天井裏のウロボロス

夙多史

Section1-5 予想外の協力者

 蒼谷市市街地東端――超大型ショッピングセンター跡地。
 無駄に広い敷地を持ちながら、二年近くも放置され荒れ果ててしまった廃墟。かつてヴァンパイアとの激闘が繰り広げられたその建物内の、元々は映画館の入場口だった場所で、諫早孝一は柱の一本に凭れて静かに待っていた。
 正確には、諫早孝一『たち』であるが。
 廃墟には電気など通っているはずがない。よって自前のライトを用意してなんとか周囲を見渡せる程度には明るさを維持している。そしてその灯りが届く範囲で蠢く影は、孝一を除けば十五人以上も確認できた。
「……来たな。意外と早い」
 孝一の耳がこちらへと近づく靴音を察知した。数は三人。靴音から察するに、男性一人に女性二人だと予想する。
 やがて、ぽぅ、と球体状の輝きが見えた。魔術による灯りだ。
「ふへぇ、やーっと見っけたで。ちょっとここ広過ぎとちゃいまっか? ほんましんどいわぁ」
 三人のうち先頭を歩いていた男がうんざりした様子で息を吐いた。開いているのかわからない細目に丸眼鏡。顔立ちはアジア系だが日本人ではないだろう。纏っている漢服は広く長い袖と腰に巻いた帯でゆったりとした飄逸さを感じさせる。足運びに無駄はなく、それだけで只者ではないと孝一は悟った。戦闘になれば間違いなく苦戦を強いられるだろう。
 が、後ろの二人はそうでもない。連盟支給のローブを纏い、フードを目深に被っているため顔は判然としない。ただし、歩き方や息遣いは素人に近い。こちらなら後輩たちでも秒殺できる。
 そんな『もしもの時』の物騒な計算をしている間に、彼らは孝一の目の前まで歩み寄ってきた。
「諫早孝一はんやな?」
 微笑を浮かべた糸目の顔で漢服の男が訊ねる。孝一は一つ頷くと、凭れていた柱から離れた。
「そうだ。こちらも確認する。あんたたちが今回の任務の協力者で間違いないか?」
「そうや。まあ、正確にはあんさんらがボクの協力者になるんやけどな」
「というと?」
「まあまあまあ、まずは自己紹介から始めまひょか」
 意味深な言葉が引っかかったので訊ねると、漢服の男はニコニコと胡散臭い笑顔を貼りつけたまま両腕を大きく広げ、

