天井裏のウロボロス

夙多史

Section4-3 殺意の炎

 ウロボロスとウェルシュ・ドラゴンは蒼谷市近海の上空を飛翔していた。
 竜翼をハングライダーのようにピンと伸ばし、超高速で雲に突っ込んでは爆散させ、青い空をひたすらに翔け回る。下の海に点々とする漁船から見上げれば視認されてしまう高度ではあるが、葛木香雅里から渡された護符の結界が働いているためその心配はない。
 捜査は難航を極めていた。
 蒼谷市のみならず近隣の空を大気圏ギリギリまで徹底的に飛び回って調べたが、怪しい物体はなに一つ存在しなかった。ならば地上はどうかと高度を下げてみたものの、上空から確認できる位置にそれらしいものは見当たらない。結界で隠れているだけならこうなる前に連盟に発見されているだろう。
 空と地上になければ、あとは海上か海中か地下か、はたまた宇宙か。
「あんの糞グリフォンが嘘吐きやがった可能性もあるんですよね」
 ウロボロスが毒づく。つまり『黎明の兆』はとっくに蒼谷市近辺から離脱し、愛沙を攫ったままどこか遠くへ逃げてしまった可能性だ。
「……嘘をついているようには見えませんでした」
 ウロボロスの隣にウェルシュが並ぶ。すると、二人がそれぞれ握っている簡易結界の護符が淡く光った。
『そうだな、あいつは決着をつけたがってるようだった。だからヒントを残したんだと思う』
 護符から紘也の声が聞こえた。通信機能も兼ねている護符だそうだ。便利だが、その分だけ結界の範囲は狭い。せいぜい個人を覆う程度である。
「紘也くん紘也くん、もう散々空は探しましたよ。海も小さな漁船がちらほらあるだけで、大人数を収納できそうな船は見当たりません」
「マスター、近くの小島にも下りてみましたが、誰もいませんでした」
 二人からの報告を受けて紘也はしばし沈黙した。その代わり誰かと話している声が遠く聞こえる。恐らく葛木香雅里か誰かに今の報告を伝えているのだ。
『……わかった。ウロ、ウェルシュ、もう一回りしたら戻ってくれ』
「戻っていいんですか? もしかしたら敵も動いてて、あたしらから逃げてるだけかもですよ?」
『大人数を抱えてお前らより速く動ける手段に心当たりでもあるのか?』
「いえいえそんなもんまったくもってこれっぽっちもありませんね! ウロボロスさんの速度舐めてもらっちゃあいけませんよ! 腐れ火竜の十倍は軽いですね」
「ではウェルシュはウロボロスの百倍速いです。あとウェルシュは腐ってません」
「あ? じゃああたしはその千倍速いですよ!」
「ウェルシュはその一万倍」
「十万倍あたしの方が速いです!」
『子供かお前ら! 幼稚な喧嘩してる暇があるなら自慢の速度で敵を探せよ!』
 護符から呆れたような溜息が零れた。紘也が止めなければウロボロスが『無限倍』とか意味わからんことを言い出すまで収まらなかっただろう。
『ところでウロ、お前の博識を見込んで聞きたいんだが?』
「オゥ! 紘也くんが誉めるとか珍しい! ふふん、なんでも聞いてください! え? あたしのスリーサイズ? んもうしょうがないですね紘也くんはここだけの話ですよ?」
『大人数を魔術師からも完璧に隠蔽できる魔導具とか術式とか、そういうものにも心当たりはないのか?』
「……ですよねー」
 安定のスルーに涙するウロボロスだった。
「ウロボロス、ふざけている場合ではありません」
「あんたに言われると凄いムカつくんですけど」
 ウロボロスとてTPOは理解している。それでもあえて場を明るくしようと努めるのがムードメーカーたる自分の仕事というものだ。もっとも紘也に言わせればムードブレイカーのトラブルメーカーだが、都合の悪い響きはウロボロスの高尚な耳には届かない。
『それでウロ、どうなんだ?』
 紘也が話を促してくる。時間がないのでウロボロスは真面目に考えることにした。
「そうですねぇ……どれもこれも入手困難な物ばかりですが、三つほどあります」
『言ってくれ』
 ウロボロスは自分の中の膨大な知識から抽出した情報を整理し、言語化する。
「まず遥か昔に天使たちが人間界で作ったらしい超巨大魔導具――天空移動要塞〈太陽の翼ラピュータ〉ですね。でもこれは宇宙に飛んでっちゃったので手に入らないはずです」
『どっかで聞いた話だな。まあいい、他は?』
「賢者クラスのエルフたちが身を隠すために編み出した結界術――〈理想郷ユートピア〉ですね。なにせ世界の因果から隔離する結界ですから見つけようがありません」
『……三つ目は?』
「う~ん、最後のは魔導具でも術式でもないのですが、幻獣界にある――なんですかこれはッ!?」
 話の途中だったが、ウロボロスは打ち切って空中で急停止した。隣を見ればウェルシュもホバリング状態で前方の彼方を凝視している。
『ウロ、どうし……いや、いい。わかった』
 紘也の近くでは常に葛木家が探知術式で蒼谷市周辺を走査している。だから紘也にもすぐ伝わったはずだ。

