蛇はどんな時でも調子に乗り過ぎだと思うのは紘也だけではないだろう。
「待てお前ら、迂闊に手を出すな」
 こんな住宅街の只中でヤマタノオロチが本来の姿に戻ったりでもしたら、紘也が簡単に押し潰されて死ねるだけでは済まない。〝霊威〟にあてられた人々が妖魔化し、この世の人外魔境が誕生してしまう。それはなんとしてでも防がなければならない悪夢だ。
《そうだ。もっと吾に慄け。今の吾は妖艶な美女に『人化』しておるが。その気になればこの姿でも己らなぞ一瞬で吹き飛ばせると知れ》
 ――うん?
 今、ヤマタノオロチの言葉に紘也は激しく違和感を覚えた。
《だが案ずるな。憎い己らをあっさり逝かせる真似はしない。吾の〝霊威〟にて体の芯よりじっくり甚振り回し。死した方がマシに思える地獄を見せてやろうぞ。――む? そういえば己ら。吾の気のせいかもしれんが。そんなにでかかったか?》
 偉そうに腕組みをする着物姿の幼女は、紘也たちを見上げて怪訝そうに眉を顰めた。その反応に、やはり、と紘也は確信に至る。
「ウェルシュ、鏡持って来い。洗面所にある全身を映せるやつ」
「了解です」
 トトトト、と小走りでウェルシュが洗面所に向かって駆け出した。
「? どうする気ですか、紘也くん?」
「いいから、黙って見てろ」
 ウロが早まって屋内で魔力弾をぶっ放さないか警戒していると、ヤマタノオロチはくだらなそうに鼻息を鳴らす。
《ふん。人間の雄が。なにをする気か知らんが。吾の〝霊威〟の前では全てが無意味だと知っておるはずだ》
 絶対的な余裕からか、ヤマタノオロチは特に妨害するつもりもないらしい。ならば好都合だ。
 紘也は戻ってきたウェルシュからスタンドミラーを受け取ると、鏡面をヤマタノオロチに向けて設置する。
《馬鹿か。そのような普通の姿見を使ったところで。吾の艶めかしい姿が映るだけ……》
 ヤマタノオロチは、鏡に映った自分の姿を見て硬直した。気持ち悪くうねっていたエイトテールも時が止まったかのように微動だにしない。
《……》
「……」
「……」
「……」
《な! な! な! なんだ吾のこの姿は!?》
 沈黙後、ヤマタノオロチはもんの凄い形相になって鏡に掴みかかった。両目をこれでもかというくらい見開き、鏡に映った自分を凝視している。そこには幼女の可愛らしさなど微塵も見当たらなかった。
 ヤマタノオロチは、自分が今どんな姿をしているのか全く気づいていなかったのだ。
《なぜだ。吾の『人化』はこのような童女になどならん。あと十年は年得た美女になるはずだ》
 鏡をガン見しつつ《なぜだ。なぜだ》と取り憑かれたようにヤマタノオロチは繰り返す。そんな彼女にウロがスタスタと無言で歩み寄ると――バシン!
《ぎゃん!?》
 その小さな頭を平手で思いっ切りしばいた。
《な。なにをする金髪!? 痛いではないか!?》
 両手で頭を抱えたヤマタノオロチが涙目をウロに向ける。その反応にウロは、ムフン、とすこぶる嫌らしい笑みで顔面を歪めた。
「紘也くん紘也くん、こいつ全然弱っちいですよ。〝霊威〟の防御なんてこれっぽっちも働いてません」
《なんだと》
 眉根と涙目を吊り上げ、ヤマタノオロチは頬を引き攣らせる。
《吾の〝霊威〟を馬鹿にするか。生意気な金髪よ。ならば思い知れ。吾が完全であることを》
 ヤマタノオロチは片手をウロに向かって突き出し、
《吾の〝霊威〟は水気を繰る》
 水害を引き起こす文言を唱えた。
「ま、待て! 落ち着け!」
 秋幡家が水流と共に崩壊する様を思い描いた紘也は咄嗟に止めようと声を張る。
 が――

 ちょろちょろちょろ……。

 ヤマタノオロチの小さな掌からは、水道の蛇口を僅かに捻った程度の水が虚しく滴り落ちただけだった。
「……」
《……》
 無言になる紘也とヤマタノオロチ。床を少しずつ濡らしていくだけの水量は、かつて山を砕いた力とは絶望的なまでに遠かった。
「にょっひゃひゃひゃひゃ! なんですかそれは! 公園の小便小僧の方がまだ勢いありますよ!」
 腹を抱えて爆笑するウロ。
「……ぷっ」
 無表情のウェルシュも微かに噴き出した。笑いを堪えているのか、アホ毛が小刻みに震えている。
「なあ、お前やっぱり力を失って――」
《五月蝿い。そんなわけがなかろう。い。今のは準備運動だ。これから本当の恐怖を己らに刻み込んでやる》
 改めてヤマタノオロチが両手を重ねてウロに突き出す。
《吾の〝霊威〟は水気を凍てつかせる》

