天井裏のウロボロス

夙多史

Section3-9 勇壮たる天地の覇者

 街区へと続く道に馬蹄の音を響かせ、気絶した愛沙を背中に乗せたユニコーンは見た目優雅に駆けていた。走る度に背中は激しく揺れているが、不思議と愛沙が振り落されることはない。浮遊魔術と同じように背中に乗せた物を安定させているのだ。
「悪いねぇ、愛沙ちゃん。旦那に任せちまったから、あいつらたぶん生きちゃいねえわ」
 意識がないので声は届かないと知りつつも、ユニコーンは愛沙に語りかける。
「俺様が慰めてやりてえとこだが……ま、難しい問題だろうねぇ」
 ゆったりと首を振り、ユニコーンは透き通った青い瞳をすぅと細めた。
「せめて、なにも知らないまま――ッ!?」
 その時、何者かが並走する気配をユニコーンは感じ取った。
 そして直後、道路脇の木々の暗闇から銀色に煌めくなにかが飛来してくる。ユニコーンの目を正確に狙ったそれは――
 ――ナイフだと?
 ユニコーンは即座に首を動かし、額の角で飛んできたナイフを弾き飛ばした。
「誰だ!」
 立ち止まり、叫ぶ。だが暗闇からは沈黙と、様々な方向から同時に投擲されたナイフしか返って来なかった。
 ――一匹じゃねえ、何匹もいやがる!
 その場で高く飛んでユニコーンはナイフをかわす。空を切ったナイフは互いにぶつかり合い、甲高い音を奏でて地面に転がった。
 ――葛木の術者か? いや、連中は全員宗家の方に出払ったはずだ。
 気配はあるが、敵がどこに隠れているのか全く見当がつかない。ただの魔術師ではなさそうだ。薄気味悪い。
「チッ」
 舌打ちし、着地と同時にユニコーンは額の角へと魔力を集中させる。ぽわぁと淡い輝きが角に宿ったかと思えば、その輝きは白い波動となって全方位に放たれた。
 波動によって圧し折られる木々には目もくれず、ユニコーンは地面を蹴った。逃げるが勝ちとばかりに、ロケットのような瞬間的加速で一気に道路を駆け抜ける。
 ユニコーンの全速力には流石に追いつけなかったようだ。敵の気配は一瞬で感じなくなった。
 ――秋幡辰久の息子と葛木以外に妙な連中がいるようだな。連盟関係か? 念のためリベカには伝えとくか。
 薄ら寒いなにかを全身に感じながら、ユニコーンはついに半島から脱した。

