天井裏のウロボロス

夙多史

Section5-3 強いられる消耗戦

 幻想島アトランティス――北東寄り中央部の祭儀場。

「な、なにやってるのよ秋幡紘也!?」
 こっちは任せろ的なことを言っておいてあっさり捕まるとか……香雅里は見ているだけで心臓が止まる思いだった。
 彼の隣にいる幻獣がウロボロスやウェルシュ・ドラゴンなら香雅里もこれほどハラハラしなかっただろう。けれど現実はヤマタノオロチ――紘也が魔力を与えれば戦えると聞いているが、香雅里は実際にその目で見たわけではない。正直、不安要素しかなかった。
 その不安が現実の物となった今、二人を救えるのは香雅里だけである。
 問題となる障害は――
「おっと、どこ行くのかな? 余所様のことなんて気にせずもっと俺様と遊ぼうぜ」
 どこにでもいそうなチャラいナンパ男みたいなことを口にする、プラチナブロンドの青年だった。
 幻獣ユニコーン――その人化形態。
 凶暴な幻獣として伝えられているユニコーンだが、人間が決して勝てない相手ではない。なにせその角を巡って狩り立てられるくらいだ。複数人でならば、という大前提はつくかもしれないが……。
「邪魔をしないで!」
 立ち塞がるユニコーンに香雅里は連続して刃を振るうが、洗練されているはずの太刀筋はヒョイヒョイかわされて掠りもしない。しかも余裕たっぷりの表情。腹が立つ。
「どっちかつーと、邪魔してんのはお宅の方だぜ? まあ、邪魔の邪魔っつったら間違いねえけど」
「ペラペラと動きながらよく喋るわね。舌でも噛めば?」
「えーと、香雅里ちゃんだっけ?」
「馴れ馴れしく呼ばないで!」
 袈裟斬りからの振り上げ、さらに振り下ろし薙ぎ払い。息も尽かさぬ連続攻撃だが、ユニコーンにはのらりくらりとかわされてしまう。
「いいねぇ、強気な女の子も俺様大歓迎よ。どう? 俺様と契約する気とかない?」
「ないわよ!?」
 香雅里は握り締めた〈天之秘剣・冰迦理〉に魔力を喰わせ、大上段から思いっ切り振り下ろした。無論そんな大振りなどユニコーンには当たらないが、狙いは別。
「爆ぜなさい!」
 刃が地面を叩いたその瞬間、そこを中心に刺々しい氷の華が咲き乱れた。地面を叩いたことで拡散した魔力を宝剣の能力で凍結させたのだ。香雅里の攻撃を余裕綽々に紙一重でかわしていたユニコーンは、瞬間的に爆誕した氷の華を避け切れない。その自慢の足に氷が突き刺されば浅くても動きは鈍る。
 はずだった。
「ひゅー」
 感心したような口笛と同時に、氷の華が文字通り一蹴されて粉々に打ち砕かれた。
「うそ……っ」
 確実に捉えたと思っていた香雅里は愕然とする。すると飛び散る氷の破片の隙間から、蹴り砕いたポーズのまま青年がドヤ顔をしているのが見えた。大変ウザいし腹が立つ。
 ――なにがしたいの、こいつ?
「集中が乱れてるぜ、香雅里ちゃん」
「――ッ!?」
 目を離したつもりはなかった。なのにそこにいたはずのユニコーンは消え、軽薄な声が背後から聞こえた。
 魔術で強化された視力でも捉えられない速度。
 香雅里はほとんど反射神経で背後に刃を振り抜いていた。
 しかし――
「すげえすげえ、人間にしちゃあ大した反応速度だ。俺様ちょービックリ」
 パチパチパチと一人虚しく拍手の音を響かせるユニコーンに香雅里の刃は届いていない。いや、届いてはいるが、刃は振り上げられた足の靴底を打っただけだった。手ごたえからして金属かなにかをブーツに仕込んでいる。
 ――ま、また……足で……。
 こんなプライドが傷つく防がれ方をしたのは初めてだ。あからさまに余裕を見せつけている。足技がユニコーンの戦闘スタイルなのかもしれないが、どう考えても香雅里は遊ばれているだろう。なぜなら――
「あなた、その剣を抜く気はないの?」
 ユニコーンは騎士服を纏い、その腰には立派な長剣を挿しているからだ。
「ん? ああ、コレ? こいつはまあ、アレだ。使えないこともないんだけど、今回ばかりは飾りだな」
「……ずいぶんと舐められてるわね」
「俺様はいつだって本気だぜ?」
「いい加減な嘘を。そういうことは――」
 香雅里は手品のような早業で空いた左手に三枚の護符を摘まむと、
「本気の目をしてから言いなさい!」
 組み合ったままのユニコーンの余裕顔目がけて突き出した。三枚の護符が一瞬淡く輝く。と、それらの護符から青白い雷光が前方に迸った。
「うおっ!?」
 瞬足自慢のユニコーンとて、雷の速度を見てからかわすのは不可能だったようだ。弾かれたように吹き飛び、全身を激しく痙攣させつつ地面を転がる。
 だが弱い。近距離に特化した陰陽剣士の中・遠距離術は威力がイマイチだ。人間ならまだしも、幻獣相手にダメージを期待できるとは思えない。
 だからこそ香雅里は迷わず追い打ちをかけた。踏み込み一回で数メートル先まで転がったユニコーンに切迫し、宝剣の刃を躊躇いなく振るう。一度斬り傷さえつければどんなに浅くても構わない。斬った部分の魔力を凍結させることが〈天之秘剣・冰迦理〉の本来の能力。斬れば斬るほど敵の動きは普通以上に鈍っていく。
「痺れるねぇ」
 雷撃の後遺症など物ともせず受け身を取ったユニコーンだが、今回はその顔に余裕の色がない。それでも危うくかわされそうだったが、香雅里の刀は左肩を僅かに斬り裂いた。血は流れず代わりに斬られた部分がペキペキと凍りつく。魔力の氷は血を流させる以上に怪我人の体力を奪っていく。
 香雅里の追撃はまだ終わらない。剣撃の猛襲は主に下段――ユニコーンの足を狙って一閃される。
「チッ」
 ユニコーンは避けない。
「もらったわ!」
 彼の一角獣の機動力を奪ったと確信した香雅里だったが――

