天井裏のウロボロス

夙多史

Section4-5 残り一本の使い道

 船のような形状をした幻想島アトランティスは、その東側沿岸部を巨大樹が鬱蒼と茂る森で覆われている。海との境界は切り立った崖になっており、リアス式海岸の西側と違って綺麗な直線状を描いていた。
 まるで、本来はそこから先にも陸地が続いていたかのように。
 そういう事情の詮索は後回しにして、ウロボロスとウェルシュ・ドラゴンはひとまずその森に身を隠すことにした。魔力の放出を極限まで抑え、海が見える位置に生えた巨大樹の露出した根の間に陣取る。
 その幹に、アトランティスの結界とも言える〈不可知の被膜〉を破壊した緑髪の隻眼女性――幻獣ヴィーヴルを慎重に預けた。右眼を失い、酷く消耗した彼女はしばらく目を覚ましそうにない。
「とりあえず紘也くんと連絡は取れましたが……そいつ、どうするんですか?」
 目下の敵である『黎明の兆』の居場所を発見してくれたことについては感謝物だが、連れ回すにはリスクが大きいとウロボロスは考える。
「ヴィーヴルは敵ではありません」
 甲斐甲斐しく赤いハンカチで汗を拭ってあげながら、ウェルシュが言う。
「ウェルシュたちの味方です。なので放っておくわけにはいきません」
「あたしとしては放置がベストなんですけどね」
 じろっとほとんど無表情でウロボロスはウェルシュに睨まれた。普段ならば「なに見てんですかやるんですか?」と喧嘩売るところだが、状況が状況なのでぐっと我慢する。
「まあどうせ紘也くんたちが来るまで動けないわけですし、それまでに意識が戻れば適当に帰ってもらえばいいだけです。……そいつが正気だったら、になりますが」
〈不可知の被膜〉を破壊した時のヴィーヴルはまるで知性のない獣のようだった。ウロボロスどころか知り合いのウェルシュにすら気づいていない様子で、ただただ本能的な怒りに任せて右眼を追っていた。
 目を覚ましてもあんな状態が継続しているなら、はっきり言って邪魔だ。その時はヴィーヴルに対してなんの情もないウロボロスが最悪の選択をしなければならない。
 ヴィーヴルを殺す、選択を。
 ――これ以上面倒なことにならなきゃいいですが。
 紘也の父親が今すぐ彼女を迎えに来てくれれば助かるのだが、そんな科学的にも魔術的にも理論がぶっ飛んだご都合主義は起きないだろう。
 となれば現状維持――このまま眠ってもらっていた方がリスクは少ないのかもしれない。ウロボロスがそう考え至った時、
「……そういえば、ウロボロス、エリクサーが一本余っていませんでしたか?」
 思い出したようにウェルシュが訊ねてきた。
「は? まあ、一本だけありますけど……まさかあんた、そいつに使おうってんじゃあないでしょうね?」
 コクリと静かに頷くウェルシュに、ウロボロスは軽く苛立ちを覚えた。
「あんたがそいつを助けたい気持ちはまあなんとなくわかりますけど、エリクサーは一本しかないんですよ? 仙人の豆みたいに一年に七本しか作れないとかはないですが、そんな放っといても今はまだ死なないような奴にほいほい使えるほど稀少価値は低くないんです!」
 まだウロボロスたちは敵一人にも遭遇していない。ゲームで言えばラスボスのダンジョンの入口でしかないのだ。もしも万が一絶対にないことだとは思うしウロボロスがさせはしないが、紘也が致命的な傷を負ってしまうかもしれない。そうなった場合、エリクサーがあるのとないのとでは大違いもいいところだ。
「そんなことは、わかっています。わかっていますが」
 断固反対を示すウロボロスだが、ウェルシュは引き下がらなかった。ヴィーヴルの苦しそうな寝顔を一瞥し、彼女は真紅の瞳に強い意志を宿して口を開く。
「ウェルシュは、ヴィーヴルをこのまま放ってはおけません。少しでも苦しみを和らげてあげたいです」
「ドラゴン嫌いを公言するあんたがよく言いますね」
「ヴィーヴルは特別です。ウロボロスならこんなこと言いません」
「はん! あたしはあんたに心配されるほど弱ったりはしませんからね!」
 腕を組んで鼻息を鳴らすウロボロスを、ウェルシュは無感情ながらも意志の強い瞳でじっと見詰める。さらさらと葉擦れの音が聞こえるほどの静寂が満ち、数秒後、呟くような声で打ち破られる。
「……ウロボロス、グリフォンは強かったです」
「ん? まあそうですね。次はめっきょめきょにボコりますけど」
「簡単にできるとは思えません。ですが、ヴィーヴルが元気になれば加勢してくれます」
「不要ですね。寧ろ暴走状態が続いて邪魔されそうな気がするんですけど?」
「その時は……ウェルシュも覚悟はしています」
 木漏れ日の僅かな光がウェルシュの真顔を照らす。