        ∞

「グリフォンだって?」
 ウロから伝えられた青年の正体を紘也は鸚鵡返しに訊き返した。
 グリフォン――天空の王である鷲と地上の王である獅子、その両方を掛け合わせた姿の幻獣だ。ギリシア語で『曲がった嘴』を意味する『グリュプス』が名前の語源とされ、その巨体は獅子の四倍から八倍と言われている怪物である。黄金や財宝と深い結びつきがあり、それを奪いに来る者を引き裂く最強の番人として様々な書物で描かれている。また、人間と馬に強い敵対心があるようで、並外れた怪力や鋭い爪と嘴で容赦なく切り裂く凶暴性を持つ。
 だが反面、その勇壮な容姿から〝王〟〝英雄〟〝勇猛〟〝知識〟などの象徴とされていて、貴族や王家の紋章として盛んに取り入れられているらしい。
 ゲームや漫画だとその辺の雑魚かよくて中ボス、または乗り物代わりとして登場するため強いイメージを持ちにくいだろう。しかし、そんな生温いものではないことを紘也は知っている。グリフォンはかなり強力な幻獣だ。一説ではドラゴンすら屈服させるとまで言われるほどに。
「ぶっちゃけグリフォンってあたしらに比べればそんなに強くないはずなんです。せいぜい高パワー高タフネスの飛空持ち風属性アタッカーって感じです。何度か喰い殺したことありますし」
「だからカードに例えるな! 倒したことあるんなら大丈夫……なんだろ?」
 少し安心しかけた紘也だが、ウロの引き攣った表情からこれっぽっちも大丈夫ではないことを知る。
「あいつは今まで見てきたグリフォンとは格が違うようです。〝王威〟なんて特性、聞いたことありませんよ」
 相手を睨みながら言うウロに、ウェルシュも同意するようにコクリと頷く。
「当然だろう。〝王威〟はグリフォンの中でも選ばれし王族にのみ宿る特性。それを持った者がそこいらに蔓延っていては俺の格が下がる」
 腕を組んだまま余裕綽々に語る青年――グリフォン。〝王威〟の特性はもう使う気がないのか、ウェルシュが焼いてから紘也は重圧を感じていない。
 今のうちに紘也は引き下がった方がよさそうだ。また動きを封じられでもしたらウロたちの足枷になってしまう。
「話は済んだか? まだなら今しばらく待ってやってもよいぞ?」
 紘也が戦場から距離を置くのを見てグリフォンが訊ねた。完全に舐められている。もしくは相手も万全の状態でなくてはドラゴン族を狩るという愉悦に浸れないのだろうか? だとすればとんだ戦闘狂だ。
「いえいえ、もう大丈夫です。紘也くんも下がりましたし、後はあんたをぶっ倒すだけですからっ!」
 喋りの途中でウロは前方に跳躍した。一鼓動の間にグリフォンとの距離を縮め、引き絞るようにして力を溜めた右拳を澄ました顔面へとぶち込んだ。
 が、その拳は僅かな体の移動だけでかわされた。
「でりゃあっ!!」
 即座にウロは左拳をアッパーする。それも簡単に避けられたが、ウロは怯まない。アッパーの勢いのまま器用に体を捻り、軸足を支えとして大槌を振うように回し上げた踵でグリフォンのこめかみを狙う。
 空振り。風を切る音だけが虚しく響く。
「チッ!」
 相手に聞こえるように舌打ちし、ウロはさらに拳打と蹴打を息もつかさぬ間隔で連続する。
 拳、拳、蹴、拳、蹴、蹴、拳、拳、拳、蹴拳、拳拳蹴、蹴拳拳拳、拳蹴拳拳拳蹴拳拳拳蹴拳拳拳蹴拳拳拳蹴拳拳拳蹴拳拳拳蹴拳蹴蹴拳打打打打打打打打打打打打打打打打打打打打打打打打打打打打打打打打打打打打打打打打打打打打打打打打打打打打打打打打打打打打打打打打打打打打打打打打打打打打打打打打打打打打打打打打打打打打!!
