天井裏のウロボロス

夙多史

Section1-2 表と裏

 蒼谷市の都市部から外れた住宅街にぽつりと構える喫茶店『秦皮トネリコ』。
 木造の店内は落ち着いた雰囲気に装飾され、レトロな洋楽が流れている。人気メニューはフランスでパティシエ修行をしていたマスターの趣味と情熱と気紛れがケミストリーしてできる日替わりケーキセット。これが市外にまで噂が広まっているほど有名で、昼食時でもないのに午後のティータイムに利用する客がそれなりに入っていた。繁盛具合はまずまずだ。
 紘也は隅っこのテーブルでアイスコーヒーに口をつけながら、店内でテキパキと働く一人のウェイターを眺めていた。
 今日からこの喫茶店でアルバイトを始めた親友――諫早孝一いさはやこういちである。客から注文を取る姿は初日とは思えないほど様になっており、複数の料理を両手いっぱいに持っても全く危なげなく運べている。注文ミスなんて、少なくとも紘也が見ている間には一度もない。正直、有能過ぎて他の店員が不要に思えるレベルだった。
 成績優秀でスポーツ万能。子供心を捨てていない性格で友人も多い。なのに時々ちょっと影が薄かったりするが、そんな諫早孝一は紘也の自慢の親友だ。
「なあ、紘也。そんなに注目されるとやり難いんだが……?」
 孝一が困った顔をして紘也のテーブルに歩み寄って来た。客足は落ち着いたようで、店内に残っている客は今のところ紘也だけだ。
「そうなのか? やり難そうには全然見えなかったけど」
「営業スマイル的なポーカーフェイスだ。内心けっこう緊張してたんだぜ? 紘也もやってみればわかるけど」
「今年はアルバイトの申請を出してないからなぁ」
 紘也たちの高校は原則アルバイト禁止である。だが、夏休みなど長期休暇の時のみ社会勉強として申請すれば許可が下りるのだ。
 日本に残って暮らし続けているのは紘也の我が儘だ。だから可能な限り自分で稼げる時は自分で稼ぐことにしているが、今年の夏休みは申請を出さなくてよかったと思っている。
 ウロにウェルシュに山田。厄介な幻獣たちと契約してしまったし、最近は野良幻獣こそ落ち着いたものの、魔術的な事件によく巻き込まれる風潮がある。アルバイト先に大迷惑をかけてしまうと考えると申請する気にはなれなかった。
「この店のマスターは一応昔からオレの知り合いだから、頼めば『手伝い』ってことでやらせてくれるぞ?」
「いや、やめとくよ。もしかしたら残りの夏休み、日本にいないかもしれないしな」
「ああ、そうか、もうすぐ親父さんのとこに行くんだっけ。いつ……かはまだ決まってなさそうだな」
「親父の奴、忘れてんじゃないかとそろそろ疑いたくなってくるよ」
「電話すりゃいいじゃないか」
「したよ。二回くらい。留守電だったけど」
 忙しいのはわかっているが、時間を見つけて折り返してくれてもいいのにと思う紘也だった。
 と――Trrrn! Trrrn! Trrrn!
 紘也の携帯に着信のお知らせ。
「あ、電話……親父からだ」
「噂をすればって奴だな」
「……実は近くにいて狙ってたんじゃないだろうな?」