 ガキィン!!

 葛木家の宝剣は金属音を立てて蹴り上げられ、持ち主の手を離れてくるくる回転しながら遠くへ落ちていった。
「なっ!?」
 その事実を半秒のラグで認識した香雅里の眼前では、ユニコーンが次の蹴りのモーションに入っていた。
 ――やられる!?
 回避は間に合わない。防御も間に合わない。ユニコーンの強烈な脚蹴は術式で強化されているはずの香雅里の体を呆気なく圧し砕いて……………………。
「……?」
 いつまで経ってもやってこない衝撃に、香雅里はいつの間にか瞑っていた瞼を開く。

 眼前数センチ先にユニコーンのブーツの爪先があった。

 ――寸止めされた……?
 どうして、と口にする前にユニコーンがヘラっと笑う。
「俺様は紳士で筋金入りのフェニミストだが、それは純潔の乙女限定だ。もし香雅里ちゃんが『処女』じゃなかったら今ので頭が柘榴みたいにぐしゃってたぜ?」
「しょッ!?」
 強調された一部の単語にボン! と音が出そうなほど香雅里はマッハで赤面した。
「な、な、なななんでそんなこと」
「そりゃあわかるのさ。ユニコーンは処女を嗅ぎ分けられるんだ。別に恥ずかしがることじゃないぜ? 健全な証拠ってやつだろ、日本人でその歳なら」
「~~~~~~~~ッ!?」
 そうかもしれないが面と向かって言われると堪え難い羞恥が込み上げてくるのだ。聞かれてないかと捕まっている紘也の方にチラリと視線だけ向けるが、距離的に心配はないだろう。たぶん。きっと。
「ハハハ、可愛い反応。初々しいねぇ。やっべ、俺様もっとからかいたくなってきた♪」
「こ、殺す!」
 打てば響くように叫んで護符を投げる。同じ手は効かないとばかりにユニコーンは大きく飛び退った。そこで香雅里はハッと正気づく。
 ――ま、まさかこっちをイラつかせるのが作戦?
 もしそうなら香雅里はまんまと術中にハマってしまったことになる。落ち着け、と心に言い聞かせ、気づかれないように何度も深呼吸をする。
 このユニコーンは強い。
 そしてどうやら本気で香雅里に攻撃する気はないようだ。儀式が完了するまでの時間稼ぎが目的だから、このまま続けてもヘラヘラ遊ばれて終わってしまう。無駄に時間だけが浪費されてしまう。
 違う。それだけじゃない。ユニコーンはまだ呼吸一つ乱していないのに、香雅里は肩で息をし始めている。このまま戦いが長引けば先に倒れるのは香雅里の方だ。
 一方的な消耗戦。ユニコーンは最初からそれが狙いだ。
 ――だったら。
 もう一度だけ香雅里は捕まっている二人を、そして魔法陣の前に立つリベカを見る。様子からして秋幡紘也とヤマタノオロチはすぐに殺されることはないらしい。鷺島愛沙も儀式が完了するまでに救い出せばいい。
 こちらも本気で目の前の障害を排除することだけに集中すべきだ。
「……目つきが変わったな」
 すっと目を細め、軽薄さを消した低めの声でユニコーンは呟く。
「悪いけど、私はあなたを滅するわよ」
「やってみな。俺様は逃げ続けるぜ? 避け続けるぜ? 防ぎ続けるぜ? 先にそっちの体力がなくなるまでな」
 言われるや否や、香雅里は素早く黒装束の懐から片手に四枚ずつ、合計八枚の護符を取り出した。扇状に開いて構えたそれらを短い文言を唱えてばら撒く。護符は空中で静かに破裂し、背の高い成人男性ほどの大きさをした人型を召喚する。
 紙の体に紙の袴、紙の日本刀を両手で握った八人の侍が香雅里を護衛するようにユニコーンと対峙した。
 葛木家の戦闘用式神――〈紙戦鬼しせんき〉。
 紙とはいえ、並の妖魔程度なら遅れを取らない戦闘力を持った式神だ。自立行動をするため、式神を召喚している間に術者が無防備になることもない。手数が足りなければこれで充分以上に補えるだろう。