「ヒョロヒョロヒョロヒョロ避けてんじゃねーですよ!」
 無限に続きそうな打撃の猛襲だったが、グリフォンには掠りもしなかった。
「攻撃のつもりか? 王たる俺の目には全て止まって見えるぞ?」
「あんですって!?」
 怒りに叫喚しつつウロは撓るような回転蹴りを繰り出す。当然それも避けられてしまったが、計算に入れていたのだろう。彼女はさらにもう一回転を加え、どことも知れない空間から取り出した黄金色の大剣を引き抜き様に一閃する。
 ウロボロスの鱗から鍛えられた業物――〈竜鱗の剣スケイルソード〉。本人は頑なに妙ちきりんな名称で呼んでいるが、特に意味はない。
「捉えたぁあっ!」
 唐突に出現した予期せぬ武器による攻撃はグリフォンに避ける余裕を与えなかった。振り抜かれる黄金の刃にグリフォンの胴体は斬り裂かれ、鮮血を迸らせる――はずだった。
「今のはなかなかに愉快な攻撃だったぞ」
 グリフォンは豪快に振り払われた〈竜鱗の剣〉を、片手で摘まむように白刃取りしていた。
「あたしの〈ウロボロカリバー〉を止めるなんてやるじゃあないですか」
 ウロは大剣を片手に持ち直し――シュッ。フリーになった手をグリフォンの顔面に突き出した。
 殴るためのものじゃない。
 掌に収斂・圧縮した恐ろしい量の魔力を、ほぼゼロ距離で射出するためだ。
「思う存分ぶっ飛びやがれ!」
 ウロボロスの魔力弾が放たれる。
 ただし、天空に向けて。
「なっ!?」
 驚愕し、絶句するウロ。魔力弾が射出される寸前に、彼女の華奢な腕をグリフォンが蹴り弾いたのだ。
「今度はくだらん芸だったな、爬虫類」
 グリフォンはウロボロスの顔面を鷲掴むと、
「――ッ!?」
 そのまま押し倒すように地面に叩きつけた。――ドゴォン!! とアスファルトの陥没する音が轟き渡り、土煙が舞い上がる。
「平伏せ、愚民」
 吐き捨てるように言い、グリフォンはバックステップでその場から大きく跳び退った。
 次の瞬間、先程までグリフォンがいた場所を真紅の火炎流が通過する。
「……外しました」
 ウェルシュだ。ウロが近接戦闘に持ち込んでいる間に魔力を溜め、タイミングを計って放射したのだろう。見切られていたようだが……。
「次は当てます」
 ウェルシュは自分の周囲に六つの中型魔法陣を展開する。そして狙いをグリフォンに定め、そいつだけを焼き尽くす紅蓮の劫火を解き放つ。
 遠距離を得意とする超火力砲台。それがウェルシュ・ドラゴンだ。
「派手な演出ご苦労。だが――」
 グリフォンは翼を広げ、飛翔。そして襲い来る六本の火炎の奔流を、飛燕のような素早い動きで巧みに掻い潜りつつウェルシュへと切迫する。
「そんなもの、王たる俺を映えさせる単なる小道具に過ぎないと知れ」
 凶刃を思わせる手刀がウェルシュの喉を突いた。
 常人であれば血が飛び散る前に首を捥ぎ取られていただろう一撃。だが、ウェルシュの首は胴体から離れることはなかった。血の一滴も零れていない。
「無駄です。ウェルシュの〝守護〟はあらゆる攻撃を通しません」
「そのようだ」
 グリフォンは手刀を『掴み』に変更し、ウェルシュの首を〈守護の炎〉ごとホールドしたまま飛翔する。そして満月の輪郭をなぞるように宙返りすると、翼を羽ばたかせ、爆発的な推進力で急降下。ウェルシュの体をアスファルトの地面に強か叩きつけた。