「ボクの名は劉文海りゅうぶんかい。一応、『払暁ふつぎょうかて』っちゅう組織で副会長なんてもんをさせてもらっとります」

 これまた胡散臭いイントネーションの関西弁でそう名乗った。男の名前は聞いたこともないが、組織名には聞き覚えがある。
「『払暁の糧』……確か魔術師を主な対象とした大規模商人ギルドだったか?」
「お、なんや知っとるやないけ。せやせや。日用雑貨から魔術用品、形あるもんから形ないもんまでなんでもござれ。連盟御用達の魔術師商会『払暁の糧』。今後とも贔屓してや♪」
「……」
「……」
「……」
 妙なノリで糸目のウインクという超わかりづらいことをする男に、孝一や後輩たちはもちろん、彼の連れである二人すら沈黙した。
「ちょ!? なんでみんな黙るん!? せめてツッコミくらい入れてほしかったわ!? これじゃボクが恥ずかしいだけやんけ!?」
 渾身のギャグが滑った芸人ように羞恥に顔を赤らめて喚き散らす成人男性がそこにいた。
「いや、なにをツッコめばいいか」
「『お前糸目なのにウインク無理すんなや!』とかでええねん!」
 意外と体を張ったギャグだったらしい。
「てか孝一はん、あんさんはこういうノリ好きやって聞いてたで?」
「ん? ああ、そうだな。表の時のオレなら余裕で乗っていたと思う。けど悪いな。今は感情を抑えた裏の顔なんだ」
 どちらが本物の諫早孝一か? と問われれば『どちらも本物』と答える。『ラッフェン・メルダー』にいた頃は感情を殺された自分しかいなかったが、紘也たちと十年以上も過ごして芽生えた『表の顔』が偽物だなんて口が裂けても言えない。
「そんな気張らんでええんやで? ほら、ボクかてこんなノリやし。普段通りの自分で接してくれた方がボクとしてもやり易いっちゅうか」
「まだあんたが信用に足る人間だと判断できない。しばらくは警戒させてもらう」
「あちゃー。そら悲しいわぁ……でも」
 がくっと肩を落として項垂れる劉文海だったが、すぐに顔を上げると細い目を僅かに開いて眼球運動だけで周囲を見回した。
「流石は元『ラッフェンの子狼』たちや。身持ち堅いこって。けどなぁ、もうちょい仲良うしてくれへんか? ボクが信用できへんのはわかるけど、この建物入ってから『殺気のない殺気』を浴びせ続けられて敵わへんねん」
「――ッ!?」
 ざわり。
 周囲にいる後輩たちの気配が乱れた。孝一たちは暗殺者である。殺気を感じ取られては仕事にならない。それを感知できる劉文海はやはり、相当な実力者だ。
 それに、『ラッフェンの子狼』という名称も知っていた。組織によって集められた子供たちの総称だ。さっき形ないものも売っていると言っていたが……なるほど、魔術師商会『払暁の糧』はかなりの情報屋でもあるようだ。
「恐いわぁ。ボク、そんな怒らせるようなこと言いました?」
「……」
「……」
「……」
 飄々とする劉文海に、後輩たちの一部が今度は気配を消さず殺気を放ち始める。ナイフを抜いた者までいた。
「落ち着け、お前ら。一応味方なんだ。下手に手を出したらどうなるくらいわかるだろ」
 孝一が努めて冷静に言い聞かせると、後輩たちはどうにか殺気を引っ込めてくれた。この人数差だ。劉文海を降すことは可能だろうが、こちらも確実に何人かやられるだろう。
「おおきにな、孝一はん」
「あんたもだ。オレたちを『ラッフェン・メルダー』として扱うのはやめてくれ。オレたちにとっては忌々しい過去なんだ」
「おや? そらあかんなぁ。今度から気をつけるさかい、堪忍してや」
 劉文海はペコペコと調子よく頭を下げた。孝一は呆れ半分で彼を数秒睨むと、その後ろに控える二人に目を向ける。
「それで、後ろの二人はあんたの部下か?」
「いんや、ちゃうで。この二人はボクの案内役や。まだまだ魔術師としては見習いやけど、なんでもこの街出身らしいてな。辰久はんが気前よく貸してくれたんや。いやぁ、彼女たちがおらへんかったらもう一刻ほど迷ってた気がするで」
 カカカっと快活に劉文海は笑った。孝一としても彼らはもう少し遅れて到着する予定だったのだ。無駄に歩き回らせ、後輩たちに様子を探らせていた。この広くて複雑な場所を選んだのはそのためだ。
 孝一は改めて連盟支給のローブを纏った二人に視線をやる。体格的に二人とも孝一よりも年下の少女だろう。彼女たちが秋幡辰久の部下なら、そこの劉文海よりは信頼できそうではある。
 孝一に見られて自己紹介の番が回って来たと思ったのか、少女の一人が一歩前に出た。
 彼女は一瞬、口元をニヤリと綻ばせ――

「お久し振りですね、孝一先輩」

 そうはっきりと告げた。
「久し振り?」
 孝一は眉を顰めた。秋幡辰久を除けば連盟の魔術師に知り合いなどいないはずだ。捕えた魔術師を連盟に引き渡す時に誰かと顔を合わすことはあっても、それ以上の遣り取りは行った覚えがない。なにより孝一のことを『先輩』と呼ぶような魔術師に心当たりは――
 ――待て、この声どっかで……?
 心の奥底に封じていた記憶が刺激される。思い出したくないのに勝手に鮮明化されていく。
 約二年前。孝一がまだ中学三年生だった頃、偶然魔術を発動させる方法を見つけた少女が起こした、事件と呼べるかは微妙な事件。孝一が送った短くも長い恥辱の日々。
「ふふ、秋幡紘也先輩とは相変わらず仲良くやっているみたいでなによりです♪」
 少女がフードを取る。おさげ髪がよく似合う、あどけなさの残る可愛らしい顔立ちが露わになった。孝一を慕う一方で、なにか別の期待をしているような瞳が上目遣いで見詰めてくる。
 思い出した。
 どうして一般人だったはずの彼女がここにいる?
「ハハ、冗談きついぜ」
 感情を押し殺しているはずの孝一だが、つい苦笑いしてしまう。冷や汗が尋常じゃない。彼女だけは、元恋人だった彼女だけは、裏の顔だろうがどうしても苦手なトラウマとして孝一を震わせる。
「お前、まさか……美良山仁菜みらやまにいなか?」
「あはっ、覚えていてくれたんですね。嬉しいです! やっぱり私と孝一先輩は赤い糸で結ばれているんですね♪」
「ちょ」
 感激したのように瞳を潤ませて彼女――美良山仁菜は孝一に抱き着いてきた。孝一の胸に顔を埋めてすりすりしてくる彼女を突っ撥ねることは容易かったが、事情がさっぱり分からない孝一の体はフリーズしたまま動かない。
 ――親父さん、あんた一体なに考えてるんだ!
 今回ばかりは恩人の顔面だろうが一発ぶん殴りたくなった孝一だった。

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