 さらに香雅里は護符を一枚掴む。
「納刀――」
 唱えた途端、遠くの地面に突き刺さっていた〈天之秘剣・冰迦理〉が青い光に包まれて消失し、
「――抜刀」
 次の文言で香雅里の掴んでいた護符が青い輝きを反射する日本刀へと変化した。陰陽剣士の命たる刀は、手元を離れてもこうして戻すことができるように術式を組まれている。
「へえ、便利なもんだな」
 感嘆の声を漏らすユニコーン。だが、もはや香雅里に彼の言葉を聞く気はない。
「逃げられないように囲みなさい」
 式神に指示を出す。八体の紙侍は忠実に命令を実行し、数秒とかからずユニコーンを包囲した。あとはもう指示を飛ばすまでもない。香雅里の意思が敵の排除になっている以上、紙侍たちは次の命令を待つことなく紙の日本刀を振り下ろす。
 が、紙の刃が届く前に一体の〈紙戦鬼〉が蹴り飛ばされた。一般の銃弾くらいなら傷もつかない紙侍は、ユニコーンの蹴りでぐりゃりと歪んで折れ曲がり、そのまま破裂して消滅する。
「所詮は雑兵ってな」
 二体目、三体目と同じように蹴り潰されていく。あまりにも呆気ないが、香雅里自身も苦戦した相手だ。術者より弱い式神を何体集めたところで時間稼ぎにしかならない。
「で、俺様から時間を稼いでなにをするって言うんだい?」
「……」
 香雅里は無言を返して残り五体となった〈紙戦鬼〉を一斉にけしかける。
「うぜえな、こいつら」
 と、ユニコーンの額が白い輝きを放った。そこから立派な一角が生え伸び、輝きはその先端へと収斂する。
「雑魚は消えてろ!」
 ユニコーンの角から放たれた白の波動が残りの紙侍たちを一掃した。香雅里も波動の余波を受けたものの、強風に煽られた程度だから問題ない。
「残念。あまり時間は稼げなかったね」
「別にいいのよ。お礼を言いたいくらいありがたいわ」
「なんだと?」
 香雅里は左手を胸の前に持っていき、即時に数パターンの印を結ぶ。
 舞い散る〈紙戦鬼〉の紙片が空中で静止する。
 その様を見てユニコーンは悟ったようだ。
「あー、こりゃ参った参った。やられたよ。使い魔はダミー……いや、壊されてからが本番だったか」
 わざとらしく両手を上げて降参のポーズをするユニコーン。その表情には初めて焦りが生じていた。
「もう遊びは終わりよ」
 香雅里は〈天之秘剣・冰迦理〉に魔力を流し、その状態で手近の紙片を切り裂いた。

 瞬間、透き通った爆音と共に氷の花火が祭儀場の一部を美しく彩った。

 紙片と紙片を魔力で連結し、その魔力を〈天之秘剣・冰迦理〉で氷結させ、さらにそれが別の術式となって発動。一瞬にして爆発的に氷結地獄を展開させたのだ。残念ながら『主』を復活させる魔法陣には届かなかったが、紙片の中心にいたユニコーンは直撃だろう。
 城のように何層にも渡って聳え立った氷塊からユニコーンの消滅を確認することは難しい。魔力の氷の中からユニコーンだけを感知できるほど香雅里は魔力知覚に優れていない。けれど、たとえ消滅していなくてもしばらく身動きは取れないはずだ。
 ユニコーンが出て来る気配がないことだけ確認し、香雅里は踵を返した。
「今のうちに秋幡紘也を、いえ、先に鷺島さんから」
 救う方が先決ね、と口にしようとしたその時――

 祭儀場全体が眩い、しかし目に痛みを感じない優しい緑色の輝きに包まれた。

「しまっ――」
 その輝きは祭儀場の床に描かれていた魔法陣から発生している。儀式が完了してしまったのだと香雅里が悟った時には、もう全てが手遅れだった。

『主』が、復活する。

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