 空爆でもあったかのような轟音。
「やはり貴様ら爬虫類は、そのように地面を這っている姿こそお似合いだ」
「爬虫類爬虫類ってさっきから見下してんじゃねーですよ!」 
 舞い上がった土煙を薙ぐようにしてウロがグリフォンの背後から襲いかかった。
「あたしはドラゴンです!」
 いつもの主張をしながらウロは黄金色の大剣を大上段から振り下ろす。グリフォンは前方に軽く飛んでかわすが、あの大剣に関しては紙一重で避けても意味はない。
「串刺しの焼き鳥にしてやりますよっ!」
 剣身が伸びるのだ。ウロボロスの〈竜鱗の剣〉は。
「――!」
 突然リーチを伸ばした大剣にグリフォンは瞠目する。それでも頬を浅く切っただけだったが、ウロの攻撃は確かに届いた。
「畳みかけます!」
 伸びるだけが〈竜鱗の剣〉ではない。剣とは思えない柔軟さで蛇のようにうねり、曲り、捻り、獲物を雁字搦めに締めつけてバラバラに解体する。
「なるほど、それが幻獣界で一時期噂になっていたウロボロスの剣か」
 グリフォンは予測不能に動く大剣に慄くことなく、ほとんど直観的に回避していた。余裕の相好は微塵も崩れていない。
 恐らく〝勇猛〟の特性だ。いかなる攻撃が来ようともグリフォンを怯ますことはできない。恐怖を知らないのではなく、感じたとしても瞬時に乗り越えてしまうのだろう。
 厄介だ。
 怯まない相手は隙をほとんど見せないし、動きも鈍らないのだから。
「黄金の剣とは、まさに王たる俺に相応しい獲物だ。――もらうぞ」
 ヒュン! とグリフォンはその場で片手を振るった。
 瞬間、ウロボロスの右腕が付け根から切断された・・・・・
「――ッッッ!?」
 ボトリと地面に落ちる右腕と、その手が握っていた〈竜鱗の剣〉を見てウロが声にならない悲鳴を上げる。
「ウロ!?」
「だ、大丈夫です紘也くん! あたしは、〝再生〟しますから」
 赤い液体を滴らせるウロの右肩から――ブシャアッ! お世辞にもいい響きとは思えない生々しい音を立てて前と変わらない腕が生えた。地面に切り落とされた方の腕はマナの乖離が始まり、やがて完全に消滅する。
「フン。爬虫類の再生というものはやはり物見が悪い。二度と俺に見せるな」
 嫌悪感を隠そうともせず言い捨てるグリフォンの右手には、ウロの〈竜鱗の剣〉が握られていた。
「あっ! なに勝手に盗ってんですか返しなさいそれはあたしの〈ウロボロカリバー〉ですよ!」
「残念だったな。もう俺の物だ」
「寝言が言いたいんですか? だったら今すぐ眠らせてやりますよっ!」
 頭に血が上ったのか、ウロは迂闊に飛び込んでしまった。
 グリフォンが翼を大きく広げ、煽ぐように一羽ばたきする。
 ウロの全身、至るところから服の布が引き裂かれ、千切れ飛ぶ。
 だが、出血はなかった。
「もうそんなそよ風で傷つけられるウロボロスさんじゃあありませんよ!」
 ウロは全身を金色の鱗で覆っていたのだ。〈竜鱗の鎧スケイルメイル〉と呼んでいるが、その実態は『人化』した肉体にウロボロス本来の鱗を浮かび上がらせただけである。もっとも、それだけで防御力は戦車の装甲よりも硬くなるから〝再生〟と相まって恐ろしい。