 シャラシャラシャラ……。

 今度は掌から粉雪のような木目細かいふわふわとした氷が流れ出てきた。
「かき氷機ですかあんたは! ドラゴンタイプの弱点が氷タイプだとしてもそんなんじゃあ一ミリたりともHPゲージは減りませんよ! 紘也くんイチゴシロップ!」
「食うな」
 完全に呆けて動かなくなったヤマタノオロチからウロボロスが両手を受け皿に氷を掬い取る。そんな滑稽で謎過ぎる絵がそこにでき上がっていた。
「マスター、ウェルシュはメロンシロップがいいです」
「かき氷なら後で作ってやるからとりあえずその氷はやめとけ」
 食欲の止まるところを知らない幻獣たちはともかく、間違って人間が食べでもしたら妖魔化してしまいそうだ。
《――ハッ! よ。寄るな愚か者!》
 正気づいたヤマタノオロチがズザザザーッ! と物凄い勢いでウロから後ずさる。エイトテールも警戒するように揺らめきを取り戻した。
《そうか。魔力だ。魔力が足りないのだ。そこの金髪に喰われてから〝霊威〟を使い続けていたからな。この姿でないと消滅してしまうのだろう。しばし待て。すぐに補給する》
「ぷっ。あんた、今のままじゃその辺の子供にも泣かされますよ? ぷぷっ。どうやって魔力を集めるって言うんですか?」
 あからさまに馬鹿にした笑いを零すウロを、ヤマタノオロチはキッと睨みつけた。幻獣はこの世界で魔力が枯渇すると、『マナ』という存在の構成要素が乖離し消滅してしまう。それを防ぐには魔術師と契約を結ぶか、人間を食らうことで魔力を蓄える必要があるのだ。
 だが、ウロボロスのようにそのどちらも選ばなくても存在を保てるイレギュラーな幻獣もいる。紘也の記憶を辿る限り、ヤマタノオロチはイレギュラーな方だ。
《ふん。人間を喰ろうてもよいが。吾は土地の魔力を吸い上げることができる。こうやってな》
 ヤマタノオロチは和服のままサッカーボールをシュートするように右足を振り上げ――
 ――その爪先を突き刺す勢いで思いっ切り叩きつけた。
 フローリングの床に。

 ぐきり。

 ヤマタノオロチの右足先辺りから生々しい音が響いた。
《おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!?》
 断末魔に似た悲鳴を上げ、ヤマタノオロチは右足を抱えてゴロゴロと悶え転がり始めた。アレは痛い。絶対に痛い。見ていただけの紘也もつい自分の右足に意識を集中してしまうほどだ。
「やっぱりアホだろこいつ」
 八櫛谷でハーレム趣向が判明した時から紘也は常々思っていた。
 ふとウロとウェルシュを見る。二人とも笑いが臨界点を突き破ったのか、ウロは言葉を話せないくらい大爆笑して転げ回り、ウェルシュは笑い声の代わりにアホ毛が激しく暴れ狂っていた。
「お前ら、気持ちはわかるが笑うのは後にしろよ」
「そういう紘也くんだってニヤけてるじゃあないですか」
「我慢しろって言ってんだよ。今はこいつをどうするか考える方が先だ」
 しかし、実際問題どう処理するべきだろう。ここまでダメダメっぷりだと幼女の姿と相まって倒してしまうのは悪い気がしてくる。見た目に騙されない紘也ですらそう感じてしまうから困りものだ。
「どうするかなんて決まってるでしょう。悪即斬ですよ、悪即斬。今なら抵抗される心配もなくギュゴバコーン! ってスマートに殺れますとも」
 ポキポキと組んだ手を鳴らすウロボロスが悪役のような酷い笑みを浮かべる。そんな彼女にヤマタノオロチはついに顔面を蒼白させ、
《お。己ら。このようないたいけな童女を甚振るつもりか? 人間の雄。この金髪を止めよ》
 なんか自分の容姿を盾に人の良心を攻め始めた。
「フッ、甘いですね」
《なに?》
「あたしの紘也くんを舐めてもらっちゃあ困りますよ。さあ、紘也くん、指示を」
 あたしの、という部分が蹴り倒したいほど気に入らないが、紘也は合理的に決断することにした。
「家は壊すなよ」
「あら優しい」
《優しいのか!? おおおおのれ人間の雄。それでも己は人の子か!?》
 人の子ではない奴には言われたくない言葉である。もし普通の家庭に生まれていれば少しは躊躇ったかもしれないが、魔術師の血が流れている紘也はたとえ罪悪感を覚えようとも容赦を捨てることができるのだ。でなければウロボロスの目を突くなんて行為は想像すらできなかっただろう。
「マスター、ウェルシュにお任せください。ウェルシュならヤマタノオロチだけを〝拒絶〟できます」
「ちょ、腐れ火竜! あんたあたしの見せ場を奪うつもりですか! あたしだって壊しても〝再生〟するからなんの問題もありませんよ!」
「ウロボロスの〝再生〟はウロボロス以外の生物には適用しないはずです。マスターが傷ついた場合どうするのですか? やはりウェルシュがやります。あとウェルシュは腐ってません」
「あたしが紘也くんを傷つけるわけないじゃあないですか! 全力で守り抜きますよ!」
「どっちでもいいから喧嘩するな! そこはジャンケンでもしとけよ平和的に!」
 この二匹の辞書には『協力』と単語は収録されていないのだろうか?
「しょうがないですね。ほら腐れ火竜、ジャンケンしますよ。あたしはグーを出します」
「ではウェルシュはパーを出します」
 紘也の指示通りにウロとウェルシュがジャンケンを始めた。お互いの波長がピッタリ重なっているようにあいこが続く。最初の心理戦はなんだったのだろう?
《くっ。このようなアホどもに殺されてなるものか。すこぶる不本意だが。生き残るためには仕方あるまい》
 タン! 床を蹴ったヤマタノオロチが紘也に飛びかかってきた。
「うわっ!?」
「紘也くん!?」
「マスター!?」
 三人がそれぞれの悲鳴を上げる中、紘也にしがみついたヤマタノオロチは不敵に口の端を吊り上げる。
《吾の〝霊威〟は魂を繋ぐ》
 文言を唱えたヤマタノオロチは、一瞬だけ躊躇う素振りを見せてから紘也の顔面に自分の顔を近づけ、そして――

 ――唇を、重ねた。

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