 首をきょろきょろさせて周囲を見回してみるが、店内はもちろん外にもそれらしき人物は見当たらなかった。
 世界魔術師連盟の大魔術師が一人――秋幡辰久あきはたたつひさ
 なんならイギリスからでも紘也を監視できそうな魔術師相手だ。近くを見回す程度じゃ意味なんて全くと言っていいほどない。
「とにかく出なよ。今は他の客もいないから迷惑にはならないさ」
「そうだな……」
 孝一の言葉に甘えて紘也は店から出ることなく携帯を通話状態にする。気を遣ったのか、孝一は二歩ほど下がった。
『ハロハロー、紘也少年。げんきー? お父様だぁよん☆』
「……」
 よし、切るか。
『待って紘也少年!? たぶん無言で電話切ろうとしてるんだろうけどちょっと待って!?』
 紘也がどういう行動を取るか予想しているなら最初から普通にしてもらいたい。切実に。
「開口一番に普通の挨拶ができない親父殿、もう忙しくなくなったのか?」
『言葉に刺が!? あー、えーと、おっさんはいつも忙しいのよ? だけどまあ、そろそろ連盟内も落ち着いてきたからね』
「ヨハネは捕まったのか?」
『いんや。あいつの行方はとんとわからずじまいさ。紘也んとこのウロちゃんがぶった斬ってくれたんだよね? だったらしばらく動けないと思うから、じっくり追い詰めるって方針になったわけよ』
 当時生死の境を彷徨っていた紘也は見ていないが、ヨハネは逃亡する直前にウロによって真っ二つにされたらしい。ヨハネは生身の肉体ではなく神木の体だったため、そのくらいじゃ死なないだろう。恐らくどこかで体を復元させつつ、魂と馴染ませているはずだ。
『んで、そろそろ大丈夫と思って日本に迎えを送ったんだけど……まだ来てない? 今日には着く予定だけど』
「まだ来てないけど……今ちょっと外出してるから、もしかすると行き違いになったかも。てか、送ったんならその時に電話しろよ」
『いやぁ、おっさんも忙しくてってさ』
 ハッハッハと笑う辰久。その向こうから『お~い、秋幡、ビールが冷めるぞぉ~ヒック』と酔っ払いが英語で酔っ払いなことを言っているのが聞こえた。
「……」
『……』
「……」
『……』
「……そういえば親父、今そっちって朝の五時くらいだよな?」
『……はい』
「夜通し飲み会とかずいぶん暇してるんだな」
『お、お父様にもお付き合いってものがあってだね!』
 父親も実は酔っていたのなら開口一番の頭悪い挨拶だって納得が……いや、アレはシラフでもいつも通りである。
『怒っちゃやーよ♪ ――って、ちょ!? それ俺が大事に育ててたお肉様ですよ!?』
 ――プツッ。ツー。ツー。
 ろくに挨拶もしないまま通話が切れてしまった。いや、紘也も『怒っちゃやーよ♪』の時点で衝動的に切ってしまうところだったから、結果的には同じだ。
「電話、終わったのか?」
 少し離れていた孝一が寄ってくる。
「ああ、親父のやつ飲んでやがった。ホントに忙しいのか怪しいぞ、アレ」
「ハハッ。『大人の事情』ってことで流してやろうぜ」
 白い歯を見せて爽やかに笑う孝一に、紘也はしぶしぶ納得することにした。紘也がどうこう言ったところでなにかが変わるわけではないのだ。