 とてつもない魔力の気配が物凄いスピードでこちらに近づいていることが。

『気をつけろ、ウロ、ウェルシュ。敵かもしれん』
 紘也の声は緊張を孕んでいた。正体不明の魔力反応だ。護符から聞こえてくる葛木家の雑音も騒然としている。慌ただしい物音や怒声がさっきから止まない。
「敵……そうですね、敵の可能性の方が高いです」
『どういうことだ?』
 直に魔力を浴びていない紘也にはわからないだろう。
 ウロボロスが感じているのは魔力だけではない。
「なんだか知りませんが、ずいぶんとお怒りなようですよ?」
 肌が粟立ちそうなくらい異常な、殺気。
 憤怒。憎悪。焦燥。
 そういった強い負の感情が魔力に乗ってウロボロスの全身に突き刺さる。常人ならこれだけで気を失ってもおかしくはない、それほど強烈な感情の波だ。
 ――どこの誰がどこの誰にどんな恨みがあるのか知りませんが、あたしらの邪魔をするってんなら容赦しませんよ?
 ウロボロスが戦闘態勢に移行しようとした時、心なしか周囲の気温が上がったような気がした。
 魔力が近い。
 もう目の前だ。
「……来ます」
 ウェルシュが言った、その直後だった。
 小さな太陽がそこに出現した。
 よくよく見れば太陽は人の形をしていた。正確には、女性の上半身に蛇のような下半身、蝙蝠に似た翼。それらが全て紅蓮の炎から形成されている。
 炎から感じられる隠しきれない殺意がウロボロスたちの肌を打つ。
「あれは……」
 なにかに気づいたようにウェルシュが瞠目する。
 と――

「うるぉおおぉおおぉぉおぁあああああああああああああああああああああッ!!」

 炎の半竜人が怨嗟に満ち満ちた咆哮を上げた。鼓膜が吹き飛びそうだった。慌てて耳を塞ぐウロボロスとウェルシュ。
 悪戯に空気を振動させていた咆哮は数秒で止んだ。
 ウェルシュは紅い瞳を険しくし、即座に護符を口元に近づける。
「マスター、ヴィーヴルです」
『ヴィーヴル? 今叫んだ奴がか? ……そういや、親父がこっちに向かってるって言ってたな。てことは味方か?』
「仲良くお茶飲もうって雰囲気じゃあないですけどね」
 炎の半竜人――幻獣ヴィーヴルはウロボロスとウェルシュ・ドラゴンには目もくれず、首を左右に動かして周囲を確認している。
 なにかを探している?
 ヴィーヴルの狙いはウロボロスたちではない。こちらが見えていないのかと思ったが、そんなことはないだろう。葛木家の結界は幻獣のヴィーヴルには意味をなさないからだ。
 やがてヴィーヴルはある一点に視線を固定した。
 そして――
「そこかぁあああああああああああああああああッ!!」
 怨嗟を絶叫に被せ、ヴィーヴルは自らの炎を球状に変化させると、海面に向かって突撃を開始した。まるで本当に小さな太陽が地球に落下しているような光景だった。
 だが、小太陽は海面に着水することはなかった。
 海面の何メートルも上空で、見えない壁にでもぶつかったように停止したのだ。
「「!?」」
 ウロボロスとウェルシュは大きく目を見開く。見えないどころか自分たちがなんの気配すら感じなかったものがそこにある。
 ヴィーヴル捨て身の炎球は今も絶えず見えないなにかと衝突を繰り広げている。
「紘也くん、あそこになにかあるようです!」
『ああ、葛木が今、お前らがいる場所にヴィーヴル以外の妙な反応を感知したらしい』
 ヴィーヴルの炎が空中で爆散する。
 その中から緑髪の女性が現れた。力尽きて意識を失っているのか、手足を弛緩させて頭から落下していく。
「! ヴィーヴル!」
 彼女と知り合いのウェルシュがすぐに追いかけた。
 ウロボロスは動かなかった。ヴィーヴルを救いに行ったウェルシュと、その向こうに出現した『それ』を見て冷や汗を流す。
「紘也くん紘也くん、どうやら三つ目が正解のようです」
『三つ目?』
 紘也の疑問に、ウロボロスは目の前の現状を冷静に分析して答える。

「幻獣界の海に漂う地図に載らない大地――幻想大陸〈アトランティス〉です」

 さっきまで緩やかに波打っていた海には、船に近い細長い形をした巨大な島が浮かんでいた。

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