「ウェルシュが、ヴィーヴルを止めます」

 殺す、と言わないところにウロボロスは甘さを感じたが、次にウェルシュの起こしたアクションが出かかった罵倒を強制的に飲み込ませた。
「ですので、ウロボロス、エリクサーをウェルシュに譲ってください」
 今まで決してウロボロスに対してやらなかった行為――頭を下げる。ウェルシュは、恥もプライドも捨ててウロボロスに懇願したのだ。
 友を苦痛から救うために。
「うぅ……」
 ウロボロスはなにも言えなくなって呻きながら数歩後ずさった。
 ウェルシュの想いは本物だ。もう少し合理的な奴だと思っていたウロボロスは彼女の認識を改める必要がある。彼女の無表情の下にはなんとも人間味溢れる感情が秘められている。人間じゃなく、ドラゴンだけれども。
 ここまでされては、流石にウロボロスの方が折れなければならないだろう。
「あーもうなんて言うかやってられませんよ! 頭下げられたらこっちが悪者みたいじゃあないですか!」
 ウロボロスは空間の歪みに手を突っ込み、透明な液体の入った小瓶を取り出してウェルシュに投げ渡す。
「確かに渡しましたよ。あとはあんたの勝手にすれば?」
「……ありがとうございます」
「まったく、調子狂いますね……」
 フン、とウロボロスはそっぽを向く。なぜか顔が熱かった。
 ウェルシュは意識のないヴィーヴルの口にエリクサーを無理やり流し込んでいる。あーあーあんなに零して勿体ない、とぎこちない手際にウロボロスはもやもやするのだった。
 もうそっちは見ないようにして、ウロボロスは契約者との魔力リンクを確認する。
 距離まではわからないが、さっきからずっとブレていない。まっすぐこちらに向かって来ている。となれば――
「時間的に、そろそろ紘也くんたちが来る頃です。膜を破壊する準備をしますよ」
 そう言ってウロボロスが振り返った時だった。

「これは意外だ。よもや宝石眼の蛇だけでなく、貴様らまで侵入していようとは」

 逆立った青白い髪の青年が、背に生えた猛禽類の巨翼を羽ばたかせながら降下してきた。
「……グリフォン」
 巨大樹の根の上に着地するその姿を見て、ウェルシュがヴィーヴルを庇うように立って唸る。
 ウロボロスは願ったりとばかりに好戦的な笑みを口元に刻んだ。
「こっちも意外ですよ。まさかいきなり登場してくるたあ思ってませんでしたから。大人しく宝部屋の番人でもしてりゃあよかったんじゃあないですか?」
「狩りの獲物がのこのこやってくるのを待つほど、俺の気は長くないということだ」
 グリフォンの周囲に魔力の風が舞う。圧倒的な威圧感を振り撒くその両眼が、ウロボロスを、ウェルシュを、ヴィーヴルを順に見回していく。

「さて、誰から引き裂いてくれようか」

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