「孝一ちゃーん、ちょこーっといいかしらぁ?」

 すると、厨房の方から野太い声の女言葉が飛んできた。
「あ、マスターが呼んでら」
「ん。じゃあ俺はもう帰るな。買い物もしなきゃだし。どうやら今日、迎えが来るっぽいから」
「マジか。あー、オレもロンドン行きてえなぁ」
「孝一は観光目的だろ」
「まあな♪」
 にかっと子供っぽくはにかんで孝一は厨房へと消えていった。紘也は立ち上がると、アイスコーヒー代をレジで支払って店を後にした。

        ∞

 孝一が厨房に入ると、そこには筋骨隆々とした男性がうっとりした表情で片手を頬にあてていた。もう片手には受話器。保留中の音楽が流れている。
「なんすか、マスター?」
「孝一ちゃん宛てに電話よ。辰久さんから。あーん、やっぱりいつ聞いても素敵なお声だったわぁ♪」
「親父さんから?」
「ええ。またいつものっぽいわねぇ」
 オネエ口調で喋るマスターは、元々秋幡辰久の下で働いていた連盟の魔術師である。なにかの事故で魔力を失ってしまってからは魔術師を引退し、パティシエ修行の末にこうして喫茶店のマスターをするようになったのだとか。
 この蒼谷市にはそういう人たち・・・・・・・が何人か暮らしている。彼らは一般人として過ごしながら、時々辰久と情報交換などを行っていたり、孝一たちの後見人として生活をサポートしてくれたりしている。
 かつて秋幡辰久が滅ぼした組織――魔術師専門の暗殺集団『ラッフェン・メルダー』。
 魔力を持たない人間を赤子の頃から魔改造して生み出された暗殺者。その生き残りである子供たちの一人が、諫早孝一という人間だった。
 これらは秋幡紘也にはもちろん、連盟に加入している陰陽師の一族――葛木家にも知られていない事実だ。
 諫早孝一はあくまで一般人。彼らの前ではそう在らなくてはならない。影から彼らの平穏を脅かす敵と戦い続けなければならない。
 表の輝きを守るために、黒いことを裏で引き受ける。
 たとえ秋幡紘也が魔術師に戻ってしまったとしても。
 それが、秋幡辰久に救われた孝一たちの恩返しなのだから。
「もしもし、親父さん? 代わったぞ」
『ハロハロー、孝一少年。げんきー? おっさんだぁよん☆』
「……」
 マスターから受話器を受け取ると、妙にはっちゃけた中年男性の声が聞こえた。
「ハハッ。なるほど、さっき紘也にも同じこと言ったんだな」
『およ? てことは、紘也少年は孝一少年のバイト先に来てたわけか』
「もう帰ったけどな。で、飲み会はいいのかよ、親父さん?」
『ああ、部下から緊急の報告があってね。抜けて来た』
「そこは『紘也に心配させないために飲み会を演じていた』ってした方が格好良かったな」
『なっ!? しまったそういう発想があったか!? おっさんとしたことが!?』
 電話の向こうで歯噛みする辰久だったが、孝一もおふざけに付き合っていられるほど暇ではない。バイトの途中だし、なにより辰久が孝一の携帯ではなく、『秦皮』のマスターが連盟との連絡に使用している魔術的プロテクトのかかった電話機にかけてきたことが事の深刻さを現している。
「それで親父さん、本題だが……『また』なのか?」
『そうだ。紘也少年を狙っているかはまだ不明だが、ある魔術師が蒼谷市入りした』
 聞いた瞬間、孝一の纏う空気が変わった。両眼が鋭く細められ、暗殺者としての冷徹な色が瞳に宿る。
「人数は?」
『わかっているのは一人。まあ、恐らく一人だけだろう』
「名前。顔。使用する魔術。契約幻獣の有無」
『そんなに急かさなくてもちゃんと伝えることは伝えるさ。もっとも、俺が電話で話すより直接聞いた方がいいだろう』
「直接? 誰にだ?」
 まさかその魔術師に直に聞けということではないだろう。
『今回はちょっと違う事情が絡んでいてね。助っ人がそちらに向かっている』
「助っ人だと?」
 今までは助っ人などいなかった。孝一と、孝一の後輩たちだけで全て秘密裏に片づけてきた。助っ人が余計なことをして葛木家にでも孝一たちの存在がバレてはアウトだ。
 連盟内部でも辰久の周辺一部しか知られていないのに、そんなことをして大丈夫なのか?
『あちらさんがどうしてもって聞かなくてねぇ。あ、心配しなくても事情は知っている人たちだよ。他言はしないさ。今日中には着くだろうから、合流するのに都合のいい場所をおっさんに教えてくださいな』
 ――人『たち』か。
 助っ人は複数人。事情は知っているらしいが、一応警戒するに越したことはないだろう。
「それはいいが……さっきの今でそこまで話が進むもんなのか?」
 紘也と電話していた時はまだ飲み会の最中だったはずだ。そこから部下の報告を聞いて孝一に電話してきたとして、五分すら経っていない。
『あー、実は今さっき聞いた話ってわけじゃなかったのよ。その魔術師が日本に向かった時点でこちらも動いてはいた。さっき部下から聞いた報告は「蒼谷市入りした」って部分ね』
「だからオレにも連絡を回したわけか」
『そゆこと』
 なにかしらの目的で蒼谷市に入った魔術師は十中八九、秋幡辰久に恨みを持っていて息子である紘也を狙う。『黎明の兆』のようにそうでない者も稀にいるが、なんにしても紘也の周囲を脅かす存在を放ってなどおけない。
「了解した。合流場所は後で連絡するよ」
『オーケー。頼んだよ、孝一少年。ただ、わかってると思うけど――』
「ああ、できるだけ・・・・・殺さねえよ」
 魔術師殺しとして組織に改造され育てられた孝一にとっては、ただ捕縛するだけの方がとても困難で非合理的に思えた。
 既に血に染まり切ったこの手。
 今さら不殺を貫くことなど、できるわけがないのだ。

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