〈竜鱗の鎧〉により硬化された拳をグリフォンに振り翳す。それだけならまたかわされるだけだろう。が、今度は起き上がったウェルシュが横から火炎を放っていた。前と横。挟撃ではないが、ウェルシュの炎がウロを燃やさない以上、どこへ避けようとも追撃可能な状態だった。
 グリフォンが避けようとするならの話であるが。
「んなっ!?」
 ウロの拳を奪った大剣の腹で受け止めたグリフォンは、その腕を掴んで彼女を引き寄せ――ウェルシュの炎に向けて放り投げたのだ。
 ウロは〝拒絶〟の対象に入っていないとはいえ、その体が楯となり炎は分散する。結果的にグリフォンは残りカスのような炎を浴びただけでほとんど無傷だった。
 そして、放り投げられたウロの勢いは砲弾のそれ。〈拒絶の炎〉に押し止められることなく突き破り、ウェルシュと激突してもみくちゃになりながら地面を転がった。
 ――強い。
 ウロとウェルシュの二人がかりで、ここまで翻弄されるものなのだろうか。〝勇猛〟の特性でそう見えるだけかもしれないが、グリフォンはまだまだ本気を出していない気がする。
 絶対的な心の余裕は過信による隙すら生じさせない。
 ――底が知れない。
 ただ見ていることしかできない紘也は、せめて敵の癖や隙を発見することに専念していた。だが、一般人に成り下がっていた紘也には達人級の動きになどついていけるはずがなかった。
 もどかしい。
 今だけは、魔術を捨てたことを後悔したくなるほどに。
「だぁーもう! どこ突っ立ってんですか腐れ火竜! 邪魔なんですよ!」
「……ウロボロスが投げ飛ばされるのが悪いです」
「んにゃにを――ッ!?」
 互いに文句を言い合う二人を裂くようにグリフォンの風刃が飛ぶ。危うく真っ二つになりそうだったウロとウェルシュに冷や汗が流れる。
「これはちょーっと、喧嘩してる場合じゃあないですね」
 ウロボロスは手首に嚙みつき己の血を啜る。〝貪欲〟の特性により、ウロボロスの魔力の絶対量が倍々に膨れ上がっていく。
「……本気を出した方がよさそうです」
 ウェルシュは足元から紅蓮を爆発させた。〈拒絶の炎〉が西洋鎧の形となって彼女に纏わりつき、魔力の質が跳ね上がる。〝拒絶〟特化モード。〝守護〟を捨て、新たな対象を〝拒絶〟できなくなる代わりに火力を底上げするモードだ。
 ピリピリとした空気が場を支配する。計り知れない魔力圧に身の毛が弥立つ。
 その中で、天地の王――グリフォンは不適に笑っていた。
「来い、愚かな爬虫類ども。その力、さらなる力で捻じ伏せてくれよう」
「言われなくてもぶっ飛ばしに行きますからご安心を!」
 そう言い返した瞬間、ウロの姿が消えた。
 文字通り一瞬でグリフォンに肉迫し、黄金の鱗で武装した必殺の拳で殴打する。避けられなかったグリフォンは微かに苦い表情をしつつも、両腕をクロスさせてガードした。
「――〈拒絶の竜翼リジェクトウィング〉」
 そこに両脇から翼の形状を取った真紅の炎が迫る。広範囲からの挟撃は敵の逃げ道を制限し、追い詰める。
「面倒な」
「上に逃げるしかないですよ?」
「いや」
 誘うようなウロの言葉を一蹴し、グリフォンは羽ばたく。だが飛んだのは上空ではなく、目の前のウロを撥ね除けて前方に加速した。そして炎翼の付け根の部分だけを軽く跳躍してかわし、ウェルシュの背後に回る。
「――ッ!?」
「厄介な後衛から潰させてもらうぞ」
 炎翼を解除して振り向くウェルシュだったが、時既に遅かった。
「その鎧、直接触れることは叶わぬようだな」

 巨大な裂刃の大竜巻が発生し、ウェルシュをその中心へと呑み込んだのだ。

「ウェルシュ!?」
 紘也は焦った。まずい。〝拒絶〟特化モードのウェルシュは〝守護〟を使えない。あの竜巻を新しい〝拒絶〟の対象として追加することもできない。特化モードが即時的に解除できるものではないことも頻繁に使用しないことから窺える。
 と、壮絶な魔力の光線がグリフォンの翼を掠めた。
「このウロボロスさんを無視して腐れ火竜んとこ行ってんじゃねーですよ! あといい加減あたしの〈ウロボロカリバー〉返しやがれ! それはあんた程度の獣野郎に使いこなせる代物じゃあないんですよ!」
 両手に高圧縮された魔力の光を宿したウロがグリフォンに突撃する。グリフォンは握ったままの大剣を一瞥し、
「確かに、王たる俺でも貴様がやったように操るには時間がかかりそうだ。が――」
 ギン! とグリフォンが鷹のように鋭い目を見開いた。
「!?」
 解き放たれた〝王威〟に威圧され、突撃していたウロがビクンと震えて一瞬だけ動きを止める。
 その一瞬が命取りとなった。

 風を纏った〈竜鱗の剣〉が、本来の持ち主である彼女の左胸を貫いたのだ。

「貴様の鎧を砕くだけなら充分に事足りる」
 ゴボン!!
 壊れたポンプが水を吐き出したような音を立て、口から溢れた赤黒い液体と共に彼女は倒れ伏した。彼女を貫通した大剣も引き抜かれ、その傷口からさらに血が広がっていく。
「〝再生〟できる体のようだが、心臓を貫かれても果たして同じか?」
 血の海に沈むウロは返事をしない。ピクリとも動かない。
 竜巻が消える。その後には、痛々しく傷だらけになったウェルシュが俯せに倒れていた。
「ウロ……ウェルシュ……嘘だろ……?」
 あまりにもショッキングな光景に紘也は体の震えを抑えられなかった。
 ――ありえない。あいつらだぞ? ドラゴン族で、アホみたいなチート性を持ってる奴らだぞ。
 しかし現実は紘也の視界に残酷に映る。
 ――立てよ。立ってくれ。寝たふりはいいからさ。いつもみたいに、なんともなかった風に『ちょっと痛かった』程度で済ませよ。
「さて、次は貴様の番だが……貴様はどのような芸で俺を楽しませてくれるのだ? 大魔術師の息子とやらよ」
 グリフォンの敵意が紘也に向けられた。
 やばい。
 やばいやばいやばい!
「なにか魔術の準備が必要であれば少しなら待とう。貴様が俺を討てると思った術を引き裂いてから殺してやる」
 奴は紘也の実力を勘違いしている。肩書き、魔力、契約幻獣。それらを見て紘也を一般人と断じる者がいるならそいつは阿呆だろう。
 奴自身がチャンスをくれた。その間になにか、なにかできることはないだろうか? なければ紘也は死ぬことになる。冗談抜きで。
 ウロたちはきっとまだ生きている。こんなことで死ぬような幻獣ではない。だが、彼女たちを起こそうとすればその瞬間に紘也は殺されるだろう。
 どうする? どうすればいい?
 どうすればグリフォンを打ち破り、愛沙を救うことができる?
 ……わからない。
 わからない。わからない。わからない。
 わからないわからないわからないわからないわからないわからない。

《困っているようだな》

 その時、紘也の背後から覚えのある八重の声が聞こえた。
《吾が力を貸してやってもよいぞ?》
 ――一番使えない奴来ちまった!?
 一体どこから自信が溢れているのか、青い和服姿の幼女――山田は尊大に胸を張って紘也の隣に並んだ。これはいよいよもってやばい。山田が来てしまったせいで、紘也が死ぬ確率は二倍に跳ね上がった。
「ゴミが増えたか」
 くだらなそうにグリフォンは吐き捨てる。
「山田、お前、なんで……?」
《勘違いするな。人間の雄。吾は愛沙のために仕方なく貴様に手を貸すのだ》
 そっち方面にはこれっぽっちも勘違いなどしていない。だいたいこいつには孝一の安否確認と救助を頼んだはずだ。孝一はどうなったのだ? ウェルシュの〝拒絶〟の個種結界が働いていたのにどうしてここにいるのだ?
 疑問が渦巻く。個種結界に関しては、恐らく結界を張った時には既に内部にいたのだろう。
「戦えないお前が来てなにをするって言うんだよ?」
《戦えない? 勝手に決めるな人間の雄》
 小さな体が紘也を睨め上げる。
《吾に魔力を寄越せ。非常に癪だが。それ以外に方法はない》
「だ、だが……」
 今の山田――ヤマタノオロチは魔力が極端に減っているせいで雑魚になっている。ならば魔力を足してやれば元の力を取り戻すのは道理と言えるだろう。それができるのは契約者である紘也だけ。けれど、彼女に魔力を与えてもいいのだろうか……?
「時間切れだ愚民ども」
 ビュン! ビュン! ビュン!
 三つの風の凶刃がグリフォンから放たれ、紘也たちを輪切りにせんと迫り来る。
《早くしろ人間の雄!》
「くそっ」
 迷っている時間なんてなかった。
 風刃が紘也たちに直撃し、爆風が巻き起こり土煙が舞う。

《まったく。最初から素直にそうしていればよかったのだ》

 土煙の中から響いた声は、同じ八重なのに心なしか子供にはない艶めかしさを含んでいた。
 紘也はどこも切断されていない。それは土煙を吹き飛ばした山田――いや、ヤマタノオロチも同様だった。
 ただし、そこには今までの幼女はいなかった。
《くくっ。しかしこれは素晴らしい。魔力が溢れてくるようだ》
 結ってもないのに八本に分かれた黒髪をうねらせる彼女は、元の幼女に十歳ほど年を重ねた姿をしていたのだ。百七十センチ近い身長に、和服の上からでもわかる膨らんだ胸。顔の輪郭からはあどけなさが消え、口元を妖艶に歪めてグリフォンを睨めつけている。

《たかが獣風情が。吾から愛沙を奪ったこと。死して後悔するがいい!》

 それはヤマタノオロチが『人化』した場合の、本来なるべき姿・・・・・・・であった。

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